聞い - みる会図書館


検索対象: お母さんの手、だいすき!
142件見つかりました。

1. お母さんの手、だいすき!

ちが ていたに違いな、。 「お母さん、何てあの人あんな手してるの ? そぼく ぎもん なっとく 素朴な当たり前の疑 引ご。そして、お母さんに約等いくように説明してほしかったのだ と思う。その気持ちは痛いほどよくわかる。自分も何度も母親に聞いたからだ。私はお母 きず さんの、「かわいそうな人なんだから見ちゃだめ」という一言葉に傷つし 、こ。戈今ごっこ。 しかに母親の私に対して悪いという気持ちもよくわかる。たしなめたくもなるだろう。て も、私の目の前を去った後、せひあの女の子に伝えてほしいと思う。世の中にはいろいろ すがた そんざい な姿、形、考えをした人が暮らしていること、そして目をそらす存在てはないということ。 私はもう一度あの女の子に会うことがあったら、自分の口からお母さんに代わって伝えた いと田フ。ちっとも自分はかわいそ一フてはないということを。 せつきやく 接客という仕事をしていると、とてももどかしい気持ちになるときがある。その女の子 のようにほんの一時の出会いがほとんどのなかて、不思議な気持ちや冷やかしの気持ちを ストレートに表してくる、特に子どもに対して、自分は何がてきるのかと田 5 ってしまうの よゅう たいど だ。私自身のそのときの調子て、いつも余裕があるとはかぎらない。 一度の態度てイメー ジが変わることだって大いにありうる。自匇の弱さが身にしみるがしかたがない。 / 68

2. お母さんの手、だいすき!

ふしぎうつ なものは不思議に映る。だけど聞かない。門い その身体が自分の当たり前の身体だから。それは私自身がいちばんよく知っていることだ。 ひょうげん それにみんなとても器用に身体を使いこなしている ( はたから見るとこのような表現に ぎやく なってしまうが、これも当事者にしてみればごく当たり前のことご オ ) 。逆に、なんてそんな 手なの ? 足なの ? とは聞かないが、 あまりにもうまく使いこなしているのを見ると、 いっしょ どんなふうに使っているのか、つい聞いてしまうことはある。一緒に遊んてしまえばもう しよう力い ちが そこに幸か不幸か、障害が重いか軽いかなどという違いはなかった。私自身、父母の会へ の参加かいつのまにか楽しくてしかたなくなっていた。 私が三歳のときに発足してあれから二十五年。学校の友達を誘っては参加し、いつのま けっこん にか結婚して夫と参加し、あれよあれよというまに子どもが生まれて家族て父母の会にか かわっている。灯はまだ連れて行かれるごナご、、。、 オ。オカ四歳になってむにはばちばち父母の会 の友達がてきてきた。「バザーや運動会に行こう」と一一一口うと、「あんちゃんとあやちゃんい るかなあ」と名 ~ 則が出てくるようになった。むか生まれたとき、ト / さいころから時間の都 合がつくかきりてきるごけ、 父母の会に連れて行こうと、夫と話し合って決めた。どんな障 害をもっていてもそれが自分の身体なんだと、元気いつばい走り回る子どもたちのパワー 耳てもしかたないからだ。その子にとっては さそ

3. お母さんの手、だいすき!

ことわ まよ のかもわからない。迷ったが決心がっかずに、結局お断りした。 さいたまはんのう ぬ さてどうしようか。そんなとき、母が一枚の新聞の切り抜きを私に見せた。埼玉県飯能 、己事ごっ 市の開校してまもない高校が、学園祭て自分たちぞ作った熱気球を上げたとしう言 しふく かんせい とど 手入れの行き届いていない原つばのようなグランドぞ、私服の生徒たちが歓声を上げ ている写真が載っている。小さな記事を読んてみると変わったことが書いてある。制月か 」、っそく そんな学校あるんだろうか。とても伸び伸びとした自由 よい、校歌かない、校則もない。 さらに記事には開校してまだ二年目なのて、これからの学校のルールなど な校風らしい と書いてある。自分たちて学校をつ は生徒たちに任せながらみんなてつくっていきたい、 くれるなんておもしろそうご。制にだって校則だって、学校というところは必要以上にう そうぞう るさし まるてないのは想像つかないが、なくてもいいんじゃない ? と田 5 うものはたく 。自由の森学園。気持 さんあった。私はその高校にどんどんひかれていった。名前もいし ちがワクワクするような名前 て えんどうゆたか め そうせっしゃ 私は、自由の森学園の創設者てある遠藤豊氏の書かれた本を読んだ。子どもと教育を考 を じようねっ きようし かのうせい えるうえての豊かな発想、教師たちの子どもの可能生にたくす情熱。自由とは、学びとは冊 いっしょ げんじよう 子どもに必要な本当の自由を一緒に考えたい、 何かを今の教育の現状てはつかみに まか せいふく

4. お母さんの手、だいすき!

しようがいしやそんざいみと ( 今一度 づき、障害者の存在は認めるか、五体満足にこしたことはないという多くの田 5 いこ ふ 風を吹かすことがてきたら、こんなにうれしいことはない。 この本を書くにあたりい つも相談に乗ってくれた夫・長塚靖史にありがとう。時にはっ さ えが とするような目のさめるアド、ハイスをくれた。また、すてきな挿し絵を描いてくださった へんしゅう 黒井健氏、生まれたころの話を聞かせてくれた母・野辺明子、編集の国保昌氏をはじめ、 かんしゃ 多くの方に支えられての本となった。むから感謝の気持ちていつばいだ。 じっさい 今は好きてもきら 最後に、この本のタイトルは、だれかが実際に言った言葉てはない。 かべ いてもなく私の障害を受け入れているむと灯。彼らがもう少し大きくなってさまざまな壁 そう願って付けたも オいすき / ーと一言ってほしい、 にぶつかったときに「お母さんの手、 ようちえん れいと、つこ さてと、明日の幼稚園はお弁当だ。冷凍庫になにかチンぞきるおかずはあったかな ? 天 気が悪くなる前に、灯をつれてお買い物をすませなくちゃ。 また、私の毎日は続いてい 二〇〇一年七月 ささ 0 長塚麻衣子 / 90

5. お母さんの手、だいすき!

切り取られた写真 「いいわよー」と母が出してき そんなときふと自分の一歳のときの写真を見たくなった。 てくれた赤い表紙の古いアルバム。背表紙に〃麻衣子誕生ー一歳〃とマジックて書きこん 、こくつついてしまったページをピリピリと音をたてながらめくっ てある。ビニーレ、、。 ノカ互し ( てみる。一枚一枚めくるたびにキュンとなっかしい思いがこみあげてくる。自分を見つめ 直すようて少し気はすかしい。私が生まれた産院てとった写真が数枚。白いタオルにくる まあ、生まれたばかりなんてひどい顔に決まっている。 まって私の顔はよくわからない そして、あった、あった。私の一歳のころの写真。私は一月生まれなのて、シャツやらセー こ、る、しし J 。が ターやらはんてんやら、いろいろ着込んて着ぶくれして写っている。目の前 ( し んなて見比べてみたりした。「やつばり麻衣子のこのころと似てるわね , と母。「ても心の ほうが意志が強い顔をしてるわ、麻衣子はおとなしい子だったから , とつけ加えた。確か するどしせん にむは気が強い。たまに横目て親をヒャッとさせるような鋭い視線をこちらへ向ける。し真 れ しいきおいてカンシャクをおこす。「イエス、ノーーがはっ かって物を取り上げると、すご、 取 きりしているのかもしれない。 切 しばらく、顔がどうの、性格がどうのという母の話や夫の声をばんやり聞きながら、な幻 くら せいかく

6. お母さんの手、だいすき!

はじめにみんなは、さっちゃんに会えたらこの歌を歌ってあげようと練習してきた「た んご三兄弟」て私たちを迎えてくれた。なんて元気のよい声なんだろう。はるなちゃんが どの女の子か歩行器がそばに置いてあったのてすぐにわかった。口を大きく開けて楽しそ すわ うに歌っている。あきなちゃんははるなちゃんの隣りの席に座っていたよく似ていて仲 歌ってくれたあとに先生が 「せつかく麻衣子さんに会えたから、みんな聞きたいことない ? 」 と言うと、数人の子が手をあげている。 「手のことていじめられたときは、なんと言ったんてすか」 「ほんとうに絵本と同じにおかあさん役をやれなかったんてすか」 ん 「いじめた子とどうやって仲直りしたんてすか」 っ 「字はどうやって書くんてすか」 っ どれもたしかに知り ' 」、 オしことだと田フ。質間の多くか絵本とだぶっているなあとむのな ん にがわら かて苦笑いをしながら、一つひとつに答えようと決めた。私はさっちゃんてはないけれど 同じような経験は何十回としている。さっちゃんの気持ちはとてもよくわかるからだ。私 むか とな

7. お母さんの手、だいすき!

たんにん だった。そして、義父が当時公立中学の特殊学級の担任をしていたことは気持ちのうえて 0 たんかい きより ふく 距離を近く感じさせてくれた。が、結局は夫も含めて、割と早い段階て右手の障害が気に ならなくなったのだろう。はっきりしたことが言えないのは、義父母に「私の右手の障害、 ぎやく 婚が決まるとき、気になりましたか ? 」と聞いたことがないからだ。逆に「麻衣ちゃん なお の手はすっと冶らないの ? 」などと聞かれたこともない。 に、もう義父母は知って 一度こけ、私の両親とはじめて食事会を開くことになった直前 いたとは思いながらも夫に、「お義父さんとお義母さんに私の手のこと、話しておいてね」 と言ったのを覚えている。もしかしたら、つきあうのはいいが結婚となると話はリご、と 言われてしまうかもしれない。父母の会の友達のなかには、相手の両親に理解してもらう ) ナこらしいあまりおしゃ のに時間がカカる、と話す人もいた 夫はアパートから電話をカ ( ナ べりぞはない夫は、「話したよ。そんなこと、気にしてないよ。との返事。たったそれだけ じこしようかいさい 食事会の日、父が自己紹介の際に、 て けっそん ぞん 「娘の右手はご存じかと思いますが、生まれつき指が欠損しています。私も妻もそのこと境 ま げんじっ がきっかけてこの二十数年間、障害者を取り巻くさまざまな現実と向き合う活動を続ける仍 とくしゅ つま

8. お母さんの手、だいすき!

たけがクリーム色のプラスチックててきていた こうふん 私はとてもドキドキしていた。なんといっても私を興奮させたのは、その笛にキラキラ した金具がたくさんついていたことだ。すごくゴージャスに見える。クラスの男子は休み 時間にときどき笛てぞうきんをまるめたのを打ったりして遊んてるけど、そんなことは決 ふ、つかく しててきない風格があった。なんてもその金具は本来、クラリネットに使うものらしい 一つひとつの穴に金色の丸い金具がついていて、高音を出す穴の金具にはさらに指をずら びみよう して音を出し分けられるように金具が微妙な大きさて分裂している。そしてソの金具は低 いドと、ラはレと、シはミとというふうに上下て連結している。私のつくってもらった笛 は「片手笛」といって、左手の指をずらして音を出し分けることによって片手だけても吹 くことがてきる笛だったのた とくせい なるほど、その特製の金具のおかげて右手は笛を支えるために添える程度てよくなり、 左手一本てすべての穴を開けたりふさいだりして音を出すことがてきる。私はその日一日 7 中、一緒に送られてきた説明書とにらめつこしながら笛をいじっていた 。左手の指をすら かんたん すのが慣れないが、やってみるとおもしろい。夜には「ちょうちょう」ぐらいの簡単な曲れ ちが はかろうじて吹けるようになった。しかし、こうも見た目がみんなと違うとちょっと目立 ささ ぶんれつ

9. お母さんの手、だいすき!

ねんれい 年齢になったのかここて逃げてはいけよい、 . 「こ、けて′ \ る 「心ちゃんのお母さんのお手々どうしたの ? 」 と聞いてくる子かいた 「おばちゃんのお母さんのお腹の中てこっちのおててケガしちゃったんだ。もうはえてこ いた ないんだけど、痛くないんたよ、ホラッ」 と右手を差し出してみる。 いよいよ始まる。私のなかぞのある 「やだよー ! 」と笑いながらその子は逃げていった。 心力三歳になるまてに何があっても自信をもてるよ 意味、戦いのスタートかもしれない。、、、、 ようちえん 学ノー、 と田 5 っていたが、あっというまにその時期が来てしまった。幼稚園に入った はんい りするともっと交友範囲が広がるだろう。お母さんたちにざっくばらんに話して、わかっ てもらえるだろうかよく遊ぶようになったお母さん友達のなかにあらためて伝えられな なじ いままの人もいる。すてに馴染んてくれていると思うが、きちんと話していないだけに気 けっこ、つ になったりもする。はあー、おとな同士も結構むすかしいもんだ。 0 なか にカていしき と思うか、働いていたころの苦手意識が頭

10. お母さんの手、だいすき!

きようみ やつばり自分の手と違う。みんな初めて見る形に興味しんしんだったのだろう。どう自分 しつもん いっしようけんめい なっとく のなかて納得させていいかわからずに、毎日毎日、私への質問て一生懸命 「なんて二本しかないの ? 」「この手どうしたのフド「大きくなったら生えてくる ? 」「さ いた わっても、 しい ? ー「痛くない ? 」「なんてこんなかたちなの ? 」など。どれももっともな質 と田 5 っているのだから。 問だ。私だって本当は心のなかて「何てなんだろう ? 」 「あのね、お母さんのお腹の中てケガしちゃって、二本しか指がてきなかったの」とくり 。いこ先生か間に入っ かえしながら、「ケガってなに ? 」と自分ても田 5 っていたときどき、 てくれながらクラスのみんなはそれても少しずつ慣れていってくれた。私は当時から少々 目立ちたがり屋てお調子者だった。右手のことにみんなが農れてくると得意げになりなが しゅじゅっ ら右手をかざして歩いた。聞かれもしないのに手術をしたことなどをみんなに話してい こ。しかし幼稚園にはもっとたくさんの子どもたちがいる。あるときは年長さんに囲まれ て口ごもることもあった。そんなときは私が一人て困っているのをけいこ先生が見つけて うた練 説明してくれたそうだ。また、毎日、先生のピアノに合わせてイスを丸く並べて歌を唄うの 時間があったのだが、好きなところに座って、という先生の声のなか、私の両隣りが空い てしまったことか何度かあった。私は私なりに戦っていた。悲しいことがあった日の夕方 すわ なら りようどな