言わ - みる会図書館


検索対象: お母さんの手、だいすき!
154件見つかりました。

1. お母さんの手、だいすき!

ぎもん て』を持って遊びに行った。そして、咲ちゃんが私の右手を疑問に思うのはあたりまえの おこ ことだから、怒ったりせずにお腹の中てケガしちゃったとか、心ちゃんのお母さんに聞い てごらん、と話してね、と云え ' 」。 カ′、 おとなが隠してしまうと子どもは触れてはいけないことだと田 5 ってしまうし、知るチャ のが ンスを逃してしま - フ。泉さんはとても気持ちよく話を聞いてくれた。子どもを通して初め ててきた友達。どれだけホッとしたことか。私は彼女 ( 近くの公園や公民館の勉強 ひま 会や児童館などに暇さえあれば通うようにした。まだお互いョチョチ歩きの子ども同士だ ぼう が、赤ん坊なりによく遊ぶ。年の同じ子どもを連れたお母さんたちとも少しずつあいさっ うれ なや などがてきるようになっていくととても嬉しかった。子育ての悩みやたわいもない話をす わす るのが楽しい 心自身もお友達と時間を忘れて遊んている。 こ、つ′」 入っていた親子サークルぞ、母親と子どもが交互に手をつないて大きな輪をつくる踊り があった。初めのころはまだ気づかないだろうと思って、よその子と右手て手をつないて ることも多かった。、、。、 カ子どもたちも一「三歳だ。なにげなく右手て手をつないてい て ふしぎ とちゅう 子がフッと手を離したことがある。そして不田 5 議そうに眺めている。曲の途中だったのて境 す どうよう 思わずやり過ごしてしまったが、むのなかてはかなり動揺していた。そうか、もう気づく なか ふ たが おど

2. お母さんの手、だいすき!

さんどう いた。そしてその二人に賛同する拍手がおこった。 とっぜん おどろ 突然のことと、そのパワーにかなり驚いたか、その場の空気がほぐれ、リラックスもて いしひょうじ たいど きた。同時にきちんと意思表示をするみんなの態度に驚かされた。私は二人のおかげてフッ まよ しよ、つ力い と力が抜けて、迷わずに手をあげることがてきた。そして自分の手の障害の話をした。こ めんどう かた こて言ってしまえば一気に学年中の人に知ってもらえるから面倒じゃない。眉の荷がおり たような気持ちだ。何と説明したか覚えていない。ただ、まばらな拍手が温かく感じられ 勇気を出して言っちゃってよかったあ、そんな気持ちだった。 げん ふく わり 他にも私の学校には障害をもっ生徒が割といたように田 5 う。現に同じクラスに私を含め しき た三人の障害者力しオ 、、。、こ。しかし、お互いにあまり障生〔を意識してはいなかった。そこにい ることが当たり前て、障害をもっているその人が当たり前だった。片手、片足の不自由な じゅぎよう 男の子はバレーポールの授業のときは自分なりの参加のしかたを探っていたし、周りの生 徒もボールを落としたときは他の友達に言うようにその男の子にもプープー文句を言っ くっ ろうか まどめ た。もう一人の男の子は授業中にいきなり廊下に出て、「自殺してやるー」と靴を脱いて窓 によじ登ることがしばしば。最初はクラス中驚いたが、何回かくりかえすうちに「おいお個 かげん しい加減にしろよー」となだめるよ - フになった。 はくしゅ さぐ

3. お母さんの手、だいすき!

は田 5 いきって両手を高くあげた。 ちが 「私の右手はさっちゃんとは形が少し違います。親指と小指のほかは指がありません。さっ すわ ようちえん ちゃんと同じて幼稚園のとき、お友達に手をつないてもらえなかったりお隣りに座っても らえなかったりしたことかあります。みんな、私の手、なんの形に似てる ? と聞くと、ほとんどの子が声をそろえて「カニーツ」と言った。子どもの発想はどの時代 つうかん も同じだなあと痛感しながら、 小さいころ、ずっとカニとか、オ、ハケガニって言われてました。言われてい 「あたりー いじめる子とはいつもけ ゃなことは、いや、ごっ ! とはっきり一言 - フことにしていたカら、 んかをしていました」 し J 一一 = ロ - フし」、 「どうやって仲直りしたんてすか ? 」 と聞いてきた。私は、 いた 「この手は私の大事な手なのと言って、さわっても痛くもないし気持ち悪くもないんだよ、 あくしゅ ということをわかってもらうために握手をしてもらいました。自分から右手を差し出すの はとても勇気がいるけれど、おとなになってもたくさん握手をして右手にさわってもらい とな

4. お母さんの手、だいすき!

センチほど。子どもの私にとってはとても太く感じた。右手の親指と小指をグッと広げて ちが も手のひらては棒をつかめない。かといって鉄棒と違って手首てはさむには太すぎるのだ。 鈴木先生はそれを見越してやさしく私に言ってくれたのだろう。言われたとき、私は少し の間ジッと立ちつくしてしまった。その後、急に悲しくなった。 きようみ はじめからのけ者にしなくても、 しいじゃないか、せつかくほんの少し興味が出てきてお くっ もしろいかも、とやる気になっていたのに。靴を脱ごうとは田 5 わなかったけど、走っていっ て飛びつくぐらいの気持ちはあったのに。ても本当は、鈴木先生に言われたことが悲しかっ せなかお 何となく鈴木先生には「みんなと一緒にやってごらん」とポンと背中を押してもらい なみだ たかった。私はそのまますっとみんながのばるのを見ていた。しばらくは涙が出そうなく らいさみしかった。 結局、のばり棒がてきなくとも何の問題もないまま今まて生きてきているけれど、やは わす り鈴木先生に言われた一言が忘れられない。子どもながらに同じスタートラインに立たせ あわ てもらえなかった悲しさはむにしみている。もしかしたらおもしろいかも : : と淡い期待 を抱き力。オオ。 。ナ , 」ごナになおさらだ。先生は、子どもより先に答えを出してはいけない場面が あるのてはないかと思う。大好きな鈴木先生とのちょっとせつない思い出だ ・ほう いっしょ ぬ

5. お母さんの手、だいすき!

さかて 「まいちゃん、逆手てやってみたら ? 「えつ、逆手て ? 」 「うん、てきるかもしれないよ、やってみなよ」 「そうだよ、そうだよ、逆手のほうがやりやすいからやってみなよ」 みんなは自分も順手と逆手と両方やってみながらアドバイスをしてくれたのだった。わ てつぼう さかあ ざわざ鉄棒を手首にはさんて逆上がりをやってみる子もいた。 「うん : : : 」 落ちそうてこわかったけれど、ためしに逆手てやってみた。なるほど、たしかにこっち のほうがかえって手首に力が入る。何度かやっているうちにフワッと体が軽くなり、クルツ と回れた。「てきたー ! 」「やった、やったー ! 」もう一度やってみる。もう一度回れた もう一度やってみる。もう一度回れた。逆上がりがてきるようになったんだ じゅぎよう もし体育の授業の後に声をかけてもらわなかったら、もし一人の子が「逆手てやってみ たら ? 」と言ってくれなかったら、私はずっと逆上がりかてきないままだった。ああ、次 の体育の時間が待ち遠しい。 もちろん次の時間、私が大得意だったのはいうまてもない。

6. お母さんの手、だいすき!

右手の指がないせいなんだ」「みんなはちゃんと指ぞ鉄棒を握っているけど、私は手首てし か鉄棒をはさめないから、それててきないんだ」と思うようにした。そのほうか楽だ。逆 上がりはあきらめるけど、次からはあきらめないようにするからと、もう一人の自分に約 束した。何度やってもてきない自分がかわいそうだ。 友達のアド・ハイス 授業は終わり、先生も私に何も言わなかった。さみしい気持ちになったけれど少しホッ とした。みんなてまたいつものようにふざけながら教室まて急ぐ。そのときだ。マュやみ えちゃん、ほかに二、三人の女の子たちが「放課後に、残って練習してみようよ」と声を ツ」、つかい ムよとたんに・伐悔した。少し面 かけてきた。おもわず「うん」と返事をしてしまったが、不 ~ どう うれ 倒くさい。しかし、時間がたっとだんだんと楽しみになっていく。友達の気持ちが嬉しかっ こし、↓しかし宀に、らて、さるよ , フにた 0 るか↓しれ . ない。 うすぐら ーよ薄暗くなるころまて続いた。こだ、何度も何度もくりかえすだけの練習。 放課後の特訓 ~ 、、イ わき ランドセルを鉄棒の脇にころがしながら逆上がりの練習。 一人の子が言った。 / 9 「やってみなよ」と「やらなくていいのよ」 めん

7. お母さんの手、だいすき!

さわると医師に止められていたため、母は私の右手の事実を三日後になって初めて知らさ田 かいしん すがた かっこう れる。その三日目の夜、回診を終えた院長は、セーター姿のくつろいだ格好て、いかにも ぶらっと立ち寄ったというふうに病室に入ってきて母に事実を告げた。 「実はあなたの赤ちゃん、手がちょっとおかしいんだよ」 と。そして母を安心させようと田 5 ってか、 しようかい しゅじゅっ 「いい病院を知っているから紹介しますよ。なに、手術をすればどうにてもなる と言ったそうだ。母は頭が真っ白になったらしい。手術って何 ? 右手がおかしい、攵し てどういうこと ? 院長のなぐさめの言葉は反対に母を苦しめた。生まれたばかりの赤ん ばうをまだ見せても抱かせてももらえす、三日たってやっと、と思えば「手術」の一言。 こ、つい 産後、生まれたばかりのわが子を抱きしめるという行為が、母親の気持ちを大きく喜びへ と変化させる。そして、母親はわが子をしげしげとながめ、親になった実感、子育てへの しゅんかんゆる とまどいを自ら考えながら「親」となるのご。 オたが、私の母は私を抱くその瞬間を許され なかった。医師は私の出生体重が少ないため、少し様子をみると言って産後の母から私を しばらく遠ざけた。 私の右手の事実を知らされながらも、すぐには自分の目て確かめられないもどかしさと、 いし たし

8. お母さんの手、だいすき!

むすめ ことになりました。家事のほうはさつばり身に付かないまま育ってしまった娘てすが、右 しせい 手と一生つきあっていく姿勢はそこそこ育っていると田 5 っています。どうか、なにかのご すえなが 縁てすのて、末永くよろしくお願いします わす と言った言葉は、今ても忘れられない。 出産への不安 けっこん とーもばたら 結婚してももちろん仕事は続けた。しばらく共働きて自由な二人の生活を楽しみたかっ た。休みの日に帰る時間を気にせずに遊んオ ごり、夜フラッとお酒を飲みに行ったりするの いっしょ が楽しい。出る家も一緒、帰る家も一緒。あー幸せー、とかみしめる。が、一方て、仕事 をしていくなかていつのまにか私は子ども嫌いになっていった。気にしすぎだ、がんばれ、 は・け いた しせん と夫に励まされながらも、毎日のストレートな視線に胃が痛む。手をさらし続けるのが苦 しくなる。わけもなく子どもを贈んてしまう。相手の「見たい じ J - フー ) てフ・」し」い - フ 気持 さけ ちを理解しながらも、「お願いだからジロジロ見ないてよー ! 」と心のなかて叫ぶ。子ども なんかいらない。自分の家にもし子どもがてきたら、一生聞かれるし、一生めんどうくさ もうはんげ・き 夫はロに出すと私の猛反撃をくらうのてあまり言わなかったが、たまに「いずれは自 えん ぎら / / 4

9. お母さんの手、だいすき!

囲気がある。噂されている本人がドアの向こうにいるとも知らすに中ては、 「そうだよね、何てあんな指なんだろうねえ」 「ほかの班がよかったよね」 むね ぐにドアを開けられなかった。胸がドキ と班の他の子たちも同調しはじめていた。私はす ドキして体がスーツと冷たくなる感じがする。みんながそんなふうに考えているなんて全 けつア」、つ 然知らなかった。結構ワキアイアイといままて楽しくやってきていたと感じていたのは私 た。たったのか。そういえば、四年生が班に入ってきたときに右手の説明をしたかしなかっ 自分の悪口を目の前て言われていることとあせりとて、ヤキモキす たかが思い出せない るばかりて今まての自分がうまく田 5 い出せない。 とびら 向こう側てはとうとう「もう、野辺さん 私は一人扉のこちら側て動けなくなっていた。 しオオカせつか オい気持ちていつよ、ごっ ' 」、、。、 に教わるのよそうよ , という声か聞こえる。逃け く自分の後輩がてきたのにどうしてもこんな理由て嫌われたくはなかった。自分ては右手 め ぎやく これはどうしようもないことなんだから逆に逃げられない の形を変えることはてきない。 カ ことも自分がいちばんよく知っていた。ぶつかってケンカても何てもして、「教わるのはこゲ なっとく の人ても、 しいよ」と内日守してもらうしかないと田 5 った。自分てはどうしようもない手のこ川 うわさ はん きら

10. お母さんの手、だいすき!

ちすぎるなあ、音楽の時間に笛を出すの恥ずかしいなあ、という思いが拭いきれない しんぞう して、問題の音楽の時間。朝からそわそわしていたが直前になると心臓が、ハクバクして きんちょう いるのがわかるほどに緊張してくる。何も言わすに笛を取り出す。ズシッと手に特有の重 さっそく みが伝わる。家て見たときよりもいっそう金具がキラキラしているように見える。早速見 つかってしまった。 「なに野辺の笛ーフ ちょっと変わったことがあるとすぐに大声を出すタケシだ。タケシの声てみんなの目が 一斉に向けられた。いちばん見つかりたくないタケシに一番に見つかった。もう、しかた しせん ないやという気持ちて、みんなの視線をグッとこらえる。 「すっげえー なにこれ ? 」「さわらせろよ」「どうやって吹くの ? 」 たんにん こま わかや 私の笛は予想以上に注目を集め、新しく担任となった若谷先生も困ったあげくに、 ちが 「野辺さんの笛は一緒に吹けるようにつくってもらった笛てす。みんなのとはちょっと違 うね。野辺さん、前に来てください」 と私を呼んだ。そして「どうやって吹くのかみせてくれる ? 」と言って、私は早速みんな の前て吹いてみることになった。自信はなかったけど 絶すに失敗したくないとおもいなが いっせい いっしょ