政ロシアが共産主義ソ連になっても、やはり行動様式は変わらないんですね。 社会主義は幸福であるという妄念 したがって『イズベスチア』論文は、アメリカ軍がもし極東からいなくなったら、共産主義ソ かんしん 連が何をしようと考えているかを、露骨に表明した寒心すべき事例なのです。このささやかな話 柄に照らしただけでも、向坂逸郎の言うところが偽りであることが明らかでしよう。 しかし向坂逸郎は、この論文の中で「社会主義という〈幸福〉」という表現を用いています。 社会主義、それは、幸福、なのです。だから日本国民を幸福にしてやるためには、嘘をつくこと など平気の平左なんでしよう。子どもを瞞して薬を飲ませる、あの手法を用いているつもりかと 者思われます。それにしても、日本国民は向坂逸郎によほど舐められたものですね。 主『大学』の第三段に、「心焉に在らざれば視れども見えず、聴けども聞こえず」という章句があ 教ります。心の持ち方が中正を得ていて、心が張りつめているという姿勢を持していなければ、目 翼では見えていてもそれが何であるか見わけられないし、耳では聴いていても何を言われているの というほどの意味です。向坂逸郎が共産主義ソ連について、どう見ている か聞きわけられない、 無のかを聞きましよう。 、も 最 章 ソ連はですよ、日本とはくらべものにならない。ソ連人の教養というのは、日本とはくら べものにならない。はるかに高いです。自由もね、日本とはくらべものにならない。自由で 第 llllllllllllllllllll だま 241
時、朝鮮半島でアメリカ軍が敗退しつつあった時、わが國の知識人の間には、いまに、中國 から、朝鮮半島から「解放軍」がくるという噂さが耳うちされた。 ( 中略 ) 他國民が欲しないのに、社會主義を強制してはいけないという考えは、マルクスやエンゲ ルスの昔からあった思想である。高度に發達した資本主義諸國、その他の諸國に、社會主義 を「輸出ーして他國の政治に干渉することなく、諸國との間に友交關係をもって世界平和を よくあっ 維持するということは、「他民族を抑壓する民族は自らを解放しえないーというマルクスの 基本的な考え方に據るものである。 ( 昭和訂年 5 月『世界』「社会主義の古くして新しきもの」 ) マルクスとエンゲルスは学者であるにとどまって、みずから政権の奪取をはかった革命家では なく、また現実に政権を握った政治家ではありません。だから、レー = ンやスターリンや毛沢東 が、マルクスとエンゲルスが書き記した学説から一歩も踏みださないように、みずから固く戒め たという保証はまったくありません。事実、マルクスもエンゲルスも、共産主義の政府をどう運 営したらよいかという心得や方法については、なにひとっ書き残してくれてはいません。 だから共産主義の政治家たちは、既成権力を打倒して政権を取る方法や、そのあと統治をどう したらよいかについて、その時、その場に応じて考えなければなりませんでした。そして事実、 革命が成功するより以前の段階において、レーニンがマルクスとエンゲルスの学説を大きく変え たことは、多少とも読み較べた者にとって自明の常識です。 共産主義陣営でさえ、誰もがその間の事情を認めて、レーニンがマルクス主義を″発展〃させ 234
原因がアングロ・サクソンの有力諸国家による弱い者いじめのプロック経済であった、という簡 単な常識さえ身につけていません。だから、ブレトン・ウッズ協定によってプロック経済が深刻 すなわち関税と貿易に関する一般協定が昭和二十二年に作成され、自由経 に反省され、ガット、 済圏に属する諸国の間から戦争の原因が取り除かれたことも考慮にいれていません。そういう具 体的な現実の進行など、この人にとっては、すべて見ざる・聞かざるの無関心なのです。 ひとつおばえの教条的マルクス主義者 向坂逸郎においては、資本主義は必ず何度も戦争する、というひとつお・ほえの教条が頭にある だけなんですね。だから、その信ずるところにしたがって、「三度び世界大戦が起こるーと壮重 者に予言あそばすわけです。資本主義はたえず戦争を惹き起こす。それに対して、共産主義は世界 主に完全な平和をもたらす、という根拠のない思いこみだけで議論したつもりになっているのです たくせん 教から、なんとも手のつけようもない石頭です。共産主義の教科書でおぼえたご託宣を、そのまま レコード 飽きずに繰り返している″すりきれた音盤〃みたいな人でした。 左 したがって向坂逸郎は、世の中のすべてが必ず教科書のとおりに進行すると固く信じて疑いま 無せん。 最 章 社會主義國が革命を「輸出」するだろうという考えは、わが國では保守的な方面でも、共 第一産主義者と名のる方面でも行われたことがあった。中共が中國における指導権を確立した みた ドグマ
マルクスとエンゲルスに心酔した向坂逸郎は、共産主義ソ連においてはマルクス とエンゲルスによって論じられた理想主義が、そのまま理論の通りに運営されて いると信じこみ、この世の理想郷であるソ連にくらべて、日本はなんと駄目な国 ぼうだい わめち であるかと喚き散らす一本調子で、厖大な著作を残しました。共産主義は絶対の 真理であるから、その共産主義を表看板にしているソ連は、世界で最も自由で最 も豊かで国民の教養が最も高い国であると、日本人に説教しつづけました。 ま デマゴギ 今も害毒を撒き散らす〃証拠なき一方的な虚偽中傷々 共産主義を固定観念としてかたくなに信奉するのは、ご本人の勝手でしよう。また、その思い こじゅうとめ つめた信仰を梃として、まだ共産主義になっていない日本の現状に腹を立て、いちいち小姑の ように難癖をつけるのも、あるいは思想の自由であるのかもしれません。 しかし、わが国の実態をめぐって、世にありもせぬことを現に行なわれているかのように言い はれんちデマゴギ 立て、なんの証拠も示さず一方的に居丈高に罵るのは、許すべからざる破廉恥な虚偽中傷と申せ さいな デマゴーグ さきさかいつろう ましよう。向坂逸郎は、わが国民を責め苛む中傷に専らな扇動者として、戦後日本における最も 無責任な放言家の第一人者でした。 かくだい アメリカの軍備擴張政策に協力して、日本の軍需工業を擴大しようというのは、重工業關 ( 昭和年川月『文藝春秋』「日本を危くする思想」 ) 係の資本家の目先の利益ではあろう。 日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ てこ ののし 224
しておりません。日本に対してだけ、国際共産党組織は格別に念入りに干渉したのです。 こう ここに村田陽一編訳『コミンテルン資料集』 ( 昭和年Ⅱ月日ー年 3 月日・大月書店 ) という浩 瀚な資料の集大成があります。全六巻に索引などの別巻が加わって、四〇〇〇頁を越す大冊で す。この中から国際共産党組織が発行した方針書と見まちがうような文書を探してみましよう。 メッセージたぐ もちろん挨拶の類いは省きます。すると結果は、こうなるんです。 七頁 一九二四年七月八日 イタリア共産党行動綱領 三頁 ドイツ共産党の任務について 一九三〇年三月 ベルーの共産主義者の同志諸君へ /. 九頁 一九三〇年六月 中国問題についての決議 一七頁 一九三一年七月 中国共産党の任務についての決議 一七頁 ラテン・アメリカの革命運動についてのテーゼ草案一九二九年三月 し 誰 これだけです。イタリアの場合は、ファシズムと闘え、という励ましであって、イタリアとい 家 甅う国家や社会についての論及は一切ありません。ドイツについても、社会ファシズムに攻撃を加 わず はつば ん えよ、と発破をかけるための僅か四〇〇〇字あまりの檄文にすぎません。ベルーに対しても共産 こ 章党の結成をうながすための初歩的な指南書です。支那については現段階に何をなすべきかのお説 第教です。だから、多少ともその国、その地域について、政治と経済との両面から論じた方針書 かん llllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll コミンテルン コミンテルン チャイナ ( 日付けなし )
です。並み大抵の誰にでもできる力業ではありません。日本論壇史に特筆大書されるべき創業の 偉動 . でありましよう。 まんじゅう 艶やかな表皮につつまれた毒饅頭 大塚久雄における言論活動を瞭然と特徴づける第一の志向はこうです。 おぼ つまり、どんなことがあってもけっして本音を吐かないほのめかしを主とする朧ろ語法の活用 です。自分の心底おくふかくにしまいこんである正味の考えを、あからさまな定言命題のはっき ひためん りした用語をもって表現する直面 ( 素顔 ) の言立てを慎重に避けます。社会主義者であり共産主 うなず めくば 義者である内実は、仲間同士の頷きあいと目配せによる交流の場合にのみ、気を許して多少は露 呈しますが、そういう正直な無礼講の機会はあまり多くなかったようです。 一般世間に顔出しするときには紳士的に居座いを正し、社会主義者であり共産主義者である厳 ついご面相を露呈しないために、近代主義者の仮面をかぶり、自由主義者の衣裳をこれ見よがし にまといます。日本を社会主義化しようなんて無作法な直接話法をもって突出したりせず、社会 ポーズ 構造の発展段階について考えてみよう、という風な思い入れの姿勢をとります。 れつけん キャッチフレーズ のちに歴史学研究会、通称歴研は、世界史の発展法則、という便利な惹句を持ちだして、 ふうび まんじゅう 一世を風靡したものです。この毒饅頭の外側を掩っている世界史の発展法則という艶々とした薄 皮をめくると中には世界革命必然論という黒々とした餡こが入っているという仕掛けです。 彼らはいずれ劣らぬ折目ただしい紳士ですから、天皇制打倒、などというなまなましい叫喚は つや く ちからわざ いずま おお あん つやつや きようかん 292
タリアを、本心から愛していたように思われます。 こうして見わたしたところ、世界の共産主義者は階級闘争の敵を憎みますけれども、祖国に対 しては愛国者であるのが常例です。祖国への愛が強いからこそ共産主義者になったという例も、 けっして珍しくありません。 したがって、日本だけが、本当に日本だけが、例外なのです。わが国の共産主義者だけが、祖 国を憎み、祖国の歴史を悪しざまに罵り、国民に軽侮の眼を向け、反日的日本人になるのです。 これはどうやら日本だけの特殊な現象なんですね。 なぜ、こういう事態が生じたのでしようか。決定的に重大なことだと考えます。その理由を、 以下に、まずはっきりと種明かしすることにいたしたいと思います。
七つ下がりの雨はやまぬ、という譬えがあります。午後四時頃からしとしと降り 出した雨が一晩中やまぬ場合が多いのと同じく、それまで堅物だった男が熟年に ほ、つと、つ 及んで始めた放蕩は止まらない、という意味です。加藤周一は根っからの左翼で オピニオン・リーダ はないのですが、中年に達して、俺様ほどの者を全日本が最高の世論指導者とし 、つら て崇拝しないとは、世の中、なんだか間違っとる、と怨みの情がこみあげてきた せいでしようか、みるみるうちに反日的日本人への道を突っ走りました。 売国奴の極みー・「日本はソ連の従属国になるべきだ」 わが国は共産主義ソ連の従属国になるべきだ、という聞く耳を疑わざるをえないほどの破天荒 な提唱を、直正面から堂々と新聞紙上に公表した人物がいます。私の知るかぎり日本史上にもひ じように珍しい、極端に卑屈な、売国奴の根性を丸出しにした発言でした。 戦後五〇年、共産主義ソ連を手放しで礼賛し、ソ連の言うこと為すことはすべて正しく立派で あると、ロをきわめて共産主義ソ連を褒めそやし謳歌した人は数えきれぬほどであります。しか しその人たちはせいぜいのところ、日本はソ連に見習うべきだと、あまり大声を出さずロごもり ながら言ったにすぎません。そして、わが国もできるだけ早く共産主義になったらいいなあと、 いたって可憐な願いを控え目に唱えていたにとどまります。彼らは精神的にお百度を踏んで、共 産主義という神様に手を合わせて、お祈りをしている程度でした。 しゅういち しかるに加藤周一だけは、そういう消極的なひっこみ思案の願望にとどまらず、大きく飛びだ たと 192
そのあたりの呼吸をよくわきまえている竹内好は、共産主義北京政府を擁護するために周到な 論陣を張りめぐらします。そのためには、まず第一に、ヒ 」京政府は危機にさらされているのだと 言い募る必要があるわけです。 そこから、北京政府のすることなすことはすべて自衛のためなのだから、同情的に見なければ ちょうだい はや ならぬ、というお涙頂戴の論点が生まれます。可哀相なはこの子でござい、と囃したてるのと同 じ要領で、可哀相なは北京政府でござい、と沈痛な口上を高らかに述べたてるわけです。その皮 切りが、次のようなおどろおどろしい文言です。 紹介せねばなりませんが、それはともかくとして、時代がそう向いていると見て取ったゆえに、 竹内好は、言葉のうえでだけですが日本を見離して見せます。 わたしも絶望しちゃいまして、できれば、どこかへ亡命したい気持です。 折角そう思いたったのだったら、さっさと憧れのシナ大陸へ亡命してくれたらよかったのにと 思いますが、北京政府にとっては、この男がひとり亡命してきたところで、さしあたりなんの使 エージェント い道もないでしよう。それよりも、あくまで日本に踏みとどまり、北京政府の忠実な代理人とし て活躍してくれてこそ、シナの国益に多少とも利するところがあるわけです。 「日本は中国とすでに戦争をはじめた」という嘘八百 せつかく ⅢⅢⅱ きもち ( 同前 ) 210
ビョンヤン よそ 平壌の街は実に美しいそうで、他国の話ながらそれはまことに結構でありましようけれど、 その理由が、「北朝鮮では車の私有は認められていない」からであるというに至っては驚きであ り、そして次には、安江良介の根本思想があざやかに浮かびあがってきます。 北朝鮮には当然のこと私企業はないのですから、車はすべて公的機関のみに所属するという意 味でしよう。要するに、安江良介は「私有ーを軸とする自由経済を排撃したいのですね。 北にあってはかなり徹底した社会主義化が進行し、 ( 同前頁 ) と、観察の言辞を弄しているときの羨ましそうな口調はまた別格です。安江良介にとって、自 きゅうてき 由経済は仇敵なのでしよう。 何百億円という利益をあげている大企業、とくにそのキャビタル・ゲイン ( 資本利得 ) を あげている企業、そういう偏った、そうして正常な経済活動とはいい難い利益への課税を三 五 % から二〇 % に引き下げることによって、その企業には何十億という利益が政府の行為に ( 同前頁 ) よって残るはずです。 この人は「利益」という言葉に接しただけで、身震いするほど腹が立っ性格であるように思わ 章 第れます。もっともそれは栄えている企業についてだけであり、規模のささやかな出版社の場合は ⅢⅢ日 かたよ がた