つまりはドイツやイタリアにおける「本来の意味でのファシズム」が「軍需工業」中心であっ たのに対し、「日本のファシズム」では「農本イデオロギーが非常に優越している」のだから、 「日本のファシズム」には「本来の意味でのファシズムーとは矛盾する要素がある、という判断 でありますから、この認定は現実に即して妥当であると申さねばなりません。 また、次のように対照的な事例が見られます。 ナチスにおいてはこの労働者を ( 中略 ) ナチズムの担い手にさせることに最も努力し、腐 権威をもってみずから鎧うための月並みな虚喝なんですね。 わか 判っているくせに、わざと判らぬふりをした″勇断々 それどころか、果たして日本の動向をファシズムと名づけてよいのかどうかが、いたってあや しくなってゆきます。 ところが、日本のファシズムにおいてこのように農本イデオロギーが非常に優越している とい一つこと このことは他方においてファシズムの現実的な側面としての軍需生産力の拡 充、軍需工業を中心とする国民経済の編成がえという現実の要請とあきらかに矛盾する。 ( 頁 ) 日Ⅲ日Ⅲ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢ よろ はったり
心したのであります。ところが日本のファシズムのイデオロギーにおいては、労働者は、終 ( 頁 ) 始小工業者や農民に比べて軽蔑されているのであります。 これこそ、両者を対比した場合に断じて無視できない決定的な差異ではないでしようか。さら には、もっと劇的な比較も可能です。 こういうふうにナチスでは大衆を組織化し、その組織のエネルギーによって政治権力を奪 取したのですが、日本の「下から」のファシズム運動はついに最後まで少数の志士の運動に はなはだ おわり、甚しく観念的、空想的、無計画的であったこと、これが日本のファシズムの運動 ( 頁ー頁 ) 形態に見られる顕著な傾向であります。 ひが つまり、日本のファシズムは「大衆を組織化ーする方向をとらなかったのですから、彼我のこ 分の違いも断絶的です。こういうわけで、丸山眞男自身が率直に語っていますように、ナチス流の に行き方が「本来の意味でのファシズム」であるとするなら、それとの本質的な差異があまりにも 冷ひどすぎるので、日本の場合は、そう簡単にファシズムだとは一一 = ロえないことになります。ところ 国が不思議千万にも、判 0 ているくせにわざと判らぬふりをして、突然の勇断に進みでます。 章 それは日本ファシズム運動も世界に共通したファシズム・イデオロギーの要素というもの ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱ ⅱⅢⅢ わか
大前提です。この点に関しては、さすがの丸山眞男も理論的にまったく自信がなく、いちおう論 点をわざと避けて通るという作戦に出ました。 次に問題へのアプローチの仕方として前もっておことわりしておきたいのは、日本ファシ ズムをいう場合、何よりファシズムとは何かということが問題となってきます。「お前はい きなり日本ファシズムというが、日本にそもそも本来の意味でのファシズムがあったか、日 本にあったのは、ファシズムでなくして実は絶対主義ではないのか、お前のいうファシズム の本体は何であるかーという疑問がまず提出されると思います。これについても私は一応の 解答は持っておりますが、ここで最初にそれを提示することはさけます。そういうことを、 お話しすると勢いファシズム論一般になってきます。ファシズムについてはいろいろな規定 がありますけれども、こういった問題をここでむしかえす暇はとてもありません。そこでこ ( 頁 ) こでは不明確でありますが、ひとまず常識的な観念から出発することにします。 じよ、つとう これは、丸山眞男にかぎらず好え格好をしたい論客が、かならず用いる常套の論法でありまし 冷て、難問の神秘な「解答」はとっくにわが胸に在り、されど今は秘して容易には洩らさぬそ、と どんちょうしばい 大見栄を切る型どおり緞帳芝居の役者です。 章その証拠に、問題の根幹をなす日本ファシズムの本体は何か、という快刀乱麻を断つごとき明 第快な洞察は、『現代政治の思想と行動』約六〇〇頁のどこにも出てきません。要するに、架空の えかっこう
る「ファシズム運動」、ほかならぬ「運動ーがあったなど、見たことも聞いたこともありません。 そして、これまた『現代政治の思想と行動』六〇〇頁を通じて、日本における「ファシズム運 っさい論証され 動」の存在、その発生と、進行と、展開と、躍進と、社会的機能については、い ておりません。ただ、「日本のファシズム運動」という天から降ったような呪文が、威風あたり をはらって罷り通っているだけなのです。 その誰も見たこともない、丸山眞男自身によっても論証されていない幽霊のように不思議な 「日本のファシズム運動」、あえて繰り返しますが「気分」でもなく「空気ーでもない、丸山眞男 だけが主張する確然とかたちをなした現実的な「運動」の、その摩訶不思議な担い手は、一体ど 化このどいつでしようか。 の 識 意 日本におけるファシズム運動も大ざっぱにいえば、中間層が社会的な担い手になっている さら 差 る ~ ということがいえます。しかしその場合に更に立ち入った分析が必要ではないかと思いま 分 - す。わが国の中間階級疆に小市民階級という場合に、次の二つの類型を区別しなければなら ( 頁 ) Ⅷないのであります。 酷 冷 を さげす 民「中間階級」とか「小市民階級」とか発言している場合の、上から下を冷たく見下している蔑み こうふん 章のロ吻には、今はいちいちこだわらぬことにして、その大切な「二つの類型」の分け方に耳を傾 第けるといたしましよう。 まか まか
に取りくんでいるのだと見せつけなければなりません。「世界に共通ーの課題であれば翻訳され て「世界に共通」の理解を得ることができるでしよう。丸山眞男は、なかなか隅におけない作戦 家なのです。 丸山眞男にだけ見える摩訶不思議な情景 さて、こうして日本にもファシズムがあったと自ら認定するや否や、丸山眞男は、ただちに 「日本のファシズムの社会的な担い手」の究明に着手します。おそろしく単純な有無を言わせぬ 二分法によって、有罪者が摘発される一方で、無罪の判決を受けとる人たちが確定するという仕 組みです。この場合は、社会を構成するさまざまな人間の当然な個人差は、 いっさい問題にされ じつば ません。十把ひとからけに、特定の社会階層に属する人のすべてが狙い撃ちされます。 日本におけるファシズム運動も大ざっぱにいえば、中間層が社会的な担い手になっている Ⅷということがい、んます。 ( 頁 ) 特徴的なことは、日本に果たして「ファシズム運動」があったか否かの検証がまったくなされ ていない致命的な手抜きです。ファシズムではない軍国主義的な気分、山本七平の言う「空気」 ( 文春文庫『「空気」の研究』をぜひともご参照願います ) なら、それは確かにあったでしよう。しかし昭 和二十年に旧制中学校三年生であった私は、それに先だったとえば一〇年間、わが国に勢い猛な な か 6 も、つ
は当然もっているからであります。 押し出しも立派にさてこそ「当然」と声高に揚言できる根拠がどこにあるのでしようか。この はず とカ 「当然」は言葉に弾みをつけるための心細い気合いにすぎません。さすがに、多少は良心が咎め たのか「日本ファシズム」が「ファシズム・イデオロギーーを「もっていた」とまでは断言せぬ よう心がけます。さらには「イデオロギーの要素」とまでも、はっきりとは規定しませんね。 日本の場合は「イデオロギーの要素というもの」を「もっていた」というわけです。「イデオ ロギー」そのものではない「イデオロギーの要素」、いや「イデオロギーの要素」ですらない 「イデオロギーの要素というもの」なのだそうです。 きんば いたずら 先代・三遊亭金馬が得意だった古典落語「居酒屋」の悪戯ずきで皮肉な客なら、「その″という もの〃ちゅうもん持って来い」と注文して、人のよい小僧を困らせることでしようね。 ののし 身に安全なものは罵り、危険なものには擦り寄る卑屈 これほどまでの無理を重ねて、それでも日本にファシズム運動があると言い張らねば気のすま ぬ丸山眞男の底意はなんでしようか。おそらく、そこには三箇条の隠された意図があったと思わ れます。 その第一としては、日本の国民すべてが一様に行動したなどと認めてしまおうものなら、悪し きファシズム運動の担い手、つまり責任者を指名することができなくなりますから、それでは市 ⅢⅢ日 ( 鬨頁 ) いち
が栄えない。 ここは一番、どうしてもファシズム運動があったと無理に仕立てて、そのうえで、 憎つくき犯人を追及する名探偵にとっての腕の見せ場をつくらなくてはなりません。 むね その第二としては、「ファシズム運動ーが「世界に共通ーであると認識している旨を申し立て、 ゆえに、第二次大戦後、戦勝国がドイツを裁いたニ = ルンベルグ裁判も、日本を一方的に裁いた 東京裁判も、「世界に共通した」正義の鉄槌であると信じている旨を宣誓しなければなりません。 東京裁判の開廷は昭和二十一年五月三日、結審は二十三年四月十六日でした。したがって、こ の講演が行なわれた昭和二十二年六月二十八日には裁判は進行の途中だったのです。申すまでも たてまえ なく、東京裁判はニ = ルンベルグ裁判と同じ精神で、同じ方針で行なっているというのが建前で した。そのとき、もしドイツのファシズムと日本の軍国主義とは違うのだとでも言い立てたらど 権 の うなりますか。そんな危険思想は東京裁判に対する反逆です。 識 意 賢明な丸山眞男は、日本国民をいくら罵倒しても害がないから安心だけれど、東京裁判やその る背後の進駐軍に楯ついたらどんなに危険な運命が待っているか十分に心得ています。 ひょうそく 分そこで、東京裁判にうまく平仄を合わせるため、「日本ファシズム運動も世界に共通したファ にシズム・イデオロギーの要素というものを当然もっているーと、言葉のうえだけでも保証しなけ 冷ればならなかったのです。 その第三としては、日本だけが特殊な事情に基づいて第二次大戦を遂行したのだと認めてしま 章 0 たら、その間の経緯を研究した丸山眞男の折角の研究が個別的な事例調査と見なされて孤立し 第ます。それでは、なんとも面白くないでしよう。どうしても、今の自分は「世界に共通ーの問題 てつつい
いわゆる戦後民主主義の理論的指導者として学界に絶大な威勢をふるった丸山眞 ジャーナリスト 男は、日本国民を「ニつの類型」に峻別しました。そして文化人や言論人や大 ひたい 学教授や東大生などは「本来のインテリ」であるが、独立自営業者など額に汗し たば て働く国民の中堅層において、人びとを束ねる立場にある者は「擬似インテリ」 あ であり、この「亜インテリ」こそ「日本におけるファシズム運動の担い手」であ ると弾劾し、「本来のインテリ」を全面的に免責しました。 じようとう ″好え格好をしたがる論客〃の常套論法 まるやままさお 昭和二十二年六月二十八日、丸山眞男は超満員の東京大学法経二十五番教室において、「日本 さっそう ファシズムの思想と運動」と題し、颯爽たる能弁の講演を行ないました。 しようやく この論文は、時を移さず英語に抄訳され、おそらくおおいに歓迎されたと思います。日本社会 の中堅層をここまで軽蔑して、見下して、踏みつけにして、悪しざまに罵った文献は史上最初の 出現ですから、日本人による日本国民への徹底した罵倒として、外国人の立場からまことに、ま ことに興味ぶかく多くの人の手から手へ読みまわされたことでありましよう。 この論文は現在では『増補版現代政治の思想と行動』 ( 昭和年 5 月日・未来社 ) に収められ、 じもく この一冊のうち最も耳目をひく記念碑的作品となっております。 さて、このときまず真っ先に疑問とされるべきは、大東亜戦争当時における日本人の思想行動 形態を、ヨーロツ。ハ流の「ファシズムーという概念で規定するのが妥当であるかどうか、という えかっこう
「本来のインテリ」と「擬似インテリ」という差別意識 丸山眞男の人間評価軸がくつきりと現われている一節です。 彼は、まず学生を第一と第二と二種の類型に分けます。第一種の学生は、これは駄目であると らくいんお 烙印を捺されるわけですね。ついで彼は、「皆さん方ーっまり東京大学の学生を第二種に数えて、 無条件に嘉します。 権 の この思いきったふるいわけが、いずれ丸山眞男ご本人にどう降りかかってくるかについてはの 識 意 ちほど一一 = ロ及しましよう。 るさて、学生から一般に話をもどして、なぜ、このような「二つの類型ー区別が必要であった 分か、その理由が、次のように説き明かされます。 酷 冷 わが国の場合ファシズムの社会的地盤となっているのはまさに前者 ( 第一の類型 ) でありま を 民 す。第二のグループを本来のインテリゲンチャというならば、第一のグループは擬似インテ 国 ないし リゲンチャ、乃至は亜インテリゲンチャとでも呼ばれるべきもので、いわゆる国民の声を作 章 ( 頁 ) 第 るのはこの亜インテリ階級です。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 学生層ーー学生は非常に複雑でありまして第一と第二と両方に分れますが、まず皆さん方 は第二類型に入るでしよう。こういったこの二つの類型をわれわれはファシズム運動をみる ( 頁 ) 場合に区別しなければならない。 よみ
そして、丸山眞男が情熱を傾ける「擬似インテリ」弾劾の論理的展開において、最大の弱点 は、その軽蔑すべき「擬似インテリ」が「日本のファシズム運動の担い手」であったという論告 が、ひとかけらも論証されていないという欠落です。 ゼき その唾棄すべき「擬似インテリ」が、たとえば昭和何年何月に、何処で、どれだけの規模をも ていしん って「ファシズム運動」に挺身したというのでしようか。丸山眞男はどんなかすかな、ささやか な例をも挙げていません。あまりにも無責任な、国民を誣いることはなはだしい論難ではありま せんか。絶対的に大多数を占める「わが国の中間階級或は小市民階級ーを、いかなる微細な一片 の証拠をも指し示さないで告発する丸山眞男の神経は、果たして正常だったのでしようか。 仮に、百歩を譲り千歩を退くとして、わが国の中堅層は、ときの言葉で言う″時局〃に従順で ずいじゅん 識した。しかし或るそのときの国家の方針と行動に反抗しなか 0 た随順は、罪として弾劾されるべ きなのでしようか。昭和十二年十一月、小林秀雄は「戦争について」一篇を書き、次のように記 るしとどめました。 戦爭に對する文學者としての覺悟を、或る雑誌から問はれた。僕には戦爭に對する文學者 - の覺悟といふ樣な特別な覺悟を考へる事が出來ない。銃をとらねばならぬ時が來たら、喜ん - で國の爲に死ぬであらう。僕にはこれ以上の覺悟が考へられないし、又必要だとも思はな 一體文學者として銃をとるなどといふ事がそもそも意味をなさない。誰だって戦ふ時は 第兵の身分で戦ふのである。 ( 中略 ) あるい 101