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1. チベットの聖なる山へ

をみ第を・第”。ーをラ づ , 、、ラうを一 0 第 , 第ア 1 ◆巡礼祭にむかう ジョムソンを出てから八日目、ティンキ ュー村に着きました。村の人り口にテント が張ってあります。テントの住人たちはチ みんぞくいしよう べットの民族衣装を着ています。北ドルポ ふくそう でもチベットの人たちと同じ服装をしてい ちかよ るのかなと思ったのですが、近寄ってみる ちが 々 とどうも違うようです。この人たちは国 人 境を越えて中国のチャンタン高原にくらす 県チベット人たちでした。巡礼祭のためには るばるやってきたのだといい ます。「はる ポ ちゅう ばる」といっても、ここから二日歩一けば中 きようこ にネ。、 1 ル人スタッフといっしょに、ジョ ムソンを馬で出発しました。 こっ 93 [ 3 ] ドルボの巡礼祭

2. チベットの聖なる山へ

ていきます。曲がるにつれて、進む向きが変わり、向かい風が追い風になります。曲が りきったところでは、とうとう完全な追い風になっていました。このチャンスを逃すま いと、全力でペダルをふみました。おかげで一気にナクチュカまで三〇キロメートルの ところまで進みました。 とちゅうで出会うチベット人が声をかけてくるようになりました。い ままではチベッ ト人とまちがわれたのに、このあたりの人たちにはばくが外国人だとわかるようです。 「ハロー」とか「グッパイ」と声をかけてきます。手ぶりで「寄っていかないか」「なに か食べていかないか」「お茶を飲んでいかないか」といっているのがわかります。時間 よゅう かれ に ( 裕があれば、彼らの家に寄って話を聞きたいけれど、とにかくいまは先を急ぎます。 ゆるやかな上り坂になりましたが、追い風が続いていました。追い風に乗ってびゅん びゅん飛ばします。そのまま飛ばして午後五時にはナクチュカに着きました。ナクチュ みんぞくいしよう すがた 力はゴルムド以来の大きな町です。民族衣装を着たチベット人が町をいきかう姿が目を ひきます。 ここでひとまず自転車の旅を終えて、サカダワ祭に向かいます。ナクチュカのホテル に自転車をあずけて、車に乗りこみました。

3. チベットの聖なる山へ

◆予定を変更する かい、く けいえし 宿の主人は回族で、食堂も経営していました。 「夜八時から午前二時までは電気も使えるよ」と自慢します。 食堂でタ食を食べていると、チベット人がやってきました。チベット人はカシミャヤ ギのうぶ毛であるカシミヤを持っています。聞くと、いまがヤギの毛を刈るシーズンで、 カシミヤを宿の主人に売りにきたといい ます。主人はすぐに買うことに決めましたが、 ねだん 値段のおりあいがっきません。チベット人は「一キログラム二二〇元で売りたい」とい おう います。主人は「一キログラム一八〇元でなければ買わない」と応じます。 話し合いにもうひとりの男がくわわりました。両者のいいぶんを聞いて、「それでは ていあん なっとく 一キログラム二〇〇元ではどうか」と提案しました。チベット人も主人もそれで納得し しようだん ました。商談成立です。話し合いにくわわった第三の男は、チベット人と主人から、 を見つけたかったのですが、宿はありません。あきらめて、さらに進みました。向かい 風にさからって一〇キロメートルほど進んだところにちょっとした町がありました。宿 もあります。ここに汨まることにしました。 へんこう じまん

4. チベットの聖なる山へ

しばふ ごたいとうち そうです。三人は、芝生のように青々としている草地の上を、五体投地でゆっくりと進 んでいきました。 ほそう ずいぶん荒れているけれど、舗装された道路だったので、スム 1 ズに走ることができ しゅうへん かいほうぐんしせつ ました。ラサの周辺には人民解放軍の施設が目につきます。 ゆる 七月二日、ようやくラサの町に人りました。かっては、外国人がはいることが許され かんこう しまや観光都市になっていました。 ず、探検家たちのあこがれの地だったラサは、ゝ ゅ、フこう むす ラサとカトマンドウを結ぶチベット・ネパール友好道路を自転車で走ることにしまし た。最初は舗装されていましたが、とちゅうから荒れた道になってしまいました。 自転車で走っていると、近くに住んでいる子どもたちが走りよってきます。ばくらの すがためずら ものご 姿が珍しいからではなく、物乞いです。子どもだけではなく、おとなまでもが、い ょに手を差しだしながら追いかけてくることもありました。 ラサからカトマンドウ、ラサからカイラス山につながる道路は、チベットの主要観光 ルートです。外国人観光客もたくさん訪れます。観光客たちは、チベット人の写真を撮 り、チップをおいていきます。それがくりかえされるうちに、地元の人々に物乞いのく せかついてしまったのでしよう。ばくは、写真を撮る気にもなれずに、逃げるように進 たんけんか さいしょ しゅよう

5. チベットの聖なる山へ

′」くりよう 、ヾール国内の自動車道まで出るのに徒歩で一週間以上かかるのですから、 国領です。、イノ こうえき 中国のほうがずっと近いのです。チャンタン高原の人たちはチベットともさかんに交易 しているそうです。 じゅんれい じゅんび ティンキュー村では巡礼の旅に出かける準備をする村人たちがたくさんいました。 「この村から何人が巡礼祭にいくんですか」とたずねると、「村の半分以上の人間がいく よ」と教えてくれました。 ぶたい 次に立ち寄ったシ 1 メン村では、すでに数家族が巡礼祭のいちばんの舞台となるシェ イ・ゴンパ僧院に向けて出発していました。テントを張らせてもらった家も、おじいさ んを残してみんな出かけてしまっていました。おじいさんはシーメン村でもほとんどの しいます。ばくは、せいぜい百人か二百人くらいの村人が集 住民が巡礼祭に出かけるとゝ しようきぼ まる、もっと小規模な巡礼祭かと思っていましたが、予想以上に大きい祭りのようです。 聞けば、外国からの巡礼者もいるといいます。一二年ぶりの大祭のために、ニマ・ラ しきん せんでん マとサキャ・ラマというサルダン村のふたりの僧が中心となって、資金集めと宣伝をお 。北ドルボでは大きな村で、文化活 こないました。サルダン村の人口はおよそ六〇〇人 えんじよ しゅうきよう 動や宗教活動の中心地となっています。ドイツのボランティア団体の援助で小学校も のこ そういん

6. チベットの聖なる山へ

に人ったのです。雨が降りしきるなか、人々は田植えをしています。男の人たちは水牛 あざ みんぞくいしよう なえ を使って田おこしをし、色鮮やかな民族衣装を着た女の人たちが、苗をうえています。 きようどう しいます。 田植えの作業は、雨が降るころを見はからって、近所の人たちが共同でやると ) 昼食にネパール風のカレーをごちそうになりました。料理の仕方が変わっていて、生 じよう の米をいためてから、たいらにつぶして、フレーク状にします。こんなふうに米を食べ はんな るのははじめてです。ふつくらとして水分をたくさんふくんだご飯に慣れていると、ど いんしよう うしても生米をそのまま食べているような印象を受けます。 きゅうおうきゅう 標高一四〇〇メートル、四二万人がくらす首都カトマンドウに入り、旧王宮広場を とりあえずのゴールとしました。広場には、たくさんの人々があふれていました。国民 きよ、つ A 」 の九割がヒンズー教徒の国です。ヒンズ 1 教の、何千という神さまをまつったほこらが あります。毎朝、人々は自分がもっとも好きな神さまのほこらの前にやってきて、色鮮 やかな美しい花をそなえていくといいます。 ヒンズー教の寺院、パシュバティナ 1 ト寺院にもいきました。寺院の中には、ヒンズ 1 教徒しか入ることができません。 寺院の前を流れるバグマティ川では、人々が川の水で身を清めていました。ヒマラヤ

7. チベットの聖なる山へ

原 ま 人 待信て く を ん く が り は な 今 さ 修で ら 入 で か じ チ の り 年・ ぎカ べ 湾 弟 マ ら い や れ イ丁ょ をう ま ト も る な ま れ 子 で レ ) に ツ つ 巡て し フ 多 す い ト が し と が は つ マ た 礼毳き 仏 最ミ同 チ マ く で た み、 ン が 祭冒た あ 僧豸 べ 初 行 教 の ま ド し と ム 参 と 耳哉 はいサ し の ウ よ の ツ ロ ま 湾 キ カ日 は 関 教 ト 旅 た お に ノレ ) つ か 度 師 3 仏で 出 者 係 ャ よ し の が 南 者 t と 教 回 イ も そ し オこ て ン 村 灌完四 はやそ し お ド のった フ じ〇 の 頂ょ ド = 寺 マ : 参ま て 僧 が ハ の 、ノレ をう〇 僧 ; ポ 〇 マ 亡なに っ 学 は り ち 受 〇 や 〇 い 弟 生 に で く が 人 僧豸け ム 人 す っ 子 フ な、 ふ き 侶呈た く ス が て 入 た ま っ ノ、 : 参さ は タ ら り り し え つ か 加カ の 〇 し と た い お そ ン で 年 い し ね 王 で よ ま も の 国 そ ま ま 目 し し 四 ひ な の た と そ よ 歳ミ ハ た た ど つ 近 か 〇 で 葬豸九 だ か の よ 人 ら 五 し 式八 九 く そ で の 北 〇 に 九 信 で た 地ち 四 〇 招年 九 ド す 僧 者 で ル 〇 〇 年 士或 す 侶 も 〇 本 ポ れ イ や の や た に れ 〇 後 の た ン は 子 く の 中 人 に 人 ド イ 生 も ス の 八 さ た 僧 ン 歳 国 く ン の ん で の ち 侶 ら 湾 : 友 の ワ 回 ド の し ) 僧 チ は の と の お 家 と は 回 き カゞ ヤ ち す よ 族 見 口を僧 き ン み に が に 湾を そ や て ん タ ま 七 . 弟で にし訪争ふ ン い な く 湾 し 回 割 了・し 七 招ね い な た た さ で 1 10

8. チベットの聖なる山へ

山をめぐります。そして一二年に一度の辰年には大祭がおこなわれます。今年がその大 祭にあたるのです。 大祭の参加者はおよそ四〇〇〇人。その九割は北ドルボの人々だといいます。北ドル ボの人口はおよそ六〇〇〇人なので、住民の半数以上が参加していることになります。 せいざん 北ドルボの、老人や病人をのぞいたほとんどの人がこの聖山に集まっているようなもの です。 じゅんれいしゃ 祭りは四日間続きます。巡礼者たちは、丸一日かけて聖山をめぐり、チベット仏教の 」、っそ、つ かんじよう おど 高僧から「灌頂」を受け、踊りや歌をひろうします。 どきよう スムドウ・ゴンパ僧院では、毎日五〇人以上の僧が列席して読経がおこなわれていま さんけいしゃ かみざ した。参詣者がたえません。左右の上座にすわっているのは、北ドルポを代表するふた りの高僧、マルコム・リンポチ工とケンデン・リンポチェです。ふたりの前には巡礼者 の行列ができていました。ばくも行列にくわわって、ケンデン・リンポチェにカタを手 わたしました。ケンデン・リンポチェはばくの首にそれをかけてくれました。高僧にカ タをかけてもらうと幸福になれるといわれています。 巡礼祭には、楽しい行事ももりこまれています。 ろうじん たつどし ぶつきよう

9. チベットの聖なる山へ

ちゅう くらかお金をもらいました。どういうことなのか聞いてみると、第三の男はプロの仲 かいぎようしゃ 介業者だといいます。商談がうまくいかないときに、あいだに立って話をつけ、その手 数料をもらうわけです。 取り引きが終わったあと、チベット人に話を聞きました。ここから二〇キロメートル やまおく ほどはなれた山奥に住んでいるそうです。 ぎようしようにん 「いつもは村にカシミヤを買いにくる行商人に売るんだよ。だけど、今日はこの町で米 癶、と、つ や砂糖、小麦粉などの食料を買わなきゃならないんだ。そこで家からカシミヤを持って きたんだよ。だれかに買ってもらって、そのお金で買い物をして帰るんだ。イ 直段は行商 人に売っても、町の人に売っても、そんなに変わらないよ」 サンハイしようカンスーしよう 宿の主人はシ 1 ダタン村で出会ったムサさんと同じく、青海省と甘粛省との境で農業 きようり をしていたそうです。やはり農業がうまくいかず、郷里で食堂をはじめました。けれど いじゅう もこれもうまくいかなくなり、一九九二年、思いきってここに移住して食堂をはじめま した。 「いまではなんとかうまくやっているよ。ここに移ってよかったね。だけど、すっとこ こにくらしたいわけじゃないんだ。やつばり郷里に帰って商売をしたいよ。お金をため こむぎこ ねだん さ力い 47 [ 1 ] モンゴル国境からシルクロードへ

10. チベットの聖なる山へ

◆カイラス巡礼 さんか 巡礼者たちはサカダワ祭に参加するだけ ではありません。巡礼のいちばん大きな目 ごたいとうち 、つ的はカイラス山を徒歩、あるいは五体投地 で何度もまわることにあるのです。カイラ いっしゅう ス山を一周する巡礼路はおよそ五二キロメ 1 トル。チベット人はこの巡礼路を一日で まわりますが、五体投地でまわると二週間 から三週間はかかります。一般の人の回数 としては一三回がふつうですが、多い人は 」守りになるのです。みんなが持ちさ「たあ とだったので、残っているのはばろばろの 布きればかりでしたが、ばくも旅の安全の ためにと小さなタルチョーを拾いました。 ー 0 のこ いつばん 69 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭