カイラス - みる会図書館


検索対象: チベットの聖なる山へ
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1. チベットの聖なる山へ

じゅんれい るからですが、これらの旅は観光もかねているといいます。なぜチベット人は巡礼をす るのか、祈るのか。どうして人間は旅をするのか。ばくはカイラスへの旅で、こんな疑 もんと 問を解きあかすヒントをもらえればと思っていました。 にほんせい チベット自治区の首都ラサから、日本製ランドクル 1 ザ 1 で、サカダワ祭会場である カイラス山のふもとのタルチェン村に向かいました。サカダワ祭は、数年前まで外国人 ゆる が立ち寄ることも許されなかった聖なる祭りだと聞いています。車でも四日かかりまし みちすじ た。とちゅうの道筋で、たくさんの巡礼者に会いました。若者や子どももたくさんいま サンハイしよう いんしよ、フのこ その巡礼者のなかでもっともばくの印象に残ったのは、青海省から遠路はるばるやっ でし しようねんそう ごたいとうち てきたクンガ・ウセル和尚です。和尚は弟子の少年僧ふたりとともに、五体投地でカイ ラス山に向かっていました。 全身を地面に放りだし、祈りながらシャクトリムシのように進みます。和尚は五三歳、 くぎよ、つ ちが ねんれい ばくと二歳しか違わないのに、年齢よりもふけて見えます。長い苦行の旅のためか、目 もうつろです。かなりやつれていました。 「青海省を発ったのは一九九八年です。もう二年になりますね。やっとカイラスに近づ いの おしよ、フ かんこ、つ

2. チベットの聖なる山へ

投地をする熱心な巡礼者は家族や仲間がサ ポートしています。 巡礼路のとちゅうに、仏足石がありまし あくま た。昔、悪魔がカイラス山をスリランカに 運ばうとしたことがありました。それをお せっとく 釈迦さまが説得してやめさせました。その あしあとのこ ときのお釈迦さまの足跡が残っているとい よこすじ う石です。カイラス山の北面には白い横筋 がたくさん見えますが、これは悪魔が縄を かけて運ばうとした跡だといいます。 すいげん インダス川の水源の流れを左に見ながら 日ぞいに高度をあげていきます。カイラス 一フ たいカ カ山は大河の水源です。インダス川のほかに、 サトレジ川、カルナリ日 プラフマプトラ 川の水源ともなっています。 ツ要 , = を しやか ぶっそくせき なかま なわ 71 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭

3. チベットの聖なる山へ

しね。いまいちばん大切 て、車を買いたいな。その車を使ってなにか商売ができればいゝ きようり なのはお金さ。とにかくお金をためて、郷里に帰って、家族みんながなかよくくらせれ ばそれでいいよ」 ふうふ この日の昼間、移動のとちゅうでチベット人の家族と出会いました。夫婦と子どもた しんぐ ちの四人組でした。リャカー二台に寝具などを積んでいます。ラサのサカダワ祭に出か けるのだといいます。 じゅうよう サカダワ祭はチベット人にとってもっとも重要なお祭りです。祭りの開かれるチベッ れき ト暦の四月一五日は、西暦でいえば今年は六月一五日です。ばくも、チベット仏教、ヒ せいち ンズー教、そしてポン教やジャイナ教の聖地とされるカイラス山のサカダワ祭を見てみ たいと思っていました。家族連れに聞くと、サカダワ祭はカイラスだけではなく、ラサ じゅんれいしゃ せいれき 市内でもおこなわれるといいます。西暦の六月から七月のはじめにかけて多くの巡礼者 がカイラス、ラサに巡礼に出かけます。 ごたいとうち 家族連れはラサまで五体投地をしながらいくのだそうです。五体投地とは、立って歩 く、よ、つ くのではなく、地面に全身をこすりつけるようにして前に進む苦行です。まるでシャク トリムシのようにゆっくりと五体投地で聖地に向かうのがもっとも正しい巡礼であると どう ぶつきよう

4. チベットの聖なる山へ

かならずある います。バター茶のほかに、 のがカップラーメンです。ラサやカイラス 山のふもとの食堂で、いま、もっとも人気 のあるメニュ 1 がカップラ 1 メンなのです。 昨夜ばくらが泊まったところにあった宿坊 かんりにん の管理人の子どもたちが、昼食もタ食もイ ンスタントラーメンですませているという のにはびつくりしました。気になるのはビ ほ一つそうはっぽう ニール包装や発泡スチロールの容器がいた るところに散らばっていることです。ばく も食べてみましたが、高地のためにお湯は 沸騰せず、せいぜい六〇度、これではおい しくありません。 茶房でバタ 1 茶を飲んでいるグル 1 プが、 でんせつ ズトウ・プク・ゴンパ僧院に伝わる伝説を ふっとう 77 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭

5. チベットの聖なる山へ

◆カイラス巡礼 さんか 巡礼者たちはサカダワ祭に参加するだけ ではありません。巡礼のいちばん大きな目 ごたいとうち 、つ的はカイラス山を徒歩、あるいは五体投地 で何度もまわることにあるのです。カイラ いっしゅう ス山を一周する巡礼路はおよそ五二キロメ 1 トル。チベット人はこの巡礼路を一日で まわりますが、五体投地でまわると二週間 から三週間はかかります。一般の人の回数 としては一三回がふつうですが、多い人は 」守りになるのです。みんなが持ちさ「たあ とだったので、残っているのはばろばろの 布きればかりでしたが、ばくも旅の安全の ためにと小さなタルチョーを拾いました。 ー 0 のこ いつばん 69 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭

6. チベットの聖なる山へ

さと さまが誕生して、悟りをひらき、そして亡 くなった三つが重なる、チベット仏教にと じゅうよう かくち ってもっとも重要な日です。チベット各地 きよう せいち の聖地や僧院に人々が集まってお経を読み、 おど 「チャム」と呼ばれる踊りを舞います。 この日をめざして、聖なる山カイラスに じゅんれいしゃ も巡礼者たちがたくさん集まってきます。 そして、カイラス山のふもとのタルチェン 村ではサカダワ祭がおこなわれるのです。 サカダワ祭は、「タルチョー」というお ン経や馬の絵が描かれた白色または五色の旗 うす 物、 ? チや、「カタ」という薄いスカーフのような きぬぬのむす 絹布が結びつけられた、高さ一三メ 1 トル の大きな柱を年に一回新しいものに立てか ぎようじ える行事です。 トを たんじよう そういん 63 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭

7. チベットの聖なる山へ

◆クンガ・ウセル和尚の五体投地 へいきん カイラス山は標高六六五六メ 1 トル。「世界の屋根」とばれる平均標高四五〇〇メ 」、つほ、つ ぶつきよう ートルのチベット高原を代表する高峰です。チベット仏教ではこのカイラス山を「カー A 」、つ A 」 しん、」、フ うちゅうかん ン・リンポチェ ( 尊い雪山 ) 」と呼んで、仏教の宇宙観をあらわす山として昔から信仰 してきました。 しやか ぶつきようと カ 1 ン・リンポチェは、チベット仏教徒にとってお釈迦さまそのものであり、まわり の山々はお釈迦さまにつきしたがう仏たちなのだとされています。仏教が伝来する以前 しんこう 力いそ からチベットで信仰されていたポン教では、開祖のシェンラップ・ミョが空からカイラ はっしようち ス山に降りたった、ポン教の発祥地だとしています。また、ジャイナ教ではカイラス山 さと しゅうきよう せいち で開祖が悟りを開いたと説いています。宗教ごとに理由はちがいますが、共通の聖地と してカイラス山をあがめています。 ヤ」、つ、んき チベット人は「旅する文明人」と呼ばれます。巡礼と交易のために、しばしば旅に出 癶い 小さ おしようごたいとうち 57 [ 幻カイラス山の巡礼祭

8. チベットの聖なる山へ

だん ◆グレートジャーニーとは じんるい いどう グレートジャーニー。大いなる旅。人類が地球上を移動していった旅路を、イギリスの考 古学者、プライアン・フェイガンは、こう名づけました。 たんじよう 人類は、約五百万年前に、東アフリカで誕生したといわれています。そして百数十万年前 たいりく にアフリカ大陸から、ヨーロッパやアジアを経て、南北アメリカ大陸へと広がっていきまし さいなんたん た。アフリカ大陸からもっとも遠い南アメリカ大陸最南端にたどりついたのは、一万数千年 きより 前。その移動距離は五万キロにもおよびます。 ぎやく ばくは、この人類の旅路、グレートジャーニ 1 を逆ルートで、徒歩、カヤック、自転車と きやくりよくわんりよく いう、自分の脚力と腕力だけでたどりました。 一九九三年一二月、チリのナバリーノ島を出発、一九九七年には、南北アメリカ大陸縦 力いきよ、つ 断を終え、べ ーリング海峡をカヤックでわたり、ユ 1 ラシア大陸にたどりつきました。 がわ ロシア、モンゴルを横断し、今回は、まず中国側のシルクロ 1 ドに入り、そこから世界の じゅんれいさい 屋根といわれるチベット高原を自転車で走り、聖なる山カイラスの巡礼祭、さらにネパール おくち 奥地にある北ドルボの巡礼祭へと、三四〇〇メートルにおよぶ壮大な寄り道をはじめました。 そうだいよ じゅう

9. チベットの聖なる山へ

話してくれました。 「ズトウ・プク・ゴンパ僧院の奥に小さな洞窟があるんだ。この洞窟にチベット仏教の ヤ」、っそ、つ ぞう ぼう でんせつ 伝説の高僧ミラレバの像がある。お坊さんにたのむと、洞窟のとびらのかぎをあけて見 せてくれるよ。 あらそ ミラレバと、ポン教の高僧ナロ・ポンチェンは、このカイラス山の支配をめぐって争 ったんだ。どちらかハワーを持っているか、カだめしをしようということになった。ま ず、岩で家を作ることにした。ミラレバは巨大な岩を素手で割った。割れた岩を屋根と ちゅうう 天井にしようと宙に浮かせた。ナロ・ポンチェンはその屋根と天井の下に壁を作ろうと したんだが、ミラレバのパワーに負けてなにもできなかった。結局、壁もミラレバが作 った。それがズトウ・プク・ゴンパ僧院の洞窟なんだ。洞窟のまわりの岩がみんなミラ レバの割った岩なんだよ。 きよ、っそ、つ ちょうじよ、つ 次に、どちらが先にカイラス山の頂上に登れるか競争することになった。ナロ・ポン さんろく チェンは太鼓に乗って夜明け前に出発した。ミラレバはのんびりと山麓で夜明けを待っ ちょうじよう た。ミラレバは太陽が出て日がさすと、その光に乗って、いともかんたんに頂上に着い きようと てしまった。こうしてミラレバか勝って、ポン教徒はカイラス山を去って、ポンリとい たいこ そういんおく どうくっ すで しはい かべ つきよう

10. チベットの聖なる山へ

◆イスラム世界に入る シルクロードが運んだのは、モノだけでは ありません。さまざまな文化はもちろん、 しゅうきよう 宗教も運ばれました。 かんみんぞく シルクロードのオアシス、ハミは漢民族と ふんいき 少数民族ウイグル人が住む、宿場町の雰囲気 を残す町です。ウイグル人は、ほとんどがイ きよ、つと 気スラム教徒です。グレートジャーニーでイス ぶんかけんおとず 売 もラム文化圏を訪れるのははじめてなので、イ れいはい スラム教の寺院であるモスクでの礼拝を見た い * 、よ、つと いと思いました。けれども、異教徒をモスク 力に入れてくれるのかどうかかわかりません。 そうだん でそこで、イスラム教徒のマハムトさんに相談 しました。 「だいじようぶですよ。イスラム教は異教徒 11 は ] モンゴル国境からシルクロードへ