っと 塔埜は眉をひそめた。羽月のシシンならば、元クラスメイトのナナ工が務めている。紫子だ ってつい二日前、彼が二人を正式〈契約〉させたことに礼を言っていたではないか。 「ああ、ちがうわ」 げん 彼の疑問を感じたらしく、紫子が言を継ぐ。 「ナナ工は、偶然の産物なの。あの子が銀座で弟をシシン化させたのと同じで : : : 」 「それは知っています。どうしてナナ工がシシンになったのかは、本人から聞きました」 「そう。じゃあ、あの子の封印のことは ? 」 いえ」 初耳だった。羽月の封印 ? 塔埜は目で問うた。胸元の髪を背に払い、紫子が話し始める。 「おまえ、ククリとシシンのことを、どのくらい知っている ? 」 「型どおりのことは。特有の〈香気〉を纏う能力者同士が適合する時、片方は力を使うククリ に、もう片方は生ける人形のようなシシンになるというのでしよう ? 」 適合者がいない場合、能力者はククリにもシシンにもならずそのままで生涯を終えるとい う。そしてひとたびククリとなれば、強大な力を操り、同質の者同士は反発しあうことにな る。 「そのククリの証が銀の爪だというのは ? 」 あかし こき
それと同じことではないのか。そう考えれば、びたりと当てはまる。 ( あたしバカだ。なにを難しく考えてたんだろう ) あれは羽月のシシンの記憶なのだ。封印され、思い出すことが出来なかったものがここへ来 て、急に浮かび始めたのだ。 そうなのかも知れない。 違うとは言い切れなかった。羽月の知っている限りの情報からは、否定するための理由は見 つからない。 シシンかも知れない。 ^ その人〉は空也。 ( あたしのシシン : : : ) ぞうり Ⅱこますでにいた人。この島で育ち、ゴム草履が切れるほど坂道 二歳の時、離空を追われる前し。 をかけた男の子。 彼は羽月に会うために、この島を出たのだろうか。さっきのヴィジョンは、ククリとシシン の〈儀式〉だったのだろうか。 ちょっと待って。 夢を見るように、目を閉じてつらつらと考えていた羽月は目を開けた。 ( あたし、〈儀式〉なんてしてないんじゃあ )
今になって思えば、あれは「空也」を呼んだのではないだろうか。 そこまで考えて、羽月ははっとした。ばろりと一一 = ロ葉がこばれ落ちる。 「シシン 思い出したのではなかった。思いついたのだ。 一つの体に二つ。 あり得ないことではなく、そのものがある。ククリとシシン。 互いの〈香気〉に惹かれてククリとシシンになった者は、二人で一つとなる。シシンは肉体 を持たず、普段はククいの右手銀の爪とな 0 て宿り、使われる時を待つ。 なが 羽月は呆然と、自分の右手を眺めた。その言葉にそっくり当てはまるものを、羽月はもって もちろんナナ工のことではなかった。封印されたものの方だ。 なぜ、気づかなかったのだろうか。ククリはシシンを受け入れるとき、そのすべてに同調す 3 のナナ工を受け入れた時もそうだった。彼女の記憶が流れ込み、ナナ工は羽月の一部となっ 人 その気になれば、二人が出会う前のナナ工が何をしていたのかを、羽月は知ることが出来 る。自分の中にある、ナナ工の記憶を探ればいし
ような気持ちになる。 羽月は顔を上げ、陽射しを浴びた。闇から逃げるように、鶸子の印象を閉め出す。無理矢理 意識を、しわくちゃの声と飛滝に戻す。 羽月の中の〈その人〉は、彼らに呼ばれ、離空に行ったのだろうか。何も知らされていなか ったようだし、目を閉じろと言われたときも、「とりかえっこ」だと素直に従っていた。 ( とりかえっこ ? ) はた、と羽月は真顔になる。 いつも「とりかえっこ」の練習をしていた。あれはどういう意味なのだろう。シシンになる 練習 ? そんなものがあるだろうか。ククリとシシンの役割は、〈香気〉を持つ者同士が巡り あって初めて決まる。生まれつきのククリや、生まれつきのシシンはいないはずだ。 ( たしかそうだったはず。違ったつけ ? ) はいしゆっ ただ、迫家だけは、対になる天望家のシシンになる能力者を輩出する因子が組み込まれてい 3 るのだと聞いている。けれどこの際、それは関係ないだろう。 の ( とりかえっこ : 。とりかえっこの練習をして、いつもみたいに出来たと思ったら、目の前 はに銀の刃 ) 振り下ろされる斧 にぶ あわだ 鈍い音を聞いた気がして、全身が粟立った。右の二の腕に、鋭い痛みが走る。 さ - ) おの いんし
まるで、斬り落とされたのはそこだというかのような痛みだった。羽月は顔をしかめ、鳥肌 でざらざらする二の腕をさする。 土。土の味。 よみがえ 不吉な感覚が、ふたたび蘇ってくる。 シシンにたどり着いたかも知れないと、はやる気持ちがしおれた。冷たい不安が、足下から 虫のようにのばってくる。 ( 空也は死んだの ? それとも ) 羽月が カラダ 冷タイ土ニ埋メラレテ、腐リ溶ケテュク肉 ぞっとして、羽月は泣きたくなった。 ( どうして ) また矛盾が存在する。シシンは死ではない。体を埋めたりもしない。能力者はシシンになる とき、人であることからも体を持っことからも、解放されるだけなのだ。 それなのになぜ、まるでそうされた過去があるかのような、感覚が蘇ったりするのだろう し
問うても答えのない問いだった。羽月はこの現環島で幾度も幾度も、繰り返しそれを考えて ( なぜだろう ) 「遠王」 囁くように呼ぶと、彼の手が止ま 0 た。視線をかわし、ふたたび傷をい始める。 「あの女の人は誰 ? 」 どうしても泣き叫ぶシシンのことが気にかかり、そう訊いていた。遠王は答えてくれないか も知れない。そう思ったのをよそに、彼はあっさり言った。 「比良盛のハハオヤだった女」 「それがあなたのシシン ? 」 「違う。俺が殺した」 3 夢ぎくりとした羽月は身を引こうとし、遠王に腕を掴まれた。 , 彼の手は首筋に移る。 の「用済みになったから、解放した」 影 人 「あいつはカモフラージュだった。俺は俺の力を、誰にも知られたくなかった。シシンだと思 わせたかった」 つか
けられた刺客だと認めている。なのに。 ( 惹かれている ) はっきりと羽月はそれを感じた。目が、体が彼に引き付けられる。 おかしな話だった。羽月が恋してきたのは塔埜だ。つい最近まで実の兄妹だと思っていたた め、誰にも告げられない、苦しい密やかな想いだった。 けれど今、この状況で、羽月が気になるのは遠王なのだ。 彼の冷たい指が触れている手首が、熱い これは、カのせいなのだろうかと羽月は考えた。彼女は遠王に二度までも使われている。ま るで彼のシシンのように。だから、その〈香気〉に惹かれているだけなのだろうか ( 誰なんだろう、この人 ) 刺客。ククリ。〈香気〉は夏の嵐。荒らぶる風雨が、山頂の雪を花びらのように吹き上げる。 遠王の〈香気〉に、目まいを覚える。シシンになるのは、恋に似ているのかも知れなかっ た。ククリに身も心も任せる。それは甘美な誘惑に違いない。終わりのない眠りに落ちてゆく よ , つな : 「どこまで行くの ? 」 羽月が訊ねると、遠王は肩をすくめた。 「さあな」 ひ しかく きようだい
ようしゃ さかだ けもの 遠王は容赦がなかった。怒りに我を忘れ、毛を逆立てた獣のようだった。 彼のシシンがその上空で身をよじっている。 ( 泣いている女の人 ? ) ′」うもん 羽月はいぶかしんだ。あれはまるで、拷問を受けて絶叫しているみたいだ。 経四郎の反撃を、遠王は軽くいなした。遠王のシシンに向かった経四郎のそれが、女の悲鳴 に射られたようにその場で揺れる。 ( あんなシシンがいるの ? シシンじゃないの ? ) みている羽月の方が、胸が痛くなる。 おうじよう シシンが立ち往生し、経四郎が吠える。 「下衆野郎 ! 」 遠王は答えない。その代わりのように、がちゃん、と何かの断たれるような音がし、シシン むさん の女性が霧散した。自分を制止めていたカが消え、経四郎のシシンが奇妙な弧を描く。 それが体勢を立て直すよりも早く、遠王の体が〈香気〉に包まれる。引きずられるのを感じ て、羽月は紫子にしがみついた。 「羽月」 「またーーー」 がてん それで由和を、と紫子が合点する。羽月は彼女がそう、という自分の声をどこか遠くで聞い げす と
紫子はその疑問を単純なものと受け取った。軽くうなずいて答える。まんまと塔埜の望みど 「ナナ工はにわかごしらえに過ぎないわ。一族の者でもないし、カとしてはあまり役に立たな いでしようね。偶然のシシンでもあるし、彼女はどちらかというと、羽月のアースにするため にあてがったようなものなの」 「アース、ですか」 羽月の力を安全に逃がすということなのだろう。 だれかれ 「あの子は、感情がぶれると誰彼かまわずシシンにしてしまうの。あの子の〈香気〉を心地よ いッ ) ま く感じる者ならば、誰でもその可能性があるわ。その例が、ナナ工や生駒よ」 塔埜は銀座での戦いを思い出した。一族の血を半分だけ引く弟・生駒を強引にシシン化し、 かたまり 暗殺を仕掛けてきた一族の能力者五人を、いとも簡単に絶命させた。光の塊となった生駒が、 男たちを紙のように引き裂いた光景は、忘れようとしても忘れられない。 3 「それが、封印のせいだというんですね ? 」 の「というよりも、シシンがきちんと定まっていないせいというほうが正しいわね。今までは、 影 大勢の普通の人の中で暮らしていくには、それでもかまわなかったのかもしれないけれど。こ 人 れからはもう。命を狙われるたびに、力を暴発させていたのではとても : : : 」 それでアースが必要なのだ。とはいえ、根源を探さなくてはその状態が一生続く
た。二度と戻ることはないと思っていた故郷で、あなたにお会いするとは」 羽月は言葉を返さなかった。そんな余裕はないのだ。 なまつば 生唾を飲み込む。どう、仕掛ければいい ? ナナ工は命じれば、あの男に向かうの ? 「母ぎみにお命を狙われているのは、ご存じか ? わたしは母ぎみの配下のものだ。あなたに うら ちょうだい 恨みはないが、わが故郷にて、そのお命頂戴する ! 」 彼がそう言った瞬間、羽月はナナ工を飛ばした ! ナナ工が女子高生から青白い矢に姿を変 おそ えて経四郎に襲いかかる。 経四郎はまなじりを吊り上げたが、ただ手を振り払っただけだった。 くだ 彼のシシンが真正面からナナ工にぶつかった。ナナ工が星のように砕け散る。とたんに衝撃 波に襲われた ! ナナ工 ! 羽月はうち倒され、爆発で掘り返された軟らかい土の上に転がった。放ったカがそのまま帰 ってきただけだと、感覚でわかった。散ったナナ工が、すぐに羽月の側で元の形を取る。 「なるほど」 経四郎がつぶやく。彼はシシンの弟を肩の辺りに漂わせ、くすっと笑った。 「姫ぎみは、シシンの扱いにお慣れではないらしい。では、この経四郎がお手本を見せてさし っ