その質問はあまりにも漠然としすぎていて、馨を戸惑わせたようだった。彼は瞬いて、唸っ 「うーん。俺はしよっちゅう会えるような立場じゃなかったからなあ。性格的には冷たいって 言われてるし、俺もいい感情持ってないから、そう思う。顔は」 言葉を切って、彼は羽月を見つめた。 「少し似てる、かな。目の感じとか。あんたのほうが、全然いいけど」 褒められたと気づかなくて、羽月はばかんとした。理解して、笑い出す。 「ありがとう」 馨の顔が赤らんだ。彼はうつむきがちに続ける。 「笑うと、雰囲気変わるな。その方が全然いい」 心が和んでくるのを、羽月は感じた。歳が近いせいだろうか、こうしていると学校に戻って きたような気がする。 教室のざわめきを思い出して、胸が痛くなった。学校に通っていたのは、つい数日前までの かざみどり み ことなのに、今はもう遠い日のように思える。教室から見えた飛行機の形の風見鶏も、ガラス の 影 に紙を貼った新築のビルも、フィルターを一枚かけたような靄に包まれている。 人 ( ナナたち、どうしているだろう ) たかぎ 今頃、学校は高木兄妹の噂で持ちきりなのかもしれなかった。ある日を境に消えた三人。生 っ ) 0 なご
流されてゆくしかないのだ。鶸子を阻むために現れたこの三人と。誰もがいらないといった さこ 羽月を「必要だ」と言った、迫由和たちと。 「羽月 。あと二時間で今日が終わるわ」 ささや 腕時計に視線を落とした紫子が囁くように告げた。数時間前、彼女は弟を亡くした羽月に 「今日だけは泣いていい」と言ったのだった。 そのリミットはあと二時間だ、と念を押している。そこから先は許さないと。いつまでもぐ すぐずしているなと、そう言うのだ。 羽月は目を開けた。六つ年上のこの女が、初めて会ったときから嫌いった。感情を日付け で区切れると思っているなら、彼女はバカだ。割り切れなくても押し殺せというのならば、冷 酷だ。この凍てついた風のように。 「もう、泣いてなんかないでしよう」 「そう。ならいいわ」 しいと思ってい にらみつけると、紫子は軽く受け流した。まるで羽月の感情など、どうでも、 るかのよ , つに。 その態度に、軋るような痛みと怒りを胸に覚えた。家族が崩壊し、弟が死んでからまだたっ たの数時間だというのに、泣くことも思いを馳せることも取り上げられてしまうのだ。羽月が 「なぜ ? 」と問えば、紫子は「天望の姫だから」と答えるだろう。そして「追われる身で感傷 きし
「どこだともーーー」 自分の連れてゆかれる先に、興味なんてなかった。有無を言わさず新幹線に乗せられて、人 目を避けるように個室に滑り込んでも、心は遠く、違う場所で起きている出来事のようにしか 感じられずにいた。 そう、まるでテレビを眺めるみたいに。 しずおか あた 「その調子じゃ、静岡を過ぎた辺りで雷だったのも知らないわね」 ゆかりこ いなずま 半ばため息まじりの紫子の言葉に、羽月はばんやりとうなずいた。季節はずれの稲妻は、夜 を走る列車の窓にハッとするような残像を焼き付けたはずだ。 けれど、鮮やかなそれを見た記憶はなかった。個室の中では、泣き明かしてれたまぶたが 重くて、ずっとうつむいていた。 こっち 「雨もすげえ降ってた。京都は晴れてるけど」 「どうでもいし 。そんなの」 くうシ J う・ 羽月は投げやりに答え、さらに身を震わせた。声を出した分、体の中に空洞が出来たような 気がして、体の芯に響いたのだ。 み 影 ( 手足の指が冷たい ) んそう思って、ふいに羽月は泣きたくなった。涙なんてとっくに涸れたと思っていたのに、目 のふちににじむものがある。泣くまいと、唇を噛んでこらえた。一滴でも涙をこばせば、ふた なが か
羽月は直感的にそう思った「けれど、それが何なのかまでは推し量れない。 由和は、そんな羽月からすでに目をそらしていた。どう切り出すべきなのかを考えているの みけん か、かすかに眉間にしわを寄せ、一点を見ている。 やがて、彼は羽月に訊ねた。 くわ 「羽月さま。あなたがナナ工さんをシシン化した時の状況を、詳しく教えていただけないでし よ , つか」 ナナ工をシシン化。 その言葉に痛みが走り、羽月はロをきつく結んだ。 けれど、話し出す。ずっと立ち止まってはいられない。 「由和さん。生駒が人質になったとき、遊園地に行ったでしよう」 「ええ」 「たぶん。 : その時だと思う。ミラーハウスに逃げ込んで、追い詰められて殺されそうにな ったの。その時」 「わたしがお助けした、あの時ですか ? 」 かば 「ーーと思う。根拠や、自信があるわけじゃないけど、ナイフを振りかざされて顔を庇った時 つめ に右手の爪に引っかかりを感じて。それと、生駒の時とが、そっくりだったって思い出して」 「生駒さんの時と同じだと感じたのならば、充分根拠になりますよ」 おはか
「何で教えておいてくれなかったんだ : : : 」 「桜間のおまえに教えてどうする。シシンを持つわけじゃないだろうが」 「そうだけどさ ! 」 塔埜が声を荒らげた。何もこんな苦労をしなくても済んだと思うと腹立たしいのだろう。 「ねえ、でも、どうやってよ ? あたし、まだ儀式ってのしてないし、だから、ナナだって不 安定みたいだし」 「ふう ! 」 遠王が感心か呆れたのかわからない声を出した。 ぎんぎ 「あんたそんな状態で、銀座で五人も殺したのか ? 」 「ーーあれは。これとは」 かば 羽月はロを結び、ナナ工を抱きしめた。庇ってもらおうとするように、その髪に顔をうすめ た み 「ああ、そうだったな」 の 影 遠王は、あっさり言った。 人 「それで、新しいシシンか。それで、儀式がまだ済んでないって ? 塔埜」 彼は塔埜を呼びつけた。 あき
羽月にとって、髪を伸ばさないことの意味は、もう一つの理由の方が強かった。 「ちがうの ? あなた、京都に着いてからずいぶん苦しそうだったから。少しでもそういうの を楽にしたいからなのかと思って、訊いてみたのだけれど」 「おっへやの用意が、できましたっ」 戻ってきた馨が、歌うように言った。血色もよく、羽月たちの中では一番元気そうだ。彼は 迫の一員ではあるが、能力者ではない。そのため、こういったものの影響も受けにくいのだろ 「どしたの ? 」 黙りこくった羽月の顔色を見て、馨が眉をひそめる。 「あんた、まあた何か言ったのか ? 」 「髪を短くしている理由を聞いただけよ」 夢決め付けるような口調の馨に、紫子は迷惑そうに返した。 「力をセープするために、そうしているのかって。そうしたら、黙ってしまったの」 影「ほんとにそれだけか ? 」 人「そうよ。しつこいわね」 いらだ 苛立たしげな紫子ににらみつけられた馨は、確かめるように羽月を振り向いた。間違いでは まゆ
きたおおじ 「ここなら、北大路の方から回ったほうが早かったですよ」 羽月を先に下ろし、おつりを受け取った由和がかすかに笑った。眼鏡の奥の眼差しが、ほん の一瞬色を変えた。 「そうですね」 静かだが見下すような声色に、運転手は顔色を変えた。鼻のあたりを怒りにどす黒くしてド アを閉め、その場から走り去る。 立ち込めた黒い排気ガスを、冷たい風が一瞬で散らした。それでも残ったこびりつくような 不快なにおいに顔をしかめ、羽月はタクシーのテールランプが消えていったほうを振り仰い だ。もうオレンジの車は見えない。 「あんなふうに言わなくてもよかったのに」 きょぜっ あの運転手は親切心で話し掛けてきたのだ。こうもあからさまな拒絶をしなくても、ほかに かわしようはあっただろうに。 「すみません」 由和は謝ったが、それはうわべだけの言葉だった。眉をひそめた羽月に、苦笑するようにロ の端を持ち上げ、やんわりと続けた。 せんさく 「どこへ行くのかと詮索されたくありませんでしたし、道も、あえてそうしていたので」 「それ、わざわざ遠回りしたってこと ? 」 まゆ
「かおる」 冷ややかな声がかかり、馨はロをつぐんだ。一瞬、両目の中で何かが揺れる。 ( え ? ) 違和感を感じ取った羽月は、瞬いた。静まった部屋に、由和の声が響く。 「ここへは、無駄口を叩かせるために連れてきたんじゃない、といったはずだ」 そうでしたね」 ぶつきらばうに答えた馨は、席を立った。キッチンにいた由和を追い出す。 「これは俺がやるから、あんた、あっち行けば ? 」 「そうしよう」 由和は平然と交代し、リビングにやってきた。彼と目を合わせ、羽月は思わず口をひらく。 「あの」 「どうかしました ? 」 「ううん、 なんでもない」 まなざ ひやりとしたものが胸の間を伝い落ち、羽月は首を振った。自分を見る由和の眼差しが、細 せんさく められたのだ。余計な詮索はするな、というように。 忘れよう。もう、この話題には、触れないほうがいい。 羽月は自分にそう言い聞かせ、興味を封じ込んだ。由和の眼差しは、ぞっとする光をたたえ
ま、どうなってゆくのだろう。 天望の姫、権れの力。そういくら繰り返されても、実感が湧かない。暗殺者の一族も、 まの彼女には遠い。 ( 狙われてることだけが、現実 : : : ) ひじ ふうっとため息をついた羽月の隣に、馨が腰掛けた。両足を開いて座り、膝に肘を乗せるよ うに前かがみになる。その横顔は、さっきよりも鈍い色をしていた。 「馨、やつばり体調つらいの ? 」 羽月はそっと訊いた。馨は物思いに沈んでいたのか、返事が一瞬遅れた。はっとしたように 顔を上げる。 「あ、いや。俺はたいした能力ないから、姫ィさんたちほどじゃないんだ。そうじゃなくて 色々、思い出してて。雪也は、ここに来てたんだろうな、とか」 彼は無理に笑うようにして、ロをつぐんだ。 夢 ( ゆきや ? ) 、「俺の兄貴。死んだ」 羽月の表情を読んだのか、馨はそう付け足した。 人 そう言われて、彼女は思い出す。馨には兄がいたのだ。彼が見殺しにしたという兄が 「やつは、知ってたと思うんだ、ここのこと。だってあいつは」 ゆきや
月ー→ノ、カ・カ子′ ように、うっそりと木々が植えられ、張り出した枝がともするとこーっ 「すべるなよ」 先を行く遠王は、段差の大きな石段にもなれた様子だった。凍った場所をよけ、ひょいひょ いと登ってゆく。塔埜は後を追いながら、ポケットの中で、かじかみそうな指を握った。車か ら降りてまだ五分にもならないのに、もうこんなだ。 空気が凍てついている。一息吸い込むごとに、のどの奥に小さな氷のかけらが突き刺さるよ うな違和感を覚える。 それほど東京から離れてはいないはずだった。北の大地でも、豪雪地帯でもない。 けれど、ここはそうなのだ。天も地も凍えている。まとうその雰囲気が冷えている。 あもう 塔埜は天望の一族の故郷、離空に来ているのだと強く意識した。暗殺者たちの住まう地に。 ここが彼の原点だった。生まれた場所ではないが、その血はここのものだ。両親はともに一 さく、りま 族の者。天望の、桜間家の者。 夢それなのに、この気持ちはなんだろうかと塔埜は考えた。着くまでは、「帰ってきた」とい みうたしかな手ごたえを感じるだろうと思っていた。自分の記憶ではなく、もっと深い場所にあ 膨る記憶が懐かしさを感じるだろうと思っていた。それなのに。 人塔埜の心は、寒椿のように凍っていた。何の気持ちも湧いてはこない。 ふう 「戻ってきた」はずなのに、そんな風にも思えない自分がいた。