に、北方領土問題もまた、愛国者とソ連尊崇派とを瞬時に弁別させる試金石なのですね。 日本の近代を「ドロボウ根性」と呼ぶ倒錯 あくごう 大内兵衛の見るところ、日本近代史は一貫して悪業ばかりの積みかさねに映ります。 明治・大正・昭和を通じての日本のドロボウ根性ーー軍国主義をたたき直さないかぎり、 家 ( 昭和鬨年 8 月『世界』〈対談〉「日本と中国」 ) 日本は世界を大手をふって歩くことはできない。 造 の 歴今は共産主義国となっている尊崇すべきシナおよびロシアと戦ったのですから、この許しがた 言い戦争は徹底的に否認しなければなりません。たとえ反日的とまでは一一一口えないにしても、戦後の 」いわゆる進歩的文化人の大群が、こそって日清戦争と日露戦争を弾劾し呪うのは、日本に負けた 主相手国が、いずれも今は進歩的文化人の精神的祖国であるシナとロシアであったゆえであろうと 戦思われます。日本が日露戦争に立ちあがっていなければ、あるいはもし負けていたら、日本は果 二たしてどうなっていたでしようか。 は司馬遼太郎が『坂の上の雲』 ( 文春文庫 ) に簡潔な展望を試みています。 本 日 要するに、日露戦争の原因は、満洲と朝鮮である。満洲をとったロシアが、やがて朝鮮を 章 とる。これは、きわめて明白である。日露戦争にもし日本が負けていれば、朝鮮はロシアの 第 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日 日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ
ちょ、つりよ、つ があり、正当であるー ( 頁 ) などなど、「実質的」が乱舞し跳梁をきわめますけれど、あまりに もわずらわしいものですから省略しましよう。 反日的日本人の戦後第一号 思えば東京裁判という茶番の私刑が行なわれたとき、それを見ていた日本人にはほぼ三とおり の型があったと見ていいでしよう。 その第一は、戦勝国が寄ってたかって拠るべき法律もないのに敗戦国の人びとを裁く法的に違 法な復讐の儀式を苦々しく眺め、憎んでいた人たちです。その第二は、勝った国が勢いに乗じて きまま 勝手気儘にやる合法的殺人行為を押し留めるだけの力がこちら側にないゆえ仕方がないけれど、 男 罠にはめられたわが国民の被告は、まことに気の毒だからその刑が少しでも軽くすみますように し 蹂と、心ひそかに願っていた人たちです。その第三は、東京裁判を大歓迎し、同朋である被告がな 神るべく多く、できるだけ厳しく裁かれるようにと期待した人たちです。 の横田喜三郎は、その第三種のとびぬけた代表であり、反日的日本人の戦後第一号でした。 年を経てのち、横田喜三郎は『私の一生』 ( 昭和年 8 月 6 日・東京新聞出版局 ) および『余生の余 め ばうだい 生』 ( 昭和年 7 月川日・有斐閣 ) と、二冊合計一〇〇〇頁の厖大な自叙伝を書きましたが、そこに の 達は、自分が書いた著述のどこかに間違いがあったなどという類いの反省の言葉はついに一言半句 章も見当たりません。 第さて、横田喜三郎は東京裁判が戦争犯罪人の中に天皇陛下を加えなかったことに対してひじよ わな ンチ たぐ
もよお 催すこと確実ですから、あらかじめ手許によく効く薬を用意されておかれるようお勧めします。 この本を一貫する方針としていちばん目立つのは、共産主義ソ連が日本人に加えた仕打ちはこ とごとく正しくて、すべて日本人が悪いことをしたからそうなったのだという強烈な主張です。 その姿勢を押しだした最も代表的な表現が、つぎの一句です。 戦争が終ったとき ( 中略 ) ソビエト・ロシア領内に残されているはずの六〇万人が長いあい Ⅷだ帰ってきませんでした。 ( 『戦時期日本の精神史』川頁 ) まことにものは言いよう、ですなあ。共産主義ソ連が戦争終了にもかかわらず、捕虜を無法に ざんにん も引っ捕えてシベリアに連行して監禁し、「長いあいだ」苛酷な強制労働を課した、この残忍な 事実を、けっして事実として認めない、鶴見俊輔のこの熱烈な弁護の志向は感嘆に値します。共 産主義ソ連が帰らせなかったのではなく、日本人が「帰ってきませんでした」と言いくるめる語 法の見えすいた苦しさ。鶴見俊輔の言い方は、日本人捕虜六〇万人が六〇万人全員の意向によっ て帰りたくなかったのだとほのめかしているようにも受けとれます。 しかも、このねじまげた論法は、実は、次のように述べたてるための伏線だったのです。 六〇万人の人たちがまだ帰ってこないということは、戦後の日本人のあいだに不安と苛立 たしさを生み、それが戦前の日本政府によって長い年月にわたって植えつけられてきた、ま ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ
る。韓国の世論が朴大統領の真意も知らず、非難してくるのは目に見えているのだから。 日韓併合条約は有効であるーーこの一点について合意ができれば、あとはスムーズに進ん だ。日本は韓国に無償贈与として三億ドル、借款五億ドルを提供、また、韓国のほうは対日 賠償を一切求めぬということになった。 したがって、この基本条約以後、いやしくも政治に関わる人間が″戦後補償〃などという ことを持ち出すのは、日韓基本条約破りであり、国際常識がないと非難されても文句は言え ないはずである。 このような戦後補償論が出てきた背景には、国交回復当時の事情を知らぬ、戦後生まれの 政治家と官僚が増えてきたことが大きいであろう。彼らは自分が″無知〃であることを知ら ないのである。それは″国賊的無知〃と言ってよかろう。 リサーチもっ 編集者として、殊に朝鮮半島の事実に詳しい探究を以て己れの任務とする安江良介ともあろ う者が、渡部昇一によって指摘されている右のようにはっきりした歴史的事実にまったく「無 知」であるわけはありません。 よくよく知ったうえで、北朝鮮は別だというロ実のもとに、日韓基本条約において日韓併合条 約は有効であると合意された詳細を一般国民は知らぬであろうと高を括り、国民を舐めきったう デマゴギー えで虚偽をまきちらしているのです。 ジャーナリスト こと 162
蔑したであろうと思われます。 そうけん 大塚久雄を代表とする、前近代史観は、日本人の誰かによる創見ではありません。すべては 「三十二年テーゼ」の単なる機械的な復唱にすぎませんでした。日本の左翼人は、ことごとく鸚 鵡としての学者渡世を安易に続けました。そうして生まれたのが、近代日本を真黒に塗りつぶす 「暗黒史観」であり、「罪悪史観ーなのです。なにしろ「三十二年テーゼーが、日本という国は、 強盗、である、と繰り返し、繰り返し強調しているんですからね。 日本の左翼人は、特にいちおう学者面している気取り屋は、実は、学者の風上にもおけぬ文字 いかさま どおりの偽者でした。本来、学者の学者たる面目は、自分の乏しい能力を根かぎりふりし・ほっ わず て、たとえ僅かでも創意工夫を世にさしだす努力のうえに成りたちます。その根本的な目標であ る独創を目指さず、「三十二年テーゼーの奴隷に甘んじた阿呆者たちによって、いわゆる進歩派 の論壇がおおいに栄えました。 戦前・戦中においてすらなかなかの繁昌だったのですから、ましてや戦後は、左翼人が進歩的 し 文化人としての装いをこらし、とんだりはねたりの大合唱となりました。その行きつくところが 誰 反日的日本人としての陰湿な論調です。日本という国を非難し、日本近代史を攻撃し、日本の国 家 甅民性を貶める弾劾の論法こそ、彼らの至りついた究極の姿勢でした。繰り返しますが、そういう ん 方向の議論は、すべて「三十二年テーゼ」の復唱であり言い換えであったのです。 こ 章では、なにゆえに、「三十二年テーゼーは、これほどまでに徹底的に、日本を非難し、攻撃し、 へんか 第弾劾し、貶価し、罵倒し、侮蔑したのでしようか。 こ おとし づら おう
( 『戦う北欧』 ) は恐らく新たな世界戦争にもなりかねないという判断ともつながっている。 つまり、フィンランドはソ連から舐められておらず、軽蔑されてもいないのであって、むし やけど ろ、うつかり手をつけたら、ただちに反撃されて火傷する厄介な存在であると恐れられているわ けです。あの貪欲きわまるソ連に、なぜそれほど強く警戒されているかについては後述します が、「新たな世界戦争にもなりかねない」とまでソ連が深く怖れる理由は、言うまでもなく、フ インランドが軍事力を保有し、のみならず戦いの士気がなみなみならず強く、容易に撃破できな いと見ているからです。 ソ連は観音様のように慈悲の心をもって、フィンランドを温かくいつくしんでいるのではあり 犯 ません。手を出したら逆に噛みつかれて難儀な局面に立ち至ることが必定だから、癪に障るけれ 戦 どやむをえず見逃しているにすぎなかったのです。そういう事情から生まれたソ連のフィンラン すド対策は、「むしろこれを共産圏外の〈飾り窓〉として、対ソ協力の基本路線さえ誤らなければ、 りある程度自由にさせよう」 ( 『戦う北欧』 ) と許容する次第となりました。つまり、西欧に対する見 せかけのいわゆる飾り窓戦術に転換したわけです。 連 では、なぜソ連がフィンランドに「一目置いて」接するようになったのか。それは有名なフィ を あつば 国 ンランドとソ連との冬戦争で、フィンランドが天晴れ抗戦した実績がもたらした成果なのです。 祖 いきさっ 章武田龍夫が簡潔に描きだすところは次のような経緯です。 第 ⅢⅢ しやく 197
( 頁 ) と保証します。こうして大学生もまた、丸山眞男のお好みによって「二つの類型ーに分かれま した。この場合「本来のインテリゲンチャ」に属するのはきびしく東京大学の学生および卒業生 きゅうていだい に限られるわけではないでしようから、おそらく暗黙のうちに旧帝大を指すのではないでしよう ジャルゴン いかにも時代錯誤と評されまじき業界術語は戦後の特産でありまして、 か。この旧帝大という、 キャンパスちょうりようばっこ この五〇年間、大学社会に跳梁跋扈しました。 ネーミング おおやそういち 大宅壮一が抜群の命名感覚を発揮して、「駅弁大学」と腐した戦後に発足したばかりの寄せ集 いきどお メンツ いまでき め、統合された今出来の大学と一緒にされてたまるものか、面子にかけて憤りを発した″誇り 高き踏んそり返り派〃が発明した旗印です。 つまり、戦前に帝国大学であった格式の高い大学は新制度に移行しても別格であるそよ、とい と嘆きながら、同時にまた、 学生層ーー・学生は非常に複雑でありまして第一と第二に分れますが、まず皆さん方 ( 聴衆 である東京大学の学生を指す ) は第二類型 ( 「本来のインテリゲンチャーを指す ) に入るでしよう。 ⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ 0 日本ほど、大学生と呼ばれるものの実質が。ヒンからキリまであるところは一寸まれでしょ くさ ちょっと ( 頁 )
社会主義は幸福であるという妄念 さかもとよしかず 〈現代の魔女狩り裁判人・坂本義和への告発状〉 きべんか 第十一章日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家 : 「史実」に目を向けない 坂本のソ連弁護論 朝鮮戦争は「解放戦争」なのか 「核は国家的敵意を越えた攻撃、という非常識 おおえけんざぶろう 〈ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎への告発状〉 わきま 第十二章国家間の原理を弁えない謝罪補償論者・ 良識の府・参議院が示した見識 大江が犯したふたつの間違い . 「リ・ツク 詐術だらけの大江・謝罪補償論 おおっかひさお 〈進歩的文化人の原型・大塚久雄への告発状〉 第十三章近代日本を全否定した国賊 左翼に独占された戦後出版界 進歩的文化人に共通する語法とは 267 279 243
亜流が亜流を産む悪循環 戦争についての議論だけではありません。今度は経済の次元に話が移ります。なんとまあ日本 は悪い国ですねえ、経済行為においてすら、日本は「侵略」しているのだそうです。 戦後の日本は、軍事的な進出や侵略ーーベトナム戦争は典型ですが はアメリカの責任 にゆだね、日本はもつばら経済的な進出や「侵略」をアジアに対して行なってきたという特 徴をもっています。 ( 昭和年 1 月『世界』「日本の生き方」 ) 驚くべき情報ですが、ベトナム戦争は日本が「アメリカの責任にゆだね」て、後ろから糸を引 いていたらしいんですねえ。もちろんこの無茶苦茶な申し立ては筆がすべったせいでしよう。っ まり下手な文士みたいに、ちょっと気取って単純な対句趣味に流れ、「軍事的な進出や侵略、経 済的な進出や〈侵略〉」という調子の無神経な語呂あわせを楽しんだらしいんです。 坂本義和における反日の論理は、ここに至ってひとつの頂点に達しました。この人が日本を敵 ふっとうてん 視する感情はとうとう沸騰点にまで高まっています。わが国の経済が成長し発展した事態に、あ まなこ あ腹立ちや腹立ちゃと憎悪の眼を向けるのです。日本経済が躍進したのは罪悪だ、と坂本義和は にら 目を三角にして睨みつけます。 したがって、日常の仕事に精励して怠らず、わが国の経済を隆盛にみちびいた勤勉な日本人 が、坂本義和の心眼には厭うべき悪者に映るわけです。なんとも怖い恐ろしい大審判官が、わが llllllllllllllllllllllllllllllllllllllll ごろ 254
に奥深く一物を秘めているものですよ。 朝鮮戦争、アメリカ犯人説 さて話をもとへ戻しましよう。大内兵衛は朝鮮戦争の原因もアメリカ側にありと判定する説を 立てます。 家 かの朝鮮事變は、南鮮が獨立國たる資格なくアメリカの軍事基地化することをモメントと 造 ( 前出「全面講和論の立場から」 ) Ⅷして起った熱戦であった。 の 史 歴 この一節においては、「南鮮」にかこつけてわが国が「アメリカの軍事基地化している事態 A 」 を指して、危険であるそよと警告しているつもりでありましよう。しかし、はなはだ面白いこと 犯 主には、北鮮のほうから攻めこんだのであると暗に認めているのみならず、共産軍は「アメリカの 軍事基地」のある箇所〈だ 0 たら、容赦なく攻撃を加える方針であると認めている率直さです。 きわ おくび 次 ソ連派が曖気にも出さぬ際どいところを平気で筆にするところ、この人にはどこかおっとりし はた憎めぬところがありますね。大内兵衛といえば「戦後民主主義の柱か、革新の黒幕か」 ( 昭和浦 日年 5 月日『週刊文春』 ) と称されるほど、裾野の広い大内山脈をきずきあげて、左翼学界に君臨し タイプ 章た大御所でしたが、人の世の興味ある理外の理として、冷徹にして明智きわまれりという型の人 第は誰にも担ぎあげられず、どこか大様で少しばかり抜けたところのある人が、いつのまにか大ポ おおよう