わが国初の 女性西洋医 シーボルトお程 静岡大学教授 キ文学博士 小和田男 監修のーことは 江戸時代の日本は、みなさんもよく知っているように、鎖国をし ていました。しかし、まったく国を閉ざしてしまったわけではなく、 オランダ、中国との交易は続けており、その窓口になったのが長崎 の出島でした。 長崎の出島にオランダ商館の医師としてドイツ生まれのシーポル トが到着したのは、文政六年 ( 一八二三年 ) 七月五日のことでした。 くすもとたき まもなく、二七歳の青年医師シーポルトは、楠本滝という女性を みそめ、結ばれました。二人の間に生まれたのがお稲です。楠本滝 ゅ・つかくゆ・つじよ は長崎丸山遊郭の遊女だったといわれています。というのは、当時、 つうじ 出島には一般の日本人は出入りすることができず、男子は通詞、女 子は遊女にかぎられていたからです。 ところが、これにはちがう説もあり、ふつうの女子では出島には いれないので、遊女ということにして、シーポルトは楠本滝を迎え 入れたともいいます。じっさいはどちらだったかわかりませんが、 シーポルトが日本滞在中は、それこそ、親子水いらずの生活が続い 世界に開かれた窓・長論出島 134
おたのみ も , っす とちらさまて ございましよう せっしゃ 拙者 おおさか 大坂の・ : は -1 こ : これは によに , ル 女人ては ないか それも ーじん 異人の : ・ GOEDE MIDDAG にんにちは ) * しじろ もじち とちらさまて ございましようか 、ん ) レしろ * オランダ語
ヾよし き - つ おおさかい 大坂行きの ふね 船はどちらで しよ、つ あそこに 見えるのが そうてすしゃ そういえば むらた 村田さまは げんき お元気て あろうか おおさか 大坂 : この海は ながさき 長崎にも おおさか 大坂にも 宇和島にも オランダまても つづいておる そうしゃ・ うわじま うみ
赤わ いあ あら あの子 こ 「 0 ( 0 ( 0 わたしなか 私の中に はんぶんなが 半分流れる じん ドイツ人の とう 父さまの血 : ほんとうは 蘭学を 学びたい ! * 蘭学とは、オランダ語の書物によって伝えられた西洋の学問 らんがく まな
オランダ、ドイツ というところは いったいとんな ところしやろ この海のむこうに 父さまのお風がある でじまい 出島の医者として やってきた とう 父さま には・ん 日本のお医者も らんばういがく 蘭方医学を おし 教えてもらおうと ながさき ほ , つば , つから長崎に 集まってきたという : とう 父さまのような 医者になるのは おなごては むりなんしやろか・ : ? 、Ⅵ物 さ、いツ
えどじだいすえ 江戸時代の末 まも . にほ・ル 日本は ねんまえはじ 一一〇〇年前に始まった さこく 鎖国をいまた 守りつづけていた フィリップ・フォン・シーホルト . れい力し ただひとつの例外として ながさきでじまかいこう 長崎の出島を開港し とうちゅうごく 唐 ( 中国 ) とオランダの こく 一一国のみを受け入れて いたが : にほんすがた そこに、日本の姿を しょこくしようかい ヨーロッパ諸国に紹介し のらに開国のきっかけの 豐」こ ひとつをなした男がいた ー′″第アノ
肌旧 婚相手が何度か変わっていたわけで、そのことも、彼女の少女時代 をつらく、きびしいものにしていたにちがいありません。 しかし、この本にも描かれているように、お稲のまわりには、父 もんてい シーポルトの元門弟たちがたくさんいました。みなさんは、シーポ なるたき ルトが長崎の鳴滝というところに開いた鳴滝塾という塾の名前を聞 いたことがあると思います。 シーポルトは、オランダ商館医師としての本業をつとめるかたわ ら、日本人に西洋医学を教えていました。 りんしようこうぎ そこでは、はじめて西洋医学による臨床講義が行なわれており、 そのうわさを聞いて、全国から西洋医学を志す若者たちが集まりま たかのちょうえい した。みなさんもよく知っている高野長英も門弟の一人でしたし、 にのみやけいさく いしいそうけん この本に出てきた二宮敬作、石井宗謙らもそうでした。 女医を志したお程 生まれつきの負けん気の強さというものもあったのかもしれませ んが、お稲は、やがて父の門弟たちの影響をうけ、医者になろうと むにきめます。お稲が男子だったならば、これはおどろくことでは 136
せんせい 先生 ながさき 長崎で ふね ロシアの船を 見たときに かん よかん 感じた予感は よそういじよう 予想以上に おお 大きなものと なったーーー もしかしたら こちらからオランタへ 行ける日がくるかも しれませんな : ・ に 2 : これからは日本も とんとん変わって いくのてしようなア そうですね もしかしたら 。 0
セ」しちち じん 私の父はドイツ人 でじま しようかんっ 出島のオランタ商館付きの 医師として ながさき 長崎にやってきました ちちきおく 父の記憶は 抱き上げてくれた おお 大きな手と なよ 名を呼んてくれた こえ やさしい声 ・ : そして いまては かがみ じぶんすがた 鏡にうつる自分の姿に おもかげ その面影を 見るたけてす
だいしようぐんよしむねきようほう 一七一六八代将軍・吉宗が享保の改革をはじめる。 くじかたおさだめがきさだ 一七四ニ公事方御定書が定められる。 たぬまおきつぐろうしゅう しようぎようじゅうしせいし 一七七ニ田沼意次が老中となり、商業重視の政治をおこなう。 すぎたげんばく かいたいしんしょ しゆっぱん 一七七四杉田玄白たちが「解体新書」を出版する。 ひらがげんない かんせい 一七七亠ハ平賀源内がエレキテルを完成する。 、ずハワフ ' 叺物伝の 江ア時代 蛆夷地 0 0 いのうたたか 0 0 0 。箱館 力しカ ~ 、 ′ノ 0 う 羽後 りくちゅデ とくがわいえやすえどばくふひら 一六〇三徳川家康が江戸幕府を開く。 ぜんこく きんしれい 一六一三全国にキリスト教の禁止令を出す。 おおさかなつじんとよとみし 一六一五大坂夏の陣で豊臣氏がほろぶ。 ぶけしょはっときん一ちゅうならびくげしょはっとせいてい 武家諸法度、禁中並公家諸法度が制定される。 きんし ばくふ にほんしん力し力いとこう 一六三五幕府が日本人の海外渡航・帰国を禁止する。 せいど かノ、り・つ だいしようぐん いえみつ さんきんこうたい 三代将軍・家光が参勤交代の制度を確立する。 しまばららん 一亠ハ三七島原の乱がおこる。 ( ~ 一六三八 ) きんし ばくふ せんらいこう 一六三九幕府がポルトガル船の来航を禁止する。 しようかんひらど ながさき かんせい 一六四一オランダ商館を平戸から長崎にうっす。 ( 鎖国の完成 ) けいあんおふれがきだ 一六四九慶安の御触書が出される。 し 4 ~ いカ えどめいれ、 一六五七江戸で明暦の大火がおこる。 ひがしまわこうろひら 六七一東廻り航路が開かれる。 しようるいあわ 十一六八七生類憐れみの令が出される。 ちかまつもんざえもん そねざきしんじゅう 」七 0 三近松門左衛門の「曾根崎心中」が初演される ぜ月 かっしかほくさい 以土父 ~ ・ 葛飾北斎 仙 ・庄 羽前 よ野 右新宇都宮 ひたち むさし一常隘 武蔵江戸 さがみ しもうさ 相模 下総 越後 しもつけ 0 下野 。こ の濃 だ きこく カ ! すさ しょえん さこく 0