つけっ放しになっていたテレビが、火事のニュースを流していた。連続三日、これでもう五 件目だ。 ゆかりこまゆ きようと 聞いていた紫子が眉をひそめる。五件の火事は、すべて京都市内で起こっているのだ。火の 気のない場所から出火しているものもあり、すでに死者も出ていた。警察では、放火事件とし て捜査しているという。 羽月たちが京都に到着した夜に聞いたサイレンが、この事件の皮切りだった。あれから三日 間で五件。つまり、一日に二回弱の割合で、市内のどこかに火の手が上がっている。 よしかず の彼女は窓の外に目をやり、それから由和を振り向いた。 さこ 影 「どう思う、迫」 人 「間違いないだろうな」 足を組み、ソフアに座っていた由和は、かすかに眉根を寄せている。彼は無意識にか、右の はづき 四焔の華は赴げる っ
下げて止める。儀式ばったその動作は、事前に教えられていたもののようだ。どこかぎこちな 長老が手をつき、体を鶸子のほうへ向けた。口上を述べる。 あさのけいぞう はいえっ 「総領様には拝謁のお許しありがとう存じます。浅野敬三。五十三歳。貴金属商。本日は総領 さまにお願いの儀ありて、まかりこしました」 おもて 「面を」 けだるげに鶸子が言った。顔を上げようとする男を制するように、長老がびいんと、琵琶の 音のような声を響かせた。 「面を上げ、楽にされるがよい」 行動の早かった男の耳が、一瞬で赤くなった。男と鶸子では、直接の会話は許されないのだ と思い知らされるのと同時に、この失敗が影響することを恐れたのだろう。 上体を起こした彼の額は、早くも汗ばんでいた。それでも冷静を演じようとするが、あまり み , つまくいっているとは思えない。 の 影 塔埜は、玄関で見た靴を思い出した。高価だが、手入れの悪い靴。 人 それがこれ、彼なのだ。 題長老が、あらかじめ聞いておいた依頼内容を読み上げてゆく。男は老舗の貴金属商の長男 びわ
風が変わった。 駅を出た途端に、風は悪意を持って切りつけるかのように、冷たくなった。 「さむい : はづき つぶやいて自分の肩を抱いた羽月に、身震いした馨が言う。 きようと 「京都は盆地だからな」 京都。 そう聞いて羽月は振り返る。さえた空気の中に、無機質な、まだ新しい鏡張りのビルがそび えていた。月に照らされた雲が映り、銀色ににじんでいる。 「京都だったんだ」 降りた駅がどこなのか、今まで知らなかった。 「どこだと思ってらしたんです ? 」 よしかず 影のように寄り添う由和にそう訊かれ、羽月は首を振った。 序さかゆめーーー希うもの こいねが かおる
手を振ると、執務官は転がるように出て行った。鶸子は立ち上がり、窓の外に目をやる。 「あの、女ーー」 あえて問いたださずとも、彼女には儀恵が何を企んでいたのかは知れた。生涯で二度目の 〈桜御前〉に返り咲いたあの老婆は、こちらが手を打つよりも先に、〈若桜木〉だった紫子を放 ちく 逐したのだ。 なぜそうしたのかも明白だった。羽月につけるためだ。桜間のカで〈香気〉を鎮め、鶸子の 差し向ける追っ手から姿をくらませるためだ。 現職の〈若桜木〉が、表立って一族にたてつくわけにはいかない。だからこそ、儀恵は紫子 をあえて切り捨てる形を取ったのだ。桜間とは、一切無関係だと言うように。 ねずじ ごしよもんようゆうぜん やがて訪れた儀恵は、鼠地に御所文様の友禅に、黒に近い袋帯を締めていた。配色は地味だ が、八十歳を越えた白髪の彼女が着ると、一種異様な迫力が出る。 儀恵は歳のわりにはまっすぐな姿勢で、誰の手も借りずに歩いた。足取りはたしかだ。 夢「わたくしに、何か訊ねたいことがおありとか。総領さま」 びわ 琵琶の弦をはじくような、聞く者を黙らせずにはおかない声を、儀恵は出す。なぜ呼ばれた かわかっていて、けれどそう悟らせない表情をしていた。仮面は、威厳ある〈桜御前〉の顔で 人ありながら、臣下をきどるようにどこか従順なそぶりだ。 かん 四鶸子の何よりも癇に障る顔つきだった。もちろん、儀恵は承知の上でしている。 いっさい
びくりと身体が大きくはね、羽月はマンションのリビングに戻ってきた。目の前に、真剣な 眼差しの女性がいる。 食い入るように自分を見つめている彼女が「紫子だ」と気づくまでに、つかのまかかった。 別人だと思い込み、意識を重ねていた幼い自分から抜けきれずに、子供の声でつぶやいた。 「おかあさん ? 」 「ーー富貴子姉さまは、ここにはいないわ 紫子は、羽月が誰と見間違ったかを理解してそう答えた。富貴子と紫子は、雰囲気がよく似 夢ている。 み「ここがどこか、わかるわね ? 」 案じる声に、やっと「彼女は紫子だ」と理解する。 人・「京都のマンション」 「よかった」 ( 銀の爪ーー ) 月もないのに、輝いて見えた。羽月はそのまま落ちてゆく
えんおう さすがの遠王も口がきけなかった。開いたロが塞がらない。それはこういうことを指すのだ と、身を持って知る。 やましな 山科での仕事を終えた彼が帰ってきたのは意外と早く、午後四時を回ったばかりの頃だっ た。もともと今日は下準備の、さらに小手調べのつもりだったため、それほど時間をかけるつ もりはなかった。ただ、自分で予定していたよりも、彼は数時間早く戻ってきていた。 とうの ホテルのフロントに立ち寄ると、塔埜はまだチェックインしておらず、代わりに遠王宛ての 伝言が残っていた。 『実相院にいます』 きようと 初めに思ったのは「それはどこだ ? 」だった。遠王は京都に詳しいわけではない。寺の名前 だって、有名な物をいくつか知っているだけで、それだって正確な場所は覚えていない。 それをたった一言、しかも聞いたこともないような寺の名前だけ残しておくなんて、何のつ 六 ノながれゆくさま ふさ
「どうして ? 」 「どうして」 おうむ 由和が鸚鵡返しにする。彼は苦笑し、説明する道筋を見つけようとするかのように、間を置 「そう、ですね。結論から言えば、このままだと羽月さまのシシンは暴走する危険性があるか らです」 「そうなの ? 」 何を言われてもびんとこない。対になるべきシシンがいる、というのは理解できても、どう も実感として迫ってこないのだ。見たことも、使ったこともないものの話をしているのだか ら、無理もなかった。 「大事なんですよ」 一族の中で育った由和は、淡々としている羽月がもどかしいようだった。ため息をつく。 「羽月さま。シシンは自我をなくすと、前にお話したことがありますよね」 「それで、自分のククリの声しか聞かなくなるんでしょ ? 」 「じゃあ、質問ね。そういう性格の〈シシン〉が、誰がククリかよくわからないまま、自我を 手放していたとしたら、どういうことになると思う ? 」 半開きだったドアの向こうからそんな声がし、部屋に行っていた紫子が現れた。何をしてい おおごと
よしかず 由和に案内されたその部屋は、使われていない場所の匂いがした。 事実、長いこと空けられていたようだ。靴を脱ごうと下駄箱に手をつくと、手のひらが埃で ざらついた。 オここは何なのだろ うっすらと汚れた手を。ハンツの腰で拭き、羽月はこわごわ中に入っこ。 由和が壁を探り、電灯をつけた。ふいの明るさに、目の奥に赤い残像が走る。 室内の家具には埃よけの白い布がかけられていた。厚地のカーテンも、びっちりと閉められ ている。 「うまい場所を見つけたじゃない」 あとから入ってきた紫子が、言った。リビングらしいその部屋を見回した羽月は、ふと眉を ひそめる。 「不法侵入 ? 」 「ばかね、迫の持ち物よ。こんなことでもなければ、わたしたちも知ることはなかった、とっ ておきの隠れ家」 「 : : : 迫の家の ? 」 ゆかりこ げた にお
あもうひわこ すべての報告を、天望鶸子は観葉植物の森の中で聞いていた。 ゆくえ 「遠王が行方を」 とう み 足を組んで物憂げに籐の椅子に座る鶸子は、そうつぶやいた。 の 影 「羽月を手中に、くらませた 人 「はい」 ひらもりキ 4 う・しろう 平伏しているのは、比良盛経四郎だった。彼のきちんと束ねられた髪を眺めながら、鶸子は 「自分で出ていったって言うの」 「どなるなよ。あくまでも仮定だろ」 「いずれにしろ、議論はあとだ」 壁にもたれた由和が、苦しそうにうめく合間から言った。 「遠王は何をするかわからない。どんな理由で消えたにしろ、すぐに追わねば」 「どこをよ」 まぎ 腹立ち紛れに怒鳴った紫子にも由和はぞっとするような笑みを浮かべた。 「遠王の行きそうなところの見当くらいは、わたしにだってつくさ」
「結界内に、カで跳びこむのはやめてちょうだい ! 」 桜間以外の一族の者の侵入があった時に、鳴るようになっているのだ。つまり、能力に反応 する仕組みだった。結界の認識としては、守るべき由和たちも、無理に跳び込めば立派な侵入 者だ。 「それどころじゃない」 さえぎ ちょうやく 遮るように言った由和の顔は、真っ青だった。彼が一日に跳躍できる距離や回数は決まって いる。一族内の迫の者とひそかな情報交換をしに行った由和は、万一を考えて、ここから離れ た場所まで、かなりの距離を跳んだはずだ。 限界に近いはすだ。馨も疲弊しているところを見ると、途中、幾度か鎮めながら帰ってきた のかもしれない。 「それほど急がなくてもーー・」 「紫子、結界を強化しろ」 彼女を遮った由和は、出し抜けに言った。体が支えていられないのか、勢いよく壁に背中を 打ちつけた。 とうの 「急いで強化しろ。遠王が、桜間塔埜を連れて京都に来ている」 「まさか」 はづき 「ちがう。一族の仕事だ。羽月さまを逃がしたペナルティで、送り込まれたらしいが、我々に さえぎ さこ えんおう