由和とは、まったく縁もゆかりもない普通の人だ。 遠王がにやりとする。 『ヒントは、これからだ』 彼は、銀の爪をふっとかざした。口を開く。 『影となれーー』 と、ふいに羽月の足元がひずんだ。宙から落ちるのかと、つい悲鳴をあげる。 『きゃあっ』 しつつい だが失墜ではなかった。粉となって入り込んだナナ工の力が、羽月をーーー引きずっている ! 影のプログラムが動く。羽月のシシンの力が、黒い宣告となって体中を駆け巡る。 ( ーーーなぜ いまの命令はあたしじゃない ! ) 死に満たされてゆく男を見下ろしながら、羽月は混乱した。 みずか み シシンは自らのククリの言葉でしか動かないはすだ ! の 影 遠王の〈香気〉が漂っている。羽月ははっと彼を見た。 人 ( あたしを引きずっている ? ナナ工を ! ) なぜ
だろうか ここにたどり着いたのは、なぜなのだろう。これから先、彼は何に流され、何を失うのだろ それでも、由和は止まることがない。 ゅうき 彼は窓ガラスに映る、幽鬼のような自分につぶやいた。 「たださだめの赴くままーーー」 京都の冬は、明けるのが遅い。真夏なら空の白んでくる時刻の今。 窓の外は由和の心のように黒く塗りつぶされていた。
風が変わった。 駅を出た途端に、風は悪意を持って切りつけるかのように、冷たくなった。 「さむい : はづき つぶやいて自分の肩を抱いた羽月に、身震いした馨が言う。 きようと 「京都は盆地だからな」 京都。 そう聞いて羽月は振り返る。さえた空気の中に、無機質な、まだ新しい鏡張りのビルがそび えていた。月に照らされた雲が映り、銀色ににじんでいる。 「京都だったんだ」 降りた駅がどこなのか、今まで知らなかった。 「どこだと思ってらしたんです ? 」 よしかず 影のように寄り添う由和にそう訊かれ、羽月は首を振った。 序さかゆめーーー希うもの こいねが かおる
「ちょっと、羽月」 「姫ィさん ? 」 「羽月さま ? 」 「黙ってったら ! 」 口々に問う彼らを押しのけたかった。羽月は両腕を掴まれたまま見上げた。ないがしろにし ていいものではない。大事な : あの声は、聞き覚えのあるものだった。誰だろう。だれーーー誰 ? 『はづきいつ。 「ナナ」 がくぜん 聞き分けたそれに羽月は思わず声をあげた。愕然とする。あれは、クラスメイトのナナ工の 声だ。けれど、どうしてここに。 京都に . 「羽月さまい」 痺れを切らしたような由和に、羽月は手で合図した。頼むから静かにしてほしい。 りゅう 彼女は耳を澄ます。野次馬の声と、消防士たちの走り回る音。放物線を描き、白い龍となる 水柱。 それらの音の向こう。寺の中。 つか
口調が丁寧になっていた。そうしなければならない気がした。 「どこに行った」 「そっ、それはわたしどもには」 むだ 「無駄だ」 彼に尋ねていた男を、別の声が止めた。 「行き先など知っているはずがない。 いの男だ ? 」 「さ、三十過ぎかと」 「眼鏡は ? 」 「かけておられました。ほかに高校生くらいの子供と、二十歳すぎの女性がご一緒で」 「女。ーーーどんな ? 」 きれい 「たいそうお綺麗な。こう申してはなんですが、冷たい感じのする : : : 」 話しながら、彼は混乱していた。なぜ、自分はこうもへりくだっているのか。 こいつらは、何者なのか。 せんさく 「俺たちのことは詮索しなくていい」 まるで心を読んだようなタイミングに、彼はすくみあがった。まだパック詰めにはなりたく ていねい 答えられることを訊こう。共にいた男は、何歳くら
意志で、ここにいるのではない。命令だ。 馨が口をきつく結んで黙り込む。謝るつもりはないようだが、こちらの意図は理解したのだ ろう。 「 : : : だから、そんな不安定な状態で、外に出したくないのよ。なのに、この火事はシシンが 起こしたものだから。 話を戻すようにそう結び、紫子はため息をついた。 「ーーー姫ィさんは ? 」 「部屋よ。またばんやりしてるんでしよう ? 」 紫子が教えると、馨はリビングを出て行った。羽月のところに行ったのだ。 しゅうしん 「ご執心だこと」 紫子はつぶやき、まるで嫉妬みたいだとおかしくなった。苦笑する。由和がそんな彼女を、 あき なが 呆れたように眺めていた。 の「おまえは」 影 「え ? 」 人 「ーー変わらないな。少しは〈若桜木〉らしくなったかと思ったが、こうして暮らしてみる と、あの頃のままだ。お嬢さん」 こ。 しっと
駒が死んだことは、伝わっているのだろうか。葬式に、彼の友達は来ただろうか。 さよならも言わなかった羽月を、ナナ工たちは恨んでいるだろうか。それとも。 まだ好きでいてくれているだろうか。 「ーー姫ィさん、学校で、もてただろ ? 」 ふいに訊かれて、羽月は感傷の海から引き戻された。真顔の馨に、答えなくてはと言葉を探 す。 「えっと。どうなんだろう。直接告白されたことってほとんどないから。そういうのはもてた って言わないよね」 「間接的には、あるんだろ」 「つて言うか : 噂とか、そういうのが回ってきたりはした、けれど」 言いながら、何だか恥ずかしくなってくる。自慢しているような見栄をはっているような、 妙な気分だ。 「好きなャッいた ? 」 話の流れからは当然の問いに、羽月は泣き笑いのように顔をゆがめる。 ( 塔埜ーーー ) まだ過去形じゃない ! 苦しさに、のどがふさがりそうだった。長い間秘めてきた想いは、 そう。
鶸子の声が、塔埜の意識を引き戻す。 「そんなに驚くほど、この子達は似ているのね ? 」 答えられたが、答えてもいいものかどうか彼は迷った。鶸子は、この質問に対して、塔埜の どんな答えを望んでいるのだろうか。 ( 考えろ。道を失うわけにはーーー ) 「どうしたの、答えなさい」 : そうです : : : 」 嘘はつけずにうなずいた。似ているではない。まるで同じだ。性別のつくる小さな差さえ除 けば、二人は生き写しというよりもコピーに近かった。 「そう。恐ろしいことね : : : 」 鶸子がつぶやく。何に対するものなのかは、塔埜にはわからない。 「それで ? 」 ささや み 囁きは香りのように甘かった。塔埜は耳元の声を、しびれるような頭で、遠いところからの の は言葉のように聞いていた。 人 「おまえま、、 ししままで妹と思ってきた者に刃を差し向けるというの ? 遠王とともに行くとい 盟う意味をわかっているの ? 」
一入った。 「いっか、やると思ってたわ」 すき 遠王はそういう男だった。隙あらば、いつでも牙を剥こうとしていた。 「しようがない子ねえ」 彼女は笑いつづける。はなからあれを信用などしていない。だから、こうして妙な動きをす れば、すぐに知れるのだ。 「あの子は、あの娘をどうするつもりなのかしらね」 「わたくしには、わかりかねます」 「そうでしようね。わたしにも、あの子はわからない」 ひょう 鶸子はのどを鳴らし、次の瞬間、豹のような視線を放った。 「比良盛。ーーーおまえが追いなさい」 「そのお言葉、待っておりました」 経四郎は顔を上げ、にやりとする。穏やかな顔が、ふいに違う色を帯びた。 たかやしき 「高屋敷はわたしの永遠の敵。この比良盛経四郎。必ずや」 彼は間を置いた。 「必ずやその右腕を、あの方ともども総領様のおん前に : : : 」
塔埜は言葉で答えなかったが、軽く肩をすくめる仕草をしたのが羽月には見えるようだっ っ ) 0 煙草を吸わない塔埜が、持っているはずがない。 「おい、あんたは ? お姫さま」 遠王にそう訊ねられた。その低めの声にどきりとする。奇妙な呼応の感覚が、まだのこって いるのだろうか。 「そんなの、必要だったことがないから」 「ならいい。暗くっても、話はできるからな」 遠王はあっさりそんなことを一一 = ロう。羽月は、この状況に理解しがたいものを感じていた。 ( あたしたち、何をやってるんだろう ) 彼らとは敵味方なのではないだろうか。遠王は、羽月を追う者の一人のはずだ。死んだ男た ちのような刺客。それが、ナイフをちらっかせようともしない。 夢どういうつもりなのだろうか。 み 「ーーーあんた、つい最近、シシン使ってなんかやったのか ? 」 の 影 遠王に訊ねられ、羽月は我に返った。首をかしげる。 人 「 ? どういうこと ? 意味がわからない」 「言ったまんまだよ。あんたシシンを使ったのか ? 腕に止めときや、んな苦労する必要ない