第七章再発 私と碁を打って、負けると海し涙を流しこそすれ、泣いて駄々をこねるようなことはけっ してしませんでした。 そんな綾乃が、ポツンと、日記にあるように、つぶやいたのです。きっと、心の奥から の言葉だったに違いありません。 そのとき、私は涙を抑えることができませんでした。再び元気になれるものなら、今度 はいやというほど一緒に遊んであげる。しかし、私には「ごめんね」と心の中で謝ること しかできませんでした。 ■ - ー・ーー八月七日 ( 木曜日 ) 規子に付き添われて大学へ。大学の復帰願を本日付けで提出するも、能力的に仕 事をこなせるか不明。教授からは、会う早々、面倒な講義等の話あり。準備もかな り悪し。患者の写真等がいるので、容易には引き受けられない ■ - ーーー八月九日 ( 土曜日 ) 村瀬先生夫妻が来宅してくださった。毎回、同じようなことを話さなければなら す、それだけで疲れてしまう。しかし、わざわざ来ていただいて、ありがたいこと
再々手術 阜ーーー一〇月一七日 ( 金曜日 ) 慶応脳外外来へ。一昨日の MRI の結果を聞きにいく。河瀬教授からいきなり、「手 伝うから、最後まで病気と闘ってくれないかーと言われた。右 pa ュ eta 一深部に再発 しており、結局一〇月二四日 ope ( 三回目 ) ということになった。なんということ * だ。神は私を見捨てた。みなさんさようなら。規子、よくやってくれた。綾乃、 い子に育てよー 学会等のスケジュ 1 ルのため、段取りを早くつけなければ。それにしても、統計 というのは正直なものだ。例外を許さない。 二日前の一五日にをやり、その結果をこの日に聞いたわけですが、これまでずつ と手術をやってくれた河瀬教授から、こういう言い方をされました。 「岩田、おまえ、ここまでやってきたんだから、最後まで病気と闘ってくれるか。俺も できる限り援助するから」 その瞬間、これはまた手術しなければならない所見が出たなと、わかりました。そして、 226
第七章再発 だけを与えてしまう治療を続けることをよしとすることはできません。 抗がん剤を使い、つらい副作用に苦しみながら、結局、命を亡くしてしまう、あるいは 残り少ない時間をベッドで寝たきりで過ごすことになるという患者さんがいるのも事実で す。近藤先生が指摘しているのも、その点です。抗がん剤で治療しても、何パーセントか は再発してしまう。あるいは、五年生存率はけっして高くないというデータをもとに、 ( ししのか、考えるべきだと書いているわけです。 んとどう向き合っていけよ ) ) また、どんな治療を受けるか、患者さん自身が選択できる幅を広げる必要があります。 自分はどんな病気であり、どんな治療法があり、そしてその効果はどれほどなのか。逆に 副作用はどんなものがあるのか。患者さんはこれらのことを正確に知る権利があるし、医 療にたずさわる者は、それを知らせる義務があると思います。 阜ー・ーーー七月八日 ( 火曜日 ) L30 。ついに終わった。つらい六週間であったが、何もうれしくない。かえって 大学へ行かない口実がなくなった。再発がないのが一番だが、味覚が戻るかどうか も期待したいところである。 午後、有楽町のギャラリ 1 で佐藤功さんが個展、日本橋三越にて浜田能生さんの
第七章再発
第七章再発 0 ーーー一〇月七日 ( 火曜日 ) 外来。神保 Dr に手伝ってもらう。来る患者全員に、病欠していた由を説明しなけ ればならないが、ほとんどの人が顔をのぞき込むようにして、「お若くなられました ね」「やせましたか」「病気は何だったんですか」と聞いてくる。「悪いものがすべて 。この本が出れば、みんな「読 吹き出しまして」と言っても、納得してもらえない みましたよ」と言ってくれるだろう。自分が ope あるいは再 ope したい患者がいる けれど、今のところど、つしよ、つもない pm3 】 00 ごろより慶応にて MRI 。時間をかけ数方向から撮っていたので、悪い所 見でも出たのか ? 今度再発したら、それこそ、家族をはじめ、友人、知人と本当に数か月でさよう ならだ。でも、今はどっこい生きている ■ーーー一 0 月一六日 ( 木曜日 ) 本日より、臓器移植法案が施行される。にもかかわらず、 TV では心肺同時移植
第七章再発 棟の横の中華料理屋でビ 1 フンとギョウザ。 MRI の結果が気になるが、夕方、規子 から、「結果が悪ければ、今ごろ te 一があって、別の時間に来るようにという電話が あるわよ」と。最大の慰めである。 とにかく、患者にとって慰めの言葉は大切なものです。私が脳外科医で、どこの誰より も自分の病状について客観的な判断が下せるとしても、それは同じことでした。 大学から帰った私は、布団をかぶって悶々としていました。もし、腫瘍の再々発、また 増大があれば、希望はほとんどありません。 そんな私に、規子は、「電話がこないのは、結果がよかったからよ」と言ってくれまし それが、慰めであることは十分わかっていました。おそらく、規子自身も、そう思うこ とで、耐えていたに違いありません。しかし、そのときの私は、そんな規子の慰めがとて もうれしく、そして励ましになりました。 」 0 幻 3
第七章再発 後者は、放射線で腫瘍を焼いてしまうという方法で、「 / ナイフ」と呼ばれています。 腫瘍とか血管の奇形を、頭の各方向から少しずっ放射線を当てることで焼いてしまうので す。一か所から放射線を当てると、放射線が通過する部分の正常な組織も一緒に破壊して しまいますから、各方向から当てて、ねらった部分だけに当たるようにするわけです。 実際に脳にメスを入れるという外科的な手術ではありませんから、患者に対する肉体的 な負担は少なくて済みますし、また人によっては劇的な効果を上げることがあります。 よって、医学的にも大いに注目されている治療法です。 ただし、外科的な手術に比べると、確実性に欠けるというマイナス面もあり、ケースに よっては再発を招く可能性も大きいのです。そこで、とりあえず一か月、様子を見ること となりました。 ■ーーーー六月ニ八日 ( 土曜日 ) 退院後、初めてのゴルフ。複雑な思い ( 打てないのではないか、 e 三等のトラブル ん て のため、皆に迷惑をかけるのではないか etc)0 規子も保護者として参加。 非常にうれしかったのは、長いものもそこそこ当たったことだ。正規のスコアで はないが、四八、四七でラウンドできた。パットは前と同じ、感謝で一杯だ ガンマ 783
第六章回復 0 ーーー六月ニ日 ( 月曜日 ) 登校拒否ではないが、通院拒否になりそうなくらい、朝はうつ状態。規子が一緒 でなかったらめげてしまいそうである。 L 一 nac は頭に印をつけないようにお面の型 をつくってあり、右は約二〇秒くらい、左は一〇秒くらい。これで 2G をじつにミ ジメ。こんなことで社会復帰できるのだろうか 昼、喜多方ラ 1 メンを一緒に食べ、母、帰京。そのあとすぐ、義母、来宅。 ■ーーー六月三日 ( 火曜日 ) 自分に残されている時間はどのくらいであろうか。毎日、再発に脅えながら過ご している。どういう症状で再発するのだろうか。痙攣 ? 麻痺 ? 大学へ戻っても、 とりあえす、成高先生の結婚式をどうするか ? こういう状態では何もできない。 ■ーーー六月四日 ( 水曜日 ) 本日は眼科のチェックあり。リナック後に受けたが、視力、視野検査を受けてか ら外来へ入り、面倒なことこの上ない。自分の病気に関しては、視力視野はあまり 比重は高くない。次回は七月下旬にしてもらう。午後は、綾乃を岩田会子供会に迎
第七章再発 阜ーー・・・・・・ーー六月一一六日 ( 木曜日 ) 放の。 = 状移 c 環転 の = L22 。神は残酷である。 L 一 nac を午後にしてもらい、午前中、昭和大のカンファレ 9 . 旧葉 ンスに出席。これから少しずつ復帰ができそうな気配になってきたところへ、河瀬頭 教授より、明日の外来の前に相談したいとの tel あり。 radiation 後、規子と部屋にう = 躓 カか、つと、 MRI 上の洋 occipital 0 ring enhance の部分は tumor の mesenchymal の meta の 可能性もあるということで ope を勧められた。ショックであった。仕事復帰の診断偲 書をもらおうと思っていたのに。 田 0 Q) 布れていたことが起きてしまいました。術後の経過観察のためのに、何か怪し、 しス 0 = ン代 影か出たというのです。 ン線影 「えつ、そんなところに出るの」 カ射造 というのが、率直な感想でした。 手術した部分の奥に当たる後頭葉に、直径一センチほどの何かができていたのです。お そらく再発であることは間違いありませんでした。がん細胞が脳の繊維を伝わって転移し たものか、あるいは手術のときに散ったがん細胞が髄液の流れに乗ってたどりついたのか いずれにしても、腫瘍であることに間違いはなかったのです。
第五章運命の日 : 手術当日 患者になってわかった不快感 脳死と臓器移植について 第六章回復 : 苦しいグルグル思考 放射線治療 思いもかけない後遺症 復帰への努力 第七章再発 : 、んつ、こんなところに ? か′ル ) 闘、つべさ , か 再手術 二度目の退院 125 141 179