いまかっ 我が国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことが未だ嘗てないのであ ( 頁 ) と、全面否定の極端語法を弄します。そしてまた、『現代政治の思想と行動』の執筆動機をの ちにみずから回想して、 私は日本社会の恥部をあばこうと試みている。 ( 『後衛の位置から』川頁 ) と自認しています。つまり、なんとしても日本国民を全面的に批判し、弾劾し、世界に向かっ るて彼が「日本社会の恥部」であると見なしている部分をあばこうと試みる摘発を、自分の聖なる かん 分使命であるとひたすら観じていたのです。 その場合、丸山眞男の努力目標は「国民の政治意識」の「低さーを少しでも高めるべく国民に 冷働きかけるというような根気のいる啓蒙活動ではありませんでした。ただもう「あばこうと試み 国る」暴露と、軽蔑と、嘲笑だけが目指すところのすべてだったのです。 章しかも、国民の全員をひっくるめて批判するのではありません。丸山眞男によって「本来のイ 、つる グループ 第ンテリゲンチャーと評価される人たちは深く嘉されて免罪となります。この美わしき群れに属す ⅢⅢⅧ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ビューデンダ ろ、つ よみ 103
その乾杯のとき、私はお世辞のつもりで、つまらぬことをいって大失敗をした。私は少し お調子にのって次の如くいった。 ( い頁 ) じくじ しかし、桑原武夫が当意即妙にきつばりと反論したからこそ、一応は忸怩たる言を弄しているわ けで、もしその座に桑原武夫がいなかったら、大内兵衛の「富士山よりも」「琵琶湖よりもー論は、 ほかならぬ日本人が言うことなのだからと、大いに喜ばれたであろうこと間違いありません。 よそ たんしよう 他所の家へ参上して座敷に通されたら、まず床の間の掛軸を嘆賞するのが礼儀でしよう。ま こほ た、子褒め、という言葉がありますように、利発なお子さんですなあと、嘘でもお世辞を言わね ばなりますまい。 しかし、その時に留意すべき心得は、直接にわが家と比較するような言辞は固く慎しむことで かかあへちゃ す。ああ奥様のお美しいこと羨ましいかぎり、それに較べて家内は醜女でさつばりですわ、など と言い立てられたら、褒められたほうはどんな顔をしたらよいのでしよう。大内兵衛は、その場 おっちょこちょい の空気を陽気にするお世辞の言い方もわきまえない軽薄漢だったのでしよう。 エルミタージュ美術館に富が集められた理由 うな 大内兵衛は、共産主義国のことなら何から何まで、手放しで唸り声をあげんばかりに讃嘆しま す。レニングラードのエルミタージ、美術館に感激すると、ただちにわが国と比較しなければ気 が済まないのですね。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日 、つらや ろ、つ
みずからの歴史の誤りをみずから償おうとする意思力のきわめて弱い日本の場合は、その 目はさらに曇らざるをえない。 ( 同前 ) 日本の歴史を「誤りーであると強弁することによって、明治以来の日本国民すべてを罪人扱い する論理です。 なるほど、いちおうロ先では「日本人の一人として」と言ってはいますが、その実、自分は並 みの「日本人」一般とは違うと言い立てているわけですね。自分および自分たちだけは「誠実と むね 主体性」を確保しているという旨の胸をそらした宣言です。 自分たちごく一部の者だけが「誠実」であると自画自賛するためにわが国民のほとんどすべて もっゆいがどくそん は不誠実であり主体性を欠如していると罵り、それを以て唯我独尊の快をむさぼろうというのが この連中の一貫した方針なのです。 よみがえ 『かくて昭和史は甦る』が指摘した歴史的事実 わいきよく そのためには、歴史を歪曲して平気の平左であるという鉄面皮には呆れてものが言えません。 歴史の問題として、日本は朝鮮半島との間にけっして「誤りーをおかしていないのです。あら ゆる議論は事実に基づいてなされねばならぬこと自明の理でありましよう。 どういう事実が現にあったか、渡部昇一が『かくて昭和史は甦る』 ( 平成 7 年 5 月日・クレスト 社 ) において、次のごとく明快に要約しています。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ よみがえ 160
さげす め、貶め、辱め、蔑んだ例は、まことに珍しいのではないでしようか。 もしどこかの奇特な出版社が『日本人による日本国民攻撃全集』を刊行するときには、ぜひこ の本を第一回配本に選ばれるようお勧めします。 こうかん 巷間ささやかれている伝説によれば、さすがの横田喜三郎も、後年これはいささか己れに都合 が悪いという気になって買いもどしはじめたものですから、そのため古書界に出まわる冊数がひ でもの じように少なくなり、もしたまたま出物があって売りに出されるときには、内容に値打ちがある からではけっしてなく、要するに、はなはだお目にかかれない珍品であるという理由で、常識は たか ずれのひじように高価い値段がつくのだそうです。 横田喜三郎の見るところ、日本国民は長い歴史を通じて、変わることなく民族として最劣等だ 」 0 たようです。 君主と人民との対立は西洋諸国のことで、日本では君主である天皇と人民とが一体をなし ていて、すこしも対立することはないといわれるが、かりにいままではそうであったとして も、それは日本人がいままで君主主義のもとに封建と専制にならされ、自我の自覚も個性の 意識もなく、自由の価値も平等の観念も理解しなかったことによるものである。 ( 『天皇制』頁 ) 章 じようき たわごと 第こういう空虚な囈言を書き記している人の精神は、すでに常軌を逸しているのではないでしょⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ おとし はずかし
心したのであります。ところが日本のファシズムのイデオロギーにおいては、労働者は、終 ( 頁 ) 始小工業者や農民に比べて軽蔑されているのであります。 これこそ、両者を対比した場合に断じて無視できない決定的な差異ではないでしようか。さら には、もっと劇的な比較も可能です。 こういうふうにナチスでは大衆を組織化し、その組織のエネルギーによって政治権力を奪 取したのですが、日本の「下から」のファシズム運動はついに最後まで少数の志士の運動に はなはだ おわり、甚しく観念的、空想的、無計画的であったこと、これが日本のファシズムの運動 ( 頁ー頁 ) 形態に見られる顕著な傾向であります。 ひが つまり、日本のファシズムは「大衆を組織化ーする方向をとらなかったのですから、彼我のこ 分の違いも断絶的です。こういうわけで、丸山眞男自身が率直に語っていますように、ナチス流の に行き方が「本来の意味でのファシズム」であるとするなら、それとの本質的な差異があまりにも 冷ひどすぎるので、日本の場合は、そう簡単にファシズムだとは一一 = ロえないことになります。ところ 国が不思議千万にも、判 0 ているくせにわざと判らぬふりをして、突然の勇断に進みでます。 章 それは日本ファシズム運動も世界に共通したファシズム・イデオロギーの要素というもの ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱ ⅱⅢⅢ わか
た戦後新たに米国の占領軍政府によって取り除かれていない赤色恐怖と結びついて、戦後の ( Ⅲ頁 ) ひとつの潮流をつくり出しました。 、つら つまり「帰ってきませんでした」ことを怨んだり嘆いたりしてはイケナイのです。そうです か、共産主義ソ連にもいろいろご事情がありましようから、と平静に、安穏な気持ちで受けとめ おもむ るべきだったんですねえ。それなのに国民が「不安と苛立たしさ」に赴いたものですから、その ため「戦後のひとつの潮流」、すなわち共産主義ソ連への反感が募ったのです。 えんきよく 煽それは昔の「赤色恐怖と結びついて。いるイケナイ考え方であるそよ、と鶴見俊輔は婉曲に説 の いかなる理由があるにせよ、共産主義ソ連を憎ん 教を垂れます。いかなる事情に基づくにせよ、 ℃ではならないんです。事態が発生した根源の理由は、ただもう絶対にただひとつ、日本人が、日 す本人だけが、ワルイことをしたのですから。 本 「シベリア抑留の死者五万数千人は本人の責任」という極悪非道 善 べそもそもなぜ、かくも多数の日本人が捕虜になったのか。考えぶかい鶴見俊輔の見るところ、 はそれは、やはり日本がイケナイのだからでした。 連 ソビエト・ロシア政府と日本政府との双方によって確かめられた統計によりますと、シベ 章 リアに抑留された五七万五〇〇〇人の日本人捕虜のうち五万五〇〇〇人が抑留中に死亡しま 第 ⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ
は、日本に対する「三十二年テーゼ」のほかはただ一篇、 ラテン・アメリカの革命運動についてのテーゼ草案一九二九年三月 ただこれだけなのです。 本当にこれつきり、これつきり、なんです。国際共産党組織が存続した期間に、発行した イギリスドイツ フランス イタリアアメ 方針書の相手は、日本と、そしてラテン・アメリカだけです。英国も独逸も佛蘭西も伊大利も米 コミンテルン テーゼ 国も、これら先進諸国のうち、国際共産党組織から方針書を頂戴した国は一国もありません。 すなわち、国際共産党組織の主要な任務のうちには、各国の共産党に方針書を授けるなどとい う差し出がましい振る舞いは、いささかも予定されていなかったのです。国際共産党組織にとっ ては、方針書を与えるという所作は、常例でもなく、慣習でもなく、本務でもありませんでし テーゼ た。方針書の授与は、まことに例外的な、まったく格別の措置だったのです。 しかも、ラテン・アメリカに対してはただ一回きりであるのに対して、日本に向かっては、何 テーゼ 回も何回も、しつこく繰り返して継続的に発行しています。日本が頂戴した方針書の類いは、な んと次のとおりなのです。 日本における共産主義者の任務 日本共産党綱領草案 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ⅢⅢ コミンテルン コミンテルン コミンテルン 大正Ⅱ年 1 月日 大正Ⅱ年肥月頃
「統制ーに当たる「支配者」に思い遣りがなければ、けっして円滑に運営されません。人間を動 かすには情念に訴えるしかないのです。一寸の虫にも五分の魂、と言うではありませんか。自発 的な服従心がなければ組織は動きません。人生、意気に感ず、それが人間の行動の原理なんで す。人の心を無視した「統制」や「抑圧ーに誰が従うものですか。 ふえん その間の呼吸をめぐっては、丸山眞男自身が適切に古典を引用して敷衍しています。 ヒュームという哲学者が、「どんな専制政治でもその基礎は人の意見である」ということ をいっておりますが、たしかにどんな専制政治でも被治者の最少限度の自発的協力がなくて ( 頁 ) は存在することは出来ない。 さすがによく勉強して、ちゃんとわかっているじゃありませんか。こんなのを″論語読みの論 語知らず〃というのでしようか。 いずれにせよ、丸山眞男が一方的に弾劾する「擬似」インテリが「地方的な小集団ーにおいて もつぼ 「統制」「抑圧」を専らにしたという事実はありません。そんな「統制」「抑圧」を加えたら、た だちに反撃を受けて横暴な「支配者」はその地位を失います。 「統制」「抑圧」論は、丸山眞男が戦争末期のわずかな期間に体験した軍隊生活からの安易な連 かさ 想にすぎません。自分が肌身に触れて具体的に知っているのでない事柄については、嵩にかかっ た論断を控えるのが学者の良心ではないでしようか。 ⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 100
見」なるものは常に無謬であると断言できますか。 新聞や雑誌をちらちら読んで、今ならテレビもそれに加わるでしようが、その「意見」に接し て、はあそうですか、よくわかりました、と叩頭するような根性では、時代の真実をきっちり把 握することなど不可能でしよう。あるいは無条件降伏論が大勢を占めていたから、という逃げロ 上を用意しているのかもしれません。しかし人の世では千人のうち九九九人が不覚にも誤った考 えにおちいり、ひとりだけが的を射た見解を持していたという事態もありうることは常識じゃあ りませんか。一犬虚に吠え万犬実を伝う、という言葉があることぐらいご存知でしよう。 鶴見俊輔がやけつばちみたいに証拠として持ちだした当時の新聞雑誌に、。 とんな迷説愚論がど れだけたくさん載っていようと、それらはすべて非常識な錯誤の間違いでしかありません。正し いのは第二章で詳しく述べたとおり、石橋湛山であり江藤淳なのです。 日本の経済発展を呪う支離減裂 鶴見俊輔は、また日本の経済発展を呪う姿勢を堅持しています。 一九六〇年に起こった「エコノミック・アニマル」という傾向は、戦争中にまかれたこれ らのタネ ( 注・「国体観念」を指す ) から発芽して成長し、成熟した思想であるともいえます。 ( 頁 ) ⅢⅢ川ⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ むびゅう こ、つとう
象」のほうなのです。誤りの根拠はふたつあります。 おもわく その第一は、フィンランドの現状を可能にしている根本の理由がソ連の思惑であるという政治 的な理由の認識です。その第二は、ソ連がフィンランドに対してのみ、例外的に手控えの姿勢を けいがん とらざるをえなくさせているところの歴史的な理由の把握です。いかなる慧眼をもってしても、 「短い旅行」の間に政治の裏面が見てとれるわけもなく、い わんや複雑な歴史の過程が会得でき るはずもありません。加藤周一は無責任に一国の命運を論じる不誠実な説教師なのです。 ソ連がフィンランドを恐れた理由 たつお 加藤周一のフィンランド化の勧めが書かれるその七カ月も前に、武田龍夫が『戦う北欧』 ( 昭 和年 1 月日・高木書房、改題『嵐の中の北欧』中公文庫 ) を刊行して、フィンランドの歴史と現状を 克明に描いています。加藤周一は「短い旅行」で観察した自分の洞察力に自信を持つあまり、武 田龍夫による記述を参照する謙虚な姿勢をすでに失っていたのでしよう。 やつばり、本は読むべきものですね。武田龍夫の見るところはこうです。 現在のフィンランド人は ( 中略 ) モスクワはフィンランドに内心一目置いていると考えてお り、そのことは衛星国にしてしまったフィンランドは、そうでないフィンランドよりはるか に手に負えない存在になってしまう、というソ連側指導層の認識とつながっていると考えて いる。またフィンランドを共産化するには武力による軍事占領だけであり、同時にそのこと ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢー 196