ししそうは思わないかい ? 」 「天望はもう解放されて、 はれつ 羽月は眉根を寄せ、今にも破裂しそうな顔のまま儀恵を見上げた。彼女のいう「解放」の意 味が分からないのだ。 「この暮らしから、だよ」 なりわい 人を殺すことを生業とし、歴史の影でのみ、生きてゆくこと。 羽月は何となくうなずした。 , 、 ' 従わなければならない権力者はすでにいない。だから、一族は 今では、金を積まれれば誰の依頼でも受けいれるというが、一族が暗殺を生業としなければな らなかった時代は、とうに終わっている。 儀恵が、かすかなため息をもらした。 「わたしが〈桜御前〉を継いだのは戦前の話だけれど、あのつらい戦争が終わって、ずいぶん 世の中は変わ 0 た。誰がどこに住んでもかまわないし、身分も消えたし。北海道から冲まで だって、飛行機で何時間かで行ってしまう。そんな世にね、こんな一族が必要だろうかと、わ たしは長いこと考えてきた」 「でも、だったらーー・」 つぶやくように言った羽月は、それから言葉を探し始めた。何か言わなくてはならないとロ を開いたのに、何を言いたいのかがわかっていなかったのだ。 「だったら、そんな風にすればい : ししゃないですか。あたしとか、空也、とかそんなのは関係 したが
「意味もなく殺したくないの。あたしがここへ来たのは仇なすためじゃないと : : : 伝えて」 戦うではなく「殺す」と意識して言葉を使った。その一方で、「お母さん」という言葉をの みこむ。 けんせい そうやって牽制しながら、羽月は内心崩れ落ちそうだった。半分で冷静に計算しながら、も う半分では自分が震えている。 ( ーーーどうしよう ) 羽月には、人を威圧して押しのけた経験がない。どちらかと言えば、彼女は押しのけられる にら 方だった。自分を睨みつける富貴子が恐くて、なんど口をつぐんだだろうか。 まね だから、この先の対処法がわからないのだ。問答無用で斬り殺すような真似はしたくない。 甘いと言われようと、誰かをこれ以上殺したくはなかった。 羽月は自分の力が、人をただの肉のかたまりに変えることを知っている。それもたやすく。 夢羽月自身は、指一本動かさずに。 「お願い」 「ーー従えぬ」 人 男の言葉で、他の者が決心したように羽月を見た。 いさぎよ 「このままおめおめと戻れば、我らにあるのは〈死〉のみ。同じ死なら、潔く死ぬ方を選ぶ」 いあっ あだ
174 「どいてちょうだい ! 」 彼女は案内係を突き飛ばした。両目を血走らせて、着物のまま湯船に入った。逃げようと腰 を浮かせる羽月の腕を掴み、思いきり自分に引き寄せた。 「おやめなさいー その手を離しなさい 案内係の絶叫を、彼女は意に介さなかった。裸の羽月の両腕を掴み、はげしく揺さぶる ! 「覚えておきなさいっ ! 」 たた 悲鳴のような叫び声が叩きつけられた。その声があまりにも大きく高かったため、羽月には はじめ、それが目の前の女からでているものだとはわからなかった。 「よく覚えておきなさい みだ 彼女は繰り返した。乱れてざんばらになった髪を振り乱し、羽月をにらみ据えたまま。 わかさき 「あなたは二人の〈若桜木〉を殺した ! 」 羽月の中が、真っ白になる。案内係のふり絞るような声が、どこか遠くから聞こえた。 「やめなさいつ、それ以上言わないでえつ」 「二人の〈若桜木〉を殺したのよ ! 」 「ふ、たり ? 」 し はだか
こわね ものう 鶸子の声音の冷たさに、羽月は目を瞠った。鶸子は物憂げな表情を崩さず、突き放すように 一一 = ロった。 「死んだ者が、戻るわけがないじゃない。頼むなら、もっとマシなことにして」 「てめえ」 にら 馨がうなるように言った。睨み飛ばすが、鶸子は意に介さない。 「たとえば、送ってならあげられるけれど ? おまえを、富貴子のもとへ」 「殺す、って、言いたいの ? 」 「いまさら訊くことかしら ? 」 ほほえ えんぜん 鶸子は微笑んだ。婉然と。 「その覚悟できたんでしよう ? まさか、命乞いではないわね」 「ーー違うわ」 羽月は答えた。潮のように動揺が引き、代わりに怒りがこみ上げる。 擎 ( この人は、こういう人なんだ ) み 羽月を殺すためだったら、なんだってする。誰の命も、一グラムほどの重みだって感じてい の はないのだ。何人でも何十人でも、ためらいなく消すだろう。 怒りが、羽月の中でふくらんでゆく。この怒りに身を任せれば、鶸子と刃を交えることが出 来るかもしれない。 みは ゃいば
囲 ( 話の先を読め ) 彼は自分に言い聞かせた。頭の回転が遅くないと証明しろ。 行き場がない。塔埜にはその思いが強かった。だからもともと、うまく立ち回ろうとしてい た。だが、今はそれ以上のエネルギーがいる。鶸子に仕えることは、ある意味でサバイバルな えんおう のだ。生きるために殺せ。そう言った遠王は、これを知っていたのではないだろうかと彼は思 う。側近として生き残るならば、すべてをフルに使わなければならないと。 レしししのだけれど」 「あれは今、あのうごめく森の中にいるわ。そこから出る前に始末がっナ、、 「桜間儀恵が助けると、お考えですか ? 」 「当然よ。あれも頼るでしようし」 たく ふきこ 羽月を託され育てたのが桜間富貴子、守るために遣わされたのが桜間紫子だという事実を考 えれば、たしかにそうだろう。 「わたしに、森へ行けと ? 」 初めて会ったときに「羽月をこの手で殺す」と約束したことを思い出し、塔埜は訊ねた。だ が鶸子が顔を上げる。 「許しません」 思いがけす強い調子の否定に、塔埜は面食らった。 ゆかりこ
114 しゆっまん 幸せは長く続かないと覚悟の上の出奔だった。塔埜の父、久巳はその後すぐはかなくなった という。すでに身ごもっていた富貴子は、たった一人で〈外〉の世界に放り出された。 あもう 天望の一族はその存在を知られてはいない。彼らが生きていることすら、世間では知らな 学歴もなく、身元の保証もされない。 そんな一族の人間が、子供を抱えてどうやって生きてゆくのか。富貴子は一族とは関わりの たかぎ ない高木と再婚することで生活の安定を得た。だが息子である塔埜はつねに、高木に対して引 け目を感じていた。実の子ではないのだ、と。 緋沙子を連れて逃げれば、同じ道をたどることは目に見えていた。塔埜は高木の戸籍に入っ ているためどんな職にでも就けるだろうが、その彼は死ぬのだ。すぐに。 くず 両手でロを覆った緋沙子が、崩れるように絨毯に座り込んだ。けいれんするように短くしゃ おえっ くり上げ、ため息とも嗚咽ともっかぬものを吐き出した。 「わたし、殺されます : : : 」 まゆ 緋沙子が声を震わせた。眉を寄せる塔埜に、彼女は繰り返した。 「殺されますーーー」 ひゅ 比喩だろうかと彼は考えた。だが、それにしては不自然だ。 「緋沙子さん、あなたは譲位が決まってーー」 ひさき
网なら、「知恵」は「伝承」の意志なくして伝わることはないからだ。自分たちの先祖が天望の いんし 人間だった。それすら忘れられた頃、能力者の因子を持った者同士が呼応するならどうなるか 「わたしはそれを怖れたんだよ。そうじゃなければ、もっと前に、何十年も前にこんなことお しまいにしてたさ」 解決の道はないものか調べ回 0 たと、儀恵は羽月に語 0 た。それこそ、倉の中の文鹹を残ら ず引っ張り出すことまでしたのだという。 そうりよう 「おまえの父親、つまり前の総領もそれを願っていてね。向こうは向こうでいろいろ考えて いたらしいけれどね。そうこうするうちに、あれが起きた」 まなぎ 儀恵は眼差しを曇らせ、声を落とした。 「あの子が、久巳と出て行った」 今から二十年前のことだ。桜間富貴子が〈桜御前〉の位を捨て、一族の男と駆け落ちしてい ったのは。 「その混乱がおさまりきらないうちに、今度はおまえの父親が殺された」 よみがえ びくりと羽月は反応した。以前由和が言っていたことが、ふいに蘇る。 はんきひるがえ 『今の政治は、二十年ほど前に妹が兄に反旗を翻し始まりました』 あの時は何気なく聞き流していたが、それはつまり、羽月の父は母に殺された、ということ 0 ひさき
配下におさめられたという、現環島の出身者のようだ。 一人の持っ懐中電灯が、はっきりと羽月を照らした。その姿を確かに見たはずなのに、彼ら は気づかない。 「おかしいな」 下草を踏みながら分け入ってくる彼らの会話が聞こえた。 「たしかにこっちの方で〈香気〉を感じたはすなんだがーーー」 「こっち ? もう少し左の方だったんじゃないの ? 」 「いや、この方角だった。息を殺してたそ」 彼らは懐中電灯をあちこちに向け、木々の間をのそき込みながらすぐそこを通り過ぎようと していた。羽月がそこにいると、まったくわからないのだ。 なが 羽月はぶつぶつ言いながら歩き去ってゆく彼らを、眺め下ろしていた。ほっとして、枝を揺 する。 彼らはいっせいに首をすくめた。見下ろす羽月を照らすように光を投げかけ、こわばらせた 表情をほっと緩める。 「なんだ。何もいない」 おど 「ーー、脅かしてくれる : : : 」
羽月たちは、ヾ ノランスを失ってよろめいた。そして体勢を立て直すより早く察した。 「結界が ! 」 離空を囲む結界が、完全に消えた・ : オカ深く考えている余裕はなかった。地面を走るように、すう 儀恵が逝 0 た。羽月は 0 , ミ、 っと気圧が低くなる。 ( まずい 羽月たちは〈香気〉を体の中に押し込めた。互いに、自分を庇って床に膝をつく。 ほば同時に、離空が揺れた , あちこちで、呼応の小規模な爆発が起こる。遠く、人々の悲鳴が聞こえた。 引きずられそうになるのを、羽月は歯を食いしばってこらえた。鶸子も同じだ。額をおさ え、声を殺している。 夢「く , つつ ( はじまった ) 影 羽月は拳を握った。離空の崩壊が、はじまった : ・ 人 里にいる人々の〈香気〉が、はっきりとわかる。ごちゃ混ぜになって、とまどって、抑えき れずに呼応を繰り返している。 こき ひぎ
羽月が来る、とはたしかに塔埜も聞いた。だが ? 「再会よ ? 十五年ぶりの」 鶸子はそう言って笑ったが、それはもちろん喜びにあふれる母親の顔ではなかった。あれ は、殺人者の顔だ。見えた途端、ひとことも一一 = ロ葉を交わさすに狙撃手に号令をかけると予告し ているような。 「殺す、つもりなんですね」 「今更なにを」 わかりきったことを、と鶸子は声を上げて笑い、くるりと彼を振り向いた。スツールの上で 足を組み、見上げる。 「ああ、それはおまえがしてくれるのだったわね」 当然のように訊かれて、塔埜は度を失った。まさか、自分の目の前でして見せろと命じるつ もりなのだろうか 3 うなが あやっ 鶸子は立ち上がった。ついてくるように促して、部屋を出る。塔埜は操られるように後をお のいかけ、ふと視線を感じて振り向いた。 影 人 蒼司が、見ている。 感情を持たず、命がなければただそこに在るだけのシシンが、はっきりと焦点を塔埜に定め はづき まみ