でし おしよう 弟子人りしてからは両親に会っていません。和尚が親がわりなのです。 チュサン・ギャツオはお母さんといっしょに撮った写真を見せてくれました。上品そ うなお母さんです。写真ではチュサン・ギャツオもお母さんもきれいな服を着ています。 「チュサン・ギャツオは私の弟子になって四年になりますが、そのあいだ一度もお母さ こい んに会っていません。しつかりした子ですが、それでもときどきお母さんが恋しくなる ようですよ」とクンガ・ウセル和尚が話してくれました。 ごたいとうち クンガ・ウセル和尚は、五体投地を終えると、そこに人間の頭ほどの大きさの石をお とうたってん きました。今日の到達点のマークです。明日はこの石からまた五体投地をはじめます。 くぎよう 一日の苦行を終えた和尚は、テントでばくらにバター茶をごちそうしてくれました。 たんじゅん 和尚がやってきた距離と日にちを単純計算すると、一日にたった五キロメートルしか げんち 進んでいません。和尚といっしょに進むと、サカダワ祭には間にあいません。現地でま た会うことを願って、別れました。 ◆サカダワ祭 ぶつきようかいそ れき チベット暦の四月満月の日、今年は六月一五日になります。仏教の開祖であるお釈迦 ねが きより しやか
◆中国とモンゴルの国境を越える 中国とモンゴルの国境に引き返しました。五月に越えられなかった国境を越えるため とくべつきよか です。八月一〇日から二〇日間にわたって国境が開き、特別許可をもらった車と人だけ が国境を越えられます。 幸いばくもモンゴルまでいく許可を取ることができました。日程は決められていまし 「許可の期間は八月一〇日と一一日の二日間だけ。道路からはずれてはいけない けいびたい っ 国境警備隊に告げられました。そして、モンゴルに入国したら、すぐに帰ってこなけれ ばなりません。また、「中国の出国手続きをしたら、モンゴルの出入国のスタンプを押 さいにゆ、フこく がわ じむしょ してこないと再入国はできない」ともいいます。モンゴル側の出入国管理事務所は国境 から二五キロメートルのプルガスタイにあります。 てつじようもう 国境を越えて、鉄条網にそって三〇キロメ 1 トル移動して、ラクダの旅のゴ 1 ル地点 にたどりつきました。ここからプルガスタイまで二五キロメ 1 トル進んで、出人国のス おおいかくすばくたちの社会よりも、このほうが自然なのではないかと感じました。 いどう こっきようこ につてい 0 9.
かんよう に寛容なんです。もちろんいくつか条件はありますが、それさえ守れば異教徒でもモス クに入れます。 まず、身体を清めます。ただ身体を洗うのではなく、順番が決まっています。それに、 すみずみまで洗わなければなりません。耳の中まで洗うんですよ。身体を洗ったあとは、 モスクを出るまで、トイレにいくこともオナラをすることも許されません」 マハムトさんによると、モスクに人るにはイスラム教徒用の帽子も必要だそうです。 きしん ) といいます。そこで、 また、敬意をしめすために、モスクへなにか寄進したほうがいし ぼくし モスクのイマムに小さなじゅうたんを寄進しました。イマムとは、キリスト教の牧師の ぐうぞうすうはいしんじゃ みと ような役目の人です。とはいえ、イスラム教は偶像崇拝や信者の上下の差を認めていな せいてん いので、イマムはあくまでもイスラム教の聖典、コーランの伝え手にすぎないとされて います。じゅうたんを寄進すると、イマムはこころよく見学を許してくれました。 たず 金曜日は、週に一度の聖なる日です。この日にハミにあるモスクを訪ねると、一〇〇 〇人近い信者が集まっていました。モスクの正面にイマムがいます。けれども、イマム に向かって祈るのではなく、信者はイスラム教の聖地であるサウジアラビアのメッカが れいはいしゃ ある西の方角に向かって、一日に五回、祈りをささげます。礼拝者にはお年寄りが多く、 いの じようけん あら ゆる ぼうし いきよ、つと としょ
◆四 0 度を超える道 きようれつ ハミを出発したのは、五月二〇日午前八時四五分でした。すでに日ざしが強烈です。 さくねん りつば ホテルを出て三キロメートルほどで国道に出ました。昨年完成したばかりの立派な国道 です。傾斜もほとんどありません。自転車がすーっとすべるように進みます。弱い風が 前後左右からふいてきます。 すず うでどけい 午前中は涼しかったのに、日が高くなると暑くなってきました。腕時計についた温度 計を見ると、気温は四〇度を超えています。この温度計の数字は、体温で腕時計があた たまるので、いつもならあてになりません。けれども体温より高い温度なので、今日は 信じてもよさそうです。風も熱風に変わりました。風がやむと、ムワッと熱気がおしょ せてきます。 ひかげ あまりの暑さに、およそ一五キロメートルに一度は休みを取りました。日陰をさがし ても、見つかりません。青々とした木々はあっても、木陰を作るほどかたまっていませ ん。草原にほっんほっんと木があるだけです。暑さをさける日陰もないのです。それで も午前中は休むたびに、すこしはほっとしましたが、午後になると休んでいても身体じ ゅうがほてるようになりました。 けいしゃ こ こ
しね。いまいちばん大切 て、車を買いたいな。その車を使ってなにか商売ができればいゝ きようり なのはお金さ。とにかくお金をためて、郷里に帰って、家族みんながなかよくくらせれ ばそれでいいよ」 ふうふ この日の昼間、移動のとちゅうでチベット人の家族と出会いました。夫婦と子どもた しんぐ ちの四人組でした。リャカー二台に寝具などを積んでいます。ラサのサカダワ祭に出か けるのだといいます。 じゅうよう サカダワ祭はチベット人にとってもっとも重要なお祭りです。祭りの開かれるチベッ れき ト暦の四月一五日は、西暦でいえば今年は六月一五日です。ばくも、チベット仏教、ヒ せいち ンズー教、そしてポン教やジャイナ教の聖地とされるカイラス山のサカダワ祭を見てみ たいと思っていました。家族連れに聞くと、サカダワ祭はカイラスだけではなく、ラサ じゅんれいしゃ せいれき 市内でもおこなわれるといいます。西暦の六月から七月のはじめにかけて多くの巡礼者 がカイラス、ラサに巡礼に出かけます。 ごたいとうち 家族連れはラサまで五体投地をしながらいくのだそうです。五体投地とは、立って歩 く、よ、つ くのではなく、地面に全身をこすりつけるようにして前に進む苦行です。まるでシャク トリムシのようにゆっくりと五体投地で聖地に向かうのがもっとも正しい巡礼であると どう ぶつきよう
山病が心配です。ふつう、一日に三〇〇メートルずつ高度を上げれば高山病にはならな いとされています。それなのに、一日で一八〇〇メートルも上がるのです。ちょっと無 ちゃ とうげぶじ 茶な計画のようですが、最近は三五〇〇メートルから三六〇〇メートルの峠を無事に越 えています。ゴルムドの手前では、標高三二〇〇メートル前後の高地も移動しました。 なんとか無事に崑崙山口にたどりつけるのではないかと思いました。 よくじっきゅうよう ナツータイ 翌日は休養して、五月三〇日午前八時一〇分、納赤台に向かって出発しました。納赤 こうてい 台まで、九〇キロメートルの行程です。納赤台は標高三五二〇メートルなので、ゴルム ドとの標高差が七二〇メ 1 トルあります。上り道が続きますが、傾斜がゆるやかなので クンルンさんみやく 助かりました。久しぶりの快晴で、崑崙山脈の山々が美しく見えました。 出発して一五キロメートルほど走ると、強い向かい風がふきはじめました。ばてまし たが、気温が低いので助かりました。二〇キロメートルあたりから道は山間へと入りま した。、 こつごっした固い土のかたまりのような山です。美しい山もありましたが、草木 は一本もはえていません。谷間の奥に、うっすらと雪をいただいた高い山々が見えまし けんもんじよ 三〇キロメ 1 トルをすこしすぎたところに検問所がありました。チベット自治区への クンルンシャンコウ おく けいしゃ いどう
もくてきち タンチンシャンちょうじよう ホアハイズ 当金山の頂上から、この日の目的地の花海子までは、約六〇キロメートル。こちら しやめん ひかげ の斜面のほうが日陰になるためか、雪が多く残っています。路面も雪でおおわれていま わだちあと す。自動車が通った轍の跡だけ路面が見えています。轍は雪どけ水の流れ道になってい ます。これにそって走りましたが、自転車の車輪が水をはねあげるので、ズボンがびし よびしょになってしまいました。また、トラックもこの轍を使うので、車がくると雪の 上に逃げなければなりません。こうなると靴の中も雪でびしよびしょです。 びしょぬれのまま五キロメートルほど下ると、路面の雪はなくなりましたが、こんど は冷たい風がふきはじめました。ぬれたズボンに冷たい風がふきつけて、寒くなってき ました。おとといまでは暑くてどうしようもなかったのに、今日はこの寒さです。風を さけるために、道ばたの廃墟の壁のかげで昼食を食べました。 この廃墟をすぎると、二〇キロメートル以上にわたって気持ちのいい下り坂が続きま かいちょう した。まったくプレーキを使わずに快調に飛ばして、午後二時半、花海子に着きました。 あせ この日は寒かったので汗もかかず、水を一リットルも飲みませんでした。それでもおし だっすいしようじよ、つ っこはたくさん出ます。ようやく脱水症状がおさまったようです。 五月二六日は、めんをちぎってすいとんのようにしたスープを朝食に食べたあと、午 こ はいきよかべ しやりん
トト、にを二、 ゞ、・ - もし・当ぎ第・ , 第、 - しン 村ごとに踊る人々。 最終日も雨でした。この日も歌と踊りが 続き、空き地を見つけては、みな歌ったり 踊ったりしています。みんな、のびのびと 本当に楽しそうです。 夕方になって、雨もあがりました。村ご とにいくつもの踊りの輪ができています。 巡礼者たちは、一二年に一度の祭りが終わ お るのを惜しむかのように踊りつつけていま した。 ◆ニマ・ラマに聞く しゆさいしゃ 巡礼祭が終わったあと、主宰者のひとり であるニマ・ラマに話を聞きました。ニ マ・ラマは、サキャ・ラマとともに、今回 たいわん せんでん の巡礼祭の資金集めと宣伝にあたり、台湾 しきん わ お ど 109 [ 3 ] ドルボの巡礼祭
投地をする熱心な巡礼者は家族や仲間がサ ポートしています。 巡礼路のとちゅうに、仏足石がありまし あくま た。昔、悪魔がカイラス山をスリランカに 運ばうとしたことがありました。それをお せっとく 釈迦さまが説得してやめさせました。その あしあとのこ ときのお釈迦さまの足跡が残っているとい よこすじ う石です。カイラス山の北面には白い横筋 がたくさん見えますが、これは悪魔が縄を かけて運ばうとした跡だといいます。 すいげん インダス川の水源の流れを左に見ながら 日ぞいに高度をあげていきます。カイラス 一フ たいカ カ山は大河の水源です。インダス川のほかに、 サトレジ川、カルナリ日 プラフマプトラ 川の水源ともなっています。 ツ要 , = を しやか ぶっそくせき なかま なわ 71 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭
さと さまが誕生して、悟りをひらき、そして亡 くなった三つが重なる、チベット仏教にと じゅうよう かくち ってもっとも重要な日です。チベット各地 きよう せいち の聖地や僧院に人々が集まってお経を読み、 おど 「チャム」と呼ばれる踊りを舞います。 この日をめざして、聖なる山カイラスに じゅんれいしゃ も巡礼者たちがたくさん集まってきます。 そして、カイラス山のふもとのタルチェン 村ではサカダワ祭がおこなわれるのです。 サカダワ祭は、「タルチョー」というお ン経や馬の絵が描かれた白色または五色の旗 うす 物、 ? チや、「カタ」という薄いスカーフのような きぬぬのむす 絹布が結びつけられた、高さ一三メ 1 トル の大きな柱を年に一回新しいものに立てか ぎようじ える行事です。 トを たんじよう そういん 63 [ 2 ] カイラス山の巡礼祭