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検索対象: 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命
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1. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

第三章カラフト探検 いり・′、 大陸から くる やつらだ / きよ、つぼう 凶暴で よくふか 欲か深い / ア , イ おんな アイメを たます - /. 女をさらう / 殺される ある / ころ Zesv

2. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

一第イ彡 島だったん 0 0 ギリャーク人アジア大陸の東部沿海州の一部からアムール川流域、カラフトの一部地域 に暮らす古アジア族。遊牧・漁業・狩猟を営む。

3. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

-- ノ考 ここカら さきは ラッカ : それは まつだでんじゅうろう 松田伝十郎ガ ひかえ 引き返した ちてん 地点である だれ まだ誰も 知らない とち 土地だ / ひだり 左は である みぎて 右手に 見える のは カラフト の海岸 かいがん もしもこの先 りくち 陸地が行く手を ふさぐなら カラフトは たいりく 大陸ガら突き出た おお はんとう 大きな畢島という ことになる 五月十日 イワタマー に着く すいろ 水路は ますます 狭くなった せま がっ さき

4. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

△物 ムチャを ひと 言 , フ人 りんぞう 林蔵は こっきようむ 国境の向「 ( う がわ たいりく 大陸の内部を ちょうさ 調査ヴる けっしん 決をする ないぶ 7 ほんと、つ 本当に 行くのか だんな ( 旦那 ) これを わた 渡して ? て - フ。こ 0 第を。 りんぞう 林蔵がトコョに さしだしたのは 自分ガ生きて かえ 帰れなガった時の いしょ 遺書と「、れまでの / きろく 記録だった じぶん まんいちとき 万一の時に シラメシの かいしょ 会所に とど 届けてくれ とき し 死ぬな よ :

5. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

西海岸へ出たぞ / たいりく 大陸 にしかいがんで まー ラⅣカ そして 偶然 ぐうぜん ノデト タライカ 伝十郎のコース でんじゅうろう リョナイ ラー " / ク コ 9 ン 林蔵のコース んぞう 十イフッ まみや 間宮 どの ル課 / かえ 帰ってくる でんじゅうろう 伝十郎に 出あった しま カラフトは 島であったぞ / げんち 現地の もの 者がはっきり一一 しま 島たと そ、フ ええ】 い 1 4 - 一 - 第電

6. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

ド考、 カラフトは しんこくちゅうごく 清国 ( 中国 ) と じつづ 地続きだと 出城を きず 筑木く。に しても でじろ しんこく 清国か を ( ぼをな年 しま カラフト しま は島だし J 、つわさ い , フ噂も ありま すぞ / しま ならば その上 しま 島か 地ルきか これは ちょ、つさ はっきり調査 させねばならぬ 、つ、ん カラフトガ 島ガ それとも たいりく 大陸の はんとう 畢島なの しま 七八 清国 ( しんこく ) 長い間、明国に支配されていたツングース族がっくった国。 1638 年太宗 ホンタイジのとき国号を清とした。 20 世紀の初めに滅亡した。

7. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

うみ たいりく 海をこえて 大陸に行く そ , フじゃ しんこく やくしょ 清国の役所に みつぎもの 貢物を とど 届ける 0 2 毎年の ことじゃ も、フじ *TJ その きせつ 季節が ′、る まいとし わたしつ 私も連れて いってくれ / 0 ス / とうじばくふ きよか 当時幕府の許可なしに がいこく 外国へ行き来することは きん 禁じられていた りんぞう しガし林蔵は こっきようふきん ロ、ンアとの国境付近を ちょうさ つぶさに調査する「 ( とこそ しん じぶんにんむ 自分の任務だと信じていた き 五 \ い、 日本と清国このころ直接の国交はなかったが、清国に貢物を納めていた朝鮮からの使節 は江戸幕府にきている。

8. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

プロフィール 間宮林蔵 ( 1780-1844 ) 冪府の命令によって、カラフトを探 検し、シベリア大陸とカラフトの間 なまえ の海峡を発見する。その名前は間 宮海峡として、今も世界地図に残る。 伊能忠敬 ( 1745-1818 ) 幕府の命令を受けて、日本全国を測 量し、わが国ではじめての実測の地 図を作る。測量の知識を林蔵に教え、 器具をゆすった。 村上島之允 ( 生没年不詳 ) にんむ 幕府の役人で、測量の任務に林蔵 りんそう をつれて歩いた。林蔵に実地で測 量の基礎を教えるとともに、きび しい任務で林蔵の足腰を鍛えた。 松田伝十郎 ( 1769- ? ) 幕府の役人で、林蔵を従えてカラ フト探検へでかける。二人は東と 西のルートに分かれて探検するが、 かえ 途中で引き返す。 シーポルト ( 1796-1866 ) ながさき オランダ商館の医者として長崎に やってきて、日本の動植物、地理、 けんき清うりんぞう 歴史などについて研究。林蔵の業 たかひょうか せき 績を高く評価し、「間宮」を海の名 につける。 高橋景保 ( 1785-1829 ) きなうてんもんがく 天文書物方の奉行。天文学、地理 そくりよう たたたか 学に詳しく、忠敬の測量を監督、 りんそうひょうか 林蔵を評価する。シーポルー・ - トに日 つみ きんせい 本地図やご禁制の品を与えた罪に 間われる ( シーポルト事件 ) 。 まみやりんぞう あいだ めいれい たいり ( 0 高橋景保 はイふて / 、もんしよもつかた ( 幕府天文書物方の奉行 ) いのうただたか めいれ、、 おし りんぞう そ ( り : う ぐ さ たかはしかげやす 貢献 むらかみしまのしよう せいばつねんみしよう りんぞう そくり : う やくにん し りんそう にんむ まつだでんし 0 ) ろう したが りんそう やくにん ふたりひがし しようい 林蔵を世界に紹介 たんけん たんけん わ ひ しようかん と・ういくふつ まみや な たかはしかげやす てんもんし : もつかた シーポルト はくぶつがくしゃ ( ドイツ人の医師、博物学者 ) しけん

9. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

、 : んこくせÅすひっしいず し人て、ー 地形にはばまれトンナイで年を越す。 高保の『新訂万国全図」筆写図でき げんちぞくちょう 六ナニオーに到達。間宮海峡を発見する。現地の族長コ 1 ニらと大陸にも る ( 一八一 0 ) 。 こ、ほ上、つま・、 あとそうやかえ しんこくやくにんあ ロシア艦長。ゴローニン逮捕、松前へ 渡り、デレンで清国役人と会った後、宗谷に帰る。 きたえぞずせつあらわ とうたつらはう、 ) こう こうじゅっひっき 移送 ( 一八一こ。 七ロ述筆記で「東韃地方紀行」「北蝦夷図説」を著す。 えんせい いどそくて いのうただたか はうこくしよばくふていしゆっ ナポレオン、ロシアに遠征。モスクワ 八「東韃地ガ紀行」などの報告書を幕府に提出する。伊能忠敬から緯度測定 で退 ( 一八一一 l) 。伊能忠敬の『大日 はんえんかいよらぜんすかんせい 法を学ぶ。 本沿海興地全図」完成 ( 一八ニ一 ) 9 えぞらない 一八一九文政ニ蝦夷地内の測量をつづける。 異国船打払令を指令 ( 一八ニ五 ) 。 えどかえ ふしんやくめい そくりようお えそら 五蝦夷地での測量を終えて江戸に帰る。普請役を命せられる。 シーポルト事件起きる ( 一八ニ八 )e こづつみ だいききん にまんせん・ / 、 たかはしかげやすしんこう 一一高橋景保と親交のあったオランダ商館医師・シーポルトから届いた小包日全国に大飢饉。打ちこわし全国で みかいふう 化 ( 一八三 = l) 。 を、定めに従って未開封のまま勘定奉行に届ける。 おおしおへいはらろうおおさからんお 大塩平八郎が大阪に乱を起こす。第十 帰国の途についたシーポルトのオランダ船が嵐で難破。引き上げられた だいしようハ、んとくがわい、エよ・したんじよう ニ代将軍 ( 徳川家慶 ) 誕生 ( 一八三七 ) 。 きんせいひんはつかく おく たかはしかげやす 積荷から、高橋景保がシーポルトに贈った禁制品が発覚。・シ 1 ポルト イギリス、チャーティスト運動 ( 一 事件へと発展する。 三九 ) 。 一ニ隠密となり長崎へ下る。 社の獄起こる ( 一八三九 ) 。 アヘン戦争起こる ( 一八四〇 ) 。 一八三八天保九江戸で病の床につく。 「天保の改革」はじまる ( 一八四こ。 込化 .. , 7 。自 4 で病死 ( 六五歳 ) 。 一八 0 九 てんはう ふんせい わた したが なが、、」 そ′、りよ、つ はつけん かんじようぶようとど しようかんいし せんあらしなんば ひ とど た、いい : 、

10. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

0 一 てき 敵が じようりく 上陸して しまい ますそ / はや 早くその たいほう 大砲を 撃って くたさい / 六七