版、昭和年 6 月日刊、頁 ) と認めました。 しかし、それだからますます頑張るそ、という強硬な心意気なんでしようね。 なにしろ金魚の糞のように小粒がたくさん連なっている進歩的文化人の大軍を、小手をかざし て眺めるように見渡して、誰からも言われたわけではないのに、みずから進んで自分が「先頭」 を切っているのだと言い立てる心臓は、相当なものです。何事につけても、人間は自分を高みに おくことで幸福になれるものなんですね。 では、なにゆえに久野収は自分が進歩的文化人の「先頭」を行く顕著な存在であると公言する だけの自信が持てたのでしようか。ここに、いささか興味ぶかい証言があります。伊藤整の代表 的な名論文が生まれたのは俺様のせいだそという、伊藤整を前においての露骨な手柄話です。 ぼくは、『中公』の戦後を代表する論文にはいった伊藤さんの「近代日本人の発想の諸形 式」、『思想』の編集長がきていろいろ話をしているうちに、この問題で伊藤さんに書いても らったらといって、示唆したわけです。 ( 〈久野収対話集〉『思想史の周辺』人文書院、昭和町年Ⅱ月 1 日刊、頁 ) 普通、この種の内輪話は、編集当事者の立場のことも考えて、みだりに口外しない心得が ジャーナリズム 言論界における常識ですが、久野収は : せひともこういう話題を記録に残しておきたかったの でしよう。 ふん 174
ました。支那は政権の正統に強くこだわる国ですから、明↓清↓中華民国↓中華人民共和国、こ の系統図に固執しなければなりません。 そくてんぶこうシュウ さんだっ 中華人民共和国は、たとえば前漢と後漢の間の新、あるいは則天武后の周のような簒奪政権で はなく、中華民国から正統を受け継いだ合法政権であると主張する以上は、蒋介石がした約束を そのとおりに踏襲しなければ面目が立たないわけです。 それゆえ、日中平和友好条約においても賠償権は放棄されています。したがって、中華人民共 チャイナ 和国がもしなんらかのかたちでこの問題を蒸しかえせば、彼らの政権は支那三千年の正統ではな いと、みずから公表する結果になりましようね。すべては落着しているのです。 トリ . ック 詐術だらけの大江・謝罪補償論 ここで、話は大江健三郎に戻ります。 大江健三郎の謝罪補償論には、論理のうえで矛盾と曖昧と背理にみちています。 第一に、これまた繰り返しになりますが、近代における国家と国家の間では、謝罪といえど も、それを条約のかたちで現実化するのが常識です。 たとえば、第一次大戦後のヴ = ルサイ = 条約、これは連合国側に有無を言わせず強制されたも のとはいえ、内容の面ではドイツが謝罪した結果となっています。問題は、常にどういう条約を 結ぶかの話合いに落ちつくわけですから、大江健三郎が謝罪論をふりまわすのである以上、支那 に対する謝罪条約の条文原案を公表する義務があります。さあ遠慮しないで発表なさいよ。さぞ チャイナ あいまい ご、ン チャイナ
者は、時代の動きと世の行く末のすべてを占うことができたのです。 では、なぜこういう喜劇的な風景が見られるようになったのでしようか。理由の第一はもちろ たくせん ん、これが国際共産党組織のご託宣であったからです。ゆえにこの判定は、安心して依拠できる スムーズ 誤りなき真理であると敬虔に信仰されたわけです。そのうえで、理由の第二は、わが国が快調に 共産主義化されないことへの不満が、このふたつの言葉によって簡単に慰められたからです。 なにしろ、日本は真っ当な正常な高度の資本主義ではないのだから、と、そう観念すれば、革 命が早急に実現しないことについての焦だちがなんとかおさまります。残念ながら、わが国は前 近代なんだから、そして半封建なんだから、仕方がないじゃあないか。こういう悪い条件がある あきら 以上、当分は諦めなければならないなあ。それまでは理論闘争だけで時間をかせぐことにする か。諦めの理由が見つかったら、心が安まりますものね。 理由の第三は、ゆえに当分は危険をおかしてまで革命運動に身を投じる必要はない、と達観で きることです。わが国の左翼のとくに論壇人が、いわゆる実践には一向に身を乗りださず、書斎 あんじんりゅうめい での執筆にとどまりながら、安心立命の境地を楽しむことができたのは、今はその時期に非ず と、自分で自分を納得させることができたからでした。 国際共産党組織の狙いは、日本の共産主義者を闘争に駈りたてるための叱咤激励であったの に、それが皮肉にも裏目に出た結果なのでしようね。 理由の第四は、このお守り札を二枚そろえて持っているだけで、正当な学問に挺身している気 分になれたことです。学問の根本は批判精神であるということになっていますね。批判なるか と、つ しった
「悪魔の思想」の誕生 一一 = 口論界を牛耳りつづけた売国奴たち 戦後五〇年です。その間、総体として一一 = ロえば、日本の社会的な風潮は、先の大東亜戦争のた め、多大の罪悪感を持つように、国民を引きずり回してぎました。 しかも、この傾向が一段と高まったのは、時間が進むにつれての″押しつけ〃だったのです。 すなわち、日韓基本条約 ( 昭和四十年 ) と日中平和条約 ( 昭和五十三年 ) によって、国際関係の諸問 題が解決し、国交がきちんと正常化したそのあとから、京城政府および北京政府に、平身低頭す べきであるという時流が強まったのです。まことに、おかしな根拠のない思い込みでした。 そのため、中華人民共和国や大韓民国などアジアの諸国が、先の大戦にまつわるさまざまな言 い掛かりを突きつけてきたとき、その言い分を無条件に受け入れるという習慣が生まれました。 それも、正規の外交ルートを通じての公式な申し入れではないのです。一方的な放言として、わ わめ が国を攻撃したり、 いわゆる不快の意を憎々しげに表明したり、新聞の論調で喚きたてたり、と どうかっ いう手口でした。すべて、近代国家としての正式な手続きを経ない非公式な恫喝だったのです。 それにもかかわらず、わが国のその時その時の政府は、それこそ無条件で頭を下げ、相手側の ーしき 言い分を全面的に認めて、拝跪する姿勢を通してきました。政府よりもっとひどかったのは、新 聞とテレビによるわが国の言論界だったのです。本来なら、国民の意向を反映すべきはずの言論 ぎゅうじ
じるようになりました。これまた一向に珍しくもない、ありふれた自然な経過です。 ところが竹内好の場合は、近代現代のシナを崇敬し高く持ちあげるにとどまらないで、現代シ ナを尊重し称賛する思い入れを梃に用いて、ひたすら、わが国を罵倒する放言に熱意を燃やしま こと′」と した。なにがなんでも、常に悉くシナは正しく清らかであり、そのご立派な尊敬すべきシナに 較べて、なにがなんでも、すべて、必ず日本は劣っており間違っている、という結論が一律に導 きだされました。 その生涯を通じて竹内好は、日本に対して肯定的な評価を下したことがなく、彼にとって日本 はあらゆる面において否定と非難の対象にしかすぎませんでした。反日的日本人という言葉がで 人きるより遙か遙か昔、半世紀以上も前から、竹内好は筋金入りの反日的日本人でありました。 エージェント 昭和四十一 玳彼の一生は、日本におけるシナの代理人として終始したと申してよいでしよう。 実 年、竹内好は日本の風潮を批判して、こう言います。繰り返しますが、昭和四十一年という時点 忠 府での発言なんですよ。 政 京 どうも日本の指導者は大東亜戦争をつづける方向にいっている。 体 ( 昭和れ年 5 月日『週刊朝日』〈連載トップ対談〉 @) 正 の そ こけおど 章たいへん極端な誇大妄想の虚仮威しですが、これは竹内好という″喚き立て屋〃を特色づける 第一貫した性癖でして、これからさき何度も、この種の神経が異様に昂奮した病的発作の放言をご駟 ⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ はる てこ わめ
フランスフランス共産党は第二次大戦中に非合法化された。 イタリア一九二六年一一月に特別治安維持法が成立し、イタリア共産党は地下活動に入っ ドイツ 一九三三年三月九日、ドイツ共産党は非合法化された。 西ドイツ一九五六年、ドイツ共産党は連邦憲法裁判所により違憲と宣告せられ、解散せし められた。 アメリカ合法的なアメリカ労働者党と別に、地下活動を続けていたアメリカ共産党は一九 二三年に解消した。一九三〇年にアメリカ労働者党は共産党と改称した。このア メリカ共産党は一九四三年、非合法化を予測して解党した。一九四五年七月に再 建されたが、一九五六年のスターリン批判により打撃を受け、解体状況に追いこ まれ、ようやく一九六〇代以降に蘇生したものの方向を模索中である。 一九二〇年、カナダ共産党は非合法化された。一九二一年、カナダ労働者党とし て再組織され、のち共産党と改名した。このカナダ共産党は一九三一年に非合法 化されたので、一九四〇年にはカナダ労働進歩党と改名した。 じよ、つと、つ スマート 進歩的文化人の飽きもせず常套とする論法は、世界中の近代国家はみんな合理的に運営されて いるのに対し、日本だけが、わが国だけが、世界の大勢にそむき、世界の進行に遅れ、愚かな程 度の低い段階にとどまっているのだという貶めです。もちろん、自分の国にまだ至らぬところが カナダ おとし 184
代工業は、今にもわが国を追いぬくかもしれないと観察する人もあるほど隆盛の一途をたどって います。 ばっぜん アジアの活力が勃然として目覚めました。まことに結構なことではありませんか。坂本義和が 「経済的進出」と呼ぶ日本の努力によって、アジアの近代化は、いまようやく軌道に乗ったので す。わが国もうかうかとしてはおれません。お互いに紳士的な競争によって、共存共栄の実があ がっている、それが誰の目にもあきらかな現実です。 しかし、坂本義和の目にはそういう喜ばしい光景が見えないらしい。彼は目を開いて見るので めいそう 家はなく目を閉じて瞑想し、日本の海外貿易を「侵略」だと罵ります。つまり、彼の頭には半世紀 イメージ 詭まえにすでに終わった帝国主義時代の映像しかないのですね。坂本義和の思考においては、時計 ストップ る すの針が五〇年まえで停止しているのです。 断 なぜ、そんな馬鹿げたことになったのでしようか。その理由は、彼が経済的発展そのものを憎 と 家んでいるからでしよう。、 しや、そう言っただけでは正確ではありません。彼は日本の経済的発展 略をこそ憎んでいるのです。それは、なぜか。 済国民の生活水準が高まれば高まるほど、人びとは現在の自由経済機構を肯定的に評価するよう をになります。そうなったら日本を共産主義化しようという意向が弱まるではありませんか。その じだんだ 日傾向を見てとって、坂本義和は地団駄踏んでいるのです。 章すべての共産主義待望論者とまったく同じく、坂本義和もまた、日本国民が貧困にあえぐ日が 第くることを心から願っているのでありましよう。 257
チャイニーズ ませんか、いつまでも過去にかかずらわっているのは愚かな停滞です。支那人が、ひとっ覚えに 昔のことを掘じくりかえすのは、それを言い掛かりにして少しでも多くの援助を引き出そうとい う、その意味ではよく計算された下心ある企みです。 本当に近代化された健康な意識のみなぎる国なら、もっと正々堂々と理に訴え、いまわが国を 援助することは将来において貴国のためになる投資の意味を持つのですよと、経済発展の観点か ら納得のゆくように訴えてくるでしよう。そうしないで、専ら過ぎさった時代を口実に用いて、 ュスリ・タカリの論法で突っこんでくるのは、彼らが精神的発展途上国人だからです。 われわれは彼らの陰湿で持ってまわった難癖など意に介さないで、賢明な方法をこちら側で十 論分に考えて、最も効果的な援助の方法を勘案すればよいのです。大陸の経済が繁栄し購買力が高 補まるのは、ただちにわが国の国益につながるのですから、正統的な方向で友好の度を深めるべき であること言うまでもありません。 しかし、大江健三郎の念頭には、大陸の経済発展に資するための思案などまったくないようで チャイナ す。彼にと 0 て支那の将来などどうでもよいのです。彼の意図するところは、支那問題を恰好の 原楯にとって、ひたすら日本および日本人を責める論難だけなのですね。 彼は日本のことしか考えていません。この日本をどうしたらよいかの探究ではなく、過去およ さいな 国び現在の日本人をどう言って責め苛んだらよいかの工夫だけが、彼の頭を占めているすべてであ 章るようです。 第大江健三郎は、われわれのご先祖を悪者あっかいし、現在のわれわれを愚か者あっかいする論 たて チャイナ もつば
と場合によりくるくる変わるのが常です。あるとき北を戦闘目標に決めたかと思えば、翌年には 南からの侵入にそなえて陣営を立て直す、それが軍の勉強であり、訓練ではありませんか。 しかし、ここはいちおう坂本義和の顔を立てて、百歩も千歩もゆずって、日本陸軍がソ連との 戦闘を想定して大動員をかけたとしましようか。その場合、「計画」を立てたことと条約を破っ たこととは、決定的に画然とした差があって、そもそも次元のちがう問題であるという常識はど だざいおさむ こへ行ったのでしよう。太宰治のロ真似をして、ああ計画は罪なりや、と言いたくなります。 相手が条約を破る″計画〃をしているから、だから当方は条約破りを″断行〃するのは正当行 家為だ、という論理がもし通用するのなら、権兵衛が私を殺す計画をしていると見てとったから、 詭だから私が権兵衛を殺しても罪にならない、 という奇妙な法理論が成り立っことになります。坂 でたらめ す本義和の申し立ては、白を黒と言いくるめる出鱈目の背理であること明白でしよう。 断これは、中世・西欧の魔女狩りの論理にすぎません。「お前は隣の亭主と不義密通する夢を見た ひあぶ ひあぶ 家な、よって有罪。火焙りの刑に処す」、「お前は異教の教えに心を動かしたな。よって火焙りー 近代以前、 この論理のもと、まことに多くの人間が罰されてきました。 済その究極は宗教戦争で、ドイツ三〇年戦争 ( 一六一六 5 四八年 ) では、ドイツの人口は半分にな だいさつりく をつたそうです。それほどの大殺戮が行なわれたわけですが、その教訓から誕生したのが「信教の 日自由」「良心の自由ーで、何人も、何を考え、何を信じようと自由であり、国家が個人を罰する 章ことができるのは、内面と無関係に、その行為がもたらした結果に準拠するということになった 第のです。つまり、「殺してやりたい」ではお咎めなし、殺人が起こってはじめて国家権力は動き おが 251
です。並み大抵の誰にでもできる力業ではありません。日本論壇史に特筆大書されるべき創業の 偉動 . でありましよう。 まんじゅう 艶やかな表皮につつまれた毒饅頭 大塚久雄における言論活動を瞭然と特徴づける第一の志向はこうです。 おぼ つまり、どんなことがあってもけっして本音を吐かないほのめかしを主とする朧ろ語法の活用 です。自分の心底おくふかくにしまいこんである正味の考えを、あからさまな定言命題のはっき ひためん りした用語をもって表現する直面 ( 素顔 ) の言立てを慎重に避けます。社会主義者であり共産主 うなず めくば 義者である内実は、仲間同士の頷きあいと目配せによる交流の場合にのみ、気を許して多少は露 呈しますが、そういう正直な無礼講の機会はあまり多くなかったようです。 一般世間に顔出しするときには紳士的に居座いを正し、社会主義者であり共産主義者である厳 ついご面相を露呈しないために、近代主義者の仮面をかぶり、自由主義者の衣裳をこれ見よがし にまといます。日本を社会主義化しようなんて無作法な直接話法をもって突出したりせず、社会 ポーズ 構造の発展段階について考えてみよう、という風な思い入れの姿勢をとります。 れつけん キャッチフレーズ のちに歴史学研究会、通称歴研は、世界史の発展法則、という便利な惹句を持ちだして、 ふうび まんじゅう 一世を風靡したものです。この毒饅頭の外側を掩っている世界史の発展法則という艶々とした薄 皮をめくると中には世界革命必然論という黒々とした餡こが入っているという仕掛けです。 彼らはいずれ劣らぬ折目ただしい紳士ですから、天皇制打倒、などというなまなましい叫喚は つや く ちからわざ いずま おお あん つやつや きようかん 292