「これがただの放火だったら、俺たちだって消す。けれど、犯罪を見てみぬフリをするのと は、わけが違うんだ。一族の仕事を、一族の者が邪魔するな。どんなに、内側で醜く争ってい てもだ。外に対しては、俺たちは闇だ。影の中にいる俺たちは、社会になんか属してないん だ ! 」 人が死んでも その言葉を羽月は呑み込んだ。そう、この一族はかまわないのだ。それが仕事。 天から墜とされた天望 由和たちに引き立てられるようにして歩きかけた羽月は、数歩行って立ち止まった。はっと して寺を振り向く。 「姫ィさん、頼むから ! 」 「待って ! 何か聞こえた」 「だからそんなの」 「お願い黙って ! 」 の羽月は燃えさかる寺に向き直った。ーー呼んだ ? 影 ( あたしを呼んだ : 人 『はづき』 そう、聞こえた気がした。懐かしい声で。 の
けつかい さくらま 結界に侵入者があったため、警鐘が部屋いつばいに鳴り響いた。桜間にしか聞こえないその ゆかり・一 音に、紫子ははっと飛び起きる。 辺りは真っ暗だった。 いま何時だ 時計の針に塗られた蛍光塗料が、闇の中で五時半を回っていた。つまり丸半日、紫子は眠っ ていたことになる。 ( しまった 何かあったのかと戦慄する彼女の耳に、複数の足音が聞こえてきた。身構えるよりも早く、 夢ドアが開く。 み の 影 「紫子 ! 」 よしかず 人 荒々しく入ってきたのは由和だった。続いて姿を見せた馨に、彼女は警鐘の原因を知って、 どっと息を吐く。 終影は主を知らぬままに せんりつ けいし 4 ろ′ ひび かおる
現実から切り離された羽月は、どこだかわからない場所に浮いていた。あんなに警戒してい たのに、不思議と今は怖くはない。マンションに残してきた体が、紫子と手を握り合ったまま なのも、どこかできちんとわかっていた。 もう、紫子の指は冷たくなかった。もちろん熱くもなく、触れている感覚がなければ、手を つないでいることを忘れてしまいそうだ。羽月の体温と一分の狂いもなく同化している。 や、同調、というべきだろうか。 「わたしの声が聞こえるわね」 紫子は彼女の目の前にいるはずなのに、声は頭の上のほうから聞こえていた。何十メートル も、ずっと上のほうだ。 っ 「あなたはいま何歳 ? 」 夢「十七」 み答えたが、きちんと声になったのかはわからなかった。ふわふわと温かく、今にもどこかに 膨漂いだしてしまいそうに、自分が軽い かえ 人「これから、あなたはゆっくり昔に還るわ。十六、十五 : : : と」 ( 催眠術と、おんなじだ : : : ) シングロ
「それで、出るってどこへ ? 」 「連絡ぎをとりに」 「跳ぶからあの子を連れて行きたいのね。わかったわ」 紫子は立ち上がり、部屋を出て行った。すぐに、馨の寝ばけ声が聞こえてくる。 「んだよもお こっちは明け方寝たばツかなんだよオ」 「羽月さま」 顔をこわばらせる羽月の肩に、由和がそっと触れる。 「あなたは何をするべきなのか、本当はおわかりのはず」 羽月は、答えなかった。 空の高い場所にある雲が、速い風に流されてゆく。 眠たげで止まっているようにみえる、屋根に届きそうな低い雲の合間からそれを見ていた羽 月は、同じだ、とつぶやいた。 ( 同じだ、あたしと ) 由和たちと出会い、あっという間に流されてきてしまった。こんなところまで。 な
「わたしだ 0 てなか 0 たわよ。でも、そうなのよ。だから言 0 」でしよう、計算外だ 0 て」 「未知数、だ」 「そんなの、どっちだっていいわよ」 由和の訂正に、紫子はうるさげに振り払う仕草をした。 「どのみち、問題はそのままなのよ。この子のシシンがだれか、まだわか 0 てないわ」 「その先まで行かなければなのか ? 」 「当然でしよ。一分でも、一秒でもね」 そこで、紫子は息をついだ。 リトライ 「再挑戦よ。羽月」 ばんやりしていた羽月は、我に返った。 「はい」 「もう一度、同じことをするわ。今度は、あの先まで」 アノ時ョリモ、過去マデ 紫子の言葉に重なり、そんな声が聞こえた気がした ! 「やめて ! 」 はじかれたように羽月は叫んでいた。 「それは嫌。嫌 ! あたしをあの過去に連れて行かないで ! さき
「はい」 羽月はうなずいた。抱える田 5 いに関係なく、それは解決しておかなければならない。 「なあ、それって、具体的にはどうするんだ ? 」 お盆をフリスビーのようにキッチンに投げ込み、壁にもたれた馨が訊いた。物がなぎ倒され たキッチンからすさまじい音が聞こえ、由和も紫子も顔をしかめる。 「かおる」 「あとで片付けりやいいんだろ」 、きちんと、破片なんか残さないでちょうだいね。わたしが、仲立ちするのよ」 「あんたが ? 」 紫子の言葉に、馨が片眉を上げる。 「そうよ。羽月のシシンをたぐりよせるのよ。わたしじや不満だって言うなら、あなたがや る ? 」 夢「めっそうもございません、〈若桜木〉さま」 みおまえには無理だという、紫子の言外の厭味を受け流した馨は、羽月に肩をすくめてみせ 人「だってさ」 あんた協力する ? と訊かれたような気がして、羽月は言葉に詰まった。シシンのことは解 いやみ
粉は彼の頭に肩に降り積もった。もちろん、組んだ腕の影にも。足元の影にも。 粉は溶けるようににじみ、彼の中に染み込んだ。 ランダムに浮かび上がってくる情報から、羽月は由和のことを知ろうとした。無数のヴィジ ョンが、泡のように浮かんでははぜてゆく。 そのどこにも、由和の情報はなかった。彼は貴金属商の三男で、父の死を機会に独立を考え いらだ ている。そのことで長兄ともめていて、心の中は苛立ちにまみれていた。 『兄貴なんか』 『採算が合わない』 『商売のセンスが兄貴たちは悪すぎる』 『なぜ、他の店舗の赤字を、うちの売上で清算しなくてはならない ? 』 ふけ 彼は仕事を中断して、物思いに耽っている。問題は、どうやって長兄を説得するかだった。 最近兄は逆上してばかりで、まともな話し合いは持たれていない。 どうするか。 『どうもしなくていい』 羽月の側で遠王が言った。もちろん、その声は彼には聞こえない。羽月は、遠王に抗議す 『この人のどこがヒントなの ? 』 る。
わたしはわたしだと。 あなたはわたしの影だと。 あなたはわたしの中に棲むものなのだと。 『可能だと思うことです』 簡単に出来るものではなかった。羽月は、自分の中にあるいくつかの枠を取り払わなければ ならない。 意識すればするほど、体に力が入る。 眉根を寄せた気配が伝わるのか、ため息が聞こえた。これは恐らく遠王だ。同じククリだか つまず らこそ、彼女が何に躓いているのかを理解できるのだ。 かさっと、下草が鳴った。足音が羽月に近づいてくる。 ( 塔埜 ? ) ほとんど無意識にその名を浮かべ、すぐに違うと知った。わずかな風が〈香気〉を運ぶ。 呼応を起こさない程度のかすかなそれは、夏の嵐だった。遠王。 かんしよう 「塔埜、少し離れてろ。どのくらいで自分の干渉がなくなるか、わかるだろ ? ぎりぎりを保 て。迫の犬どもこ、、 冫しま嗅ぎ付けられたくない」 「わかった」 塔埜の気配が遠ざかる。十五年間羽月にしたがっていた彼だからこそ、ククリたちの能力に
「わたしは羽月さまに、ナナ工さんのことでいくつかお話しなければなりません。よろしいで すか ? 」 「ちょっと・ : ・ : 待って」 羽月は顔をゆがめた。 「その話、いまでなくちやダメ ? 」 「早い方が望ましいですね」 また一一一一口外に別の言葉が宿っている。ノーという返事を、彼は聞くつもりがないのだ。 羽月はロをつぐんだ。鎮まりかけた感情の波が、また揺れだしそうだ。 羽月は、恐怖感から二人の人間を、その人生を狂わせた。 幾重にも重なる意味で、シシン化してはならない人間を、ねじ伏せてしまった。 生駒を、ナナ工を。その器ではない、一族の力とは無関係の彼らを。 カタカタと震えだす体を、羽月は止められなかった。悲鳴だけはもらすまいと、ロは両手で のふさぐ。 影 「泣かれてもかまいませんよ。ここは結界の中。感情の揺れで〈香気〉が外へ流れ出すことは 人 ありませんから」 由和の声が、どこか突き放すように聞こえる。それは彼女がそう感じるだけなのだろうか。 いくえ いこま
「そうだよ。ほんとうは、塔埜がながい髪をきらうから。は・きのことも、はづきのかおり も」 言葉が幼いのは、五歳の羽月が話しているからだった。理由打ち明けたのもそう。ここに なぐさ いると、紫子の声が慰めるように聞こえる。まるで〈母〉のものように。 「右手のは ? 」 「つめ ? 」 聞き返した羽月は、空に向かって手をかざした。 「あるよ、ほら」 銀色が、弧を描いている。羽月はその爪を使い、自ら、残り髪を切り落とす。 これは、五歳の羽月がかってしたことだった。この頃はま・ , 、自分に対する恐れは薄かっ た。・だからその爪を使い、哀しかったけれど髪を切った。告げはしなかった。・床に散らばる 髪を見て、問い詰める富貴子にも「切りたかった」と嘘をつい ( この時には、もう好きだったーー ) その思いが、長い髪を羽月に諦めさせた。 . りくろ・ あもう 「羽月、翔びましよう。二歳まで。ここは天望の故郷よ、離空ーー」 その言葉で、五歳の自分からふわりと離れた。漂うように過に流されてゆく。