り、とりわけ独占資本主義であり、さらには帝国主義である、ということになります。日本に は、左翼史観が唱える世界史発展法則の各段階がすべてそなわっているというわけです。まこと けんらん に絢爛たる博物館の展示場ですな。 レッテル 要するに、いわゆる社会科学用語の道具箱から、手あたり次第に有りあわせの貼札を取りだ おとし ののし し、それらを貶め言葉として罵り用語として、これでもかこれでもかと貼りつけていった結果で らんちき しよう。まことにご苦労な、定義と診断と弾劾の乱痴気騒ぎにすぎませんね。 しかし純情なわが国の学者は、これを深刻に判読し、これらの判定をすべて生かしながら、矛 盾なく統一的に解釈すべく、七転八倒の苦しみを、長くつづけなければならぬことになります。 お守り札となった則 「 ~ 近代」と「半封建 , ことにこのうち、日本の学者と思想家と評論家にあまねく受け入れられたのは、前資本主義 的、つまり前近代、加えてそのうえ、半封建、という一対の規定でした。テーゼがあれほどしつ ののし がこく畳みかけた、強盗的、という品の悪い評語は、ごく一部の″怒り罵り屋〃を別にすれば、さ すがに一般にはロ真似されなかったようです。 家 甅しかし、前近代、と、半封建、は、ほとんどすべての人によってすこぶる愛用されました。昭 ん 和期のあらゆる思想論文を瞥見するとき、すべての論者が例外なく、片足を、前近代、に置き、 こ 章もう一方の足を、半封建、に置いているという事情をわきまえていなければ、なにを論じている わず 第のか解読することができません。前近代、半封建、この僅か二枚のお守り札さえあれば、左翼論 べつけん いつつい = ロ
つるみしゅんすけ 〈日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状〉 第三章「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者 デマゴーグ 大正 11 年生まれ。ハーバード大卒。 京大、東エ大助教授を経て同志社 大教授。日本の経済発展を呪い、日 本軍のシベリア抑留を当然とした。
実質において戦争に対して責任を有するのは、機関の地位にある現実の人間であるから、 ( 『戦争犯罪論』頁 ) それを処罰するのが正当だ : ・ 常用語の「実質において」に、 ここではとうとう強調の傍点がっきました。よほどしつこく声 ね ふ を大にして我流の理論で捻じ伏せたかったのですね。横田喜三郎は「機関の地位にある」者すべ じつば てを「処罰するのが正当だーと指を突きだして摘発します。いちいち調べる必要はない、十把ひ おたけ とからげに断罪してしまえ、という雄叫びです。 くら しかし、現実の東京裁判は少なくとも横田喜三郎に較べて多少は格好をつけましたから、「機 関の地位ーにあった者すべての個々にわたって調べました。その結果、「機関の地位ーにあった けれども責任はなかったと認められた多くの人が不起訴となりました。 よないみつまさ 横田喜三郎の論理からすれば、たとえば米内光政 ( 海軍大臣 ) のごときは極刑に処せられるべ きだったでしようが、横田喜三郎の期待に反して、米内光政は東京裁判では被告人ではなく証人 となっています。横田喜三郎はさそ口惜しがったことでしようね。横田喜三郎と東京裁判と、ど 犯罪」に関する明確な法の規定が見当たらぬものですから、そこは「実質的に見てーという万能 の如意棒をくりだすべき場面です。「国際犯罪ーであるとは言いきれないものだから、「国際犯罪 ばんこく としての性質を有するーと、これまた「性質」という言葉に万斛の重みをかけて、論証にならぬ 「実質ーの判定、一丁あがり、となります。 ⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ
次 目 日本への恐怖が生んだ「三十二年テーゼ」 おおうちひょうえ 〈戦後の学界、言論界の大ポス・大内兵衛への告発状〉 第二章「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家 エルミタージュ美術館に富が集められた理由 いしばしたんざん ポッダム宣一言を正確に読みとった石橋湛山 日本の近代を「ドロボウ根性」と呼ぶ倒錯 つるみしゅんすけ 〈日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状〉 デマゴーグ 第三章「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の煽動者 ″ソ連はすべて正しい〃という説教 「シベリア抑留の死者五万数千人は本人の責任ーという極悪非道 日本の経済発展を呪う支離減裂 まるやままさお 〈戦後民主主義の理論的指導者・丸山眞男への告発状〉 ごんげ 第四章国民を冷酷に一一分する差別意識の権化 「本来のインテリ」と「擬似インテリーという差別意識 なぜ、これほど日本人を憎んだのか
いのです。すべて正当な観察であり、訂正の必要はありません。にもかかわらず、新聞とテレビ は、向こう側の言い分だけがもっともであると肩を持ちました。 あわ そのため政府は慌てふためいて大臣の首を差し出し、相手側のご機嫌を伺って膝を屈め、身を 屈し、両手を突いて平伏しました。 現在、こういう 状況にあるわが国は、果たして真正の独立国家と言えるでしようか。他国の言 いなりになる国は、真っ当な独立国家ではなく、従属国家と規定されなければなりません。この 卑屈な上目遣いのご機嫌伺いは恥辱の極みです。 事柄をはっきりさせるために申し添えますが、こういうふうに、大臣の首を差し出せという声 が、国民の中から沸き起こったことは一度もありません。国民が謝罪せよと申したことは断じて ありません。これはたいへんおかしい、と国民は思いつづけてきました。どこか大筋で間違って いると、国民のすべては、なんとなく、もやもやした割り切れない気持ちでいました。そのよう に冷静な国民の意向を踏みにじったのが、ごく一部の売国奴なのです。 売国奴とは国を売る者であり、国を裏切る者です。国を裏切るとは、すなわち、国民を裏切る ことです。そして国民を裏切るとは、つまり、国民を卑しめることなのです。私たち国民は彼ら さげす 売国奴から蔑まれているわけです。 「悪魔の思想」は、なぜ生まれたのか このような、日本という国家を、ということはつまり、その本体である日本国民を、かぎりな と、つ しんせい
みずからの歴史の誤りをみずから償おうとする意思力のきわめて弱い日本の場合は、その 目はさらに曇らざるをえない。 ( 同前 ) 日本の歴史を「誤りーであると強弁することによって、明治以来の日本国民すべてを罪人扱い する論理です。 なるほど、いちおうロ先では「日本人の一人として」と言ってはいますが、その実、自分は並 みの「日本人」一般とは違うと言い立てているわけですね。自分および自分たちだけは「誠実と むね 主体性」を確保しているという旨の胸をそらした宣言です。 自分たちごく一部の者だけが「誠実」であると自画自賛するためにわが国民のほとんどすべて もっゆいがどくそん は不誠実であり主体性を欠如していると罵り、それを以て唯我独尊の快をむさぼろうというのが この連中の一貫した方針なのです。 よみがえ 『かくて昭和史は甦る』が指摘した歴史的事実 わいきよく そのためには、歴史を歪曲して平気の平左であるという鉄面皮には呆れてものが言えません。 歴史の問題として、日本は朝鮮半島との間にけっして「誤りーをおかしていないのです。あら ゆる議論は事実に基づいてなされねばならぬこと自明の理でありましよう。 どういう事実が現にあったか、渡部昇一が『かくて昭和史は甦る』 ( 平成 7 年 5 月日・クレスト 社 ) において、次のごとく明快に要約しています。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ よみがえ 160
て知らぬ顔でいればよいのです。 さて、話を戻して条約について検討しましよう。 韓国については、昭和四十年六月、日韓基本条約および付属協定が調印されました。これによ って日韓の関係は新しい段階に入り、それ以前の事柄はすべてご破算となりました。条約を結ぶ ということは、それをもってすべてにケリをつけるという断絶を意味します。 いったん条約に調印した以上は、二度と再び以前のことは問題にしないと、互いに合意したと 納得するのが、近代国家に共通の常識です。 という固 条約の締結とは、その時点から以前の過去にさかのぼった言立てはお互いにしない、 論い約束なんですよ。世界中を見わたしても、条約が成立したあとから、昔のことを持ちだして コリアチャイナ 補駄々をこねているのは韓国と支那だけです。放っておけばいいんですよ。 中華人民共和国については、昭和四十七年九月の日中共同声明、昭和五十三年の日中平和友好 条約、これにて一件落着なんです。もし不満があるのだったら、まだ当方の気がおさまらないか え 弁らと、条約の締結に応じなければよかったんですよ。調印した以上は過去についてとやかく言わ 原ないのが近代国家の心得です。それでもしつこく昔のことを言い立てるのは、この国がまだ近代 まっとう の 国家として成熟していない証拠なんですから、早く真当な外交意識を持てるように成長しなさい 国よと、辛抱して気ながに待つより仕方がないでしようね。 章さらにまた、この国については格別の事情があります。 しようかいせき 第終戦の直後、中華民国の総統・蒋介石は、日本に対しては賠償を要求しない、 と公式に声明し齠
原因がアングロ・サクソンの有力諸国家による弱い者いじめのプロック経済であった、という簡 単な常識さえ身につけていません。だから、ブレトン・ウッズ協定によってプロック経済が深刻 すなわち関税と貿易に関する一般協定が昭和二十二年に作成され、自由経 に反省され、ガット、 済圏に属する諸国の間から戦争の原因が取り除かれたことも考慮にいれていません。そういう具 体的な現実の進行など、この人にとっては、すべて見ざる・聞かざるの無関心なのです。 ひとつおばえの教条的マルクス主義者 向坂逸郎においては、資本主義は必ず何度も戦争する、というひとつお・ほえの教条が頭にある だけなんですね。だから、その信ずるところにしたがって、「三度び世界大戦が起こるーと壮重 者に予言あそばすわけです。資本主義はたえず戦争を惹き起こす。それに対して、共産主義は世界 主に完全な平和をもたらす、という根拠のない思いこみだけで議論したつもりになっているのです たくせん 教から、なんとも手のつけようもない石頭です。共産主義の教科書でおぼえたご託宣を、そのまま レコード 飽きずに繰り返している″すりきれた音盤〃みたいな人でした。 左 したがって向坂逸郎は、世の中のすべてが必ず教科書のとおりに進行すると固く信じて疑いま 無せん。 最 章 社會主義國が革命を「輸出」するだろうという考えは、わが國では保守的な方面でも、共 第一産主義者と名のる方面でも行われたことがあった。中共が中國における指導権を確立した みた ドグマ
と、つ とすばらしいことではありませんか。この論理からすれば、日本国民は北京政府ができるだけ強 力な核兵器を持ってくれるよう、ひたすら祈って声援をおくらなければならぬことになります。 いっとき共産主義者が唱えた迷文句に、「帝国主義国 ( 自由経済諸国を指す ) が核実験でまきちら す灰は黒く汚れているが、共産主義国が核実験で生みだす灰は白く清らかである」という抱腹絶 ひやくしやくかんとう 倒の珍論がありました。しかるに竹内好は百尺竿頭一歩を進めて、アメリカやソ連が保有する 核兵器は核戦争の可能性をはらんでいるが、北京政府が持つであろう核兵器は、これだけは例外 的に格別に、核戦争を防ぐ力になる、と保証したわけです。 竹内好のひそかに夢みるところ、アメリカもソ連も核兵器をすべて放棄し、北京政府だけが核 兵器を持つ状態こそ望ましいのかもしれませんね。 エトランゼ 中国の核実験に感動する異邦人 そうして、ついに北京政府は核実験に踏みだしました。待ってましたとばかり歓喜おくあたわ ざる声をあげます。いちおう日本の国民感情をおもんばかって悲しげな風をしてみせますが、そ シュガーコート れはご愛想の糖衣にすぎないので、この露骨に高らかな勝利宣言をご覧ください。 中国の核実験は、不幸な出来事でした。あってはならない、あらしめてはならない出来事 でした。人間として、わけても日本人として、この出来事を残念に思わぬ人は少いでしょ う。これは理性の立場です。理性の立場からは、私はこれまでも中国をふくめてすべての核 ふう ほうふくぜっ
タイプ きる人は、よほど傲慢か、あるいは底ぬけにお人好しの型でしよう。その「本来のインテリゲン チャ」は一律に善玉でありすべて完全に無罪なのです。そして一方「擬似ーという用語に込めら みぞう れた限りなき見下し、軽蔑する冷酷な視線は、古今未曾有です。 夏目漱石には明治の実業家を罵る癖がありましたけれど、敵視するそれら実業家の数はごくわ あいきよ、つ 月説の中で登場人物がぼやいてみせるのですから、作品構成上のご愛嬌 ずかでした。さらには、、 という意味もありました。しかし丸山眞男の場合は、事情が根本から異なります。 なぜ、これほど日本人を憎んだのか まず第一に、彼は論説の中の中核となる主要部分で、正面から「国民の中堅層ーを指弾してい 権 の るのですから、仮託の言いまわしではなく、初めから正真正銘の本気です。 そして第二に、弾劾している対象が「国民の中堅層」のすべてであり、その中から若干の容疑 る者を選び出して事情聴取に入るのではなく、「国民の中堅層ーひとり残らずを、ひとまとめにま 分るごとそっくり全員に責めを負わせております。ここに、丸山眞男の比較を絶する顕著な特色が に見られます。 ばりぞうごん かんしやくだま 冷明治以来、なにかに対して激しい癇癪玉を破裂させ、国民の一部に罵詈雑言を叩きつけた人の 民例は珍しくありません。誰だって、ときには肚の虫がおさまらんという場合もあるものですよ。 章しかし、そういう場合の相手は常に必ず限られていました。見境なし、誰彼かまわずの論難とい 第うのは世に案外少ないものです。 ノ、ロ かたく だんがい ののし