肌旧 婚相手が何度か変わっていたわけで、そのことも、彼女の少女時代 をつらく、きびしいものにしていたにちがいありません。 しかし、この本にも描かれているように、お稲のまわりには、父 もんてい シーポルトの元門弟たちがたくさんいました。みなさんは、シーポ なるたき ルトが長崎の鳴滝というところに開いた鳴滝塾という塾の名前を聞 いたことがあると思います。 シーポルトは、オランダ商館医師としての本業をつとめるかたわ ら、日本人に西洋医学を教えていました。 りんしようこうぎ そこでは、はじめて西洋医学による臨床講義が行なわれており、 そのうわさを聞いて、全国から西洋医学を志す若者たちが集まりま たかのちょうえい した。みなさんもよく知っている高野長英も門弟の一人でしたし、 にのみやけいさく いしいそうけん この本に出てきた二宮敬作、石井宗謙らもそうでした。 女医を志したお程 生まれつきの負けん気の強さというものもあったのかもしれませ んが、お稲は、やがて父の門弟たちの影響をうけ、医者になろうと むにきめます。お稲が男子だったならば、これはおどろくことでは 136
シーポ地ト 大江戸 日本で初めての女性西洋医 ー第 パワフルる じよせいせいよう シーポルトおいね 監修」和田哲男静岡大学教授 草斐化
定価 1400 円 ( 本体 1359 円 ) I S B N 4 ー 7 9 4 5 ー 0 6 4 2 ー 2 C 8 0 21 P 1 4 0 0 E マン、、 大江戸 ヾワフレ人物 シーホルトお稲 リサイクル資料 ( 再活用図書 ) 除籍済
てんめい あさまやまだいふんか 一七八三浅間山が大噴火、天明の大飢饉がはじまる。 力しカ第、 まつだいらさだのぶかんせい 一七八七松平定信が寛政の改革をはじめる。 ねむろ 一七九ニロシアのラックスマンが根室にきて通商をもとめる。 きこく だいこくやこうだゅう 大黒屋光太夫が帰国する。 ちそくりよう 一八〇〇伊能忠敬がエゾ地を測量する。 だ ばくふ いこくせんうちはらいれい 一八ニ五幕府が異国船打払令を出す。 じけん 八ニ八シーポルト事件がおこり、シーポルトは娘のお稲を残し、帰国 しゆっぱん ふがくさんじゅうつつけい かっしかほくさい 一八ニ九葛飾北斎の「富獄参拾六景」が出版される。 ききん 一八三〇このころ、飢饉がつづき、一揆・打ちこわしが多くなる。 とうかいどうごじゅうさんつぎ あんどうひろしげ 八三三安藤広重の「東海道五拾参次」が出版される。 おおしおへいはちろうらん 一八三七大塩平八郎の乱がおこる。 ろうじゅ - 「みすのただくにてんぼうかいかく 一八四一老中水野忠邦が天保の改革をはじめる。 ぎえもんきようと 一八五ニからくり儀右衛門、京都に機巧堂をひらく 力いア」′、 ・つ、らカ 一八五三ペリーが浦賀に来航して開国をせまる。 にちぺいわしんしょ - 「やく さこくお 一八五四日米和親条約がむすばれ、開国する。 ( 鎖国の終わり ) よしだしよういんしようかそんじゅく 一八五亠ハ吉田松陰が松下村塾をひらく。 にちぺいしゅうこ - つつ - っしようじようやく 一八五八日米修好通商条約がむすばれる。安政の大獄がはじまる。 そんのうじよういうんどう 八六ニ尊皇攘夷運動がさかんになる。 さっちょうれんごうせいりつ 八六六薩長連合が成立し、倒幕にむかう。 だいしようぐんよしのぶたいせいほうかん 一八亠ハ七一五代将軍・慶喜が大政奉還をおこなう。 めいじじだい 八亠ハ八明治時代がはじまる。 のうただたか らいこ・つ だいききん からくり・ど - っ しゆっぱん あんせいたいごく っ・つしよう 0 おお いねのこ 吉田松 よしだしよういん め河 ちかま「もんざえもんが賀の。【名 泣松門左衛門え きこく の 乙月 シーポルトお稲 0 0 但馬若狭 丹波 おうみ 京都 やまと伊勢張 大和 耙伊 ・翕 出雲 びらちルう 第備中 、、ずも ん た わかさ 萩→安芸 すおイ びん 月防備後 4 さぬ 伊予とさ讃 土佐あわ 高知・阿波 ぶぜん 豊後 ク肥後 ひのうが さつ第、 薩摩人蒻 ながと 長円 たんば 山 0 ん い、 く設藷門 ぎえもん 0 0 0