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検索対象: 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞
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1. 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞

1957 ( 昭和 ) 年歳歳湯川、朝永、カナダの第 1 回バグウォッシュ会議に出席。朝永 は、日本学術会議訪中物理学者団団長として中国を訪問。 1961 ( 昭和 ) 年歳歳湯川、世界連邦世界協会 ( B<BI-L ) の会長になる。 1962 ( 昭和 ) 年歳団歳湯川、朝永ら第 1 回科学者京都会議を開催する。 1963 ( 昭和 ) 年歳歳朝永、日本学術会議の会長、東京教育大学光学研究所所長に。 1965 ( 昭和 ) 年歳歳朝永振一郎、量子電磁力学の分野にあける基礎的研究に対して、 ノーベル物理学賞を受賞。湯川、サンフランシスコ、 B<BIL 世界大会で会長を退き、名誉会長になる。 1966 ( 昭和 ) 年歳歳湯川「素領域理論」の提唱。 1969 ( 昭和 ) 年歳歳朝永、世界平和アピール七人委員会へ加わる。東京教育大学教 授を定年退官。 1970 ( 昭和 ) 年歳歳湯川、京都大学を定年退官。 1975 ( 昭和団 ) 年歳歳京都の第回パクウォッシュ会議にあいて、朝永、病中の湯川 を助けて尽力。湯川・朝永宣一言「核抑止を超えて」を発表。 1979 ( 昭和 ) 年〃歳歳朝永死去。 湯川死去。 1981 ( 昭和団 ) 年歳 2 巧

2. 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞

1944 ( 昭和 ) 年歳歳朝永、戦時研究員としてマグネトロンや立体ロ路に関する研究 に従事ヴる。 1945 ( 昭和囲 ) 年歳歳広島、長崎に原子爆弾ガ投下される。第 2 次世界大戦ガ終わる。 1947 ( 昭和 ) 年歳歳イギリスのバウエルら宇宙線中に 2 種の中間子を発見。 1948 ( 昭和 ) 年歳貶歳朝永、「くりこみ理論」にとりくむ。カリフォル一一ア大学の大型 加速器で中間子ガ人工的につくりだされる。湯川、プリンスト ン高等研究所の名員教授に招ガれ渡米。 1949 ( 昭和 ) 年貶歳歳湯川、コロンピア大学教授となる。この年わガ国初めてのノー ベル物理学賞を受賞。受賞理由は、核力の理論的研究に基づく 中間子の存在の予言に対してであった。朝永、オッペンハイマー の招きでプリンストン高等研究所へ。 1950 ( 昭和 ) 年歳歳朝永、多体問題の研究をまとめプリンストンガら帰国。 1951 ( 昭和囲 ) 年歳歳朝永、病没した仁科の跡を引き継いで、日本学術会議原子核研 究連絡委員会委員長に。 1953 ( 昭和 ) 年歳歳湯川、帰国し、京都大学に新設された基礎物理学研究所の所長 になる。国際理論物理学会議ガ同研究所で開住される。 1955 ( 昭和釦 ) 年歳歳湯川、ラッセルⅡアインシュタイン宣言に署名。世界平和アピー ル七人委員会結成。 1956 ( 昭和引 ) 年歳歳朝永、東京教育大学学長 ( 5 年 ) 。 214

3. 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞

1933 ( 昭和 8 ) 年歳歳湯川、大阪帝国大学講師も兼ねる。 1934 ( 昭和 9 ) 年歳歳湯川、大阪帝国大学の専任講師になる。「中間子論」構想を日本 数学物理学会で発表。 1935 ( 昭和 ) 年歳四歳湯川、中間子論の第 1 論文「素粒子の相互作用について」を「日 本数学物理学会誌」に発表。 1936 ( 昭和們 ) 年四歳歳湯川、大阪帝国大学助教授になる。 1937 ( 昭和 ) 年歳引歳アメリカのアンダーソンガ宇宙線中に中間子を発見。朝永、ド ィッのハイゼンベルワのもとへ留学、核物質の性質に関ヴる研 究を行う ( 1939 年月、独英戦争勃発のため帰国 ) 。一一ール ス・ホーアガ来日。 1939 ( 昭和 ) 年歳歳湯川、京都帝国大学教授となる。第 8 ロソルべー国際会議に招 なれ渡欧。第 2 次大戦勃発のため会議は中止。湯川、アメリカ 経由でアインシュタインなどを訪問して帰国。 1940 ( 昭和 ) 年歳歳朝永、関口領子と結婚。 1941 ( 昭和 ) 年歳歳朝永、東京文理科大学 ( 後の東京教育大学、現筑波大学 ) 教授 となり、中間子論の研究、あよび超多時間理論を考え始める。 月 8 日、太平洋戦争ガ始まる。 1942 ( 昭和 ) 年歳歳湯川、東京帝国大学の教授を兼圧。 1943 ( 昭和絽 ) 年歳歳朝永、「超多時間理論」を発表。湯川、京都へ移住。 213

4. 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞

湯川秀樹 & 朝永振一郎年表 湯川朝永 3 月日朝永振一郎、東京都に生まれる。父朝丞ニ十郎は当時 1906 ( 明治 ) 年 東京にあった真宗大学 ( 現大谷大学 ) 教授であったが、翌年京 都帝国大学助教授になったため京都へ。 1 歳 1 月日湯川秀樹、東京都に生まれる。父は小川琢治、地理学 1907 ( 明治 ) 年 者で京都帝国大学教授に招ガれたのを機に一家で京都へ。 1922 ( 大正們 ) 年歳歳アインシュタインガ来日する。 1923 ( 大正 ) 年歳行歳湯川と朝永、第三高等学校に入学して出会う。 1926 ( 大正 ) 年歳囲歳湯川と朝永、京都帝国大学へ入学。 1928 ( 昭和 3 ) 年歳歳湯川と朝永、玉城嘉十郎の指導を受ける。量子力学を学ぶ。 1929 ( 昭和 4 ) 年歳歳ハイゼンベルワとテイラッワが来日。湯川、朝永は京都帝国大 学を卒業。同大学の玉城嘉十郎教授の副手となる。 1931 ( 昭和 6 ) 年歳歳 5 月仁科芳雄、京都帝国大学で集中講義。ハイゼンベルワの「量 子論の物理的原理」を解説。湯川、朝永らが受講。 1932 ( 昭和 7 ) 年歳歳湯川、京都帝国大学講師 ( 量子力学の講義を担当 ) 。湯川、湯川 スミと結婚して小川なら湯川に姓が変わる。大阪に移住。朝永、 理化学研究所の仁科研究室へ入り、東京に移る。 212

5. 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞

この時朝永は歳 東京教育大学学長の任期 をおえて こうがく 同大学の光学研究所所長 や東大原子核研究所教授 を併任し 日本学術会議の会長でも あった

6. 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞

ー彡 ・■ 1922 ( 大正ⅱ ) 年 中学 4 年生の振一郎は 京都第三高等学校の 入学試験を受けた 残念ながら この入試は 失敗した 、フ , フっ・ このため奇しくも 歳の違う湯川秀樹と ( を朝永振一郎が翌年 どうそう 同窓となったのである

7. 湯川秀樹&朝永振一郎 : 二つのノーベル物理学賞

一一第ロ 0 な湯 この年 湯川は歳で 京都大学教授に なっていた どうして ? ソルべー会議に 出席する予定で やって来たん やけど いきなり戦争か 始まったもんやから 仕方なく戻る ところや そりや 気の毒に 君も帰るのか ? せつかくの 留学やった とんだことに なったなア 135