配下におさめられたという、現環島の出身者のようだ。 一人の持っ懐中電灯が、はっきりと羽月を照らした。その姿を確かに見たはずなのに、彼ら は気づかない。 「おかしいな」 下草を踏みながら分け入ってくる彼らの会話が聞こえた。 「たしかにこっちの方で〈香気〉を感じたはすなんだがーーー」 「こっち ? もう少し左の方だったんじゃないの ? 」 「いや、この方角だった。息を殺してたそ」 彼らは懐中電灯をあちこちに向け、木々の間をのそき込みながらすぐそこを通り過ぎようと していた。羽月がそこにいると、まったくわからないのだ。 なが 羽月はぶつぶつ言いながら歩き去ってゆく彼らを、眺め下ろしていた。ほっとして、枝を揺 する。 彼らはいっせいに首をすくめた。見下ろす羽月を照らすように光を投げかけ、こわばらせた 表情をほっと緩める。 「なんだ。何もいない」 おど 「ーー、脅かしてくれる : : : 」
「くつ、なんだ」 「結界の中でこんなこと : ・ 結界はククリの力を無効化する。だから、同質の力を持ち反発しあう能力者たちも暮らして きびす ゆくことが出来るのに。〈香気〉をぶつけられた彼らは振り向いた。踵を返して向かってく るー 今から同調したのでは間に合わないー 「来ないで ! 」 羽月は叫んだ。その途端、懐中電灯の光に目を射られる。 ばうぜん かば 顔を庇って横を向く彼女に、追っ手は光を当てたまま呆然とした。 「蒼司さま : ・ ( 蒼司 ) 初めて聞く言葉に、羽月はとまどった。それは名だろうか。それとも羽月の位を指す言葉 「いや、ちがう。こいつは女だ」 追っ手の一人が、強い口調でそう否定した。羽月は理解する。蒼司は人の名だ。羽月と似た 顔立ちの男性ーー ( だれ )
( あっ ) 今度は左手の奥の方にそれが見えた。羽月から十メートルほど向こうの木肌が浮かび上が り、目の裏に焼きつく。 わずか一瞬のことだ。ふつりともやのようなそれは消えた。 羽月は両目を見開いたまま、その場から動かなかった。それの正体を知っているはずなの に、思い出せないー 何だろう。あれは何だっただろう 隹 . りが思考をかき乱した。首筋がざわっいた。緊張で敏感になっているのかもしれない。 かすみきり もや、霞、霧、雲。印象の近いものを、羽月は次々と連想した。だが、どれも違う気がす る。根本が間違っている。 ( そうじゃない、そうじゃなくて。木肌がわかるようなもの。あの色がわかるようなもの ) 羽月は手を胸に押し当てるようにして、一一 = ロ葉を探す。と。 耳元をそれがよぎった。夢から醒めるように気づいた羽月は総毛だっ。 ( ーー光Ⅱ ) 懐中電灯の光だ くず 膝が震え、羽月は木の幹に手をついた。声をあげないよう、ロを覆う。崩れそうになりなが ひぎ おお
8 これまでにない強さで、羽月は声を響かせた。彼らは羽月の潜在能力の大きさを聞かされて いるだろう。けれど、まだククリではない未開の状態だと安心していたはずだ。 それがククリと知れば、自分たちとの差を思い浮かべるに決まっていた。恐れて、怯んで、 逃げ出してくれればい、。 『あなたは五指に入るククリだ』といった紫子の言葉を、羽月は信じた。離空ではカの強さは あきら 絶対的だ。彼女を、鶸子と同じようだと想像すればあるいは諦めるかも知れない。 「懐中電灯をさげて」 命じると、彼らは言うとおりにした。気圧されて従ったのだ。 羽月は真っ向から視線を切り結んだ。追っ手はうろたえ、次々に視線をそらす。 「どいて」 彼女が言うと、彼らはハッとしたように顔を上げ、すぐにまたうつむく。視線に射殺される とでも一一一一口 , つかのよ , つに。 「出来かねる」 男の一人が低く答えた。ふたたび目を上げる。 めい 「我らに下された命は絶対」 ・きト - せい 敗れる覚悟を決めている男の視線に負けまいと、羽月は虚勢を張った。こちらから視線をは ずせば、彼女が評価されているよりもずっと小さな力しか使えないと見抜かれてしまうだろ ひる
女にはわからない。十メートル ? 数十メートル ? それとももっと ? 反対に、もっと近いのだろうか。懐中電灯の光は、どの程度の範囲までとどくのだろう。 頬や胸がチクチクする。羽月が遠くに感じていたあの気配が、次第に強くなってくる。 ( これ、〈香気〉 ? ) チクチクに触発されて右腕がきはじめ、羽月はその可能性に気づいた。離空は桜間の結界 の中にある。だからその伝わり方も鈍いのだろう。 ( 落ち着け、落ち着け ) 羽月は自分に言い聞かせた。気を鎮めるんだ。感清を殺せ。近づいてきても呼応しちゃいけ ない。〈香気〉を表に出してはいけよ、。 この暗がりで、走って逃げるわけには、かよ、。 このまま息を殺し、やり過ごすしか方法は なかった。闇に紛れ、姿を隠し、森に同化して気配を消す。 森に恐怖を感じていたことは、脇に置いておくしかないだろう。 羽月は体を木にびったりと寄せた。目を閉じる。 みなもと 思いこむこと。それはカになる。その力はククリとシシンの源だという。 ならば、思いこもう。羽月はこの森。森に生えている一本の木。 『呼吸を合わせろ』
ときどき見えているものがハレーションを起こし、羽月はめまいを起こした。視界がばやけ ると、すべてが不確かなものに変わる。両足を踏ん張って立っているはずなのに、地面がゴム さつかく のようにグニャグニヤになり、天と地がひっくり返るような錯覚を覚える。 自分を助ける道具がないのが、悔しかった。自分が男だったら良かったと、羽月は高校の同 級生たちを思い浮かべた。彼らは小さな懐中電灯や万能ナイフをキーホルダーにつけていた。 いま、あれが手元にあれば。そういう物を持ち歩く少年の一人であれば。 ふっと気をそらした羽月は、視界をよぎった黒い影に立ちすくんだ。だがそれはわずかに遅 さこっ れ、右の鎖骨に何かがぶつかった。 はだ こす 続いて頬が固いもので擦られる。埃のような細かいものが、膚の上でじゃりつと音を立て る。 ふいの痛みに、羽月の頭の中は真っ白になる。誰人 だが、体をこわばらせた羽月に触れようとする手はなかった。反応も、ない。 羽月はそろそろと右手を伸ばした。手のひらに返ったざらざらの感触につめていた息を吐き 出した。 木の幹だ。杉や何かのような、樹皮が破片となって剥がれる種類の木の。 ほお
ら、羽月は目だけを動かして顔の横を見る。 光は消えていた。懐中電灯の持ち主は、前をさっと照らしたにすぎないのだろう。 胸が締め付けられ、彼女は息をもらした。じりじりと痺れ始める右腕を、胸に抱え込んで強 く押さえつけた。 感情を揺らしてはだめだ。〈香気〉が立ち上ってしまう。〈香気〉は道しるべとなり、森に入 ってきた者を、ここまで導いてしまう ! こどう 羽月はあごに力を入れ、つばを飲み込んだ。早い鼓動が腕に伝わり、耳の奥が熱くなる。汗 が生え際をじっとりと濡らした。 追っ手だ。それは、疑いようもない。 熱くなった耳の奥に、キインという音が響く。これ以上は無理だというところまで、耳を澄 ましているからだ。 羽月は倒れそうになり、右肩から木にもたれかかった。枝がしなり、葉が鳴る。数枚の葉 夢が、目の前を落ちていった。 み かすかにしか音はしなかったはずだが、羽月には生木を引き裂く音のように聞こえた。右の の 手首をきつく握り、祈りの言葉を繰り返す。 人 ( 見つかりませんように。どうかどうかどうか : 光の頼りなさからいって、相手はまだ遠いはず。だがそれがどのくらい遠いのかまでは、彼 こき なまき
遠王の言葉が耳の中でした。あれはシシンを腕に返すための呼吸法だったが、応用できるは ずだ。 羽月は呼吸を腹式に替えた。木に、なる。 ( あたしは影。この森と同じ闇の色 ) 背中に触れている木に、彼女は同調した。あたしは木、木はあたし。 じゅんかん 彼女と木の間に、循環回路が生まれる。ふたつは解け合い、羽月はイメージの中で土に根 を張り、枝を伸ばし、葉を広げた。 途端に意識が広がり始めた。大地を介して、個であると同時に多になってゆく。 羽月はそこに立っていながら、遠くのことがわかった。森は広く、大きく、離空をぐるりと 囲んでいる。始めに彼女がいた場所は、東のはずれの方で、そこから斜めに里へ向かって歩い てきたのだと知る。 夢上空から地図を見ているように、自分の足取りが辿れた。歩いた通りに、ばんやりと光るラ みインが出来ている。 森に入ってきた者たちの位置もわかった。男が五人、女が一人。防寒具に身を包んで、懐中 人電灯で辺りを照らしながらこちらへ向かってきている。全員が、三十歳よりも若いようだっ た。それぞれに〈香気〉を持っているらしいところからも、彼らは取りつぶしと同時に鶸子の
彼は彼女の意志なしには、指一本動かすことも出来ないはずだった。時折不可解に震える以 外は、人形のようにおとなしかった。 そのはずがーーーどこへ ざっと血の気が引いた。鶸子は上掛けをめくり、べッドからまろび出た。まだおさまりきら ない揺れに、足をもつらせて床に膝をつく。 そうしながらも、絶えず姿を目で探した。ドアを見、窓を振り返る。どちらも鍵がかかって いる。開いた様子もない。 どこへ行ったのだ ? いや、どこへ行けるというのだ ? 蒼司の手も目も髪も、鶸子のものだ。片時も離しはしない。たえず管理する。ずっとそうし てきた。これからもそうする。 だのに ! ( まさか ) 不吉な予感がかすめ、鶸子は立ち上がった。足を取られながら壁にたどり着き、電灯のスイ ッチを入れる。 くら まぶしさにつかのま目が眩む。慣れるまでの間に、揺れが終わった。鶸子はもどかしく続き の間に駆けた。踏み込んで、その場でぎくりと足を止めた。 「そうじッⅡ」 ひぎ
( シシンを持たぬククリたちが、天望の一族を空に還すーーー ) がくぜん 羽月は儀恵の言葉をなぞり、愕然とした。 「これつ」 「そうさ。空也のことだよ。つまり、おまえ達のね」 羽月と蒼司の : 羽月は無意識に首を振った。どっと押し寄せた情報が頭の中で糸のようにもつれた。 シシンのないククリ。羽月はたしかにそれに当てはまる。だが蒼司は ? 飛滝に生きてはい ると言われた彼は ? そして還る 1 ーもしくは還すとは ? 「だって、空から落とされたって一言うのは、ただの言い伝えなんでしょ ? 虐げられたつらさ から作り上げた話なのかもしれないんでしょ : 羽月は泣き声でつぶやいた。儀恵は想像もっかないような途方もないことを、彼女に押しつ けよ , っとしているー 3 儀恵は彼女の混乱を、当然のことと受け止めているようだった。落ち着き払った声で言う。 の「もちろん、『空に還す』が文字通りのことなのかはわからないよ。けれどね、伝承のように、 わたしたちはゆるされてもいいはすなんだよ」 人 ひも うすずみ ふと立ち上がった飛滝が、電灯の紐を引いた。カチリと音がして、薄墨のようだった部屋に ばんやりと光の輪が広がった。照らされた顔に濃い影を落としながら、儀恵は続ける。