松前奉行 - みる会図書館


検索対象: 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命
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1. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

ばくふ 幕府は まつまえ 松前に ぶぎようしょ 奉行所を 開き 蝦夷を 守ることに した まも ひら これは たいへん 大変な たび 旅では ある りんぞう 林蔵 行って くれる まつまえぶぎよう 松前奉行 ちよくせつ 直接の ことば 言葉である ははーっ ア第ゞ カラフト ちょうさ 調査の たび 旅には どうこうしゃ 同行者ガ いた この命 かえ ましても 必ず・ : りんぞう 林蔵 かなら

2. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

、ミし がつはつか 六月一一十日 まつまえぎようしょ 松前奉行所 もう一度 カラフトに 行かせて くたさい わたし 私を・ 1 ク なっとく できま せぬ / げんち 現地の もの 者のことば たけでなく この目で たし 確かめたい のです / 屮む もっともで ある ′カ たのむぞ りんぞう 林蔵 /

3. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

第五章永遠の遺産 ふゅ その各 : ・ ねんはん 一年半ぶりに まつまえもど 松前に戻り やくしよかおだ 役所に顔を出した りんぞう 林蔵を見て しようえ 奉行所では 上を下への 大騒きとなった ぶぎようしょ うえした おおさわ いえん いさん つレフ っ・ク おお / まみやどの 間宮殿だ まみやどの 間宮殿が かえ 帰られたぞ / -40 、

4. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

プロフィール 間宮林蔵 ( 1780-1844 ) 冪府の命令によって、カラフトを探 検し、シベリア大陸とカラフトの間 なまえ の海峡を発見する。その名前は間 宮海峡として、今も世界地図に残る。 伊能忠敬 ( 1745-1818 ) 幕府の命令を受けて、日本全国を測 量し、わが国ではじめての実測の地 図を作る。測量の知識を林蔵に教え、 器具をゆすった。 村上島之允 ( 生没年不詳 ) にんむ 幕府の役人で、測量の任務に林蔵 りんそう をつれて歩いた。林蔵に実地で測 量の基礎を教えるとともに、きび しい任務で林蔵の足腰を鍛えた。 松田伝十郎 ( 1769- ? ) 幕府の役人で、林蔵を従えてカラ フト探検へでかける。二人は東と 西のルートに分かれて探検するが、 かえ 途中で引き返す。 シーポルト ( 1796-1866 ) ながさき オランダ商館の医者として長崎に やってきて、日本の動植物、地理、 けんき清うりんぞう 歴史などについて研究。林蔵の業 たかひょうか せき 績を高く評価し、「間宮」を海の名 につける。 高橋景保 ( 1785-1829 ) きなうてんもんがく 天文書物方の奉行。天文学、地理 そくりよう たたたか 学に詳しく、忠敬の測量を監督、 りんそうひょうか 林蔵を評価する。シーポルー・ - トに日 つみ きんせい 本地図やご禁制の品を与えた罪に 間われる ( シーポルト事件 ) 。 まみやりんぞう あいだ めいれい たいり ( 0 高橋景保 はイふて / 、もんしよもつかた ( 幕府天文書物方の奉行 ) いのうただたか めいれ、、 おし りんぞう そ ( り : う ぐ さ たかはしかげやす 貢献 むらかみしまのしよう せいばつねんみしよう りんぞう そくり : う やくにん し りんそう にんむ まつだでんし 0 ) ろう したが りんそう やくにん ふたりひがし しようい 林蔵を世界に紹介 たんけん たんけん わ ひ しようかん と・ういくふつ まみや な たかはしかげやす てんもんし : もつかた シーポルト はくぶつがくしゃ ( ドイツ人の医師、博物学者 ) しけん

5. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

、 : んこくせÅすひっしいず し人て、ー 地形にはばまれトンナイで年を越す。 高保の『新訂万国全図」筆写図でき げんちぞくちょう 六ナニオーに到達。間宮海峡を発見する。現地の族長コ 1 ニらと大陸にも る ( 一八一 0 ) 。 こ、ほ上、つま・、 あとそうやかえ しんこくやくにんあ ロシア艦長。ゴローニン逮捕、松前へ 渡り、デレンで清国役人と会った後、宗谷に帰る。 きたえぞずせつあらわ とうたつらはう、 ) こう こうじゅっひっき 移送 ( 一八一こ。 七ロ述筆記で「東韃地方紀行」「北蝦夷図説」を著す。 えんせい いどそくて いのうただたか はうこくしよばくふていしゆっ ナポレオン、ロシアに遠征。モスクワ 八「東韃地ガ紀行」などの報告書を幕府に提出する。伊能忠敬から緯度測定 で退 ( 一八一一 l) 。伊能忠敬の『大日 はんえんかいよらぜんすかんせい 法を学ぶ。 本沿海興地全図」完成 ( 一八ニ一 ) 9 えぞらない 一八一九文政ニ蝦夷地内の測量をつづける。 異国船打払令を指令 ( 一八ニ五 ) 。 えどかえ ふしんやくめい そくりようお えそら 五蝦夷地での測量を終えて江戸に帰る。普請役を命せられる。 シーポルト事件起きる ( 一八ニ八 )e こづつみ だいききん にまんせん・ / 、 たかはしかげやすしんこう 一一高橋景保と親交のあったオランダ商館医師・シーポルトから届いた小包日全国に大飢饉。打ちこわし全国で みかいふう 化 ( 一八三 = l) 。 を、定めに従って未開封のまま勘定奉行に届ける。 おおしおへいはらろうおおさからんお 大塩平八郎が大阪に乱を起こす。第十 帰国の途についたシーポルトのオランダ船が嵐で難破。引き上げられた だいしようハ、んとくがわい、エよ・したんじよう ニ代将軍 ( 徳川家慶 ) 誕生 ( 一八三七 ) 。 きんせいひんはつかく おく たかはしかげやす 積荷から、高橋景保がシーポルトに贈った禁制品が発覚。・シ 1 ポルト イギリス、チャーティスト運動 ( 一 事件へと発展する。 三九 ) 。 一ニ隠密となり長崎へ下る。 社の獄起こる ( 一八三九 ) 。 アヘン戦争起こる ( 一八四〇 ) 。 一八三八天保九江戸で病の床につく。 「天保の改革」はじまる ( 一八四こ。 込化 .. , 7 。自 4 で病死 ( 六五歳 ) 。 一八 0 九 てんはう ふんせい わた したが なが、、」 そ′、りよ、つ はつけん かんじようぶようとど しようかんいし せんあらしなんば ひ とど た、いい : 、

6. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

かげやすどの 景保殿を みつこく 密告した のは まみや 間宮だ ? て , った , っ , つむ かげやすどの 景保殿は てんもんがた 天文方で かもの お書き物 ぶぎよう 奉行 : それに ほんやくきよく 翻訳局の ちょうかん 長官も されていナ・ 0 おおカナ 嫉した のであろ しっと 4 きたなおとこ 根も葉も ない うわさ 噂だった

7. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

かげやすどの 景保殿 しゅじん 主人が まみやさま 間宮様に とど お届けしろと : この こづっ 小包み レ・ おく ト先生 からの もの 送り物 たそうです せんせい ロクに 口を 」いた」ル」も オし がいこくじん 外国人 シーボルト から : くち ぶぎようしょ 奉行所に とどで 届け出た りんぞう 林蔵は なんとなく いやな よかん 予感ガした そのため 紐もとガす そのまま 小包みを ひも こづっ

8. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

つがる 津軽 かいきよう 海峡を わた 渡って まつまえはんほっかいどう 松前藩 ( 北海道 ) へ 入った 蝦夷 なんと に」やか ロっ しつ 0 カ ? ・ 松前藩 ( まつまえはん ) 石高はなく、蝦夷地における交易の独占を保証する黒印状を受け、 サケ、コンプなどを特産とした。のちに幕府の直轄地となる。

9. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

もしも もしも はなし の話 あるか オロシア カラフトへの使者 この カラフトに じようりく 上陸したとする : ししゃ えぞち 蝦夷地 を守る 」し J は まず むり 無理 : ・ いままつまえはん 今の松前藩 七六

10. 「地図に残った人生」間宮林蔵 : その数奇な運命

一グ ひええ / 会所 ( かいしょ ) 集会をする場所。幕府直轄時代の蝦夷地では特にアイヌの人々との交易所をさす。 男ラフト今のサハリン。語源には諸説あるが、林蔵は、カラ ( 唐 ) は外国、フトは松前方言で人を 意味するというカラフト説をとった。