人類がたどちた ・リング滝 イルクーック ロシア 人類の 生まれた ところ ウランにトル モンコ、、ル アルノヘール 乙△△ ハルン・ハキン・ウラー ゴ、ビる少道 中国 カサフスタン アしマトイ 0 ラルムチ ル ハミ バリクン、 国画画国。 タクラマカンる少 △圍圄ロ チベット高源 カイラス山 ャエベ、レスト山一ナクチュカ 0 ラサ .0 コルムド インタ″ / アリー ドル地方 ジョムソン、カトマンドヶ ガンジスノ〃 ネ / ヾール ~ ~ ~ ~ ・今回のルート ー回まあルート
◆ネパール到着 ネパールに入りました。メキシコ以来、ア がっしゅうこく メリカ合衆国、カナダ、ロシア、モンゴル、 中国と大きな国ばかり旅してきました。五年 間で六か国しか通っていません。ひさしぶり に月さな国に入りました。 ( 。一一二一 ( 亜熱帯の国の雰囲気がただよいます。ヒマ ちが ラヤの北と南の違いか、人々の顔が変わり、 いなさくぶんかけん 食べ物が変わりました。はじめて稲作文化圏 とうちゃく 七月一〇日、国境の町ジャンムーに到着。 も騒がしいほど活気にあふれた町でした。ヒマ 緑ラヤの南と北でさまざまな物がいきかいます。 ここで、いままで旅をともにしてきたマ・ジ ドンくんともお別れです。 ラ さわ こっきよう 87 [ 3 ] ドルボの巡礼祭
ムスタンジョムソン ドル アンナレナ山 地方 工べレスト山 ラギリ山 0 カラ 0 カトマンドゥ ネール シー又ン村ス ーチベット自治区 ナテ 、中国 ノ 村 ネー e—ル コマ村 ロシア . ・・謇モ〉ゴル 中国 カザラスダゾ、、 ド・タラ、リザ村ツアルカ シェイ・コンヾ エーリ・リオックタ山 レ・ドルポ地方 インド べンガル インド洋 ジョムソン ◆チベット・ネパール友好道路 ナクチュカにもどったのは六月二八日で 癶」し、力し した。チベット高原の自転車旅行を再開し、 、ヾレ 中国と、イノ 、ヾ 1 ルの国境を越えて、、イノ 1 の首都カトマンドウまで向かいます。 六月二九日、午前一〇時半にナクチュカ しせんしようあまでら を出発。とちゅう、四川省の尼寺からきた ごたいとう じゅんれいしゃ という三人の巡礼者と会いました。五体投 ち 地をしながら、数か月かけてここまでたど しいます。 りつき、ラサをめざしていると ) 一キロメートルほど進んでは、休んでいま す。サポ 1 トのリャカーは先にいっている の ん れ 癶い 不さ ヤ」っ * 一よ、つ学」 ゅうこう 85 [ 3 ] ドルボの巡礼祭
バリクン 全中国峡 自転車 新疆ウイクル自区 . 主、尸月 月冫毋省 ゴルムド トウトウう可 アムド ロシア モンコル カサフスタン、 - 、 ネ′レ」 - ぎ インド 中国 チベット自始区 タングラ山 △カイラス山 ( カーンリンホェ山 ) ナクチュカ ネ。、カトマンドウ ラサ インド 工べレスト山 ( チョモランマ ) べン廾ル・・ヘ ン ^ アラビア海 きました。三五〇〇キロメートルの道のり さいしょ を五体投地でやってきました。最初はつら かったけれど、慣れましたよ」と和尚はい います。 どうやってそんな旅を続けているのかた ずねると、「五体投地でカイラス山をめざ している僧には、とちゅうの村々の人たち がお金や食べ物を寄進してくれるんです。 ぶつきよう チベット仏教の僧で、こうしてカイラス山 に向かう人は多いんですよ」といいます。 じゅんれい 五体投地で何年もかけて巡礼するのはクン しゅうきようか ガ・ウセル和尚のような宗教家や、熱心な しんじゃ 信者です。ふつうの人たちは祭りにあわせ て徒歩で巡礼します。 和尚に五体投地を見せてもらいました。 きしん 刃 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭
国境 サ冫タンフー ま 0 ウ , 0 チ △△バリクン 天山山月 自転車 タクラマカン少三 救粛 新疆ウイクル自治区 ゴ ) レムド チベット高原 チベット自治区 、一・、、タンクラ △カイラス山 アムド△ ( カーン・リン山 ) ナクチュカ 0 ラサ ロシア カザフスタン、、 - 、 モンコルに・ ネル」 : 罸い インド トウトウ遡 アラビア べンル・ 、山脈 リクンから西に向かい、カザフスタンを経由 して中東に向かうのが最短のル 1 トです。け れども今回は南に向かい、チベット高原とヒ 、。、ールまでい 2 、とい一つ日取大 マラヤを越えて、イノ の寄り道をすることにしました。いままでの 寄り道は人力にこだわらずにきましたが、今 回は自転車でいきます。 まず、 パリクンから中国・モンゴル国境に 向かいます。およそ一七〇キロメートルの道 のり、自転車を車につんで国境までいき、国 境からハリクンまでもどってくることにしま ひつよう とくべつきよか した。国境までは中国政府の特別許可が必要 けいびたい でした。許可はもらえたものの、国境警備隊 いんがいむしよう 員と外務省の係官が同行するといいます。 さっえい やまだかずや 山田和也さんたち四人のビデオ撮影チーム さいたん せいふ さいだい 7 は ] モンゴル国境からシルクロードへ
だん ◆グレートジャーニーとは じんるい いどう グレートジャーニー。大いなる旅。人類が地球上を移動していった旅路を、イギリスの考 古学者、プライアン・フェイガンは、こう名づけました。 たんじよう 人類は、約五百万年前に、東アフリカで誕生したといわれています。そして百数十万年前 たいりく にアフリカ大陸から、ヨーロッパやアジアを経て、南北アメリカ大陸へと広がっていきまし さいなんたん た。アフリカ大陸からもっとも遠い南アメリカ大陸最南端にたどりついたのは、一万数千年 きより 前。その移動距離は五万キロにもおよびます。 ぎやく ばくは、この人類の旅路、グレートジャーニ 1 を逆ルートで、徒歩、カヤック、自転車と きやくりよくわんりよく いう、自分の脚力と腕力だけでたどりました。 一九九三年一二月、チリのナバリーノ島を出発、一九九七年には、南北アメリカ大陸縦 力いきよ、つ 断を終え、べ ーリング海峡をカヤックでわたり、ユ 1 ラシア大陸にたどりつきました。 がわ ロシア、モンゴルを横断し、今回は、まず中国側のシルクロ 1 ドに入り、そこから世界の じゅんれいさい 屋根といわれるチベット高原を自転車で走り、聖なる山カイラスの巡礼祭、さらにネパール おくち 奥地にある北ドルボの巡礼祭へと、三四〇〇メートルにおよぶ壮大な寄り道をはじめました。 そうだいよ じゅう