「わかっております」 「あれを殺せるの ? 」 「はい」 「なぜ ? 」 訊ねられ、言葉が滑り出す。 「わたしは母の手により、十五年、影として縛り付けられて参りました。その鎖を断ち切りた ふくしゅう この人生に、復讐をーー」 鶸子の目が底光りする。 「許しましよう。離空に留まる間は、遠王と同じよう、わたしの家に部屋を。塔埜、おまえは いまから一族の者。わたしの息子」 むせるような花の香り。塔埜は目を閉じた。その時。 「お待ちください ! 」 上ずった女性の声が、遮るように響いた。右の上座の女性が、体の向きを変え、立ち上がら んばかりになっている。 さき 「塔埜が前の〈桜御前〉の息子であるならば、彼は桜間方の者。桜間の血を引く者の身の振り 方は〈桜御前〉が決めるものと、お忘れでございますか ? 」 桜間の者を勝手に臣下には出来ないという彼女に、塔埜から離れた鶸子は笑んで返した。 くさり
かば んでいる。情報をもたらすものがいなければ、赤沢たちは羽月を庇うククリにやられたのだと 思うのが普通だろう。 「どうなの、遠王。わたしとしては、最近一族を抜けた者が係わっていないよう、祈っている のだけれど」 まゆ その含みを持たせた言い方に、素に戻った遠王が眉をひそめる。 「なんだそりや。誰が天望を抜けたって ? 」 塔埜にはもちろん、遠王もそれは初耳のようだ。怪訝そうにする彼らに、鶸子の声が届く。 ゆかりこ わかさき 「迫当主由和と、〈若桜木〉桜間紫子よ。〈桜御前〉によれば、あの二人は許されざる恋を選ん だのだとか。すでに〈若桜木〉も代替わりし、残されたそれぞれの家の者たちも、恋ゆえのこ とであるから一切の処罰も追及もなされないのだけれど」 聞いていた遠王の顔に、理解の色が広がった。にやりとする。 「なあるほどね」 夢塔埜にも意味はわかった。あの二人は迫とも桜間とも関係のない人間になった、という建前 ので、〈桜御前〉は羽月も家の者も守ろうとしているのだ。鶸子たちはそうやって先手を打たれ はたため、由和たちが羽月を庇っていると知りつつ、それを直接口にはしない。 ・人ちんぶ 陳腐な建前を納得させた〈桜〉は、相当の力を持 0 ているのだろう。迫と桜間は、表立 ってではないが鶸子に対立している。一族の特別な家と、天望家当主に仕えてきた家が。 す けげん
「ああ、桜間の本家だ。おまえの実家、といってもいいかー その言葉に、ルームミラー越しに運転手が彼を見る。初めて見る少年が桜間の血筋の者だと いうのは、さすがに興味を引かれるものがあったのだろう。 運転手は塔埜と目が合うと、さりげなく視線を外した。 : 二つだけ、空に近い場所にあるのは、特別ということか ? 」 塔埜は「天望ー「離空」という二つの名前を思い出す。空から離れて、天を望む。 だからこそ、空に近い場所は神聖であり、権力の象徴のような気がしたのだ。 ちょうそう 「ご名答。うちはそういうところだからな。ちなみに、死んだら鳥葬だ。罪人は土葬にする」 かえ 「土に埋めると、空に還れないというのか ? 」 「そういうことだ」 げんっ うなずいた遠王は、言を継いだ。 「次のカープを曲がると、もう一つ、建物が見えてくるぞ」 かげ 塔埜は桜間家が山の陰に隠れてゆくのを見送った。次のカープを待ち、見えてきたそれに息 み を呑んだ。 の 影 雪の森から、黒いものが突き出していた。 人 ( 岩だ : ・ : ・ ) それは奇岩と呼ぶのにふさわしいものだった。黒くごっごっした岩肌が、まるで塔のように
「緋沙子。たしかに血はそうでも、塔埜はすでに廃籍された者の子。それで、〈桜間の者〉と いえるの ? 」 「それは、そうですが」 緋沙子は、痛いところを突かれたように口をつぐんだ。 「桜間の者でない者のことで、こちらが指図される覚えはないわ」 「ですが」 わかさき 「桜間方に新たに籍を作るには、〈桜御前〉の承認がいるのだったわね。では、〈若桜木〉のお まえが、いま一存で決めるというのなら考えましよう」 緋沙子が怒りに顔を赤らめた。 鶸子は、彼女にそんな権限はないと知っていて言っているのだと、塔埜にもわかった。はな から取り合うつもりがないのか、緋沙子を試しているのか。 彼女が黙り込んだため、鶸子は声にして笑った。ここで強引に何か出来たならば、おまえの み ことを認めてやったのに。そういうような眼差しをする。 影しよせん 所詮、緋沙子は紫子の代役。〈若桜木〉の器ではないと、鶸子が思っているのは明らかだっ 人 勝者の顔をした鶸子は立ち上がり、座に戻る。 っ ) 0 ひさこ はいせき
「あの子の義兄でしよう、塔埜とかいう」 「彼は、おまえたちの何だ ? 」 「わたしたち ? 桜間の男児、 「やっと気づいたか」 理解した紫子に由和はそう言った。 彼女は、髪をかきあげる。そう、そうだった。 桜間の男児は短命。二十歳を越えられる者は、ほとんどいない。 いくっ 「塔埜は、何歳なの ? 「羽月さまの二つ上だ。十九」 「 ! じゃあ ! 」 「残された時間は、もうない」 だから、このまま行けばやがて事は露見したと、由和は言うのだ。羽月の〈香気〉を覆うも 夢のがなくなれば み紫子は唇を噛みしめた。富貴子に問いかける。 ( 姉さまはそれを承知で ? 彼の少ない時間を、すべて羽月に ? ) 人 ( なぜ ) なぜそこまで : ろけん おお
しよし くつわぎ 「轡木家の庶子のおまえに、そのような口の叩ける者ではない ! 」 彼はそれを言いたかったのだろう。はったりをきかせた後、ふいにげらげらと笑い出した。 轡木と呼ばれた男が、顔を朱に染めて今にも立ち上がろうとするー 「やめぬか、総領の御前であるぞ ! 」 長老の鋭い叱責に、轡木は拳を握り締めた。歯を食いしばり、頭から湯気の出そうなほどこ らえて、座り直す。 長老は、歳のせいで黄ばんできた目を遠王に向けた。 「高屋敷。ならば誰であると申すつもりだ」 遠王はにやりとした。 「桜間塔埜。総領さま、前の〈桜御前〉、富貴子の息子にございます」 「桜間」 「富貴子さまの」 座がどよめいた。右の上座にいた若い女性が、はっと腰を浮かす。彼女は経四郎同様に、平 み 然としていた二人の、もう一人の人物だった。 の 影 食い入るように見つめる彼女に、塔埜はぎこちない視線を返した。彼に・はそれが誰だかわか 人 らないのだ、当然だ。 背に流した長い黒髪を揺らし、女性はロをひらく。けれど辺りをはばかったのか、言葉を出 あた
「うそよ ! 」 反射的に紫子は叫んだ。ぐらりと床が揺れる。 結界は完璧だったはずだ。現にいまだって、警鐘は鳴った ! どん、とまるで体当たりするように、由和が壁にもたれる。汗ばんだ額の彼は、両腕を抱く ようにして、眼鏡の奥から彼女を見る。 「よく考えろ紫子。おまえの結界は、何に弱い ? 」 弱点はたった一つだ。同族。 桜間の血には効かない。 「遠王と一緒だったのは誰だ ? 」 なぐ 訊ねられ、紫子はべッドを殴りつけた。桜間塔埜 ! 紫子は屈辱のあまり、卒倒しそうだった。自分の〈城〉の中から、おめおめと盗み出される なんて ! くそっ、はづきさま ! 」 「遠王か 「由和。それは違うかもしれない」 馨はなにごとか考えるよう、眉根を寄せていた。 「さらわれた、とは限らない。姫ィさん、あの兄貴が好きなんだ。諦めきれないっていってた から。だからさ」
手を振ると、執務官は転がるように出て行った。鶸子は立ち上がり、窓の外に目をやる。 「あの、女ーー」 あえて問いたださずとも、彼女には儀恵が何を企んでいたのかは知れた。生涯で二度目の 〈桜御前〉に返り咲いたあの老婆は、こちらが手を打つよりも先に、〈若桜木〉だった紫子を放 ちく 逐したのだ。 なぜそうしたのかも明白だった。羽月につけるためだ。桜間のカで〈香気〉を鎮め、鶸子の 差し向ける追っ手から姿をくらませるためだ。 現職の〈若桜木〉が、表立って一族にたてつくわけにはいかない。だからこそ、儀恵は紫子 をあえて切り捨てる形を取ったのだ。桜間とは、一切無関係だと言うように。 ねずじ ごしよもんようゆうぜん やがて訪れた儀恵は、鼠地に御所文様の友禅に、黒に近い袋帯を締めていた。配色は地味だ が、八十歳を越えた白髪の彼女が着ると、一種異様な迫力が出る。 儀恵は歳のわりにはまっすぐな姿勢で、誰の手も借りずに歩いた。足取りはたしかだ。 夢「わたくしに、何か訊ねたいことがおありとか。総領さま」 びわ 琵琶の弦をはじくような、聞く者を黙らせずにはおかない声を、儀恵は出す。なぜ呼ばれた かわかっていて、けれどそう悟らせない表情をしていた。仮面は、威厳ある〈桜御前〉の顔で 人ありながら、臣下をきどるようにどこか従順なそぶりだ。 かん 四鶸子の何よりも癇に障る顔つきだった。もちろん、儀恵は承知の上でしている。 いっさい
るべきシシンが出ない。だから、本能的に間に合わせを作ろうとして、こんなことが起こるの でしよう」 横っ面を張られたように、羽月は目を瞠った。後悔と、抗議の気持ちがごちゃ混ぜになる。 「生駒もナナ工も、間に合わせっていうの」 「器としての見地からはそうです。残酷な言い方ですが、だから生駒さんは亡くなられた」 羽月は唇を噛む。そのとおりだ。 けれど、封印されたシシンは、そうおいそれとは探せない。羽月たちはここ何日か、その方 法を模索してきたが、ことごとく失敗に終わっている。 羽月は絶望的な気持ちになる。それが出来ないならば、無差別の殺人鬼になるのと同じだ。 「由和さん。〈若桜木〉は、これ以上の事をするならば桜間の〈環陣〉でなければダメだって 言ってるのに、原因だけわかっても」 「いいえ」 さえぎ の由和は、羽月を遮るように否定した。 影 「確かにほとばりが冷めるまでは、桜間の人間に頼るわけにはいきません。ですが、眠ってい 人 るシシンではなくて、あなたが使えるシシンが手元にありさえすれば、それは防げるでしょ もさく か みは サークル
勝負は鶸子の負けだ 0 た。両者とも穏やかな牽しを交わながら、そのことを知 0 てい 「罰しはしないわ。それが恋である限り」 「それがよろしいかと存じます。総領さま」 儀恵は来たときよりもたしかな足取りで帰っていった。去っゆくその背中が、やけに大き く見える。 ふすま 襖が閉まるのを待ち、鶸子は卓上にあったガラスのペー ェイトをつかんだ。真横に振 り投げる ! はち ーウェイトは観葉植物の鉢にあたり、鈍い音を立ててけた。間接照明の作る影の下 で、溶けかけた氷のように光る。 煮え繰り返るはらわたを抱えた鶸子は、それでも笑みを浮か・つづけていた。 「罰しはしないわ」 低くーーっぷやく 「家の者はね。ただし、本人たちはどうなるかわからなくてよ」 桜間儀恵。一族を抜けた者には、おまえも口を出せまい 鶸子の心の中で、迫由和と桜間紫子が、赤く染まってゆく