盟腿胆 生きて なんと す・さまじい おとこ 男じゃ / 7 0.0 0 0 2 りんぞう 林蔵の カラフト だったんちほうたんけん 韃靼地方探検の きろく 記録は りんぞうかんせい 林蔵は完成した も ほうこくしょ 報告書を持って む 江戸へ向ガった ばくふ 幕府を揺り動かした探検記 ゅ ほうこくしょ 報告書 とうだっちほうきこう 「東韃地方紀行」 として まとめられた たんけんき 7 ー 1 一 東韃地方紀行 ( とうだっちほうきこう ) 二度目のカラフト調査と、黒竜江下流域探検の紀 行をまとめたもの。全 3 巻。
第一章幼年時代 / イン′ 筑波の やまかみ 山の神 かえ聞き おらア りつばな おとこ なるた / 日本一 でつけ工男に なって みせるだア / にほんいち おとこ
トコョ やつらに これを やれ / アイヌ 受け とって くれ工 / サンタン人の 長よ / どこへ行く じん
/ みノク 江戸への旅立ち たびだ しようべえ 庄兵衛よ クマよ : りんぞうかなら 林蔵は必ず かみ お上の やくた お役に立っ おとこ りつばな男に なるそ / 安イノ /
- ・第べメ くぼた 久保田 どの ル課 / わたし 私は ものみ 物見に 行って ます . /. ああ 愛足が 早いのオ まオ たの 頼もしい おとこ 男だ / :
かげやすどの 景保殿を みつこく 密告した のは まみや 間宮だ ? て , った , っ , つむ かげやすどの 景保殿は てんもんがた 天文方で かもの お書き物 ぶぎよう 奉行 : それに ほんやくきよく 翻訳局の ちょうかん 長官も されていナ・ 0 おおカナ 嫉した のであろ しっと 4 きたなおとこ 根も葉も ない うわさ 噂だった
、 : んこくせÅすひっしいず し人て、ー 地形にはばまれトンナイで年を越す。 高保の『新訂万国全図」筆写図でき げんちぞくちょう 六ナニオーに到達。間宮海峡を発見する。現地の族長コ 1 ニらと大陸にも る ( 一八一 0 ) 。 こ、ほ上、つま・、 あとそうやかえ しんこくやくにんあ ロシア艦長。ゴローニン逮捕、松前へ 渡り、デレンで清国役人と会った後、宗谷に帰る。 きたえぞずせつあらわ とうたつらはう、 ) こう こうじゅっひっき 移送 ( 一八一こ。 七ロ述筆記で「東韃地方紀行」「北蝦夷図説」を著す。 えんせい いどそくて いのうただたか はうこくしよばくふていしゆっ ナポレオン、ロシアに遠征。モスクワ 八「東韃地ガ紀行」などの報告書を幕府に提出する。伊能忠敬から緯度測定 で退 ( 一八一一 l) 。伊能忠敬の『大日 はんえんかいよらぜんすかんせい 法を学ぶ。 本沿海興地全図」完成 ( 一八ニ一 ) 9 えぞらない 一八一九文政ニ蝦夷地内の測量をつづける。 異国船打払令を指令 ( 一八ニ五 ) 。 えどかえ ふしんやくめい そくりようお えそら 五蝦夷地での測量を終えて江戸に帰る。普請役を命せられる。 シーポルト事件起きる ( 一八ニ八 )e こづつみ だいききん にまんせん・ / 、 たかはしかげやすしんこう 一一高橋景保と親交のあったオランダ商館医師・シーポルトから届いた小包日全国に大飢饉。打ちこわし全国で みかいふう 化 ( 一八三 = l) 。 を、定めに従って未開封のまま勘定奉行に届ける。 おおしおへいはらろうおおさからんお 大塩平八郎が大阪に乱を起こす。第十 帰国の途についたシーポルトのオランダ船が嵐で難破。引き上げられた だいしようハ、んとくがわい、エよ・したんじよう ニ代将軍 ( 徳川家慶 ) 誕生 ( 一八三七 ) 。 きんせいひんはつかく おく たかはしかげやす 積荷から、高橋景保がシーポルトに贈った禁制品が発覚。・シ 1 ポルト イギリス、チャーティスト運動 ( 一 事件へと発展する。 三九 ) 。 一ニ隠密となり長崎へ下る。 社の獄起こる ( 一八三九 ) 。 アヘン戦争起こる ( 一八四〇 ) 。 一八三八天保九江戸で病の床につく。 「天保の改革」はじまる ( 一八四こ。 込化 .. , 7 。自 4 で病死 ( 六五歳 ) 。 一八 0 九 てんはう ふんせい わた したが なが、、」 そ′、りよ、つ はつけん かんじようぶようとど しようかんいし せんあらしなんば ひ とど た、いい : 、
ふゅ 。その各 : 海は ′凍らなガった ためカ : 夜は のじゅく 野宿だった うみ こお 陸づたいに トンナイに もど 戻った - りんぞう 林蔵は あきらめ からだしん 体の芯まで つめ 冷たくなり ぜんしん 全身の かんかく なくなる 寒さ うえ その上 てあし 手足は とうしよう 凍傷に : しつかり しろ / とうしよう 凍傷の ため・ りんぞうゆび 林蔵の指は へんけい 変形して しまった 死しね進享 ぬェま ( っ 0
ラヤナ その日 オロ、ンアの軍艦ガ とう エトロフ島ナイホに にほんがわしゅびたい ある日本側守備の かんしじよおそ 監視所を襲い しよくりよううば 食糧を奪い はな 火を放った ぐんかん ナイオ、 エトロフ島 、ンヤナ 工トロフ島 ( ーーーとう ) 幕府は寛政 10 年 ( 1798 ) 、蝦夷地全土にわたる調査を行い、 近藤重蔵 ( 守重 ) が島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てていた。
かげやすどの 景保殿 しゅじん 主人が まみやさま 間宮様に とど お届けしろと : この こづっ 小包み レ・ おく ト先生 からの もの 送り物 たそうです せんせい ロクに 口を 」いた」ル」も オし がいこくじん 外国人 シーボルト から : くち ぶぎようしょ 奉行所に とどで 届け出た りんぞう 林蔵は なんとなく いやな よかん 予感ガした そのため 紐もとガす そのまま 小包みを ひも こづっ