戒心をもたせるように働きかけたはすだ。 この翌日、竹村氏の事務所から、雑誌対談の要請があったので、私は喜んでお受けした。私が 「今のところ、私にはテレビで自分の考えを述べる力はない というと竹村氏は、私の意向を全面 的に尊重してくださり、その後、ラジオ、勉強会に声をかけてくださった。人には相性がある。私 は竹村氏と話すときは、人見知りをせすに、自然体で思ったことを言えるのである。どの瞬間から か、抵抗感がなくなったのか考えてみたが、初めてお会いしたときに竹村氏が「実は僕にはあなた と同じ優という名前の弟がいたのですよ。しかし、子供の頃、病気で死んでしまった。あなたの名 前を見て、弟のことを思い出し、何ともいえない気持ちになるんですよ。今度の事件では、ほんと うにたいへんな目に遭われましたね」という声をかけられたときから、私の心の防御装置が外れた のだ。 雑誌の仕事や勉強会の後でも、竹村氏は、帝国ホテルの仕事部屋に私を招き、資料の整理の仕方 や、発想メモの書き方を教えてくださる。 「あなたは左右の枠にとらわれず、知識人に影響を与えることを考えるといい。大川周明について の紹介は、左翼系の学者の文献もよく使い、幅広い人たちに影響を与えるいい仕事だ」 「どうもありかとうございます。そういえば、その昔、『月刊プレイボーイ』で竹村さんと小田実 さんが対談をしていたことがありましたね。激しい議論の応酬で、強く印象に残っています」 「あの対談は覚えているよ。右と左の激突だったよね」 242
一般にはそれほど知られていない雑誌であるが、『月刊日本』 & プレス ) は私にとって とても重要な仕事の場だ。日本の雑誌メディアが右翼化・保守化しているといわれるが、右派 思想、国体論についての理論的考察について場を提供している雑誌は意外と少ない。南丘喜八 郎氏が主筆をつとめる『月刊日本』はその数少ない右派言説の理論構築のための場を構築して 私は今まで、北畠親房、大川周明、蓑田胸喜などの言説について同誌で論考を発表してきた が、今後、権藤成卿、高畠素之など、現在ではほとんど忘れ去られてしまっているが、戦前に 右派、左派の双方に対して強い影響を与えた思想家の言説を紹介する作業にも従事してみたい。 哲学が「知を愛すること」であるのに対し、、想人間り生殖、コが叫し第を心を・し幻・ 考えている。活字を通じ、思想を復活する作業に従事したいと考えている 148
改革は頓挫し、キリスト教はローマ帝国の国教の地位を占めるようになり、宗教の寛容性が失われ てしま、つし。 。 ) こしえのローマ帝国は、滅亡や崩壊ではなく、溶解してしまったと塩野氏は考える 「少なくとも宗教面では『溶解』が妥当であるように思う。なぜなら、ローマ人がキリスト教徒に 敗れたのではなく、ローマ人がキリスト教徒になってしまった、のであったから」三五七頁 ) キリスト教と国家の癒着はヨーロッパをひどく窮屈な世界にしてしまった。中世の十字軍、異端 審問、近世のカトリック諸国対プロテスタント諸国の戦争、アジア・アフリカの植民地化はいすれ も寛容の精神を失った欧米世界の病理現象なのだ。 二〇世紀の知的世界に最も影響を与えた神学者カール・バルトも三一三年のミラノ勅令後、キリ スト教が国家と一体化してしまったことは大きな誤りと考えた。バルトは「ポスト・コンスタンテ イヌス・エラ ( コンスタンテイヌス帝以降の時代 )_ という用語を神学に導入し、キリスト教は国家と の癒着を断ち切ることで、キリスト教本来の価値を取り戻すことができると考え、国教会制度の廃 止を主張した。 評者は本書が英語、ドイツ語、ロシア語、アラビア語等に翻訳されることを期待する。塩野史観 に触発されることにより、一神教世界の人々が、自己絶対化の危険性に気づき、寛容性を取り戻す 契機になるからだ。これこそ日本が直ちに実現できる知的国際貢献である。 ( 『現代』二〇〇六年五月号 ) 110
を何とか整理できないかなと現在考えています。近く『世界』 ( 岩波書店 ) の企画で柄谷先生とお 会いするので、率直な意見交換をしたいと考えています ( 『世界』二〇〇七年一月号に対談「国家・ナ ショナリズム・帝国主義」として掲載される ) 。 白井僕もその辺のところを考えてまして、マルクス主義法学者のパシュカーニスを最近読んでた んです。この人は、レーニンの『国家と革命』にインスピレーションを与えられて「法の死滅ーと いうことを構想して一世を風靡した挙句、スターリンの粛清によって消されてしまうわけですが、 彼の考えは岩田弘さんとかが展開していた考え ( 世界資本主義論 ) に近いものです。 要するに、前近代国家と近代国家というところで断絶に近い関係がある、つまり近代国家という のは暴力装置を独占するのだけれど経済過程には手を出さない、それが前近代国家と近代国家の絶 対的な違いだということを言っているのですね。近代国家は基本的に自分では収奪をしないという ことです。なぜかというと、収奪は資本主義社会では搾取という形で経済に全部委ねられているか 怪 妖らということであって、国家は何をするかというと搾取過程というのが上手くまわるように暴力装 名置を背景にして法体系を担保するということです。 佐藤ます定義として、『資本論』に即して搾取と収奪を分けましよう。搾取は労働者商品化とい 家う形をとって、資本家と労働者の交換の間で基本的には自由・平等の関係という擬制が成立する マルクスは『資本論』のなかで両者の権利が対等であるときは暴力が決定するというけれど、字野 弘蔵自身はマルクス自身が余計なことを言ってるという風に整理してますね。私は余計なこととは 16 う
うな考えです。これを敷衍するならば、明のような国とは、朝貢関係を結んで、臣下となって従っ ていけばいいのではないかという考えになります。小泉前政権下でアメリカ基準のグロヾ ションが進められましたが、実はこのような普遍主義を日本が取り入れるべきだという考え方は古 くからあるのです。一二世紀の大知識人で天台座主をつとめた慈円の『愚管抄』にそのような考え 方が端的にあらわれています。 らいき 』の百王説が日本にも適用されることが明記されています。どのような 『愚管抄』の中では『礼記 王朝でも王は百代で終わるというのが国際スタンダードであり、現在の日本の王朝は第八四代なの であと一六代しか持ち時間はないというのが慈円の考え方です。慈円の論理を敷衍するならば、日 本でも易姓革命が起きることになります ( ちなみに沖縄は日本の一部ですが、易姓革命を認めるという 日本の思想史上、独自の流れを作りました ) 。日本でも革命が起き、今までの王統は途絶えてしまうか せら、その後の国際スタンダードに備えるのだということになります。それが、実践的には中国に一 層寄り添っていくということになるのです。 取 を そのドクトリンの延長線上にあるのが足利義満の考え方だと思います。義満は京都の北山に金閣 歴をつくったのですが、あれは金閣だけではなく、あそこにいろいろな行政機関をつくって、新しい 本政府を樹立しようと考えたのです。義満自身が日本国王に即位して、明帝国の臣下として冊封体制 に組み入れられることが日本の国益に適うと考えました。この野心的な試みが実現しようとしたま さに直前に、義満は急死してしまいます。毒殺説も根強いです。いすれにせよ、このとき義満が日 ふえん 141
現在、日本で「保守」といった場合、親米保守が圧倒的な多数派です。しかし、この親米保守と いうのは東西冷戦構造の中で、一方において、社会主義体制、共産主義体制、あるいは全体主義体 制、その呼び方はどうでもいいのですが、そのような陣営が存在しました。他方において、資本主 義体制、あるいは自由主義体制、これもその呼び方はどれでもいいのですが、そのような陣営が存 在しました。こちら側から見るならば、共産陣営は絶対に間違えているのです。共産陣営から見る ならば、西側の陣営は絶対に間違っている。こういう状況の中で、親米保守という概念が成立した のだと私は考えています 要するに、東西冷戦の構造の中では共産主義の脅威というのは現実的に存在した。そういう状況 の中で、日本が共産化するならば、日本のシステムというものが根本から崩れてしまう。それだか ら、共産化を阻止するためには反共産主義の中心となっているアメリカと手を握るというのが日本 が生きていくための唯一の道であった、という理解だったのです。 ところが、東西冷戦が終わった。 共産主義の脅威が除去されたということは、逆に反共主義とい う処方箋もこのままでは使えないということなのです。そういう状況の中で、親米保守というもの が成立する基盤というのは、原則的にないのだと私は考えています。しかし、それは反米を唱える ということではありません。保守主義の原点ともかかわることなのですが、保守主義というのは自 国の伝統に根ざしたものでしかないわけです。ですから、日本の保守と言った場合、「親日保守」 しかありえないのです。アメリカの保守という場合には、「親米保守」しかないということと一緒 152
もう一つはナショナリズムに関する基礎研究というのは国際的に相当なされているんだけれども、 狭いアカデミズム以外に通用する言語でのものが少ない。ナショナリズムという現象についていっ たい何が起きているんだろうということについて考えると、そこには潜在的に読者はたくさんいる のだと思う。だから、重要なことは書き手が何かやっていく時は、自らの表現をマーケットに適合 させていくことをちゃんと考えなきゃいけないと思うんですね マルクス主義哲学者の廣松渉さんが「本は読まれなければインクのシミに過ぎない」とすごくシ ビアなことを言っていました。だから、読まれるような本を作らなくてま ) ナよ ) 。 ーし ( オしこれは書く仕 事をする人間は肝に銘じないといけないと思うんですよ。いくら出版不況といえど、丁寧な本を作 って売れば読者に響くと思う。どういった言葉が読者に伝わるのか、編集者と作家がよく話し合っ て本を作ることです。そして、本の内容をちゃんと説明すれば、書店のほうも読者に伝えられるよ うなコーナーを作ってくれるなり、説明を書いてくれる。そうすれば本は売れると思うんです。 保守の立場からマルクスを読む 近代経済学とマルクス経済学を比較すると現代のシステムを説明できるのは、むしろマルク ス経済学しゃないかとお書きになっていますけれども 佐藤そう思いますよ。インテリジェンスの世界の人は基本的なフレームとしてマルクス経済学を 援用することが多いです。例えば、ナショナリズム論のベネディクト・アンダーソンにしても、ア
これは、念力でも眼力でも、嘘をついてでも鈴木宗男氏を政界から抹殺しようと考えた二〇〇二 年当時の竹内行夫事務次官 ( 現外務省顧問 ) の執念が作り出した事件であると私は認識している。 ちなみにこのときの決裁書の原本が外務省からなくなっている。事務次官が決裁した書類は、官 僚の常識としてきわめて重い意味をもつ。外務省はそれほど書類の管理が悪い組織ではない。実に 不思議な出来事だ。 外務省が頼った宗男氏の政治カ 第二は、国後島へのディーゼル発電機供与事業に関して、私が部下のキャリア職員に「鈴木宗男 先生の意向がある。三井物産に入札価格を教えてやれ」と指示し、このキャリア職員が支援委員会 の女性職員から入札価格のもとになる積算価格を聞き出し、三井物産職員に教えたという話だ 支援委員会の女性職員は「積算価格を教えたという記憶はないし、教えなかったという記憶もな ろうえい い」と法廷で証言している。常識で考えて、積算価格の漏洩などという悪事に関与して、それを忘 れてしまうことはない。それから、私も鈴木宗男氏も三井物産からゼニをもらったことも接待を受 けたこともない。 なぜカネももらわずに入札価格の漏洩などという公務員生命を失うようなリスクを私が冒さなく てはならないのか。仮に私がこの事件に関与しているとするならば、動機なき不条理犯罪といわざ るをえない。本件について私にいえることは「それでも僕はやっていない」ということだけだ。 うそ
何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」 「見事僕はそれに当たってしまったわけか」 「そういうこと。運が悪いとしかいえない」 「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、 奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」 「そういうこと評価の基準が変わるんだ、何かハ ードルが下がってくるんだ」 「僕からすると、事後法で裁かれている感しがする , 「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査 は近年驚くほどハ ードルが下がってきているんだ。一昔前ならば、鈴木さんが貰った数百万円程度 なんか誰も問題にしなかった。しかし、特捜の僕たちも驚くはどのスピードで、 ードルが下かっ ていくんだ。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時 代の変化としか一一一一口えない」〉 ( 佐藤優『国家の罠』新潮社、二〇〇五年、二八七 5 二八八頁 ) 筆者はこの検察官の見立ては正しいと考えている。 村上正邦氏の裁判が始まり、鈴木宗男氏が逮捕されたのは小泉政権になってからのことだ。小泉 氏自身は、大戦略をもっていたわけではないが、突き放して見るならば、日本に新自由主義的な弱 肉強食の論理を持ち込み、強者をより強くして日本経済の牽引車とすることが日本国家を強化する
外交官に次いで多い擬装 ( カバー ) が学者であろう。学者ならば、外国の政治、経済、軍事に関心 をもっていてもそれほど怪しまれない。情報専門家で大学教授やシンクタンクの研究員に比肩する 優れた学識や洞察力をもった人物はたくさんいるが、根本的な倫理観が異なる。情報専門家は、対 象の内在的論理をとらえることには関心があるが、真理の追究は考えていない。自己の知的能力を 国家が与えた課題を遂行するために使うだけだ。ロシア、イスラエル、ドイツ、アメリカなどの専 門家と意見交換する際に評者は柄谷氏の言説を頻繁に紹介した。とくに、小泉政権誕生後、日本の 政治情勢分析に関し、明治ー昭和の反復説であるとか、ファシズムをすべての階級を代表すること によって議会制における諸党派の対立を止揚するポナバルティズムの視座から見るとよくわかると いう柄谷氏の言説は、国際情報屋たちに感銘を与えた。暗号電報で柄谷氏の言説が、各国情報機関 の本立ロ。イ 5 こ云えられたと思う。柄谷氏の情勢分析は国際情報のプロたちにとっても有益なのだ。 か『近代文学の終り柄谷行人の現在』は、二〇〇三ー〇四年にかけて岩波書店から『定本柄谷行人 き集』が刊行されたのを契機に、この『定本』に関連する柄谷氏の論攷、インタビューをまとめたも で んのだ。評者の能力で、どこまで柄谷氏の内在的論理を掴むことができるか自信がもてないが、評者 をなりの見方を率直に記することにする。 ます柄谷氏の思考に以前よりも、目的論的傾向が強くなっている。古典ギリシア語のテロスは終 焉とともに目的と完成を意味するが、柄谷氏は「ある物の起源が見えてくるのは、それが終るとき である」 ( 三〇頁 ) との立場を明確に打ち出している。しかし、この起源と終わりが円環で閉じて