揺れているのは地面のはずなのに、まるで見えない手に押しつけられているような気がす る。右腕の痺れは、突き抜ける電流のようだ。 ( 強まっている ? ) ふと考えたそれを、鶸子は打ち消そうとした。認めるならば、その先を考えなければならな くなる。 楽しい仕事ではなかった。鶸子にとっては腹立たしいばかりだ。回数を重ねるごとに揺れが 強くなってゆくならば、比例してあの娘の力も増しているということになる。 「追っ手の者は何をやっているのーーこ 両手で体重を支え、上体を起こしながら鶸子は毒づいた。なぜ数人がかりであの娘を見つけ られない ? 相手は外で育った子供だ。地の利はこちらにあるはずなのに。 いらだ 苛立ちを、鶸子はマットレスにぶつけようとし、それに気づいた。凍り付く。 そうじ 「蒼司」 夢今日は疲れたから早くに休むと決めたとき、彼女は彼をこのキングサイズのべッドに横たえ たはずだった。自分の右隣に から 影 だが、その彼はいよ、。 シルク地の羽毛布団の中は、もぬけの殻だった。 人 蒼司がひとりでに歩くことはない。他の者たちのシシンのように、右腕の中に消えることも / 戸、 0 6 / . し こ した
65 人は影のみた夢 かんはっ 直後、ナナ工の姿が消え、追っ手たちが中から爆発したー 羽月は金切り声を挙げる。なまあたたかい臭気が辺りを包み込む。 な 間髪入れず、森が咆いた。離空に二度目の激震が走る ,
図結界内でナナ工を呼んだからだろうか。それとも。 ( ちがう 腕の中にマグマのようなものを感じた。熱のためか、走る痺れが痛みに変わる。 ズズ : ・ 頭の奥で、何かのうごめくような音を聞いた。のどをふさがれるような、下から突き上げら れるような不快感。 めい 意識が煮くずれるように溶けてゆく。羽月は知った。とっさの命が、ナナ工だけでなく別の ものも呼び覚ました。 ひらもりきようしろう 似たようなことを、羽月は現環島でもした。比良盛経四郎に追い詰められて、とっさに空 いなずま 也と叫んだ。あの時は天が裂け、彼女を守るかのように稲妻が落ちた。 ならば今度は 不気味な地鳴りがし、追っ手の顔がひきつる。羽月はあらがうように全身を震わせた。立ち つくす彼らを怒鳴りつける。 「逃げて ! 」 彼らは動かない。 動けないのか 「早く おお 絶叫した羽月は顔を覆った。何が起きるのか知っているように。
「意味もなく殺したくないの。あたしがここへ来たのは仇なすためじゃないと : : : 伝えて」 戦うではなく「殺す」と意識して言葉を使った。その一方で、「お母さん」という言葉をの みこむ。 けんせい そうやって牽制しながら、羽月は内心崩れ落ちそうだった。半分で冷静に計算しながら、も う半分では自分が震えている。 ( ーーーどうしよう ) 羽月には、人を威圧して押しのけた経験がない。どちらかと言えば、彼女は押しのけられる にら 方だった。自分を睨みつける富貴子が恐くて、なんど口をつぐんだだろうか。 まね だから、この先の対処法がわからないのだ。問答無用で斬り殺すような真似はしたくない。 甘いと言われようと、誰かをこれ以上殺したくはなかった。 羽月は自分の力が、人をただの肉のかたまりに変えることを知っている。それもたやすく。 夢羽月自身は、指一本動かさずに。 「お願い」 「ーー従えぬ」 人 男の言葉で、他の者が決心したように羽月を見た。 いさぎよ 「このままおめおめと戻れば、我らにあるのは〈死〉のみ。同じ死なら、潔く死ぬ方を選ぶ」 いあっ あだ
8 これまでにない強さで、羽月は声を響かせた。彼らは羽月の潜在能力の大きさを聞かされて いるだろう。けれど、まだククリではない未開の状態だと安心していたはずだ。 それがククリと知れば、自分たちとの差を思い浮かべるに決まっていた。恐れて、怯んで、 逃げ出してくれればい、。 『あなたは五指に入るククリだ』といった紫子の言葉を、羽月は信じた。離空ではカの強さは あきら 絶対的だ。彼女を、鶸子と同じようだと想像すればあるいは諦めるかも知れない。 「懐中電灯をさげて」 命じると、彼らは言うとおりにした。気圧されて従ったのだ。 羽月は真っ向から視線を切り結んだ。追っ手はうろたえ、次々に視線をそらす。 「どいて」 彼女が言うと、彼らはハッとしたように顔を上げ、すぐにまたうつむく。視線に射殺される とでも一一一一口 , つかのよ , つに。 「出来かねる」 男の一人が低く答えた。ふたたび目を上げる。 めい 「我らに下された命は絶対」 ・きト - せい 敗れる覚悟を決めている男の視線に負けまいと、羽月は虚勢を張った。こちらから視線をは ずせば、彼女が評価されているよりもずっと小さな力しか使えないと見抜かれてしまうだろ ひる
「くつ、なんだ」 「結界の中でこんなこと : ・ 結界はククリの力を無効化する。だから、同質の力を持ち反発しあう能力者たちも暮らして きびす ゆくことが出来るのに。〈香気〉をぶつけられた彼らは振り向いた。踵を返して向かってく るー 今から同調したのでは間に合わないー 「来ないで ! 」 羽月は叫んだ。その途端、懐中電灯の光に目を射られる。 ばうぜん かば 顔を庇って横を向く彼女に、追っ手は光を当てたまま呆然とした。 「蒼司さま : ・ ( 蒼司 ) 初めて聞く言葉に、羽月はとまどった。それは名だろうか。それとも羽月の位を指す言葉 「いや、ちがう。こいつは女だ」 追っ手の一人が、強い口調でそう否定した。羽月は理解する。蒼司は人の名だ。羽月と似た 顔立ちの男性ーー ( だれ )
それは、羽月の力なのか。それとも森の魔力なのか 、刀 ( 何かある ) 離空を囲む森として意識を広げていた彼女ははっとした。 ( 何かが、ある ) ある、ではなくて、いる、だろうか。 羽月の体のある場所から、四分の一周ほど北に行ったところだろうか。その地点の、木の根 の下に何かが埋まっている。 根よりも深い場所だ。探った羽月は金属のようだと思った。固くて冷たいもの。 これを知っていると感じるのは気のせいだろうか。ひどく懐かしいようなのは。 「 ? また〈香気〉が消えた」 めぐ みつ 羽月の意識がそれたため、蜜をたどる蟻のような追っ手は立ち止まった。あちこちに首を巡 らせ、辺りをうろっく。集中しなければと無りを覚えた羽月は、だがそれが出来なか 0 た。意 識がそこに吸い寄せられ、動かせないのだ。 金属のようなそれには、はっきりとした形がなかった。根が届かないため、わからないだけ かも知れない。わからない。が、力を感じる。 ( 力のかたまりのよう ) ヾゝ 0 あり
口調から、彼らも森が恐いのだとわかった。きっと彼女と似たようなことを考え、ここを薄 気味悪く思っているのだろう。 ( そうだ ) ふと思いついて、羽月は意識を彼らの少し先に移した。そこで、蛇口をひねるようにほんの 少しだけ、〈香気〉を立ち上らせてみる。 「いまの ! 」 効果はてきめんだった。追っ手はすぐに反応し、光を向けてくる。足早に近づいてくるのを たしかめ、羽月は意識をもう少し先へ移す。 こうやって〈香気〉でつり、羽月の体から彼らを遠ざければ逃げられるかもしれない。 それは有効な手のように思えた。この技を繰り返せば、羽月は追っ手を繰り返しかわすこと が出来る。 夢羽月のもくろみ通り、彼らはその〈香気〉をたどって森の奥に移動し始めた。羽月の体か みら、五メートル、十メートルと離れてゆく。 ( その調子、その調子 ) 人はやる気持ちを抑えこみ、羽月は慎重に追っ手をいざなう。彼らは口々にわめきながらつい てきた。疑うことを知らぬように。、 しや、操られている自覚すらないのだ。
配下におさめられたという、現環島の出身者のようだ。 一人の持っ懐中電灯が、はっきりと羽月を照らした。その姿を確かに見たはずなのに、彼ら は気づかない。 「おかしいな」 下草を踏みながら分け入ってくる彼らの会話が聞こえた。 「たしかにこっちの方で〈香気〉を感じたはすなんだがーーー」 「こっち ? もう少し左の方だったんじゃないの ? 」 「いや、この方角だった。息を殺してたそ」 彼らは懐中電灯をあちこちに向け、木々の間をのそき込みながらすぐそこを通り過ぎようと していた。羽月がそこにいると、まったくわからないのだ。 なが 羽月はぶつぶつ言いながら歩き去ってゆく彼らを、眺め下ろしていた。ほっとして、枝を揺 する。 彼らはいっせいに首をすくめた。見下ろす羽月を照らすように光を投げかけ、こわばらせた 表情をほっと緩める。 「なんだ。何もいない」 おど 「ーー、脅かしてくれる : : : 」
女にはわからない。十メートル ? 数十メートル ? それとももっと ? 反対に、もっと近いのだろうか。懐中電灯の光は、どの程度の範囲までとどくのだろう。 頬や胸がチクチクする。羽月が遠くに感じていたあの気配が、次第に強くなってくる。 ( これ、〈香気〉 ? ) チクチクに触発されて右腕がきはじめ、羽月はその可能性に気づいた。離空は桜間の結界 の中にある。だからその伝わり方も鈍いのだろう。 ( 落ち着け、落ち着け ) 羽月は自分に言い聞かせた。気を鎮めるんだ。感清を殺せ。近づいてきても呼応しちゃいけ ない。〈香気〉を表に出してはいけよ、。 この暗がりで、走って逃げるわけには、かよ、。 このまま息を殺し、やり過ごすしか方法は なかった。闇に紛れ、姿を隠し、森に同化して気配を消す。 森に恐怖を感じていたことは、脇に置いておくしかないだろう。 羽月は体を木にびったりと寄せた。目を閉じる。 みなもと 思いこむこと。それはカになる。その力はククリとシシンの源だという。 ならば、思いこもう。羽月はこの森。森に生えている一本の木。 『呼吸を合わせろ』