意志で、ここにいるのではない。命令だ。 馨が口をきつく結んで黙り込む。謝るつもりはないようだが、こちらの意図は理解したのだ ろう。 「 : : : だから、そんな不安定な状態で、外に出したくないのよ。なのに、この火事はシシンが 起こしたものだから。 話を戻すようにそう結び、紫子はため息をついた。 「ーーー姫ィさんは ? 」 「部屋よ。またばんやりしてるんでしよう ? 」 紫子が教えると、馨はリビングを出て行った。羽月のところに行ったのだ。 しゅうしん 「ご執心だこと」 紫子はつぶやき、まるで嫉妬みたいだとおかしくなった。苦笑する。由和がそんな彼女を、 あき なが 呆れたように眺めていた。 の「おまえは」 影 「え ? 」 人 「ーー変わらないな。少しは〈若桜木〉らしくなったかと思ったが、こうして暮らしてみる と、あの頃のままだ。お嬢さん」 こ。 しっと
「さあ、つなぎましたよお姫さま。これで心配はありません おどけたように遠王が言う。その横で、塔埜がどっとため息をついていた。彼にとっても、 これは相当衝撃的なことだろう。 幼い頃から自分の爪が銀色に変わるのを見てきた羽月のほうが、非日常的な出来事には強か った。羽月は呆けたりせず、きちんと理解していた。ナナ工と羽月の間に、たしかな〈道〉が 出来ているのがわかる。 これで、ナナ工は二度と暴走しないだろう。羽月の声を待つ人形になったのだから。 「これで、手に止められるの ? 」 「当然」 「どうやって ? 」 「どうやって ? うーー」 そこから教えなけりやいけないわけね、、と彼はつぶやいた。 「簡単なことさ。命じりゃあいし み ククリのに の 影 と。 人 そんなので、と言いかけた羽月は、由和の言葉を思いだす。 『思うことです』 。『影にお帰り』って」
「羽月 ? 「羽月さま ? 」 羽月は両手でロを覆った。 ( あたし、いま何を ? ) 混乱して目を見開く。自分の意志を離れて、勝手にロが動いた なぜ すくむ羽月の両手首を、紫子が攫んだ。顔から外させ、腕を開くようにして下ろさせるー 「あなた、何かされているの」 問い詰める気迫に、羽月は必死で首を振った。 「わか、わかんない。ただ」 「ただ」 夢「怖いって思ったら、気が付いたら叫んでた。何も知らないの。わからない。ほんとよ ! 」 み「姫ィさん、嘘ついてないと思うよ。だって、自分が一番びつくりしてる」 馨の言葉で、紫子はやっと手を離した。震える羽月に気づいて、ため息をついた。 人「悪かったわ、驚かせて」 羽月はふたたび首を振る。震えを止めようと、また手を口に持ってゆく。 おお つか
「どうして ? 」 「どうして」 おうむ 由和が鸚鵡返しにする。彼は苦笑し、説明する道筋を見つけようとするかのように、間を置 「そう、ですね。結論から言えば、このままだと羽月さまのシシンは暴走する危険性があるか らです」 「そうなの ? 」 何を言われてもびんとこない。対になるべきシシンがいる、というのは理解できても、どう も実感として迫ってこないのだ。見たことも、使ったこともないものの話をしているのだか ら、無理もなかった。 「大事なんですよ」 一族の中で育った由和は、淡々としている羽月がもどかしいようだった。ため息をつく。 「羽月さま。シシンは自我をなくすと、前にお話したことがありますよね」 「それで、自分のククリの声しか聞かなくなるんでしょ ? 」 「じゃあ、質問ね。そういう性格の〈シシン〉が、誰がククリかよくわからないまま、自我を 手放していたとしたら、どういうことになると思う ? 」 半開きだったドアの向こうからそんな声がし、部屋に行っていた紫子が現れた。何をしてい おおごと
わたしはわたしだと。 あなたはわたしの影だと。 あなたはわたしの中に棲むものなのだと。 『可能だと思うことです』 簡単に出来るものではなかった。羽月は、自分の中にあるいくつかの枠を取り払わなければ ならない。 意識すればするほど、体に力が入る。 眉根を寄せた気配が伝わるのか、ため息が聞こえた。これは恐らく遠王だ。同じククリだか つまず らこそ、彼女が何に躓いているのかを理解できるのだ。 かさっと、下草が鳴った。足音が羽月に近づいてくる。 ( 塔埜 ? ) ほとんど無意識にその名を浮かべ、すぐに違うと知った。わずかな風が〈香気〉を運ぶ。 呼応を起こさない程度のかすかなそれは、夏の嵐だった。遠王。 かんしよう 「塔埜、少し離れてろ。どのくらいで自分の干渉がなくなるか、わかるだろ ? ぎりぎりを保 て。迫の犬どもこ、、 冫しま嗅ぎ付けられたくない」 「わかった」 塔埜の気配が遠ざかる。十五年間羽月にしたがっていた彼だからこそ、ククリたちの能力に
そう言われて、羽月ははたと気づいた。由和もククリだが、そのシシンを一度も目にしたこ とはなかった。 「右腕だよ」 「みぎうで ? 」 「そ」 あらわ ふたたび遠王は、、銀の爪を露にした。呼応が起こる前に沈めてしまう。 ふう 「銀の爪はシシンの在り処だ。あんたのカノジョも、こういう風にしておくんだ、普通はな」 羽月の夜の中で目を瞠った。シシンを右腕に : 「じゃあ、あの爪は ? 」 「シシンがスタンバってる証拠だ」 「シシンは、右手から出て右手に帰るのね」 「そうだ」 ( あたしの爪は銀色に変わるけど、何も出てこない。だからやつばり、封印があるんだ : : : ) 「塔埜、おまえも知らなかったろう。特別に好んでああしているあの人を、いっとう最初に見 ちまったからな」 そうじ 、それは鶸子と蒼司のことだったが、もちろん羽月にはわからなかった。塔埜がため息をつ みは
ま、どうなってゆくのだろう。 天望の姫、権れの力。そういくら繰り返されても、実感が湧かない。暗殺者の一族も、 まの彼女には遠い。 ( 狙われてることだけが、現実 : : : ) ひじ ふうっとため息をついた羽月の隣に、馨が腰掛けた。両足を開いて座り、膝に肘を乗せるよ うに前かがみになる。その横顔は、さっきよりも鈍い色をしていた。 「馨、やつばり体調つらいの ? 」 羽月はそっと訊いた。馨は物思いに沈んでいたのか、返事が一瞬遅れた。はっとしたように 顔を上げる。 「あ、いや。俺はたいした能力ないから、姫ィさんたちほどじゃないんだ。そうじゃなくて 色々、思い出してて。雪也は、ここに来てたんだろうな、とか」 彼は無理に笑うようにして、ロをつぐんだ。 夢 ( ゆきや ? ) 、「俺の兄貴。死んだ」 羽月の表情を読んだのか、馨はそう付け足した。 人 そう言われて、彼女は思い出す。馨には兄がいたのだ。彼が見殺しにしたという兄が 「やつは、知ってたと思うんだ、ここのこと。だってあいつは」 ゆきや
て、ちょうど戻ってきた由和と行き会う。 「紫子」 怒りに任せてすれ違おうとした彼女を彼は呼び止め、なにごとか耳打ちした。一瞬眉をひそ めた紫子が、ああともらしてうなすく。あとで、というように目配せして廊下へと出て行っ た。部屋のドアが閉まる音が聞こえる。 ふっと馨がため息をついた。 ひ 「ヤレャレ。 だめだよ姫ィさん。紫子相手にしてる時は、もっとてきばき答えないとさ あ。あいつ、自信なさげなのが一番嫌いだし。今の話、答えたくないならそう言えば、『あ、 そ』で終わったよ」 「うん : : : 」 そうだったのかも知れない。けれど羽月には、うまく対応することが出来なかった。 「言いたくないって答えて、また『なぜ』って訊かれたくなくて」 夢それで言葉を見つけようとして、ずっとロ籠もっていた。 「ちょっと地雷つばい質問だったんだ、つまり」 「そう。ーー・・訊かないでほしいけど」 人「訊かないけど」 頼りなく見上げた羽月に、馨はにつと笑った。 くち一一
サイレンの音が、また聞こえ始めた。今度はパトカーだが、方向が違う。 羽月には、京都は日が暮れたら闇の中にひっそりと沈んでしまうイメージがあった。もちろ んそれは彼女の勝手な想像で、市街地にありえないことなのだが、立て続けのサイレンにけっ こううるさい町なのだなと思う。 それでも、東京に比べたらずいぶん静かだ。羽月の住んでいた都心は、車の音さえ途切れる ことがなかった。 その東京も遠い。距離だけではなくて。 ふいに、時計の音がした。部屋のどこかに置いてあるのだろう。 カチコチというあの音は、時々向こうから飛び込んでくる。音が急に大きくなるわけではな いのだから、部屋が静まったり、こちらの聴力がやけに鋭くなっていたりするタイミングの問 題なのだろう。 気になると耳につく音だが、羽月は聞くともなしにそれを聞いていた。 深夜を回ってやっ 夢と、そんなゆとりが、今日はじめて出来たのだ。 の 馨がため息をついたようだった。また「ゆきや」を思い出しているのだろうか。 人 ( そう言えば、由和さんはなぜか、その話を嫌がってた ) むだ 四無駄口を叩くなと、二度も馨を注意していたと思い出す。
ねじ伏せた、と自ら声にするのはつらかった。そんな羽月に、由和は重くうなずく。 「、よ、 0 もしかしたら、別の条件があったのかもしれまぜんが。一族の末端の者で、何代も前 に外で暮らした者の血が混じっている可能性もあります。それならば、遺伝子は天望のもので すし」 「可能性はかなり薄いと思うわ。そんな出来すぎた偶然はないでしようよ」 「あたしも、そう思います」 紫子の意見に賛成だった。一族の血を引いていたと思う方が、苦しみはきっと減るだろうけ れど。 「あれはやつばりあたしがーーー。怖くて、やったんだと思う。血とかは関係なしに」 自分と〈香気〉を好いてくれたナナ工を : ・ えりもと 由和がため息をついた。襟元に指を差し入れ、心地悪そうに顔をしかめる。 よくない話やいらだった時の、彼の癖だ。彼は一度目を伏せ、告げねばならないことを整理 み するように間を置いた。 の 影 「だとするならば、羽月さま。あなたは、また同じことを繰り返す可能性があります」 人 羽月は息を呑んだ。紫子が、椅子の背もたれから身を起こす。 あもう