レストラン - みる会図書館


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1. チベットの聖なる山へ

せいしん めたんだよ。回族はイスラム教徒だからね、プタ肉の入った料理は食べない。清真料理 というイスラム教徒向けの料理しか食べられないんだ。単にプタ肉を使わなければいい ほうちょう 力というと、そうではない。、 フタ肉を切った包丁で料理したものもだめだ。ヒッジ肉だ って、イスラム教徒の殺したヒッジでなければ食べてはいけない。だから、回族にとっ レ J 、フほ、フ けいえし ては、同じ回族が経営するレストランがいちばんなんだよ。同胞の回族の客のおかげで はんじよう このレストランも繁盛するようになったんだ。すこしずつレストランを建て増しして、 ごいり・よ、つ さいしょ いまでは最初の二倍くらいの広さだよ。夫婦ふたりで、すこしずつ材料を買い集めて、 ざいりようひ 手作りで建て増ししたんだ。材料費だけだから、安くできたよ」 みちすじ 自転車の旅のとちゅう、通ってきた道筋で、回族の商売人とよく出会いました。ムサ ねっしん さんと同じようにレストランを経営する人が多いようですが、みんな商売熱心です。ム かんそう のが サさんは「とにかく貧しさから逃れたかった」といいます。乾燥した土地では、いくら こんなん 努力しても多くの収穫は望めず、貧しさからぬけだすのは困難です。ムサさんのように、 土地を捨てて旅に出る回族はたくさんいます。 じようれんきやく ムサさんのレストランの常連客だった金掘りたちも、貧しさから逃れたくて旅に出た きんし 回族でした。けれども、可可西里は三年前に自然保護区に指定され、金掘りも禁止され しゅうかく ほ′」く たん た ま 弴は ] モンゴル国境からシルクロードへ

2. チベットの聖なる山へ

シーダタン村に着きました。道路ぞいにレストランがならんでいます。ちょうど昼食時 間だったので、トラックやバスがたくさん駐車しています。 すななべ なべや ばくらもレストランに入って、「砂鍋」という料理を食べました。日本でなら鍋焼き やさい うどんに使うような砂つばい土で作った鍋に、トリ肉、コンプ、春雨、野菜、そして香 しんりよう あわ 辛料を人れて火にかけます。しばらくすると煮たってばこばこと泡がたった鍋を、その ふっとう まま食卓に運んできます。標高が高いと気圧が低くなるために、水の沸騰温度が低くな ります。標高四〇〇〇メ 1 トルだと、七〇度で沸騰します。七〇度ではあまりよく煮え ないのではないかと不安でしたが、肉も野菜もおいしく煮えていました。 食事をしながらレストランの主人のムサさんに話を聞きました。ムサさんは少数民族 カンスーしようサンハイしようきようかい の回族で、イスラム教徒だといい ます。もともとは中国の甘粛省と青海省の境界あたり ちいき まず の地域で、農業をしていたそうです。そこは、貧しい土地でした。おまけに雨が降らな い年が続き、凶作にみまわれました。そこで七年前にシーダタン村に移住してきました。 「友だちから一万二千元を借りて、この小さなレストランを買ったんだ。ところが定期 ハスの客は昔からあるレストランにいってしまう。そこで、おれはこの奥の可可西里の こうざん 鉱山で金を掘っていた回族の人たちゃ、やはり回族のトラック運転手向けの料理をはじ かいぞく しよくたく きよ、つさく きよ、フと きあっ ちゅうしゃ いじゅ、つ ヤ」、つ

3. チベットの聖なる山へ

さく きんほ こっきよ、フ ました。そこで金堀りたちは、遠くインド国境に近いアリまで移動しました。そのため、 じようれんきやくうしな ムサさんは常連客を失ったのです。 ムサさんには三人の子どもがいます。中国は人口増加をおさえるためにひとりつ子政 かぎ 」 A っ力い 策をとっていますが、少数民族に限って、町に住む夫婦はふたり、郊外に住む夫婦は三 きよ、フりしんせき 人の子を持っことができます。一三歳の長男と一〇歳の次男は郷里の親戚のところにあ ずけています。七歳の長女はゴルムドに下宿して小学校に通っています。 まず 「おれは学校にいかなかったんだ。回族の子どもたちは貧しいから、学校をやめて働く ことが多いんだよ。だから漢字を読めない者もたくさんいるよ。おれたち夫婦も漢字が しようらいゅめ 読めないんだ。将来の夢は、そうだなあ、ゴルムドに家を建てて、レストランをやりた いね。もちろんそのときは家族全員がいっしょに住むんだ」 クンルンシャンコオ ムサさんのレストランをあとに、崑崙山口に着きました。 しようじよう じゅんのう 高山病の症状は出ていません。なんとか高度に順応できたようです。 よくあさ ◆世界一標高の高い自然保護区 翌朝、起きてみると小雪がちらついていました。やや強い風もふいていましたが、幸 ぞうか ふうふ

4. チベットの聖なる山へ

ターチャイタン 標高三一六〇メ 1 トルの大柴旦に着いたのは、午後七時のことでした。一日の移動距 さいちょう 離としては、今年に入って最長の一五五キロメートルを記録しました。 シーティエシャン 五月二七日。大柴旦から錫鉄山に向かいます。移動距離は約七〇キロメートルなの で、あわてずにゆっくりスタ 1 トしました。午前七時に宿で朝食を食べました。ワンタ ンを頼んだら、ギョーザみたいに大きなワンタンがてんこもりで出てきました。これを 食べて、七時四〇分に宿を出発しました。 こ、っていさ 前日に続いて、高低差のほとんどない道です。ふたつの小さな山を越えました。とち げんば きようみ ゅう、道路工事の現場を通りました。作業員たちは工事の手を止めて興味深そうにこち らを見ていましたが、声はかけてきません。道ばたに、「錫鉄山まで六キロメートル」 ひょうしき という道路標識がありました。 錫鉄山の町の人り口に宿と食堂がありました。ここに泊まろうと聞いてみると、満員 こうざん で部屋がないとゝ しいます。やや急な坂道を上ると、鉱山労働者たちのアパートが建ちな らんでいました。ちょっとした町です。小ぎれいな宿もあったので、泊まることにしま した。宿にはうまい料理を出すレストランもありました。レストランのおばさんに、 「あんたはチベット人みたいに顔が黒いねえ。チベットからきたんじゃないの」と、 たの ど、つきょ

5. チベットの聖なる山へ

一〇時ごろからは、気温も上がりはじめました。温度計は四二度をさしています。今 もくてきち なみき 日の目的地の敦煌まで、あと二〇キロメ 1 トルという地点からポプラ並木がはじまりま 」か、け・ した。とはいえ、太陽が天上にあるので、木陰はできません。もうちょっと日が傾けば、 暑さをさけて木陰でひと息つけそうです。上り坂と照りつける日差しのために、ばくは すでにばてはじめていました。 一三〇キロメートルを七時間で走って敦煌に着くと、すぐにホテルに入りました。シ あら ャワーを浴びて昼食を食べ、べッドに 横になります。水で顔を洗ったのに、身体はほて きんにく ったままです。筋肉がつるのも止まりません。いつもならひと休みすると疲れもとれて、 いよく なにかやろうという意欲がわきますが、今回はなかなか疲れがとれません。日記をつけ ても、本を読んでも、すぐにいやになってしまいます。集中力がありません。 かんこ、フ めいさぎん このままではいけないと、敦煌の観光名所、鳴沙山に出かけました。敦煌はシルクロ ードの古都として、観光客に人気が高い町です。日本からの団体観光客もあちこちにい たいわん ました。観光客でいちばん多いのが日本人で、日本食レストランもあるほどです。台湾 からの団体客もたくさんいました。 鳴沙山は敦煌の南五キロメートルほどのところにある、東西四〇キロメートル、南北 とんこ , っ だんたい つか かたむ