たまらずに、羽月は叫んだ。 「ナナ工」 「羽月 ? あなた気でも狂ったの」 紫子がぎよっとしている。彼女らの耳には、何も届いていないのだ。 「あなたね」 紫子が、重ねて何か言いかけた時、耳をつんざく悲鳴があがった ! 『ああああああああああっ』 「ナナちゃん ! 」 羽月は由和たちの腕を振り払って、耳をふさぐように両手を当てた。 間違いない。ナナ工の声だ ! と、ふいに由和が右手を押さえた。 くつ」 「由和 ? 」 み 影 ばちん 人 羽月と由和の間に、電撃が走った。紫子がいるというのに、つかの間の呼応が起こり、はじ かれるー
紫子はまっすぐに彼女を見た。 ふか 眼差しは濬く、真剣だった。 「正直に答えなさいね。本当に嫌なの ? あの先に行くのは、慢できない ? 」 羽月の瞳が揺れた。紫子の眼差しを受け止めきれずに、うつ 答えは決まっている。イエスだ。 けれど 羽月は、両手を握り締めた。 「我慢。できます」 奥歯を噛みしめた。言レ 唯こも気づかれないように。 ( こんな時、、 しつも自分を通すことが出来ない 「羽月さま、無理をなさらずとも」 「だいじようぶ」 羽月は、笑ってみせる。うそっきの笑い 「じゃあ。馨、どきなさい」 紫子に言われて、馨は席を立った。先程と同じように、紫子女の右手に指を絡ませる。 とぎ 羽月の背中で冷たいものがざわっいた。鎖しておきたい扉にもう一度近づこうとしてい がまん
紫子に、羽月はかすかにうなずいた。 ( 大変なことになるーー ) かたまり シシンは、いわば力の塊なのだ。もともとその素質がなかったはすの生駒だって、羽月にね じ伏せられて、圧倒的な力を見せつけた。五人の刺客をたやすく葬った。 あれは羽月の命令があったから、刺客たちに向かった。けれど、あれがもし勝手に暴れまわ ったら ? 誰の制止も効かなかったとしたら ? おそ シシンは、吹き荒れる嵐となる。無差別に襲いかかる、狂える、さまよえるものに。 「姫ィさん、お茶で、 キッチンから聞いた馨に、羽月は上の空に返す。 無意識に、右手を左手で握り締めていた。生駒をシシン化した時の手ごたえが、そこに感覚 として刻み込まれている。あれが野放しになるならば。 「そうなったら、どうなるの ? 」 「そうならないように、今からするのよ。もしなったら、一巻の終わりね。理屈では、そのシ シンより強いククリが押さえ込めばいいのだけれど、あなたのシシンでしょ ? 不可能よ」 お手上げ、と肩をすくめる紫子に、怖くなった羽月は言った。 「わ、わかんないじゃない、そんなの」
輪郭をにじませたナナ工は、あっという間に肉体を脱ぎ去った。銀の光へと変わり、羽月の 右手へと吸い込まれてゆく。 すでに彼女の右手は銀の爪が宿っていた。その上に、さらにそれが加わる。羽月の右手は、 肘まで銀色に変化する。 ふっと、羽月は我に返った。辺りにさまざまなものの気配が帰ってくる。 遠王はとっくに体を離していた。見ろ、と顎で羽月の右手を示す。 羽月はうなずく。彼女が支えていたはずのナナ工は、もうそこにはいなかった。止まったの 0 っ ) 0 ( これが、シシンの形なんだ ) 肉体は、 = の器でしかない。あると思わなければ、そこに存在は出来ない。眠らせたけれ ば、ひとすじの銀色として宿らせることが出来る。 シシンがさまざまなものに姿を変えられるのは、ククリが命じるからなのだ。おまえは人だ 夢と言えば、シシンはヒトとなる。島だといわれれば、島になる。 み ( そして、影に ) の 影 影になれ。この言葉は、あらかじめプログラムされたキーワードなのだ。 人 人の影におなり。 シングロ そう命じられたシシンは、標的と同調する。そして、まるで入れ替わろうとするかのように りんかく
一族はそのカで、人知れず殺しをしてきた。影の中で、標的さえ、自分が殺されるのだと気 づかないほど、ひそやかに。 なが 羽月は自分の右手を眺めた。右手の爪が銀色に変わるのは、ククリのしるしだという。 彼女はククリだ。だから当然、対になるべきシシンがいるのだと、今更ながらに気づいた。 「羽月さまは 0 ご自分のシシンがどなただかご存知ですか ? 」 「 ! それは、、、 訊ねられ、生駒だ、と答えようとして羽月は言葉に詰まった。それは違う。たしかに彼はシ シンとして死んだのだけれど、それはあの時彼女がねじ伏せたからだ。 ~ ククリになるということは、同時に、シシンを持っということだった。つまり、羽月はあの銀 の爪を手に入れた日に、シシンを持ったはずなのだ。 ( あたしの右手は、ずっと小さな頃から、銀色に変わっていた : : : ) だから、生駒はシシンではなかった。もし彼がシシンだったならば、幼い頃に自我をなくし 夢ていただろう。羽月しか見ず、羽月の言葉でしか動かない人形になっていたはず。 みならばと考えて、とたんに途方にくれた。記憶は、真っ白だった。 膨・「ーーー誰、ですか ? 」 あき 人 おそるおそる羽月は訊いた。呆れられるだろうと思い、案の定、由和はため息をついた。 「わかれば世話がない、というのが本音です「同時に、それが問題なんですよ」
そう言われて、羽月ははたと気づいた。由和もククリだが、そのシシンを一度も目にしたこ とはなかった。 「右腕だよ」 「みぎうで ? 」 「そ」 あらわ ふたたび遠王は、、銀の爪を露にした。呼応が起こる前に沈めてしまう。 ふう 「銀の爪はシシンの在り処だ。あんたのカノジョも、こういう風にしておくんだ、普通はな」 羽月の夜の中で目を瞠った。シシンを右腕に : 「じゃあ、あの爪は ? 」 「シシンがスタンバってる証拠だ」 「シシンは、右手から出て右手に帰るのね」 「そうだ」 ( あたしの爪は銀色に変わるけど、何も出てこない。だからやつばり、封印があるんだ : : : ) 「塔埜、おまえも知らなかったろう。特別に好んでああしているあの人を、いっとう最初に見 ちまったからな」 そうじ 、それは鶸子と蒼司のことだったが、もちろん羽月にはわからなかった。塔埜がため息をつ みは
、いに強いプレーキかかかり、羽月は横を向いた。 だめ。 「はづき」 「ーーしらない ! 」 紫子に叫んで返した。 ( だって、しられちゃだめ。かおりも爪も、言っちゃだめ。お父さんにもお母さんにも、お兄 い、 ) ま ちゃんにも生駒にも ! ) 「羽月。もう言ってもいいって知ってるわね ? 」 そう言われて、十七歳の意識がはっとする。思い出す。 ( 本当のあたしは現在よりも七年未来にいるんだ。その時には、みんなわかってる。秘密は終 わってる : : : ) だから大丈夫だと、羽月は右手をかざした。 夢爪のふちが、ささくれて白くなづている。 み女の子にしては、少し節くれだった長い指。いまは桜色の爪がついているけれど。 ふっと意識を集中する。体の一点に力を集めるようなそんな気持ちを持つ。感情の波を作 人 る。引き寄せて、波のように押し戻す。 風のような〈香気〉が煙のようにひそやかに立ち上る。その一瞬で、羽月の右手は銀色に変 こ - き
ちんか 火事は、鎮火しかけていた。あまりにも急速なそれに、消防士が眉をひそめる。 ふいに、炎の上に暗赤色の霧が飛び上がった。由和だ。 / 。 彼よ闇の中に揺れ、炎に吸い込まれ るように消えた。 その途端、炎が息を吹き返した。 「うわっ」 爆発的に燃え上がった炎に、放水増加の指示が飛ぶ。 『ぎゃあああああっ』 由和の侵入により結界が反発し、ナナ工の縛めが光を放った。 「ナナ工、その人が助けてくれるから、じっとして、おとなしくして ! 」 押さえなければ、呼応ではじけ飛ぶ、二人とも。 右手に痺れが走り、羽月は握り締めた手に力をこめた。 「大丈夫。誰もあなたを傷つけないから。そのまま眠って。静かに 祈るような時間がすぎた。 本堂に人影が現れた。安置された本尊から、金の光が飛ぶ。 影むだ 『無駄だ』 人 銀の右手を振り払い、由和はそれを跳ね除けた。ぞっとする眼差しを向けて笑み、ナナ工に 近づく
「そのタイミングを覚えろ。シシンが、右手に帰ってゆく」 羽月はすぐ側に、遠王のものでない息遣いを感じた。自分にひどく近い〈香気〉がある。 数度ばらついたそれは、影にひそむように羽月の呼吸と重なる。 ナナ工だ。 ( 戻ってくる ) 羽月は手招きするように思った。 ( ナナ工、ここよ。影にお帰り ) 二人から離れた場所にいた塔埜は、羽月たちのいる裏手で急に何かが銀色に光るのをみた。 目を瞠る。そのわずか一瞬で、光は柱のように伸びたかと思うと、弧を描いて降下した。何 かの裡に潜り込んだように消える。 光の残像が、木々の葉を濃くふちどる。どおっと吹いた北風が、風と嵐の二つの〈香気〉を その場から押し流す。 みは
( どうしよう ) 小さな羽月は混乱した。逃げなければならないのに、その場がない。前にも後ろにも進め ( どうしよう ! ) 羽月は、助けを求めて辺りを見回す。誰もいない。何もない。 怯えが彼女を支配した。大きく揺れ動く感情に、〈香気〉がされる。風とな 0 て羽月を 包んだ ! 「森が ! 」 紫子の押し殺した声が、羽月にも届いた。十七歳の羽月は、一歳の自分の目を通して、崖下 の森がまるで呼応するようにざわめくのを見た。 ( 何 ? 森から何かくるの ? それとも ) そら ハッと、天を見上げた。 ( ーー舞い降りてくる ) 小さな羽月の唇が、何かをつぶやくように開いた。紫子が緊るのがわかる。 この子は何を言おうとしている せつな 刹那、崖が崩れた : ・ 羽月は声にならない悲鳴をあげ、何かにすがるように右手を。した。