訊ねられた鶸子はうなずく。大したことではないだろうと言うように。 「そうですか」 めぐ 話を蒸し返し、堂々巡りになるのを女は避けた。では、と挨拶をしかけ、はっと顔を上げ カタカタカタカタカタカタカタカタ : ( ああ ! ) 聞こえ始めたそれに、鶸子は天を仰ぎたい思いになる。蒼司が震えている、またー 「総領さま」 声をかけられた鶸子は、聞こえない振りをした。 「総領さま ! 」 「じゃあ、おやすみ」 ほほえ 夢彼女の行動を封じるよう、鶸子は笑んだ。早く行け、と微笑みで圧力をかける。 女はうなずくように頭を低くし、動いた ! 鶸子の虚をついて戸に手をかける。 ( おまえっ ) 人「失礼、奇妙な音が : 女は総毛立っ鶸子をさしおいて、戸を開けた。踏み込んで、あっと声をあげた。棒立ちにな っ ) 0 あお あいさっ
破裂する ! 体が熱い。耳鳴りが膨れあがる。体が熱い。何か聞こえる。誰か呼んでる。誰かが呼んで る。あたしを呼んでる ! ・ : 羽月 ! 知らない声。男の人 ? 男の子 ? 誰ーー誰卩 ( え ) よべ。呼べ。呼べ凵 。もうろら′ 頭を打ち、朦朧としていた馨が跳ね起きた。大きく肩を上下させながら、屈み腰で移動し た。由和の足をつかむ。 まばた 瞬きするほどのあいだ、絞め上げる指の力が弱くなった。同時に羽月は目を開けた。 しつこく 木々の影の上に空。漆黒の空。 またた 星が瞬いた。それらが舞い降りてくるのを感じ、羽月は叫んだ。声ではなく心で。 くうや ( くうや、空也 ! ) 何が起こるのかを本能で察した馨が、とっさに横に転がった。羽月の右腕が変わる。銀色に 染まる。 ふく さっ
その体から、何かが飛び出した。馨がハッと見上げる。もやのようなそれは、視線に気づい たようにふと止まった。すぐに空へ駆け去る。 色の白い若い男を見たと羽月は思った。あれが雪也だったものなのだろうか 額に汗を浮かべた馨が、指輪を外した。カ一杯遠くへ投げ捨てる。 「馨 ! 」 羽月は彼に駆け寄った。抱き留めた馨が、ふいに顔をゆがめた。泣くまいとしながら、彼女 の肩に顔を押しつける。 「姫ィさん・・・・ : 」 つぶやいて、彼は言葉を詰まらせた。彼は荒い呼吸を幾度か繰り返し、無理やり顔を上げ 「ありがとう。大丈夫、大丈夫だから」 「そんなわけないじゃない。だって、あんたはいま」 夢「すっと前から決まっていたんだ。そんなのはい、。 それよりも、いま何が起こってるんだ。 結界が崩れかけているなんて。まさか〈桜御前〉が、本当に遠王に」 影 「本当よ。ご自分で、逃げなかった。誰にも手出しさせずにーーー」 よみがえ ぼうぜん 人 引き戸に飛んだ血の赤が蘇り、羽月は一一 = ロ葉を途切らせた。馨が、呆然とつぶやく め・く′ 「じゃあ、このままじゃ離空は : ・・ : 」
歩み寄る気に、羽月は涙で汚れた顔を上げる。馨だと気づくなり、彼女は駆け寄った。 再び涙があふれた。無事だった。彼は無事だったのだ。 泣きじゃくる羽月を抱き留めた馨は、蒼司と目を合わせた。二人とも、ぎこちなく見つめ合 「君も、遺ったんだね」 蒼司の問いに、傷だらけの馨はうなずいた。しつかりと。 「約束したから。このひと守るって」 「じゃあ、君は自分の意志で ? 」 「わからない。でも、気づいたらここにいたんだ。下天に」 離空の跡に。 彼の声の中に、かすかな苦しみを聞き取り、羽月は顔を上げる。目が合うと、馨は目の端を わずかに細めた。 ゆきや かえ 「いいんだ。雪也は解放されて還ったんだ。俺はそれだけで満足してる。姫ィさん遺して、行 くことにならなかったのも」 そう言った馨は、再び蒼司に顔を向けた。 さくら′一ぜ 「〈桜御前〉が、向こうで待ってる」
8 これまでにない強さで、羽月は声を響かせた。彼らは羽月の潜在能力の大きさを聞かされて いるだろう。けれど、まだククリではない未開の状態だと安心していたはずだ。 それがククリと知れば、自分たちとの差を思い浮かべるに決まっていた。恐れて、怯んで、 逃げ出してくれればい、。 『あなたは五指に入るククリだ』といった紫子の言葉を、羽月は信じた。離空ではカの強さは あきら 絶対的だ。彼女を、鶸子と同じようだと想像すればあるいは諦めるかも知れない。 「懐中電灯をさげて」 命じると、彼らは言うとおりにした。気圧されて従ったのだ。 羽月は真っ向から視線を切り結んだ。追っ手はうろたえ、次々に視線をそらす。 「どいて」 彼女が言うと、彼らはハッとしたように顔を上げ、すぐにまたうつむく。視線に射殺される とでも一一一一口 , つかのよ , つに。 「出来かねる」 男の一人が低く答えた。ふたたび目を上げる。 めい 「我らに下された命は絶対」 ・きト - せい 敗れる覚悟を決めている男の視線に負けまいと、羽月は虚勢を張った。こちらから視線をは ずせば、彼女が評価されているよりもずっと小さな力しか使えないと見抜かれてしまうだろ ひる
とがあるからな」 彼はその言葉が終わらないうちに、羽月を引き立てて歩き始めた。向かってくる遠王に かみなり 雷に打たれたように立ち尽くしていた桜間の女達がざわっいた。彼は屋敷へ上がろうとして 「遠王、まさか ! 」 「黙ってろ」 ふいに気づいて声を上げた羽月を、遠王は脅しつけた。顔色を変え、咄もうとする女達の前 に羽月を引きずり出す。 ヾアの大事な姫が死ぬそ」 「邪魔すると、バノ 彼女たちはいっせいに急をのんだ。だが、 翻。して駆け出した。 「動くんじゃねえ ! 」 遠王の一喝で、その場に縫い止められたように、彼女たちは止まった。振り向くことも出来 み ずにいる女達に、遠王は笑い声を上げた。 の 影 「本当に大事な姫らしいな、こいつは。そりゃあいし」 人 羽月はふたたび腕をきつく掴まれ、女たちを押しのける遠王に連れられて屋敷へ向かった。 すれ違うときに視線を走らせると、桜間の女たちは顔をこわばらせて彼らを見ていた。羽月と いっかっ おど うらはら おもわく 遠王の思惑とは裏腹に、道をあけることなく身を
きゅうすふた せ、急須の蓋を開ける。 「すまないが、こっちへ来て茶筒を開けてくれないか ? 」 頼まれた羽月は顔を上げ、彼の右腕に目を留めた。そうだ、彼は右腕の肘から先を失くして いるのだ。片手では茶筒は開けにくい。 「あ、はい」 羽月はうなずき、立ち上がりかけて悲鳴を上げた。足の裏がまめだらけなのを、すっかり忘 れていたのだ。 振り向いた飛滝が、羽月の血まみれの靴下に気づいた。てて押しとどめる。 「ああ、 。手当ての方が先だ」 彼は急須を置き、部屋を出ていった。しばらくして、木製の救急箱を手に戻ってくる。 どこの家にでもありそうな、普通のそれに羽月は目を丸くした。この時の止まったような離 空で、こんなものを見るとは思っていなかったのだ。 「靴下を、自分で脱げるか ? 」 「ぬげます」 汚れて真っ黒になったそれを、羽月は両足から引き剥がした。乾き始めたいくつかのかさぶ たも一緒に剥がすことになってしまい、激痛が走る。 だっしめん 彼女が靴下を廊下に置こうと体を伸ばしている間に、飛滝は大判の脱脂綿を取り出した。適 ひじ
まわ 儀恵の顔の周りには、じわじわと血だまりが出来はじめていた。だが、激しい息づかいから も、即死するような致命傷は与えられていないとわかる。 「なぶり殺すつもりか」 飛滝の問いに、 遠王は片眉を上げることで答えた。動けない儀恵の上にかがみ込み、背中を 爪で刺し貫く。 その爪を突き立てたまま、彼は飛滝を見た。思わず飛滝は息をのむ。こんな遠王の表情は、 見たことがなかった。 「おまえは」 さつりく 彼を見据えた遠王が、ロを開いた。殺戮に酔うような、粘っく声色をしている。 「おまえは、羽月になってから切り刻んでやろう。その方が嬉しいだろう ? ん ? 」 遠王は言って、爪を一気に引き抜いた。アイスピックか何かのように、ふたたび突き刺すー 儀恵がのどを掻きむしる。三度目の腕が振り上げられたとき、飛滝はそれをつかんだ。ねじ 夢り上げる。 の手のひらにぬめりを感じ、本能的に吐き気がこみ上げた。こらえた飛滝は、遠王をねめつけ はる。見上げた遠王が、血まみれの飛滝の手に笑みを浮かべた。 「あんたも、これで終わりだ」 「そういうおまえは、ククリのままだな」
ても。 羽月の体は帰りたがっている。塗りかえた記憶の奥で、細胞がもとの主を呼んでいるのだ。 はが 飛滝が石段を駆け下りた。遠王が羽交い絞めにしている腕で、羽月ののどを絞め上げた。 「止まれよ。お姫さまの首を折るそ」 飛滝がたたらを踏む。その顔が悔しそうにゆがむのを見て、遠王は笑った。 「そうそう、いい子だ。しばらくそのままにしてろよ」 「羽月に少しでも傷をつけたら、おまえを殺す 怒気のこもった飛滝の低い声に、遠王は見下したような視線で答える。 「あんたが ? はつ」 あざけ 嘲りの声を上げ、遠王は羽月にだけ聞こえるように言った。 「そんな力もねえくせに。しかしご大層なことだ。俺がおまえとちょこっと喋ろうと思うだけ で、こおんなに人が出てきやがる」 : ここで、あたしを殺すつもりなの ? 」 「遠王、 み 羽月は訊いた。共鳴するように、庭木がざわりと揺れた。 の 影 「殺して欲しいか ? 」 人 耳たぶに、熱い息がかかる。遠王は油断なく飛滝たちに目を配りながら続けた。 「殺して、と言ったらそうしてやる」 たいそう しゃべ
「あた、あたしたちは、あなたにとってはただの道具だったのそういうの」 「ええ」 ほほえ それが ? と鶸子は微笑んだ。ふいに顔つきを変える。 「でも、これはもう必要ないわね。おまえのシシンにされるくらいなら、処分するわ」 羽月はまろび出た。鶸子の手が、蒼司の頬を撫でる。ささやこうと口を開いた。 「さあ、愛しい蒼司。眠るのよ。おまえはわたしのみたーー・」 「夢なんかじゃない」 どう・もく ふいに近くでした声に、鶸子が瞠目した。。ハシンと乾いた音がし、彼女がよろめく。 そんなバカな ! 」 蒼司が立ち上がった。鶸子を見下ろし、つぶやく 「ずっと待っていた。この時を。羽月 ! 」 から 羽月は顔を上げた。視線がぶつかる。絡み合う。 ( ああ ) いまだー 二人は声をそろえた。ただひとこと天に放つ。