筮音に助けを求めた。眼で訴える。 「ーーそのことで、わたくしから。あなたの父親のことについて、知っていることのすべてを 話しておこうと思ったのよ」 春の初めに、辞退した申し出。いまさらの、けれど、なによりもいま必要な真実。 透緒呼が拒否の姿勢を見せなかったため、筮音は話しはじめた。 「わたくしの知っていることは、ごくわずかだけれど。どちらかと言うと『知らない』ことを 『知っている』と言ったほうがいいようなほどね」 ザカード自身が出てきたことは、筮音にとって、大きな衝撃だった。紫の瞳の〈陽使〉。も しかすると : 、との危機は、かなりの確率で存在する。 それならば。すべてがザカードの手で暴かれるならば。 わたくし自身で言おう。筮音らはそう考え、透緒呼のもとへやってきたのだった。自分の手 さら の内はすべて晒してしまおうと。 ゆっくりと筮音のこころは十七年前に帰ってゆく。 幽 姫そして、筮音は話しはじめた。すべてのはじまりから。 「透緒呼、あなたも大体のことは知っていると思うけれど : コウ いいなずけ わたくしと公は生まれたころからの許嫁、でした。界座大公家と、清和月王家を結ぶ。わた きさき くしはなんの疑問もなく、いずれ公の妃になるのだと信じてーー」
246 筮音がくすくすとロ許を押さえた。貴里我が笑いを噛み殺す。 「だから、透緒呼。恥じぬようにお生きなさい。たとえおまえがあの方の敵に回ったとして も、それはそれ。よろしい、わたくしが許します。文句を一一一一口う筋合いはあちらにはありませ ん」 冗談めかしたセリフに、透緒呼はつられた。笑う。 そして、気持ちを切り替える。寝台から降りた。 「ちょっと後宮に行ってきます。ーーー見て、きたいから」 自分がしたことと、これからしなければならないことを。 「ええ。そうなさい」 筮音が送り出す。 透緒呼が去ったあと。筮音は胸のあたりをそっと押さえ、かるく息をついた。 おわった。これで自分のすべきことは。 「これから、どうするつもりだえ ? 」 彩女大公が問うた。筮音のこれまでのことを聞いたいま、彼女に大公妃らしさを望むこと は、しないつもりだった。 「わたしが口をきいてやってもよいえ。円満に、の」
「お元気そうでございましたよ」 言われない名前。指すのは、十年前、十五の時に大公家を出奔した男性。貴里我の孫。彼 女の甥。 「ふん。陛下になら、私も逢うたわ」 カラ威張りで関係のない人物を上げ、彩女大公はわずかに横を向いた。 「 : : : 陛下ではありませんよ」 「わかっておるわ、かようなこと」 つけたした。 いまいましそうに老婦人は言い、 「さきほど見たわ。あの馬鹿者ならば」 かんどうもの そう、あの馬鹿者を。不幸者の、放浪者を。自分を、一族を、街を捨てていった勘当者を ひさしく呼びかけたことのない名前を、心でつぶやき、貴里我は感傷的になっている自分に 腹を立てた。 あのロクデナシが生きていたことに感動などして、どうするつもりだえ ? かすかに顔をしかめた母に、娘は遠慮がちに声をかけた。 「晩餐にお出になると思いますが ? 」 おい お しゆっぱん ヒト
活題をかえ、華やかな義娘をほめる。 しずみがちな空気を、皐闍が引き上げた。 = 一口 「透緒呼。よく似合うな」 彼がそんな風に直接的な言葉を口にするのはめずらしくて、彼女はどんな表情をしていいか わからずに、困ってうつむく。 大公の方も、それ以上一一 = ロ葉を継げずに、着飾った彼女に、まぶしそうに眼を細めた。と。 ふつ。視界がプレた。うつむいた透緒呼に、二重うっしの映像が見える。 きょぞう 透緒呼に、だれかがかさなっている。虚像のまっすぐな瞳が、大公をつらぬくように見つめ ている。 紫の、つよい意志。 「透緒、呼」 幽 そのことを、皐闍は少女に告げようとし、ふと口をつぐんだ。 姫 なんと言えばいし 嵐『わたしは、昔おまえの本当の父に会っているかも知れない』 『わたしは、おまえによく似た少女か青年を、おまえの源を知っている』
「お母様」 サヤメ 外からそう声がかかり、チャッと音がして扉がひらいたとき、彩女の女大公・貴里我は、窓 辺に立って、じッと前庭公園の方をみつめていた。 おうか 夏がはじまって、 そしてあのトウザーシャの事件からーー十四日。初夏・央夏・終夏と ばんさんかい あるカウス日ルーの夏のうち、打ち上げをかねた立食晩餐会の行われる今日で、初夏は終わり である。 まだ、ーー雨は降り続いていた。 げいひんかん じようげん 迎賓館の窓の外が、上弦の半月に照らされた霧雨に、銀色に煙っている。 「どうだったかえ」 げんえき 貴里我は、振り向こうとはせず尋ねる。八十をこえても、いまだ現役である彼女は、だれも かなわないほどの威厳と、するどさを備えた老婦人だった。 五十過ぎの彩女大公の実娘は、母が窓の外のなにを見ているかを知り、複雑に微笑んだ。そ 第一章煙雨
67 嵐が姫《幽幻篇》 ふさわ たいぜんきひんせき 彩女大公・貴里我は、その地位に相応しい豪華な衣装に身をつつみ、泰然と貴賓席に座って 高齢の彼女を思っての配慮だったが、それがなくても、彼女は椅子を出させ、そこから動か なかったろう。 あいさっ 貴里我が足を運ばずとも、国王自らまでもが、彼女の元へ挨拶にやってくるのだから。 「お久しゅうございます」 さかずき くだけた調子で蒼主は、貴里我に挨拶をした。手にした杯には、ロ当たりのよい果実酒が 入っているのだろう。あまい香りがこばれる。 女大公は孫のような年の国王を見上げ、答えた。 「久しゅう。いちだんと風格が増したの、まだまだ、そなたの祖父王の域には達しはせぬが ことさらゆっくりと、古めかしい発音で言った貴里我に、蒼主はどのような返事をするべき か、一瞬迷った。 たしかに、彼の祖父に当たる人は、優雅な美貌の持ち主だった。政治的手段はともかくとし て、その気品だけはだれもが褒めたたえた。 ただし、彼の祖父は男色家としても名の知れた人だったのだ。 びばう
「それが、おまえになんの関係がおありだえ ? 」 「 : ・・ : 失礼、しました」 引き下がるより、ほかはなかった。差し出た質問だった。 それを訊く資格は、彼にはな、 矢禅はその言葉をヒキに、一礼して脇をすりぬけた。 彩女大公・『貴里我』。 逢うたびに、感じずにはいられない。 かた あの女性は、僕を、きらっているのだろうか。やはり。 そうされても仕方ない理由、それが、自分にはある。 僕は、彩女をーー。 思いかけ、彼はやめた。 そんなものは、とうに捨てたはずだ。 あの時に - 、蒼主に逢った、十年前冫 ◆
210 蒼主がはねるように腰を浮かせた。 「獅伊菜ーー ? 」 サヤメ しにぞこない 「彩女の御老体に、言ったらしいんですよ。そのようなことを。かなり昔のことなので、もし かしたら、あの女帝も見たことがあるのではないのかと」 きつい発音に、蒼主がにやりとした。 「ずいぶんな言い方をするな。恨みでもあるのか ? 」 「ええ」 ふくみを、青年医師は流した。 そち 「あそこの政治は、貧民救済措置がなってませんから」 「そうか」 わらい、ふたたび話を戻す。 「それにしても、珍しいこともあるものだ。あの義兄が不確かな話を他人にするなど。 コウジャ あ、貴里我と彼とは、近しい血縁ではあるが」 おばおい たしか、伯母と甥だったように記憶している。『一王・四大公家』は血がいりまじり、入り 乱れているので、正確なところは本人にしかわからないが 「よほど気にかかるのだろうか、さすがに義理の娘のことでは。 ところで獅伊菜。おまえ はこの情報をどこから仕入れた ? 」
そう、一一 = ロうのか ? その先の確証もないのに、混乱させるのか ? 途中で言葉を止めた皐闍に、二人の女性のけげんな視線。 大公は我に返り、何でもないというように苦笑した。付け足す。 「母上に、よく似てきたな」 透緒呼は顔を上げた。会場を見回す。 ショウウン やつばり晶雲が ? 」 「母上は ? セイネカイザ 弟が回復しなければ、筮音は界座に居残ると言っていた。 皐闍がかすかに苦くなる。 「城に残った」 それ以上のコメントはしたくないようだった。視線をそらす。 話かつづかなくなって、気まずい沈黙がおとずれる。 複雑な家庭のなかでは、なごやかな会話などというものは成立しない。い らはそれを思い知った。 こんなもの、なのかも知れない : やがて、どちらからともなく別れの一一一一口葉を口にし、義理の父娘はその場を離れた。 まさらながら、彼
33 嵐が姫《幽幻篇》 して、答える。 「晩餐は予定どおり行われるそうです」 「この雨のなかを、外でやるというのかえ ? 」 カ今年はこの雨である。 毎年、晩餐会の会場は銀灯のともされた中庭と決まっていた。ま、 「ええ。雨を演出の一部にすると、責任者の方はおっしやってました」 「ふん」 窓ガラスに、鼻を鳴らした貴里我がうつる。 「あの国王の考えそうなことよのー にくまれ口をたたいてはいるが、彼女はけっして蒼主を嫌ってはいない。むしろ、彩女の女 公は親王派である。 ただ、この大公にかかれば、蒼主など『まだまだ子供だ』ということになってしまうだけの ことだ。悪気はなかった。 「開演は ? 」 「定刻どおりに行うと」 「左様か」 みじかい会話をかわしながら、貴里我は窓辺から離れようとはしない 気持ちを察して、娘は言った。 ソウシュ