でした。これまで通過した町々でもチベット人だとまちがわれたくらいですから、検問 じよしよくいん 所の職員もきっと外国人だと思わなかったのでしよう。 ナツータイ 午後になってすこし風がゆるんだと思ったら、納赤台の手前五キロメートルほどのと すなあらし さじん ころで砂嵐につかまりました。視界を悪くしていた黄色い砂塵が、やがてこちらに向か ってきました。うまくそれたかと思いましたが、砂塵の端が道路をかすめました。眼を 開けていられないほどの砂です。砂ばこりはすぐに通りすぎましたが、強風がおさまり ません。とうとう自転車を降りることにしました。風下に向かって立ちながら、ようす を見ましたが、強風はやむ気配がありません。マ・ジドンくんに「しかたない、歩こ う」といって歩きはじめました。一〇〇メートルほど歩いたところで、幸いなことに風 が弱まったので、再び自転車にまたがりました。 午後六時前に納赤台に着きました。人口二〇〇人ほどの小さな村ですが、崑崙泉とい うわき水か出ていて、ミネラルウォーターの工場がふたつもあります。 しようじよう ばくは、ちょっとかぜ気味ですが、高山病の症状は出ていません。問題は明日以後の ツ」、ってい 行程で、標高四〇〇〇メートルを越えてからです。 五月三一日、納赤台から崑崙山口へ向かいます。移動距離は六八キロメートルです。 ふたた つうか クンルンシャンコウ し力い こ いどうきより クンルンセン けんもん
キ 4000 メートル以上のチベット高原 にゆういききよかしよう 入域許可証を持っていない外国人旅行者は、 きんし ここから先は通行禁止です。 ちゅうかじんみんきようわ チベットは、一九四九年、中華人民共和 こくせんりよう 国に占領され、人口の五分の一である一二 うしな 〇万人が命を失い、六〇〇〇以上の貴重な げんざい 力し ぶつきよう 仏教寺院が破壊されました。現在も、中 ぼうめい 国の政権下にあり、インドに亡命している しゅうきようてきしどうしゃ 宗教的指導者、ダライ・ラマの写真やチ きんし こっき べット国旗を持っことも禁止されています。 どくりつ チベット自治区では、中国からの独立運動 そうらん か根強く、騒乱もたびたび起きています。 いつばん そのため、一般旅行者がチベットに入るの むずか は難しくなっています。 つうか それなのに、ばくらは問題なく通過でき ました。許可証を見せろともいわれません せいけんか きちょう は ] モンゴル国境からシルクロードへ
山病が心配です。ふつう、一日に三〇〇メートルずつ高度を上げれば高山病にはならな いとされています。それなのに、一日で一八〇〇メートルも上がるのです。ちょっと無 ちゃ とうげぶじ 茶な計画のようですが、最近は三五〇〇メートルから三六〇〇メートルの峠を無事に越 えています。ゴルムドの手前では、標高三二〇〇メートル前後の高地も移動しました。 なんとか無事に崑崙山口にたどりつけるのではないかと思いました。 よくじっきゅうよう ナツータイ 翌日は休養して、五月三〇日午前八時一〇分、納赤台に向かって出発しました。納赤 こうてい 台まで、九〇キロメートルの行程です。納赤台は標高三五二〇メートルなので、ゴルム ドとの標高差が七二〇メ 1 トルあります。上り道が続きますが、傾斜がゆるやかなので クンルンさんみやく 助かりました。久しぶりの快晴で、崑崙山脈の山々が美しく見えました。 出発して一五キロメートルほど走ると、強い向かい風がふきはじめました。ばてまし たが、気温が低いので助かりました。二〇キロメートルあたりから道は山間へと入りま した。、 こつごっした固い土のかたまりのような山です。美しい山もありましたが、草木 は一本もはえていません。谷間の奥に、うっすらと雪をいただいた高い山々が見えまし けんもんじよ 三〇キロメ 1 トルをすこしすぎたところに検問所がありました。チベット自治区への クンルンシャンコウ おく けいしゃ いどう
民和。鈑新 ◆チベット自治区に入る 五月二八日。ゴルムドに着きました。標 高二八〇〇メ 1 トルにあるチベット自治区 げんかんぐち の玄関口の町です。ここからは標高五〇〇 とうやけ 〇メートル以上の峠をいくつも越えなけれ ナツータイへ ばなりません。ゴルムドから納赤台を経て ど、フきより クンルンシャンコウ 崑崙山口まで二日間の旅は、移動距離は 短いのですが、標高差があります。崑崙山 ロの標高は四六〇〇メートルです。ゴルム ドとの標高差が一八〇〇メートルもありま 寄す。 グレートジャーニーで四〇〇〇メートル 以上のところにいくのは五年ぶりです。高 われてしまいました。 は ] モンゴル国境からシルクロードへ
ターチャイタン 標高三一六〇メ 1 トルの大柴旦に着いたのは、午後七時のことでした。一日の移動距 さいちょう 離としては、今年に入って最長の一五五キロメートルを記録しました。 シーティエシャン 五月二七日。大柴旦から錫鉄山に向かいます。移動距離は約七〇キロメートルなの で、あわてずにゆっくりスタ 1 トしました。午前七時に宿で朝食を食べました。ワンタ ンを頼んだら、ギョーザみたいに大きなワンタンがてんこもりで出てきました。これを 食べて、七時四〇分に宿を出発しました。 こ、っていさ 前日に続いて、高低差のほとんどない道です。ふたつの小さな山を越えました。とち げんば きようみ ゅう、道路工事の現場を通りました。作業員たちは工事の手を止めて興味深そうにこち らを見ていましたが、声はかけてきません。道ばたに、「錫鉄山まで六キロメートル」 ひょうしき という道路標識がありました。 錫鉄山の町の人り口に宿と食堂がありました。ここに泊まろうと聞いてみると、満員 こうざん で部屋がないとゝ しいます。やや急な坂道を上ると、鉱山労働者たちのアパートが建ちな らんでいました。ちょっとした町です。小ぎれいな宿もあったので、泊まることにしま した。宿にはうまい料理を出すレストランもありました。レストランのおばさんに、 「あんたはチベット人みたいに顔が黒いねえ。チベットからきたんじゃないの」と、 たの ど、つきょ
もくてきち タンチンシャンちょうじよう ホアハイズ 当金山の頂上から、この日の目的地の花海子までは、約六〇キロメートル。こちら しやめん ひかげ の斜面のほうが日陰になるためか、雪が多く残っています。路面も雪でおおわれていま わだちあと す。自動車が通った轍の跡だけ路面が見えています。轍は雪どけ水の流れ道になってい ます。これにそって走りましたが、自転車の車輪が水をはねあげるので、ズボンがびし よびしょになってしまいました。また、トラックもこの轍を使うので、車がくると雪の 上に逃げなければなりません。こうなると靴の中も雪でびしよびしょです。 びしょぬれのまま五キロメートルほど下ると、路面の雪はなくなりましたが、こんど は冷たい風がふきはじめました。ぬれたズボンに冷たい風がふきつけて、寒くなってき ました。おとといまでは暑くてどうしようもなかったのに、今日はこの寒さです。風を さけるために、道ばたの廃墟の壁のかげで昼食を食べました。 この廃墟をすぎると、二〇キロメートル以上にわたって気持ちのいい下り坂が続きま かいちょう した。まったくプレーキを使わずに快調に飛ばして、午後二時半、花海子に着きました。 あせ この日は寒かったので汗もかかず、水を一リットルも飲みませんでした。それでもおし だっすいしようじよ、つ っこはたくさん出ます。ようやく脱水症状がおさまったようです。 五月二六日は、めんをちぎってすいとんのようにしたスープを朝食に食べたあと、午 こ はいきよかべ しやりん
タンチンシャン 明日は標高三五〇〇メートルに近い当金山を越えなければなりません。宿から見え る山々は雪で真っ白になっていました。 五月二五日は七時に起床。この日も朝食は野菜と牛肉の入ったラ 1 メンでした。スタ さいしょ ートは七時四五分。最初からゆるやかな上り坂でしたが、強い追い風に助けられ、一気 けいしゃ に一〇キロメートルほど走りました。それからは傾斜がゆるくなりました。 ちょうじよう きのうの宿の人は二〇キロメ 1 トルほどいけば当金山の頂上だといっていましたが、 と、つ・け . 二〇キロメ 1 トルをすぎて、標高三〇〇〇メ 1 トルを越えたのに、峠が見えてきません。 上り坂がどんどんきつくなります。自転車を降りて歩こうかとも思いましたが、高度に なれるためには身体を動かし続けたほうがいいので、ゆっくりとではありますが、自転 車をこぎ続けました。 ゆきげしき まわりは美しい雪景色です。路面にも雪が残っていました。 やっと当金山の頂上に着きました。高度計を見ると、標高三四八〇メ 1 トルです。ド しようじよう ィッ製の地図では、三四五九メートルとあります。おそれていた高山病の症状はありま いた せんでしたが、マ・ジドンくんは頭が痛くて眠いといいます。顔もやや青ざめているよ うでした。 やさい のこ ねむ こ 27 は ] モンゴル国境からシルクロードへ
うようになると、風を横から受けるようになったので、すこし楽になりました。くもり かた 空で、風が冷たく、気温も上がりません。ちょっと急な上り坂でも肩で息をするような こともなく、気持ちよく前進できます。 さい」 標高が上がってきました。チベット高原に人るのです。最後の二五キロメートルは、 標高一六〇〇メ 1 トルから二四〇〇メ 1 トルまで、高低差にして八〇〇メ 1 トルを、ゆ つくり三時間かけて上りました。高山病をおそれたのです。 うで あまつぶ 最後の一〇キロメートルで小雨が降りだしました。日にやけて皮のむけた腕に、雨粒 かしみて、ちくちくします。 アクサイの町を二五キロメ 1 トルほどすぎたところに宿がありました。ここに泊まる ことにしました。気温は一〇度以下です。きのうまでの四〇度の気温がうそのようです。 宿では石炭ストープをたいていました。ストープのおかげであたたかく、やかんのお 湯も飲み放題なので、お茶を飲みすぎて、下痢ぎみになってしまいました。 この日は朝から標高差一三〇〇メ 1 トルを上ったことになります。それでもあまり疲 げんいん れていません。おしつこも出るようになりました。きのうまでのひどい疲れの原因は、 もうれつ だっすい 猛烈な暑さと、それによる脱水のせいだったのです。すこし安心しました。 つか
すなやま 二〇キロメートル、高さ一〇メ 1 トルほどの砂山です。風にふかれてくすれるたびに音 がする、鳴き砂の山として知られています。 モンゴルでは荷物を積むために鞍をつけたラクダたちが、ここでは観光用に使われて いました。観光客を鳴沙山に乗せていくのです。 ラクダたちの鞍にはきれいな布がかけられていました。鞍や布はきれいですが、毛は くびすじ ごそっとぬけ落ちています。ヒッジやアルバカの毛を刈ったあともそうですが、首筋は ちぢ 細くて、やせています。こぶも縮んでしまって、貧相です。モンゴルで乗りついだラク ダたちも、春になって冬毛がぬけて貧相になっているのかもしれません。この日は風が ぎんねん なく、残念ながら鳴き砂の音は聞くことができませんでした。 鳴沙山からホテルに帰り、夕食の時間になっても、まだ食欲がありません。あまりの ひろう 疲労に、不安がつのります。 ◆チベット高原の旅 五月二四日。六時半から開いている食堂で、牛肉入りのラーメンを食べてから出発し ました。風速一〇メ 1 トルほどのやや強い向かい風がふいていました。道が南東に向か ′、ら ひんそう 25 [ 1 ] モンゴル国境からシルクロードへ
一〇時ごろからは、気温も上がりはじめました。温度計は四二度をさしています。今 もくてきち なみき 日の目的地の敦煌まで、あと二〇キロメ 1 トルという地点からポプラ並木がはじまりま 」か、け・ した。とはいえ、太陽が天上にあるので、木陰はできません。もうちょっと日が傾けば、 暑さをさけて木陰でひと息つけそうです。上り坂と照りつける日差しのために、ばくは すでにばてはじめていました。 一三〇キロメートルを七時間で走って敦煌に着くと、すぐにホテルに入りました。シ あら ャワーを浴びて昼食を食べ、べッドに 横になります。水で顔を洗ったのに、身体はほて きんにく ったままです。筋肉がつるのも止まりません。いつもならひと休みすると疲れもとれて、 いよく なにかやろうという意欲がわきますが、今回はなかなか疲れがとれません。日記をつけ ても、本を読んでも、すぐにいやになってしまいます。集中力がありません。 かんこ、フ めいさぎん このままではいけないと、敦煌の観光名所、鳴沙山に出かけました。敦煌はシルクロ ードの古都として、観光客に人気が高い町です。日本からの団体観光客もあちこちにい たいわん ました。観光客でいちばん多いのが日本人で、日本食レストランもあるほどです。台湾 からの団体客もたくさんいました。 鳴沙山は敦煌の南五キロメートルほどのところにある、東西四〇キロメートル、南北 とんこ , っ だんたい つか かたむ