どういたしまして。本書の冒頭でも説明しましたように、彼らは″自己の生存〃に関してはなか なかの策士そろいで、その子分・亜流を言論界と報道界に続々と送り出してきましたからねえ。 そのため、向坂逸郎の妄想は、今も朝日新聞や毎日新聞、さらにはなど、″社会正義〃 を全面に押し出す報道において、その基調をなす視座となっているのです。 さて、日本も「軍需工業を拡大しよう」としているというのは、向坂逸郎の立場からはごく当 たり前の思考法なのですけれど、アメリカは好戦的な悪い国だから「軍備拡張政策ーを推進して いるのに対し、共産主義ソ連は平和を愛する善い国だから、「軍備拡張政策」など考えてもいな いはずである、という論理が前提になっているのでしようね。それでなければ、アメリカだけを 責めるのはあきらかな矛盾です。 しかし向坂逸郎だって馬鹿ではないのだから、ソ連が「軍備拡張ーを着々と押し進めているこ とぐらい百も承知でしよう。けれども、それを言っちゃおしまいですから、さしあたりアメリカ の側だけを攻撃して話を逸らそうとの企みでしよう。さて、それでは軍需産業は、なぜにそれほ どイケナイのであるか。 軍需工業に資本を集中すると、國民の生活水準は下がらざるを得ない。 この人の本職は経済学者ですが、古いマルクス主義経済理論については記憶力が秀れているの でよく覚えているにしても、経済の現実に注意を払ったことはないのかもしれません。民営の、 ⅢⅡⅢ マスコミ すぐ ( 同前 )
すかにそっとほのめかします。ほら、あれだよ、あれだよ、もうわかったでしよう。それしかな部 いでしよう。さよう、革命だよ、とね。 無条件降伏という真赤な嘘の煽動者 鶴見俊輔の見るところ、日本はいまだかって戦争に勝ったことはありません。 一九〇五年の日露戦争の終り ( 9 頁 ) 対露戦争を推し進めていき、そして敗北なしにそれを終らせたやり方 ( 9 頁 ) 日露戦争で日本がロシアに勝ったなど、そんな失礼なことはロが裂けても言うものか、と鶴見 しゅうは うやうや 俊輔は共産主義ソ連に恭しく秋波をおくります。この紳士的な鶴見俊輔の厳粛な自制力に較べ ると、スターリンのほうがはるかに率直で言葉を飾りませんでした。第二次大戦の終わり近く、 いよいよ日本へ攻めこむとき、これから日露戦争の仕返しをするのだと、将士をはけましたこと はよく知られています。スターリンのほうが鶴見俊輔に較べてよほど現実的で正直ですな。 さて、その鶴見俊輔がうって変わって、日本の場合は単なる降伏ではなく無条件降伏であった としつこく、しつこく一言い張ります。 一九七七年に批評家江藤淳 ( 一九三三↓は、一九四五年八月一五日に起ったことは日本国 ⅢⅢⅱ日 ⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ えとうじゅん せんどうしゃ
動きがソ連攻撃の予兆に見えるのでしようね。共産主義ソ連に尊崇の念を抱いた途端に、日本を 叩き罵り、罪の塊に仕立てあげなければおさまらないというのが、反日的文化人に例外なく共通 する強固な性癖であると見受けられます。 ポッダム宣言を正確に読みとった石橋湛山 そして、いったん歴史の偽造をはじめると、それを繰り返し積み重ね、常習犯となるのが落ち さぎからす 家 着く先であるようです。大内兵衛は、次のように鷺を烏と言いくるめます。 造 偽 の 史 ドイツ、日本がそれそれ降伏したのであった。降伏はポッダム 連合軍に對してイタリー 歴 ( 同前 ) 宣言を前提としての無條件降伏であった。 と 犯 トリック 主この文章は、念入りに構成された詐術によって成りたっています。最後の文章は「降伏は 戦ではじまっているのですが、それは具体的にどこの国の「降伏、を指すのか、わざと慎重に明示 一一を避けているところが曲者なのです。この「降伏ーが日本の降伏を指すことに誤解の余地はあり はませんが、同時に、当然のこと「イタリー ドイツ、日本ーを含めているとも読みとれます。そ タネ 日こに手品の種があるわけで、日本の降伏は、イタリーおよびドイツと同じ形態において行なわれ 章たかのごとく示唆するのが狙いでありましよう。 第ここのところに隠された嘘があります。ポッダム宣言を受諾したときの日本は、国家の統一が ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ いしばしたんざん センテンス
して加害者になったことがないという意識に裏打ちされているが、これは、国際政治につい ての常識に照らしてみてもかなり独善的な自己イメージであるといわざるをえません。一方 だけが一〇〇パーセント被害者などということは、国際政治にそう多くあることではありま ( 昭和年 7 月川日〈日本平和学会編〉『沖縄』早稲田大学出版会 ) せん。 私は残念ながら「国際政治」の専攻者ではありませんが、このようにして聞くと「国際政治」 学の論理というのは、一律に喧嘩両成敗と頭から決めてかかって、事実の検証はしないという、 家前近代的な審判無用の学問なんですね。 詭インドがイギリスに支配されたとはいえ、インド「だけが一〇〇。 ( ーセント被害者などという あいみたが すようなことはなく、インドもまた、イギリスに対する「加害者」であったのだから、相身互い 断と観念しなければならないのでしようか。また、ヒトラーがスターリンと密約してポーランドに 家攻めこんだのも、「一方だけが一〇〇パーセント被害者などというようなこと」はなく、ポーラ 略ンドもまた、ドイツとソ連に対する「加害者」であるのだから、当然の仕打ちを受けたと思って 済素直に分割された、と考えるべきなのでしようか。 をあまりに馬鹿馬鹿しいので、もうこれくらいでやめにしておきますが、いずれにせよ、日本は 本 共産主義ソ連に対する「加害者」であったという根拠のない言い募りによって、なにがなんでも しやくねっ 章日本に非があったと断定したい坂本義和の日本罪悪論は、もはや灼熱の域に達しているようで 253
者 主「いまに、中国から解放軍がくる」という証言の意味するもの 教 ただし向坂逸郎は可憐にも根がお人好しであるらしく、話のはずみでつい重大な証言を残す結 翼果となりました。この人が「わが国の知識人、と呼んでいるのは、もちろん世にいう進歩的文化 人を指すわけですが、この文章によれば、戦後の進歩的文化人の間では、「いまに、中国から朝 無鮮半島から〈解放軍〉がくるという噂さが耳うちされた」事実があるのです。 最この「〈解放軍〉がくるーという見通しは、もちろん、それは嫌だ、という意味ではなく、そ という熱烈な期待の感情であったこと言うまでもありません。これは記録に刻 章れはありがたい、 第みこんで記憶しておくべき忘れてならぬ証言です。 つまり、スターリンが衛星国とするため革命を「輸出ーした東欧諸国は、「高度に発達した資 本主義諸国、その他の ( それに類する程度の ) 諸国」と見なすことのできない発展度の低い国であ ったのだから、そういう遅れた国に対してなら社会主義を「輸出」したところで、それならマル いくん 、というねじまがった申し立てであろうと推定されます。 クスとエンゲルスの遺訓にそむかない なんとも苦しまぎれの、人を馬鹿にした子どもだましの屁理屈ですが、これでも向坂逸郎は一 生懸命に努めているんです。つまり、共産主義国が日本に攻めてくることなど金輪際ありません よ、と保証し請け負う弁明によって、わが国の全国民を精神的に武装解除して、あらかじめ″そ の日〃のために「解放軍」が入って来やすいようにしておく準備作業なのでしよう。ご苦労さま なことでした。 237
サンフランシスコ この文章が発表されたのは、昭和二十六年九月に桑港で日本とアメリカなど四十八の連合国 との間で対日講和条約が締結され、翌二十七年四月二十八日に発効した、そのわずか半年あとに すぎない時点においてです。 わが国がようやく独立をとりもどしたばかりのこの時期、国内に、もう早や早やと「軍需工業 を拡大しようという」動きがある、と向坂逸郎の心眼にはありありと映ったのでしようね。 どこに立地する何という軍需産業で、製造されていた品種は何であるのか教えてもらいたいも のです。 もちろん、そういう動向はどこにもありませんでしたが、向坂逸郎の議論が終生一貫してそう 者であったように、事実の有無なんか彼にとってはどうでもいいんです。日本は憎むべき資本主義 主国なのだから、資本主義国であるかぎり軍需工業が生まれるのは当然のこと、したがって日本も 教「軍需工業を拡大しよう」としているに違いないゆえ、それを今から叩いておかなければならな わめ 翼 という神聖な義務感にかられた喚き立てなのでしよう。 左 ここまでお読みの読者は、もう十分に納得されていると思います。反日的日本人全般に共通し 任 無た情念は、事実の有無などとは無関係に、日本を、そしてアメリカを、ただただ反動、反民主的 最であり、真理を信奉する者の敵であると攻撃することなんですね。なにしろ、「三十二年テーゼ」 章 が「それこそ絶対的な真理」と保証しているのですから。 第共産主義ソ連が破産した今、彼らの害毒はもはや恐れるに足りないのでしようか。いえいえ、 225
スターリンが強力な軍事力を背景に持ちかけるこの括弧つきの「相互友好条約ーなるものが、 たど ソ連の国益を優先して相手国を制圧する不平等条約であることは、その後の東欧諸国が辿った道 筋に照らしてあまりにも明瞭ではありませんか。共産主義ソ連が迫ってくる「友好」がすなわち ソ連に対する従属であることは、 いくら繰り返して言っても足りない歴史的事実です。ソ連は、 もちろんフィンランドに対しても東欧を統制したのとほとんど同じ手を使いました。 スターリンはこれ〈注・東欧諸国に対する相互友好条約〉をフィンランドにも及ぼしたのであ ふん る。こうした状況下〈注・東西冷戦の開始〉で、一九四八年の「芬ソ友好相互援助条約」の鋼鉄 ( 同前 ) の蜘蛛の糸が、フィンランドの上にも投げかけられたのである。 武田龍夫はフィンランドの面子を十分に配慮して、露骨に実情を暴露しないよう気を使ってい えんきよく ますが、巧みな比喩をもって婉曲に事態の意味するところを訴えています。一方的な束縛のまっ 「友好条約」という名の「鋼鉄の蜘蛛の糸」 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ て続くのである。一九四七年のパリ平和条約によって、ソ連の思うがままの衛星国の状態を 脱することが出来たと思ったのも束の間、早くも次の危機が始まるのである。すなわちこれ よりも先に始まっていた東西の冷戦下において、ソ連は東欧諸国とつぎつぎに相互友好条約 ( 同前 ) を締結していた。 メンツ コントロール かっこ 200
加藤周一が読者に知らせまいと企んで、わざと隠蔽した歴史的事実は以上のとおりなのです。 当初からフィンランドは平和の維持を願いとして、厳正中立を保っていました。フィンランドが きばむ ソ連に牙を剥いたことは一度もありません。しかし、この隣接する小国フィンランドの平和志向 と中立方針を、ソ連は尊重して友好を旨としたでしようか。 そもそも、かっての帝政時代から共産主義体制の時期を通じて、ロシアが他国の平和主義に敬 意を表して襲いかからなかった例は見出せないのです。のみならず、不可侵条約を一方的に破る 常習犯でありました。フィンランドは圧倒的な軍事力によって奇襲攻撃を受けたのです。その無 法な侵略に抗して、フィンランドが驚嘆すべき英雄的な抗戦を続けたからこそ、結局は敗北の憂 あきら 目を見たとしても、ソ連は第二次大戦後、フィンランドを衛星国にするのは得策ではないと諦め 戦たのでした。 級 フィンランドの独立は、フィンランドがソ連に対して友好を持ちかけたせいではありません。 す徹底的に抗戦して、ソ連にさんざん手を焼かせ、この国を丸取りすることはできないと肝に銘じ りさせたからです。 売 抗戦なくして独立なし。これが中立国にとって唯一の道であることは疑いのないところです。 連 そして現在のフィンランドが置かれているのは、「平和という名の戦争状態」である、と武田龍 を 祖夫はあえて念押しに強調しています。 章 第 しかしフィンランドの危機はまだ去ったのではなかった。それは戦後においても依然とし ⅢⅢⅢー いん。へい 、つき 199
( 『戦う北欧』 ) は恐らく新たな世界戦争にもなりかねないという判断ともつながっている。 つまり、フィンランドはソ連から舐められておらず、軽蔑されてもいないのであって、むし やけど ろ、うつかり手をつけたら、ただちに反撃されて火傷する厄介な存在であると恐れられているわ けです。あの貪欲きわまるソ連に、なぜそれほど強く警戒されているかについては後述します が、「新たな世界戦争にもなりかねない」とまでソ連が深く怖れる理由は、言うまでもなく、フ インランドが軍事力を保有し、のみならず戦いの士気がなみなみならず強く、容易に撃破できな いと見ているからです。 ソ連は観音様のように慈悲の心をもって、フィンランドを温かくいつくしんでいるのではあり 犯 ません。手を出したら逆に噛みつかれて難儀な局面に立ち至ることが必定だから、癪に障るけれ 戦 どやむをえず見逃しているにすぎなかったのです。そういう事情から生まれたソ連のフィンラン すド対策は、「むしろこれを共産圏外の〈飾り窓〉として、対ソ協力の基本路線さえ誤らなければ、 りある程度自由にさせよう」 ( 『戦う北欧』 ) と許容する次第となりました。つまり、西欧に対する見 せかけのいわゆる飾り窓戦術に転換したわけです。 連 では、なぜソ連がフィンランドに「一目置いて」接するようになったのか。それは有名なフィ を あつば 国 ンランドとソ連との冬戦争で、フィンランドが天晴れ抗戦した実績がもたらした成果なのです。 祖 いきさっ 章武田龍夫が簡潔に描きだすところは次のような経緯です。 第 ⅢⅢ しやく 197
象」のほうなのです。誤りの根拠はふたつあります。 おもわく その第一は、フィンランドの現状を可能にしている根本の理由がソ連の思惑であるという政治 的な理由の認識です。その第二は、ソ連がフィンランドに対してのみ、例外的に手控えの姿勢を けいがん とらざるをえなくさせているところの歴史的な理由の把握です。いかなる慧眼をもってしても、 「短い旅行」の間に政治の裏面が見てとれるわけもなく、い わんや複雑な歴史の過程が会得でき るはずもありません。加藤周一は無責任に一国の命運を論じる不誠実な説教師なのです。 ソ連がフィンランドを恐れた理由 たつお 加藤周一のフィンランド化の勧めが書かれるその七カ月も前に、武田龍夫が『戦う北欧』 ( 昭 和年 1 月日・高木書房、改題『嵐の中の北欧』中公文庫 ) を刊行して、フィンランドの歴史と現状を 克明に描いています。加藤周一は「短い旅行」で観察した自分の洞察力に自信を持つあまり、武 田龍夫による記述を参照する謙虚な姿勢をすでに失っていたのでしよう。 やつばり、本は読むべきものですね。武田龍夫の見るところはこうです。 現在のフィンランド人は ( 中略 ) モスクワはフィンランドに内心一目置いていると考えてお り、そのことは衛星国にしてしまったフィンランドは、そうでないフィンランドよりはるか に手に負えない存在になってしまう、というソ連側指導層の認識とつながっていると考えて いる。またフィンランドを共産化するには武力による軍事占領だけであり、同時にそのこと ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢー 196