えどじだいすえ 江戸時代の末 まも . にほ・ル 日本は ねんまえはじ 一一〇〇年前に始まった さこく 鎖国をいまた 守りつづけていた フィリップ・フォン・シーホルト . れい力し ただひとつの例外として ながさきでじまかいこう 長崎の出島を開港し とうちゅうごく 唐 ( 中国 ) とオランダの こく 一一国のみを受け入れて いたが : にほんすがた そこに、日本の姿を しょこくしようかい ヨーロッパ諸国に紹介し のらに開国のきっかけの 豐」こ ひとつをなした男がいた ー′″第アノ
わが国初の 女性西洋医 シーボルトお程 静岡大学教授 キ文学博士 小和田男 監修のーことは 江戸時代の日本は、みなさんもよく知っているように、鎖国をし ていました。しかし、まったく国を閉ざしてしまったわけではなく、 オランダ、中国との交易は続けており、その窓口になったのが長崎 の出島でした。 長崎の出島にオランダ商館の医師としてドイツ生まれのシーポル トが到着したのは、文政六年 ( 一八二三年 ) 七月五日のことでした。 くすもとたき まもなく、二七歳の青年医師シーポルトは、楠本滝という女性を みそめ、結ばれました。二人の間に生まれたのがお稲です。楠本滝 ゅ・つかくゆ・つじよ は長崎丸山遊郭の遊女だったといわれています。というのは、当時、 つうじ 出島には一般の日本人は出入りすることができず、男子は通詞、女 子は遊女にかぎられていたからです。 ところが、これにはちがう説もあり、ふつうの女子では出島には いれないので、遊女ということにして、シーポルトは楠本滝を迎え 入れたともいいます。じっさいはどちらだったかわかりませんが、 シーポルトが日本滞在中は、それこそ、親子水いらずの生活が続い 世界に開かれた窓・長論出島 134
第監修 小和田哲男 ( 静岡大学教授 ) ・ A5 判上製・平均 144 頁 定価各 1 , 400 円 発行・草土文化 シーポルトお稲伊能忠敬 まったく新しい視点の人物伝 / マンガ大江戸パワフル人物伝全⑩巻 鎖国、封建制度にしめつけられた江戸時代の中で、 どっこい、元気いつばいに活躍したパワフル人物たち / 現代の子どもたちに求められている知的好奇心、科学する心を先輩に学ぶ / ①伊能忠敬 ⑥吉田松陰 ・まんが ・まんが 藤原稔裕 ハ剣ヒロキ 正確な地図が人々の暮らしに欠カせないことを 世界を知るため、黒船に密航をくわだてた行動 痛感し、日本全国の測量をはじめる。歩いた距 力。松下村塾で日本の未来を語り、明治維新の 離は上し求一周以上。 種をまきつづける。 ⑦大黒屋光太夫 ②からくり儀右衛門 ・まんが ・まんが 田中岳人 富士鷹なすび 現代のハイテク日本のルーツは、江戸時代にあ 鎖国の世、異国ロシアに漂着した光太夫たちは、 った。からくり人形にはじまり、万年時計、蒸 ひたすら帰国を目指して、ロシア全土をかけめ 安Ⅵ合の製造・・・・・・、大江戸の発明王の膳 ぐった。 ①大塩平八郎 3 近松門左衛門 ・まんが ・まんか 森一生 春樹椋尾 飢饉に苦しむ貧しい人々を救うため、幕府にさ 悲しみ、笑い、怒り・・・・・・、庶民のじ、情肉 からい、米を買い占めた大商人の蔵を打ち破る。 ・歌舞伎の世界に描ききった、大 TJ = 1 のシェー クスピア。 ⑨杉田玄白 ④葛飾北斎 ・まんが ・まんが 林壮太 あんべ幸 「解体新書」を出版し、正確な人間のしくみを 八方破れの一生の中で、浮世絵の新分野を開拓。 紹介。日本の医学の発展を目指して、西洋の知 ヨーロッノ寸卩象派の画家も大ファンに。「東海 識を積極的に取り入れる。 道石三次」の歌川広重も登場。 ⑩平賀源内 3 シーボルトお稲諟まき ・まんが ささきあっし 爰言 t 、エレキテル、西洋油画・・・・・・好奇心い 異人シーポルトの娘、混血児・・・・・・と注カサしる冷 つばいに、新しいものヘ挑戦しつづけた大江戸 たいまなざしをは医し、日本最初の女性医師 のアイデアマン。 を目指す。 G) O) △ 0 近松門左衛門 からくり儀右衛門
だいしようぐんよしむねきようほう 一七一六八代将軍・吉宗が享保の改革をはじめる。 くじかたおさだめがきさだ 一七四ニ公事方御定書が定められる。 たぬまおきつぐろうしゅう しようぎようじゅうしせいし 一七七ニ田沼意次が老中となり、商業重視の政治をおこなう。 すぎたげんばく かいたいしんしょ しゆっぱん 一七七四杉田玄白たちが「解体新書」を出版する。 ひらがげんない かんせい 一七七亠ハ平賀源内がエレキテルを完成する。 、ずハワフ ' 叺物伝の 江ア時代 蛆夷地 0 0 いのうたたか 0 0 0 。箱館 力しカ ~ 、 ′ノ 0 う 羽後 りくちゅデ とくがわいえやすえどばくふひら 一六〇三徳川家康が江戸幕府を開く。 ぜんこく きんしれい 一六一三全国にキリスト教の禁止令を出す。 おおさかなつじんとよとみし 一六一五大坂夏の陣で豊臣氏がほろぶ。 ぶけしょはっときん一ちゅうならびくげしょはっとせいてい 武家諸法度、禁中並公家諸法度が制定される。 きんし ばくふ にほんしん力し力いとこう 一六三五幕府が日本人の海外渡航・帰国を禁止する。 せいど かノ、り・つ だいしようぐん いえみつ さんきんこうたい 三代将軍・家光が参勤交代の制度を確立する。 しまばららん 一亠ハ三七島原の乱がおこる。 ( ~ 一六三八 ) きんし ばくふ せんらいこう 一六三九幕府がポルトガル船の来航を禁止する。 しようかんひらど ながさき かんせい 一六四一オランダ商館を平戸から長崎にうっす。 ( 鎖国の完成 ) けいあんおふれがきだ 一六四九慶安の御触書が出される。 し 4 ~ いカ えどめいれ、 一六五七江戸で明暦の大火がおこる。 ひがしまわこうろひら 六七一東廻り航路が開かれる。 しようるいあわ 十一六八七生類憐れみの令が出される。 ちかまつもんざえもん そねざきしんじゅう 」七 0 三近松門左衛門の「曾根崎心中」が初演される ぜ月 かっしかほくさい 以土父 ~ ・ 葛飾北斎 仙 ・庄 羽前 よ野 右新宇都宮 ひたち むさし一常隘 武蔵江戸 さがみ しもうさ 相模 下総 越後 しもつけ 0 下野 。こ の濃 だ きこく カ ! すさ しょえん さこく 0
混血児にとってつらい時代 現在のように国際化が進み、国際結婚がふえると、混血児は一般 的となり、また、混血児などという言い方自体も、あまりみられな くなりました。 しかし、鎖国をしていた江戸時代、混血児はめずらしく、また、 お稲の場合は、父シーポルトが、いわゆるシーポルト事件で国外退 去を命じられ、いわば″犯罪人の娘″といった境遇に置かれたこと もあり、彼女がつらく、きびしい少女時代を送ったことはまちがい ありません。 このころ、どういうわけか混血児は短命で、お稲のように成人し たという例はまれでした。シーポルトが日本を去ったあと、母・楠 本滝は日本人男性と再婚しています。 たわら 養父の名前として、和三郎、俵屋時次郎の名が知られています が、和三郎がのちに俵屋時次郎と名を変えたのか、べつな人だった のかはわかっていません。もし、別人だったとすれば、母・滝の再 ていたと思われます。 135
てんめい あさまやまだいふんか 一七八三浅間山が大噴火、天明の大飢饉がはじまる。 力しカ第、 まつだいらさだのぶかんせい 一七八七松平定信が寛政の改革をはじめる。 ねむろ 一七九ニロシアのラックスマンが根室にきて通商をもとめる。 きこく だいこくやこうだゅう 大黒屋光太夫が帰国する。 ちそくりよう 一八〇〇伊能忠敬がエゾ地を測量する。 だ ばくふ いこくせんうちはらいれい 一八ニ五幕府が異国船打払令を出す。 じけん 八ニ八シーポルト事件がおこり、シーポルトは娘のお稲を残し、帰国 しゆっぱん ふがくさんじゅうつつけい かっしかほくさい 一八ニ九葛飾北斎の「富獄参拾六景」が出版される。 ききん 一八三〇このころ、飢饉がつづき、一揆・打ちこわしが多くなる。 とうかいどうごじゅうさんつぎ あんどうひろしげ 八三三安藤広重の「東海道五拾参次」が出版される。 おおしおへいはちろうらん 一八三七大塩平八郎の乱がおこる。 ろうじゅ - 「みすのただくにてんぼうかいかく 一八四一老中水野忠邦が天保の改革をはじめる。 ぎえもんきようと 一八五ニからくり儀右衛門、京都に機巧堂をひらく 力いア」′、 ・つ、らカ 一八五三ペリーが浦賀に来航して開国をせまる。 にちぺいわしんしょ - 「やく さこくお 一八五四日米和親条約がむすばれ、開国する。 ( 鎖国の終わり ) よしだしよういんしようかそんじゅく 一八五亠ハ吉田松陰が松下村塾をひらく。 にちぺいしゅうこ - つつ - っしようじようやく 一八五八日米修好通商条約がむすばれる。安政の大獄がはじまる。 そんのうじよういうんどう 八六ニ尊皇攘夷運動がさかんになる。 さっちょうれんごうせいりつ 八六六薩長連合が成立し、倒幕にむかう。 だいしようぐんよしのぶたいせいほうかん 一八亠ハ七一五代将軍・慶喜が大政奉還をおこなう。 めいじじだい 八亠ハ八明治時代がはじまる。 のうただたか らいこ・つ だいききん からくり・ど - っ しゆっぱん あんせいたいごく っ・つしよう 0 おお いねのこ 吉田松 よしだしよういん め河 ちかま「もんざえもんが賀の。【名 泣松門左衛門え きこく の 乙月 シーポルトお稲 0 0 但馬若狭 丹波 おうみ 京都 やまと伊勢張 大和 耙伊 ・翕 出雲 びらちルう 第備中 、、ずも ん た わかさ 萩→安芸 すおイ びん 月防備後 4 さぬ 伊予とさ讃 土佐あわ 高知・阿波 ぶぜん 豊後 ク肥後 ひのうが さつ第、 薩摩人蒻 ながと 長円 たんば 山 0 ん い、 く設藷門 ぎえもん 0 0 0
連れて とき こられた時は しじん 異人がきたと みんなひっくり したもんしやが いまではり一つはに せんせいかたうで 先生の片腕 ですのう っ そう言って いたたけると お預かりした かいもあったと いうものです * このころ、外国人のことを異人と呼びました : ほんとうに ノ一 来てまもない こころほそ ころには心細かった のてしよう な 泣いておる夜も あったようてす とうしたのしゃ じこく こんな時刻に ・ : なんてもない とき この子の時も ははおや 母親がおらんもんで おお 大さわぎしたが せんせい おなご先生が いてくたさった おかげて : おしいちゃん " なにを 言いだすのよ も , っッ こ
肌旧 婚相手が何度か変わっていたわけで、そのことも、彼女の少女時代 をつらく、きびしいものにしていたにちがいありません。 しかし、この本にも描かれているように、お稲のまわりには、父 もんてい シーポルトの元門弟たちがたくさんいました。みなさんは、シーポ なるたき ルトが長崎の鳴滝というところに開いた鳴滝塾という塾の名前を聞 いたことがあると思います。 シーポルトは、オランダ商館医師としての本業をつとめるかたわ ら、日本人に西洋医学を教えていました。 りんしようこうぎ そこでは、はじめて西洋医学による臨床講義が行なわれており、 そのうわさを聞いて、全国から西洋医学を志す若者たちが集まりま たかのちょうえい した。みなさんもよく知っている高野長英も門弟の一人でしたし、 にのみやけいさく いしいそうけん この本に出てきた二宮敬作、石井宗謙らもそうでした。 女医を志したお程 生まれつきの負けん気の強さというものもあったのかもしれませ んが、お稲は、やがて父の門弟たちの影響をうけ、医者になろうと むにきめます。お稲が男子だったならば、これはおどろくことでは 136
。ゝ、、ゝこシーポルトの娘とはいえ、江戸時代、 ありません。ところ力し力し むほ・つ 女子が医者になるというのは無謀ともいえることでした。 現在、わたしたちのまわりにはたくさんの女医さんがいますので、 それがあたりまえと考えてしまいます。しかし、たとえば、明治初 かんばう 年のデータで、漢方医約二万七〇〇〇人、西洋医約五〇〇〇人、合 わせて全国で三万二〇〇〇人ほどいた医者の中で、女医はたった二 人だけだったということからも、女医がいかにめずらしいものだっ たかがわかると思います。 彼女のがんばりもありました。また、シーポルトの娘という生ま れも、女医を志すにはプラスに働きました。父シーポルトの門弟た ちの教えを受け、ついに、わが国初の女性西洋医になります。 よしおかやよ たかはしみつこ おぎのぎんこ 明治にはいって、荻野吟子、高橋瑞子、吉岡弥生といった女医た ちが次つぎに誕生しますが、お稲はそのさきがけとなったのです。 お稲自身は、明治一二六年 ( 一九〇三年 ) 八月二六日、七六歳で亡 くなりますが、亡くなる少し前の同三三年、吉岡弥生が、女医養成 のための東京女医学校 ( 現在の東京女子医大の前身 ) を作ります。 彼女は、そのニュースをどのような思いで聞いたのでしようか。 137
と子受続るの義が史ししや近んる字にし、えん の供けけ少献勇主のすく経こ・だ。架う さ 天声人語 西己しこるた女納を巨役教めな済ろ昭す蒼五せ 、祖 、運にた材社いを 、和べ三し、巻ら味 [ 理 父創動加 、。勉漫のて三記もれわ カゝ し鮮の氏でわ満兇と科強画戦力ミな億のた っ画にき読と ら 。てをなカゝんい漫′ 改 っ蒙、、戦すに争、どで 、やの目 子す少殺名犬た開えそ争るよの十のあ つ。たう画 供い女ににを少拓るれこっ記五表灰る戦そ見ていとべは 衝反奪年青 v もはとて録年題色マ争していまいき のよ 、は歴だにがの各 て、る評うか見 目 う 撃対わ 、少 。をしれ犬年弋さ珍、史 . 。及あ十巻と考読漫判べ、た の ( こ 蒼い記憶映画 まんが・まさきまき 満蒙開拓青少年義勇軍に志願した 少年の体験。定価 2 , 000 円 ( 本体 1 , 942 円 2 灰色の十字架 まんが・ささきあっし 戦争にまきこまれていくふつうの 家庭の悲劇。定価 2 , 000 円 ( 本体 1 , 94 2 円 ④朱花の空 まんが・八剣ヒロキ / 吉祥寺ー矢 日本は中国・朝鮮・アジアの国々 を侵略した。定価 2 , 200 円 ( 本体 2 , 1 1 6 円 、⑤赤い靴はいた まんが・あおきてつお 東京・沖縄・広島の悲劇を体験する 子どもたち。定価 2 , 400 円 ( 本体 2 , 330 円 第第ー第をーれを ~ きき ~ き と一 7 ′ ま第価 & を第・ル第物、ン、一を ・して 00 " 「 '