売りが通常の商売のしきたりでないこと言うまでもないでしよう。 本来、物品の売買こそ最も平和な相互交換ではありませんか。買う人は欲しいと思うから買う のです。値段が妥当であると認めたから手を出すのです。商売の次元では押し売りなんて絶対に ありえません。いわんや、国際貿易はお互いに損得を十分に計算したうえで自発的に購入を決め るのですから、品質や価格に少しでも難点があったら買わなければいいのです。 なぜ、日本の経済発展を憎むのか ただし、世界史のやむをえぬ流れの途中においては、帝国主義時代という、カずくで捩じ伏せ て買わせる横暴な押し売りも横行しました。しかし幸いにも帝国主義時代はあきらかに終わりを すなわち関税と っげたのです。昭和十九年のブレトン・ウッズ協定から昭和二十二年のガット、 貿易に関する一般協定にいたる過程で、関税の差別待遇をなくする「自由貿易の原則ーが確立さ れました。戦後の世界に、もはや強圧的な押売りはありえないのです。 日本の商品がアジアの全域にゆきわたったのは、アジアの各国民がそれを心から歓迎して、進 ひも んで自発的に財布の紐をゆるめたからであること言うまでもありません。 わが国の商品が喜んで受け入れられた結果はどうなりましたか。 第一に、アジア諸国の生活水準が向上しました。第二に、アジア諸国民に、自分の国でもこう しげ・き いう秀れた商品を造ってやろうという生産意欲をおおいに刺戟しました。第三に、それゆえアジ ア諸国の生産業が非常な勢いで発展しました。第四に、勢いのおもむくところ、アジア諸国の近 にく 256
薬はしだいにじわじわと効きました。今日においても、この悪魔の呪いは、まだかなり有効にⅡ 機能しています。村山富市前首相は、戦後五〇年にあたり、わざわざ談話を発表し、「植民地支 配と侵略によってアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」との一方的な歴史認識を表明 し、「心からのお詫びの気持ちを表明する」と謝罪しました。しかし、大東亜戦争がアジアの興 隆に決定的な刺激となったことは、アジアの心ある人びとの誰もが認めています。その歴史的意 義については、さらに五〇年を経た将来、おのずから明らかになるでしよう。 総理大臣にはさまざまな職務がありましようけれど、歴史を裁定するという重大な権限は総理 に委任されてはおりません。村山談話は職務を逸脱した越権と申さねばならぬでしよう。こうい う談話を発表しなければならない必要はまったくなかったのです。 えとうたかみ また、江藤隆美総務庁長官は「植民地時代に日本はよいこともした」と、当然至極の歴史的事 実を指摘しただけで、京城政府による非公式の圧力でやむなく辞任しました。これが国辱でなく てなんでありましようか。 一体全体、こんな日本に誰がした ! わが日本を、こんな国家に誰がした ! 今や、この重大 な根本問題に真剣な問いを発すべきときではないでしようか。 その犯人は、歴然とはっきりしています。それは「反日的日本人ーの群れであり、なかでもそ うんか れらの牽引者です。日本の敗戦を好機として、浮塵子のごとくに湧きだし、躍りだし、それ以 うぞうむぞう 後、五〇年の長きにわたって、有象無象の「反日的日本人」を大量に生みだすよう努めた頭目ど ちょうりよ、つはっこ もが跳梁跋扈しました。これらの親分たちは学閥を背景に学界で巨大な権力を握り、人事を
アジアを知らないでアジアを論じたマルクスの放言を下敷にしていることはもちろんですが、 近代日本は「封建的ーよりもさらに進化程度の低い段階にとどまっているのであるという峻烈な 判定なのでしようね。 ( 吾が国民衆の示しつ & ある人間類型は ) 少くとも近代「以前」的のものであるといふことは殆 ど説明を要しないことであらう。 ( 同前 7 頁 ) いつの場合においても「説明を要しない と突っ撥ねて国民のひとり残らず全員を一方的に貶 らくちん 斥しつくすのは、 いたって楽珍な優越感の満足でしようなあ。あまりにも馬鹿馬鹿しいので、ま ともな反論を「要しない」と思われます。 あの そこには近代人に特有な内面的自発性も見出されない。市民社会特有の「公平ー 中世的な「公平」ではない の特性も見出されない。近代科学成立の基盤たる合理性も見 出されない。更に近代精神を根底的に特徴づけてゐるあの民衆への愛と尊敬、名も無い民衆 また の日常的経済生活を深くも顧慮するところのあの社会的関心も亦未だ見出されない。 ( 同前 7 頁 ) せき これが明治維新このかた八十余年を閲した近代日本社会の赤裸々な実態なのです。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ さら けみ 284
代工業は、今にもわが国を追いぬくかもしれないと観察する人もあるほど隆盛の一途をたどって います。 ばっぜん アジアの活力が勃然として目覚めました。まことに結構なことではありませんか。坂本義和が 「経済的進出」と呼ぶ日本の努力によって、アジアの近代化は、いまようやく軌道に乗ったので す。わが国もうかうかとしてはおれません。お互いに紳士的な競争によって、共存共栄の実があ がっている、それが誰の目にもあきらかな現実です。 しかし、坂本義和の目にはそういう喜ばしい光景が見えないらしい。彼は目を開いて見るので めいそう 家はなく目を閉じて瞑想し、日本の海外貿易を「侵略」だと罵ります。つまり、彼の頭には半世紀 イメージ 詭まえにすでに終わった帝国主義時代の映像しかないのですね。坂本義和の思考においては、時計 ストップ る すの針が五〇年まえで停止しているのです。 断 なぜ、そんな馬鹿げたことになったのでしようか。その理由は、彼が経済的発展そのものを憎 と 家んでいるからでしよう。、 しや、そう言っただけでは正確ではありません。彼は日本の経済的発展 略をこそ憎んでいるのです。それは、なぜか。 済国民の生活水準が高まれば高まるほど、人びとは現在の自由経済機構を肯定的に評価するよう をになります。そうなったら日本を共産主義化しようという意向が弱まるではありませんか。その じだんだ 日傾向を見てとって、坂本義和は地団駄踏んでいるのです。 章すべての共産主義待望論者とまったく同じく、坂本義和もまた、日本国民が貧困にあえぐ日が 第くることを心から願っているのでありましよう。 257
このような抗議〈「公害反対ーを指す〉から目をそらして、日本の多国籍企業のいくつかは、 ( 頁 ) 朝鮮、フィリ。ヒンなどに工場をつくり、公害をこれらの国々に輸出しました。 鶴見俊輔は心の底から日本人を憎んでいますから理解できないでしようけれど、わが国びとは 努力し精励する素質を生かして技術を発展させ、公害をついに克服しました。公害という不幸な 事態が起こったとき、それをどう考えるかの態度にふたとおりあります。 さげす その第一は、鶴見俊輔のように経営者を憎み、技術者を貶め、勤労者を蔑み、国民を馬鹿にし て、公害がますますひどくなるのを見越して手を叩いて喜ぶ反日本人派です。 その第二は、わが国の経営者を信頼し、技術者の努力に望みをかけ、勤労者こそ国を支えてく れているのだと尊び、国民の向上意欲に期待する純日本人派です。 不幸にして、韓国はわが国の進出企業に考えうるかぎりの意地悪と妨害をして、撤退を余儀な くされましたが、アジア全域に向かってわが国の企業は効果的に進出しています。各地からねん ごろな要請を受け、おおいに歓迎されています。鶴見さん、あなたはこの現況を見て、不愉快き じだんゼ わまり憤激し、「ああ腹立ちや腹立ちゃーと地団駄踏んでいるでしようが、まあそのように思い ちょうねんてん つめて腸捻転など起こさぬよう、くれぐれも健康にご留意ください。 ⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢ おとし
近代資本主義的だけではなく、歴史的により高い段階への移行をも亦同時に含めてゐるので ある。 ( 『近代化の人間的基礎』序の川頁ーⅡ頁 ) 戦後進歩的文化人の最初の原型 では、その桃源境を連想させる「より高い段階ーとは、 か。それを推察するための材料は、次の一節でしよう。 人類の経済生活或ひは社会の経済的構造は悠久な世界史の過程の裡にあって、幾つかの発 達段階を経過してゐる。大づかみに言へば、古代アジア的、古代奴隷制的、中世封建的、近 ( 『近代化の歴史的起点』れ頁 ) 代資本主義的の諸構造段階がそれである。 要するに、型どおりの唯物史観に基づく構想らしいのですが、慎重な大塚久雄は「より高い段 階」とは何かについて、この時期、つまり昭和二十二年現在においては、ついにひとことも明言 しませんでした。まるで謎解きのように読者に首を傾げさせ、腕組みさせ、考えこませ、焦らし て迷わせるなんて悪趣味ですねえ。 ようやく率直に解答を明示したのは、なんと二二年後のことでした。『大塚久雄著作集』第八 巻 ( 昭和料年川月 9 日・岩波書店 ) の「後記」において、次のように種明かしをします。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢ ある かし いかなる社会構成を指すのでしよう また 290
この場合に「余り見ることなくーと言って「余りという変な留保条件をつけたのは「固より 前衛的近代人層は別として」と断わって、日本共産党に会釈するための細やかな心遣いなので た す。それはまあご愛嬌として、大塚久雄によるこの言立てによれば、近代日本社会は、近代的資 本主義組織のみあって、近代的人間は日本共産党員をのそいてはひとりもいなかった、という不 思議な世界であるということになります。 船舶は航進しているのに船員がひとりも見あたらないという、かっての谷讓次が描いた世界海 難史上に有名な怪談そっくりの光景となります。 吾が国の民衆が一般に示しつ & あるところの人間類型、或ひは彼等の醸し出しつ & あるエ いながた トスが、現在なほ凡そ近代的・民主的なものでないことは社会学的観点から見て到底否み難 賊 ( 同前 6 頁 ) いところである。 国 し 定 近代的でもない、民主的でもない、それなら「封建的」と評されるべきなのでしようか。い 否 をや、封建的の域にまで達していないのだそうです。 本 日 代 近 吾が国民衆の示しつ & ある人間類型は簡単に封建的と云ひ切ることは出来ない一層複雑な 章 ( 同前 7 頁 ) 謂はばアジア的なものであると思ふが : 第 川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢ 日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ およ ある じようじ もと 283
シナに「しつかりとした謝罪と補償」を行なえ、というのが大江健三郎の主張で しようかいせき す。しかし中華民国総統蒋介石は日本に対する賠償請求権を放棄する旨、公的に 声明しました。ゆえに中華民国の正統な継承者であるという建て前の中華人民共 和国は当然のこと前政権の方針を受け継いで賠償は不要であると認めました。し たがって大江健三郎の言う補償とは実は献金を意味します。日・本人約六〇〇〇万 の勤労者に対して大江健三郎は、貴様たち、こぞって金を出せ、と叫んでいるの です。税務署より恐い人ですね。 良識の府・参議院が示した見識 平成七年が戦後五〇年にあたることから、これを機会に、わが国はアジア諸国に謝罪の意を表 ジャーナリズム すべきであるという提唱が出てきました。例によって一部の言論界がはやしたて、政界では社 会党左派が言い出し兵衛となり、それに同調する議員も現われたという次第です。 げんじ しかし、もともと謝罪なんていうわけのわからぬ情緒的な言辞は、政治の次元で課題となるべ しした き性質のものではありませんから、それは問題にならない一時の発作的な筋ちがいの言立てであ ると正当に判断し、反対する議員も少なくありませんでした。 しかるに、社会党左派の当時の首相・村山富市が、それを推進しようと熱を入れます。衆議院 では議長が土井たか子ですから、なにがなんでもと、ごり押しの議論が進められました。 一方、それを非とする常識のある議員の反対も少なくなく、結局はあれこれ妥協の産物とし 268
亜流が亜流を産む悪循環 戦争についての議論だけではありません。今度は経済の次元に話が移ります。なんとまあ日本 は悪い国ですねえ、経済行為においてすら、日本は「侵略」しているのだそうです。 戦後の日本は、軍事的な進出や侵略ーーベトナム戦争は典型ですが はアメリカの責任 にゆだね、日本はもつばら経済的な進出や「侵略」をアジアに対して行なってきたという特 徴をもっています。 ( 昭和年 1 月『世界』「日本の生き方」 ) 驚くべき情報ですが、ベトナム戦争は日本が「アメリカの責任にゆだね」て、後ろから糸を引 いていたらしいんですねえ。もちろんこの無茶苦茶な申し立ては筆がすべったせいでしよう。っ まり下手な文士みたいに、ちょっと気取って単純な対句趣味に流れ、「軍事的な進出や侵略、経 済的な進出や〈侵略〉」という調子の無神経な語呂あわせを楽しんだらしいんです。 坂本義和における反日の論理は、ここに至ってひとつの頂点に達しました。この人が日本を敵 ふっとうてん 視する感情はとうとう沸騰点にまで高まっています。わが国の経済が成長し発展した事態に、あ まなこ あ腹立ちや腹立ちゃと憎悪の眼を向けるのです。日本経済が躍進したのは罪悪だ、と坂本義和は にら 目を三角にして睨みつけます。 したがって、日常の仕事に精励して怠らず、わが国の経済を隆盛にみちびいた勤勉な日本人 が、坂本義和の心眼には厭うべき悪者に映るわけです。なんとも怖い恐ろしい大審判官が、わが llllllllllllllllllllllllllllllllllllllll ごろ 254
「悪魔の思想」の誕生 一一 = 口論界を牛耳りつづけた売国奴たち 戦後五〇年です。その間、総体として一一 = ロえば、日本の社会的な風潮は、先の大東亜戦争のた め、多大の罪悪感を持つように、国民を引きずり回してぎました。 しかも、この傾向が一段と高まったのは、時間が進むにつれての″押しつけ〃だったのです。 すなわち、日韓基本条約 ( 昭和四十年 ) と日中平和条約 ( 昭和五十三年 ) によって、国際関係の諸問 題が解決し、国交がきちんと正常化したそのあとから、京城政府および北京政府に、平身低頭す べきであるという時流が強まったのです。まことに、おかしな根拠のない思い込みでした。 そのため、中華人民共和国や大韓民国などアジアの諸国が、先の大戦にまつわるさまざまな言 い掛かりを突きつけてきたとき、その言い分を無条件に受け入れるという習慣が生まれました。 それも、正規の外交ルートを通じての公式な申し入れではないのです。一方的な放言として、わ わめ が国を攻撃したり、 いわゆる不快の意を憎々しげに表明したり、新聞の論調で喚きたてたり、と どうかっ いう手口でした。すべて、近代国家としての正式な手続きを経ない非公式な恫喝だったのです。 それにもかかわらず、わが国のその時その時の政府は、それこそ無条件で頭を下げ、相手側の ーしき 言い分を全面的に認めて、拝跪する姿勢を通してきました。政府よりもっとひどかったのは、新 聞とテレビによるわが国の言論界だったのです。本来なら、国民の意向を反映すべきはずの言論 ぎゅうじ