「ーーああ」 塔埜はまだ疑った様子で答え、それからそっ , と手を伸ばす。 自分に、彼の白い指が近づいてくるのを羽月は見ていた。何をされるのか不安が走るが、声 を上げたり体を引いたりはしなかった。相手は塔埜だ。 ふつ、と羽月はナナ工に引き寄せられた。いや、ナナ工が羽月にだろうか。 ありえないことが起こる。互いの体が交差した。一瞬、彼女はナナ工と一つになり、コマの ようにぶうんと唸ってわかれた気がした。 交差した瞬間、ナナ工の情報が羽月の中を駆け抜けた。記憶や感覚や感情が、ひとつひとっ をわけられないような密度で。まるで堰を切ったように流れ込んでくる。 色と感覚の洪水に、羽月はめまいを覚えて前のめりになった。額に汗をかき、それが退くよ りも早く察した。 シンクロ 同調ーー 羽月の中に、ナナ工だったものがコピーされる。一一 = ロ葉にしての説明は出来ないが、羽月はい ま、ナナ工をすべて知っていた。〈ナナ工〉が小さな箱に収められて、右腕の中に埋め込まれ そんなヴィジョンが浮かぶ。 かえ ここが還る場所だというように。 っ ) 0 せき
羽月は、心中で呼びかけた。 ( ナナちゃん、どうしてほしい ? ) かたまり もちろん、それに答えは返らない。ナナ工はすでにシシンへの道をたどっている。力の塊と なり、羽月の一一 = ロ葉だけを待つ人形レ ( あたしが動かすーーー・ ) 影におなり。あの日羽月に言われた生駒は、宙に舞った。光となった。 ナナ工も、命じればああなるのだ。人の影に。刃という名の光に。 シシン ( ナナちゃん、影になる ? あたしの影に ) 紫子の仲立ちを経た、本当のシシンに。 まっげ ナナ工の睫が震えた気がして、羽月は思わず待った。彼女が目覚め、話し掛けてくるのでは ないかと。 やがて、詰めていた息を羽月は吐き出す。ナナ工の瞼が開くことも、身じろぎすることもな つつ ) P のカオ 影 羽月はそこを離れ、廊下に出た。隣の紫子の部屋に向かう。 人 気持ちが固まったからではなく、そのためだった。彼女の言葉を聞けば、何か決心がつくか もしれないと思ったのだ。 ′ノ ) 0 まぶた
「ここ、あたしの部屋じゃないよね」 「わたしの部屋です。羽月さまのペッドはナナ工さんが使われているので、勝手ながらこちら に。ー」・覚えておりませんか ? ナナ工さんを、どうしても自分の部屋に運んでくれとおっし やっていたんですが」 : おばえてる」 由和に抱かれて戻ってきたナナ工は寺の中にいた時の霊体ではなく、羽月の知っているナナ 工だった。 おとがい 制服姿のまま、ぐったりと頤をそらした彼女を見て、羽月は自分でも驚くような金切り声を ほお 上げていた。くしやくしやにもつれた髪にも、その頬にも生気はなく、まるで死んでいるよう だったのだ。 『生きておられます』 そう言った由和は、彼女をリビングのソフアに寝かせようとした。羽月はそれを逆上したよ , フに飛び掛って止めたのだ。 『お願い、ナナ工はあたしの部屋に運んで。あそこに寝かせてあげて ! お願いだから ! 』 かげろう 記憶の底から陽炎のように立ち上るヴィジョンに、羽月はめまいをこらえた。鳥肌が立つ。 夢の中で燃えてゆくナナ工を、羽月は繰り返し見た。赤い炎と金色の光が、ナナ工の服を燃 はだこ やし、膚を焦がし、やがて黒いどろりとしたものに変えてゆく夢を繰り返し見た。夢の中で夢
176 すす ナナ工はひどいかっこうだった。髪は乱れ、頬は煤だらけだ。制服のスカートも上着も、炎 でばろばろだった。白かった靴下は汚れきって、靴も片方ない。 とはいえ、そこにナナ工自身がいるのとは違うようだった。生駒が光と化したように、ナナ 工も霊体のような存在になっているらしい。それでも体がそこにあり、ひどいありさまなの たましい は、魂の受けた傷を彼女が現実のものと受け止めているからなのだろう。 ( ナナちゃん ! ) 羽月は悲鳴をあげそうになり、こらえる。 『あああああ、熱い、熱い ! 助けて、誰か助けて ! 』 ナナ工は法えていた。なぜ、自分がこうされるのかがわからないのだ。必死に逃れようと し、そのたびに縛めが強くなってゆく。 『あああ、いやああっ』 彼女の顔が、ぐにやりとゆがんだ。飴細工のように伸びる。顔の片面が、いまにも欠けおち そうな真っ黒な炭と化す。 「ナナちゃん ! 」 『 ? 羽月 ? 羽月いっ ! 』 コ工 いなずま 彼女は羽月の念に気づいた。顔が戻る。起き上がろうとし、稲妻に打たれる ! 「ダメ ! じっとして ! 」 あめ
218 「そのとおりです。ただし、血脈としてより大きな力となるものを受け継いでいるわけではあ おと りませんから、そこのところは劣りますが」 ナナ工はシシンになる。力を閉じ込めるものを取り払い、ククリとなる羽月との〈路〉さえ 作ることができれば、生駒のように壊れてはいかない けれど。 羽月はためらいに、うつむいた。 ( あたしの自分勝手な理由で、ナナを巻き込んでいいの ? もうすでにナナ工の人生を狂わせ ているのに、これ以上、シシンとしてつなぎとめて、 犠牲者を増やさないという目的があったとしても、ナナ工は友人だったのだ。こんな風にね じ伏せてしまいたくなかった。たとえ二度と会えなくても、絵里子や祐美たちと元気にしてい ると、記憶の中に留めていたかったのに。 押し黙る羽月に、由和は言った。 「選択は、二つに一つです。ナナ工さんを完全なシシンとするか、このまま眠らせて、別の・シ シンをお作りになるか」 「眠らせる ? 」 「殺す、ということです。羽月さまご自身の手で」
しようど に焦土です」 「あなたは念じて、鎮まるように、抵抗しないように説得なさい。そうすれば、迫がどうにか するわ」 「本当なの」 すがりつくように見上げると、紫子が厳しい声を出す。 「時間との戦いよ ! タイミングをずらせば、そこで終わり、 しいわね」 羽月はうなずいた。両手を組み合わせ、額に押し当てて目を閉じる。 ( ナナ工、ナナ工 : 全身でナナ工を探した。炎の中の、どこにいるの ? 閉じた瞼の裏の暗闇に、次第にヴィジョンが映りはじめる。 庭 ? 木々の中 ? 家屋、本堂ーー ( いた : : : ) 本堂の、本尊の安置してあるまん前に、ナナ工は横たわっていた。何もかもが赤く見える高 いなずま 熱の中で、金色のものに縛られている。身をよじるたびに、その金色のものが稲妻のように光 ねが ぐしようか 金色のものが、破魔の力だ。人々の希ったものが、具象化して、かき乱す存在のナナ工を押 さえつける。 まぶた
172 「家族の人がおるんか」 「友達です ! 」 「心配なのはわかるけど、作業の邪魔やから、さがって ! 」 羽月は警察官に抱きかかえられた。振りほどこうとするのを、押さえ込まれる。 「ナナちゃん、ナナ工Ⅱ」 『はづ、はづうつ』 燃えてゆく声。熱でよじれてゆく声。 炎に包まれたナナ工の姿が見え、羽月は絶叫した。 「いやあっ、ナナちゃん ! なんでこっちに来られないの ! 来てえつ」 「うわっ ! 」 新しい火柱が吹き上がり、警察官が顔に手をかざす。 「あかん、野次馬もっと下げんと」 「下がってくださーい 「すいません、家族の者です」
しよう - もう・ をみると、皮肉を言う気力も惜しいほど消耗しているのかもしれない。 羽月はべッドに近づいた。ナナ工を見おろす。 髪を梳かし、頬の汚れもぬぐったナナ工は、シーツに包まれて眠っているように見えた。 けれど注意深く観察すれば、そうでないことはすぐにわかる。ナナ工の呼吸は驚くほど回数 が少なく、体温も羽月たちに比べれば、氷のように冷たかった。 たとえるならば、冬眠に近いのだろう。生命を維持するための最低限の出力を保ち、あとは じっと息を殺している。 「はづき」 ナナ工に触れようとしたとたん、彼女は紫子に止められた。 「着替えにきたのなら、先にそれをなさい」 うっとう 彼女が振り向くと、紫子が鬱陶しげに頭を振る。 「ケンカは売らないで頂戴。疲れてるのよ」 み 羽月も同じだった。彼女は言葉を呑み込み、ナナ工の側を離れる。 の 影 眠った時に着ていた服は、煙のにおいが染み付いていた。二、三日吊るしておいても、にお 人 いのこもりやすいセーターの方は、焦げたようなそれは取れないかもしれない。 着替え終わった頃 1 ドアにノックがあった。ワイシャツを新しいものに取り替えてきた由和 ちょうだい の
212 「それはそう : ・・ : 」 そうだけれど、と言う途中で羽月はロ籠もった。そんなうまい話があるわけが。 羽月は、由和が何を言おうとしているかに気付いた。 「まさか、ナナ工を」 青白いナナ工の頬が、目に飛び込んだ。色のない唇。 「ーー・由和さんっⅡ」 羽月の声はほとんど悲鳴だった。 だが、由和はうなずく。ちらりと紫子を振り返った。 「そうです。あなたのクラスメイトを、羽月さま。〈若桜木〉を仲立ちに、あなたのシシンに します」 反射的に羽月は叫んでいた。その方法ならば、無差別にねじ伏せたりはしないかもしれな 、。けれど ! 「そんなのいや ! ナナ工は友達なの ! そういうためにいるんじゃないー そんなことしたら、生駒みたいに、一回だけで死んじゃ ナナ工を使えるわけないじゃない。 ) う。普通の子なんだから : : : 」 くち′」 子 / 学 / . し
: 〈呼応〉 ( だめ ) 羽月はナナ工を押さえつけた。 いまし 由和が、その爪で縛めを断ち切る。ナナ工の体がぐったりと伸びた。由和は肌の見えるナナ 工に上着をかけ、静かに抱き上げた。 『羽月さま』 彼の声が、羽月の中に直接聞こえる。 『鎮火します。紫子たちと部屋にお戻りください』 赤い霧が二人を包んだ。炎の中から飛び去る。 勢いよく燃えさかっていた炎が、ふいに消えた。いくつもの白い煙とくすぶる黒い煙が立ち のばり、消防士たちが目を丸くしている。こんな消え方をする炎を、彼らは見たことがなかっ 野次馬のざわめく声を聞きながら、羽月は目を開けた。 「由和、ナナ工と部屋の方に戻ったよ」 馨と紫子は、それを見ていたようだった。 羽月は、答える代わりに息を漏らした。押し込めていた感情が飛び出して、彼女は部屋に駆 け戻った。 つ」 0