一日 - みる会図書館


検索対象: チベットの聖なる山へ
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1. チベットの聖なる山へ

でし おしよう 弟子人りしてからは両親に会っていません。和尚が親がわりなのです。 チュサン・ギャツオはお母さんといっしょに撮った写真を見せてくれました。上品そ うなお母さんです。写真ではチュサン・ギャツオもお母さんもきれいな服を着ています。 「チュサン・ギャツオは私の弟子になって四年になりますが、そのあいだ一度もお母さ こい んに会っていません。しつかりした子ですが、それでもときどきお母さんが恋しくなる ようですよ」とクンガ・ウセル和尚が話してくれました。 ごたいとうち クンガ・ウセル和尚は、五体投地を終えると、そこに人間の頭ほどの大きさの石をお とうたってん きました。今日の到達点のマークです。明日はこの石からまた五体投地をはじめます。 くぎよう 一日の苦行を終えた和尚は、テントでばくらにバター茶をごちそうしてくれました。 たんじゅん 和尚がやってきた距離と日にちを単純計算すると、一日にたった五キロメートルしか げんち 進んでいません。和尚といっしょに進むと、サカダワ祭には間にあいません。現地でま た会うことを願って、別れました。 ◆サカダワ祭 ぶつきようかいそ れき チベット暦の四月満月の日、今年は六月一五日になります。仏教の開祖であるお釈迦 ねが きより しやか

2. チベットの聖なる山へ

山病が心配です。ふつう、一日に三〇〇メートルずつ高度を上げれば高山病にはならな いとされています。それなのに、一日で一八〇〇メートルも上がるのです。ちょっと無 ちゃ とうげぶじ 茶な計画のようですが、最近は三五〇〇メートルから三六〇〇メートルの峠を無事に越 えています。ゴルムドの手前では、標高三二〇〇メートル前後の高地も移動しました。 なんとか無事に崑崙山口にたどりつけるのではないかと思いました。 よくじっきゅうよう ナツータイ 翌日は休養して、五月三〇日午前八時一〇分、納赤台に向かって出発しました。納赤 こうてい 台まで、九〇キロメートルの行程です。納赤台は標高三五二〇メートルなので、ゴルム ドとの標高差が七二〇メ 1 トルあります。上り道が続きますが、傾斜がゆるやかなので クンルンさんみやく 助かりました。久しぶりの快晴で、崑崙山脈の山々が美しく見えました。 出発して一五キロメートルほど走ると、強い向かい風がふきはじめました。ばてまし たが、気温が低いので助かりました。二〇キロメートルあたりから道は山間へと入りま した。、 こつごっした固い土のかたまりのような山です。美しい山もありましたが、草木 は一本もはえていません。谷間の奥に、うっすらと雪をいただいた高い山々が見えまし けんもんじよ 三〇キロメ 1 トルをすこしすぎたところに検問所がありました。チベット自治区への クンルンシャンコウ おく けいしゃ いどう

3. チベットの聖なる山へ

◆中国とモンゴルの国境を越える 中国とモンゴルの国境に引き返しました。五月に越えられなかった国境を越えるため とくべつきよか です。八月一〇日から二〇日間にわたって国境が開き、特別許可をもらった車と人だけ が国境を越えられます。 幸いばくもモンゴルまでいく許可を取ることができました。日程は決められていまし 「許可の期間は八月一〇日と一一日の二日間だけ。道路からはずれてはいけない けいびたい っ 国境警備隊に告げられました。そして、モンゴルに入国したら、すぐに帰ってこなけれ ばなりません。また、「中国の出国手続きをしたら、モンゴルの出入国のスタンプを押 さいにゆ、フこく がわ じむしょ してこないと再入国はできない」ともいいます。モンゴル側の出入国管理事務所は国境 から二五キロメートルのプルガスタイにあります。 てつじようもう 国境を越えて、鉄条網にそって三〇キロメ 1 トル移動して、ラクダの旅のゴ 1 ル地点 にたどりつきました。ここからプルガスタイまで二五キロメ 1 トル進んで、出人国のス おおいかくすばくたちの社会よりも、このほうが自然なのではないかと感じました。 いどう こっきようこ につてい 0 9.

4. チベットの聖なる山へ

うようになると、風を横から受けるようになったので、すこし楽になりました。くもり かた 空で、風が冷たく、気温も上がりません。ちょっと急な上り坂でも肩で息をするような こともなく、気持ちよく前進できます。 さい」 標高が上がってきました。チベット高原に人るのです。最後の二五キロメートルは、 標高一六〇〇メ 1 トルから二四〇〇メ 1 トルまで、高低差にして八〇〇メ 1 トルを、ゆ つくり三時間かけて上りました。高山病をおそれたのです。 うで あまつぶ 最後の一〇キロメートルで小雨が降りだしました。日にやけて皮のむけた腕に、雨粒 かしみて、ちくちくします。 アクサイの町を二五キロメ 1 トルほどすぎたところに宿がありました。ここに泊まる ことにしました。気温は一〇度以下です。きのうまでの四〇度の気温がうそのようです。 宿では石炭ストープをたいていました。ストープのおかげであたたかく、やかんのお 湯も飲み放題なので、お茶を飲みすぎて、下痢ぎみになってしまいました。 この日は朝から標高差一三〇〇メ 1 トルを上ったことになります。それでもあまり疲 げんいん れていません。おしつこも出るようになりました。きのうまでのひどい疲れの原因は、 もうれつ だっすい 猛烈な暑さと、それによる脱水のせいだったのです。すこし安心しました。 つか

5. チベットの聖なる山へ

をみ第を・第”。ーをラ づ , 、、ラうを一 0 第 , 第ア 1 ◆巡礼祭にむかう ジョムソンを出てから八日目、ティンキ ュー村に着きました。村の人り口にテント が張ってあります。テントの住人たちはチ みんぞくいしよう べットの民族衣装を着ています。北ドルポ ふくそう でもチベットの人たちと同じ服装をしてい ちかよ るのかなと思ったのですが、近寄ってみる ちが 々 とどうも違うようです。この人たちは国 人 境を越えて中国のチャンタン高原にくらす 県チベット人たちでした。巡礼祭のためには るばるやってきたのだといい ます。「はる ポ ちゅう ばる」といっても、ここから二日歩一けば中 きようこ にネ。、 1 ル人スタッフといっしょに、ジョ ムソンを馬で出発しました。 こっ 93 [ 3 ] ドルボの巡礼祭

6. チベットの聖なる山へ

ムスタンジョムソン ドル アンナレナ山 地方 工べレスト山 ラギリ山 0 カラ 0 カトマンドゥ ネール シー又ン村ス ーチベット自治区 ナテ 、中国 ノ 村 ネー e—ル コマ村 ロシア . ・・謇モ〉ゴル 中国 カザラスダゾ、、 ド・タラ、リザ村ツアルカ シェイ・コンヾ エーリ・リオックタ山 レ・ドルポ地方 インド べンガル インド洋 ジョムソン ◆チベット・ネパール友好道路 ナクチュカにもどったのは六月二八日で 癶」し、力し した。チベット高原の自転車旅行を再開し、 、ヾレ 中国と、イノ 、ヾ 1 ルの国境を越えて、、イノ 1 の首都カトマンドウまで向かいます。 六月二九日、午前一〇時半にナクチュカ しせんしようあまでら を出発。とちゅう、四川省の尼寺からきた ごたいとう じゅんれいしゃ という三人の巡礼者と会いました。五体投 ち 地をしながら、数か月かけてここまでたど しいます。 りつき、ラサをめざしていると ) 一キロメートルほど進んでは、休んでいま す。サポ 1 トのリャカーは先にいっている の ん れ 癶い 不さ ヤ」っ * 一よ、つ学」 ゅうこう 85 [ 3 ] ドルボの巡礼祭

7. チベットの聖なる山へ

タンチンシャン 明日は標高三五〇〇メートルに近い当金山を越えなければなりません。宿から見え る山々は雪で真っ白になっていました。 五月二五日は七時に起床。この日も朝食は野菜と牛肉の入ったラ 1 メンでした。スタ さいしょ ートは七時四五分。最初からゆるやかな上り坂でしたが、強い追い風に助けられ、一気 けいしゃ に一〇キロメートルほど走りました。それからは傾斜がゆるくなりました。 ちょうじよう きのうの宿の人は二〇キロメ 1 トルほどいけば当金山の頂上だといっていましたが、 と、つ・け . 二〇キロメ 1 トルをすぎて、標高三〇〇〇メ 1 トルを越えたのに、峠が見えてきません。 上り坂がどんどんきつくなります。自転車を降りて歩こうかとも思いましたが、高度に なれるためには身体を動かし続けたほうがいいので、ゆっくりとではありますが、自転 車をこぎ続けました。 ゆきげしき まわりは美しい雪景色です。路面にも雪が残っていました。 やっと当金山の頂上に着きました。高度計を見ると、標高三四八〇メ 1 トルです。ド しようじよう ィッ製の地図では、三四五九メートルとあります。おそれていた高山病の症状はありま いた せんでしたが、マ・ジドンくんは頭が痛くて眠いといいます。顔もやや青ざめているよ うでした。 やさい のこ ねむ こ 27 は ] モンゴル国境からシルクロードへ

8. チベットの聖なる山へ

さと さまが誕生して、悟りをひらき、そして亡 くなった三つが重なる、チベット仏教にと じゅうよう かくち ってもっとも重要な日です。チベット各地 きよう せいち の聖地や僧院に人々が集まってお経を読み、 おど 「チャム」と呼ばれる踊りを舞います。 この日をめざして、聖なる山カイラスに じゅんれいしゃ も巡礼者たちがたくさん集まってきます。 そして、カイラス山のふもとのタルチェン 村ではサカダワ祭がおこなわれるのです。 サカダワ祭は、「タルチョー」というお ン経や馬の絵が描かれた白色または五色の旗 うす 物、 ? チや、「カタ」という薄いスカーフのような きぬぬのむす 絹布が結びつけられた、高さ一三メ 1 トル の大きな柱を年に一回新しいものに立てか ぎようじ える行事です。 トを たんじよう そういん 63 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭

9. チベットの聖なる山へ

9 マ 円 % 年 中来。北栗縦断 人 0 人 円 97 年 ) グ海峡横断 9 。ン 1 ア公 ア央 ^ 入△ 円 % 年に月 5 日 チ屮カヨ島出帯 , 1

10. チベットの聖なる山へ

かんよう に寛容なんです。もちろんいくつか条件はありますが、それさえ守れば異教徒でもモス クに入れます。 まず、身体を清めます。ただ身体を洗うのではなく、順番が決まっています。それに、 すみずみまで洗わなければなりません。耳の中まで洗うんですよ。身体を洗ったあとは、 モスクを出るまで、トイレにいくこともオナラをすることも許されません」 マハムトさんによると、モスクに人るにはイスラム教徒用の帽子も必要だそうです。 きしん ) といいます。そこで、 また、敬意をしめすために、モスクへなにか寄進したほうがいし ぼくし モスクのイマムに小さなじゅうたんを寄進しました。イマムとは、キリスト教の牧師の ぐうぞうすうはいしんじゃ みと ような役目の人です。とはいえ、イスラム教は偶像崇拝や信者の上下の差を認めていな せいてん いので、イマムはあくまでもイスラム教の聖典、コーランの伝え手にすぎないとされて います。じゅうたんを寄進すると、イマムはこころよく見学を許してくれました。 たず 金曜日は、週に一度の聖なる日です。この日にハミにあるモスクを訪ねると、一〇〇 〇人近い信者が集まっていました。モスクの正面にイマムがいます。けれども、イマム に向かって祈るのではなく、信者はイスラム教の聖地であるサウジアラビアのメッカが れいはいしゃ ある西の方角に向かって、一日に五回、祈りをささげます。礼拝者にはお年寄りが多く、 いの じようけん あら ゆる ぼうし いきよ、つと としょ