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検索対象: 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人
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1. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

を忠実に代弁しなければなりません。「三十二年テーゼ」は実にこういう状況のもとに起草され、 日本共産党に授与されたのです。 おもわく 的中したスターリンの思惑 この場合、つまり「三十二年テーゼ」の理論構想が築きあげられた動機としては、次のような おもわく 思惑が当然に推定できます。 まず第一に、日本国内に大混乱が起こるように仕向け、日本の国力を可能なかぎり減退させる こと、それゆえ日本共産党の闘争意欲をかきたてるべく数千言を費やしてお尻を叩いています。 第二に、しかし、国際共産党組織の目になにも見えていなかったわけではありません。 「二十七年テーゼーがブハ ーリンを中心とする討議の結果であったのに対して、「三十二年テー ゼ」の場合は「スターリンの意志が強く働いたと推測されているー ( 昭和年Ⅱ月日『現代マルク あきら スⅡレーニン主義事典』上・社会思想社 ) と伊藤晃が伝えています。 明敏なスターリンは日本共産党があんまり役にたたないことをよく知っていたはずです。スタ ーリンは政治の悪魔的な天才でしたから、日本の国力をいやがうえにも減退させるため、国力を 根底でささえる国民の気概を弱め、自信を失わせ、士気低下させ、自尊心に傷を負わせ、知勇を おとろえさせようと企みました。国民を意気喪失におとしいれようと計ったのです。 き、つつ たいえいてき 国民が沈みこんで閉ロたれて気鬱になって前進意欲を失い、退嬰的になって鈍重になり、駄目 しおた な性格になり潮垂れて無能になることを狙いました。その目的を効果的に達成するために、日本 コミンテルン

2. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

よしかず 工夫を加えたのが坂本義和です。わが国の政府、彼の言葉では憎々しげに「日本の保守政権」と 呼ぶのですが、その怪しからん「日本の保守政権ーが自衛隊を設置しているその真意は、内乱を 恐れている恐怖感であり、自衛隊は内乱を鎮圧するための手段であると、坂本義和は噴飯ものの 勘ぐりを大真面目に展開します。 ここには一貫して、政策の貧困を武力の増強によって糊塗しようとする誤りがあり、更に その根底には国民に対する深い恐怖が横たわっている。 ( 昭和年 8 月『世界』「中立日本の防衛構想」 ) 家 弁 詭 すこの人は国際政治学者という触れこみですから、世界中の共産主義政権が判で捺したように必 断ず独裁の体制をとり、国民を武力で押さえこんでいるのを見て、その観察からこの珍妙な解釈学 家を思いついたのかもしれません。 略仮に、この人がいくぶん国内政治音痴であったとしても、わが国が選挙制度の国であることぐ 済らいは念頭にあるでしよう。ご賢察のごとく日本の政治家諸公は、深く国民を怖れています。し をかし、その理由が坂本義和の言うところとはまったく異なります。それは、つまりこういうこと 日です。わが政界では原則として四年に一度、実際には、ほとんどの場合それより短い年月で、必 章ず総選挙が行なわれ、いったん選挙ともなれば、それまで徽章をつけていた現職議員の三分の一 第があえなく討ち死にして、いれかわりに三分の一の新人が当選します。それほど熾烈な競争にさ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川Ⅲ 学」と しれつ ふんばん さら 245

3. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

第 5 章栄達のため、法の精神を蹂躙した男 きっきゅ、つじよ 以上に摘記したのが、栄光にみちた横田喜三郎の晩年における鞠躬如たる出処進退なのです。 この横田喜三郎なる人物は、昭和二十二年以降、次のように牢固たる信念を吐露しつづけた人で ありました。 〇天皇制を維持したことは、民主主義の根本理念に合致しないといわなくてはならぬ。 ( 昭和年川月日『戦争の放棄』 7 頁 ) 〇新憲法の規定における「国民」も、君主から区別され、君主に対立する人民でなくてはな らない。つまり、天皇から区別され、天皇に対立する人民のことである。 ( 昭和幻年 7 月日『天皇制』頁 ) 〇いわゆる日本の国がら〈注・皇室の推戴を指す〉なるものは、実は封建と専制の結果であり、 無知と奴隷的服従が日本の人民の自然な発達を阻止したために生じた奇形状態にすぎない。 ( 『天皇制』頁 ) 〇象徴は代表と異るから、天皇は日本国を代表したり、日本国民を代表したりするものでは ( 『天皇制』頁 ) 〇天皇制 ( 中略 ) の結果として、日本の思想も政治も行動も不健全になり、病的になり、 ( 『天皇制』頁 ) 〇ほんとうならば、もう天皇とか、天皇制とかいわないで、なにか別な名で呼ぶのが正当で ある。 ( 『天皇制』Ⅲ頁 ) すいたい 149

4. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

定しているはずです。 そうそっ この一節は、座談会での発言を採録した怱卒の言辞ではなく、十分に意を用いて執筆された文 章なのですから、ここの箇所を不注意による書き誤りと見ることはできません。 ここで竹内好は、日本国民全員に対して、どうだ、見事に鼻をあかされたじゃないか、ざまあ みろ、と高笑いしているのです。身も心も北京政府に売り渡して、日本民族をひそかに敵視し、 エトランゼ 軽蔑している異邦人の本音がついに出たというわけでしようね。 もちろん、以上はわざと試みた極言でありまして、竹内好がそれほどまでに肚を据えていた豪 傑であるとは思えません。彼は生涯を通じて、しだいに国力が増進し豊かになりつつある日本国 民としての社会的処遇を満契していました。 そして日本国民の中で最もススンディル先覚者であり、高度の智者であると思い上がった倨傲 にあぐらをかいて、優越者の自覚を楽しんだわけです。 何に対しての優越であるか、もちろん一般国民に対する見下しの舞いあがった優越感です。そ の根性をちらりと露呈したのがさきほどの一節だったわけです。芥川龍之介の『或阿呆の一生』 ( 三十三英雄 ) に、彼一代おそらく最高の名句が残されていますね。 誰よりも民衆を愛した君は 誰よりも民衆を軽蔑した君だ。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢ ある きょ・」、つ 216

5. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

みぞう しかし、ついに未曾有の例外が出現しました。丸山眞男は、史上初めて「国民の中堅層」全員 を、なんの留保条件もなくひとしなみに弾劾するという激烈な挙に出ました。 日本人による日本国民弾劾の究極をゆく記念碑です。日本人が憎くて、憎くて、もうたまらな かったんでしようね。 なぜ彼は、それほどまでに「国民の中堅層」のすべてを憎んだのでしようか。その憎悪の発す るところは、彼ら「国民の中堅層」が、それそれの分野において小なりとはいえ社会的に有力者 うず であるという実情が許せない 、という内心のひそやかな疼きであるらしく思われます。次のよう ジャガー に、憎々しげな、念には念をいれた、しつこい強調が豹の眼のように光っていますね。 さきにあげた第一の範疇 ( 「小工場主、町工場の親方」以下を指す ) は実質的に国民の中堅層を ( 簡頁 ) 形成し、はるかに実践的行動的であります。 ここに持ちだされた「実践的行動的」の評語が、国力の増進に力を致してくれてありがとう、 という素直な意味ではなく、日本はこんな手合いがのさばっている嫌な国なんだ、という眉をひ そめた表情の露呈であることは言うまでもありません。 次にはじまる文章の冒頭に出てくる「彼ら」もまた″あの野郎ども〃という含みですし、それ に続く「地方的」という評語にも貶斥の気配が濃厚です。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ へんせき きょ

6. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

そのように、世の中いろいろ国柄さまざまであるのなら、あまりにも熱すぎる湯はむしろ体にⅧ 毒でしようから、わが国は健康に適した「微温的ーでゆくのも、これまた結構じゃありますまい か。アメリカは大統領制の民主主義、イギリスは王室のもとの民主主義、わが国は皇室を戴く民 世界史に関する横田喜三郎の該博な 主主義、それそれ国情に即した方針を採ればいいでしよう。 うんちく 蘊蓄によれば、他国では「君主は人民に対立するもの」だそうですが、わが国では、皇室が国民 に「対立ーした事例がないことをお忘れなきよう願いたいものです。 横田喜三郎によれば「いっさいの人が平等」であることがいたって望ましいのだそうでしよう けれど、わが国の特殊性は皇室を別格として「いっさいの人が平等ーという社会構造です。それ こうむ によって、国民がなにか大きく被害を蒙ってきましたかね。そして、その意味で「平等」な国民 の絶対多数は皇室を崇敬しております。この国民感情を横田喜三郎は断乎として無視しようとす るのでしようか。 日本人への論難と、攻撃と、糾明と、弾劾の愛想尽かし 『戦争の放棄』で皇室に言及したときは舌足らずであったとおおいに反省したらしく、横田喜三 郎は筆硯を新たに、勇躍して今度は『天皇制』 ( 昭和幻年 7 月燔日・労働文化社 ) を刊行します。一冊 ぐまい 二八七頁、全巻を挙げて日本国民がいかに愚昧であり、劣等であり、卑屈であるかを、息もっか うな せず轟々と鳴る機関のごとく唸りをたてて、批判言辞のかぎりを尽くす論難と、攻撃と、糾明 と、弾劾の愛想尽かしです。ひとりの日本人が日本国民のすべてを、これほどまで極端に卑し ′」、つ・こ、つ ひつけん エンジン だんこ

7. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

さげす め、貶め、辱め、蔑んだ例は、まことに珍しいのではないでしようか。 もしどこかの奇特な出版社が『日本人による日本国民攻撃全集』を刊行するときには、ぜひこ の本を第一回配本に選ばれるようお勧めします。 こうかん 巷間ささやかれている伝説によれば、さすがの横田喜三郎も、後年これはいささか己れに都合 が悪いという気になって買いもどしはじめたものですから、そのため古書界に出まわる冊数がひ でもの じように少なくなり、もしたまたま出物があって売りに出されるときには、内容に値打ちがある からではけっしてなく、要するに、はなはだお目にかかれない珍品であるという理由で、常識は たか ずれのひじように高価い値段がつくのだそうです。 横田喜三郎の見るところ、日本国民は長い歴史を通じて、変わることなく民族として最劣等だ 」 0 たようです。 君主と人民との対立は西洋諸国のことで、日本では君主である天皇と人民とが一体をなし ていて、すこしも対立することはないといわれるが、かりにいままではそうであったとして も、それは日本人がいままで君主主義のもとに封建と専制にならされ、自我の自覚も個性の 意識もなく、自由の価値も平等の観念も理解しなかったことによるものである。 ( 『天皇制』頁 ) 章 じようき たわごと 第こういう空虚な囈言を書き記している人の精神は、すでに常軌を逸しているのではないでしょⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ おとし はずかし

8. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

ゆえに、彼がさきに出した政治家恐怖論は、あとから出してきた内乱不可能論によって完全に テーマ 否定されました。 , を 彼まこの世の現実にありもせぬ政治家恐怖論という幽霊みたいな命題をひねく り出し、そのうえで、あれは幽霊だから実体がないと言い立てる、ご苦労な論理の引っくりかえ しを演じたにすぎません。 この阿呆らしい堂々めぐりが生じた理由は何か。これは、自分だけが賢く世の姿が見えている 異様に高ぶ のに、「保守政治家」は現実を認識することのできない愚か者ばかりであるという、 った自尊心の思いあがりです。政治家だってもちろん国民ですから、坂本義和の論理は徹底した 家愚民論であると言えましよう。彼は正当な選挙で国民から選ばれた政治家を心の底から軽蔑して 詭いるのですから、そういう阿呆な政治家を国会におくりだした国民の大多数を、度しがたい馬鹿 すだと見下していること確実です。思えば、左翼人は必ず賢者の姿勢をとり、同時に国民をかぎり さげす 断なく蔑んでいるのですね。 家ところで、坂本義和は国内に起こりうるあらゆる騒擾を、内乱という一語に縮約する言いくる 略 めによって、現実の難儀な事態をそっと隠蔽して知らぬ顔を決めこみました。それをうつかり認 ひび 済めたら、折角の自衛隊無用論に罅がはいるからです。 経 を 問題は何か。それは破壊活動です。わが国には幸せにも有史以来、内乱と呼べるほど規模の大 日きい騒動はありませんでした。しかし、局部的な破壊活動はいつの時代にも頻々と起こっていま さつりく 章す。特に、理も非もない無差別の殺戮によって、貴重な人命が失われた事例は枚挙にいとまあり 第ません。その最も卑劣な大量殺人事件として、オウム真理教による地下鉄サリン事件を思いだす いん。へい そ、つじよ、つ ひんびん 247

9. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

( 『私の一生』跚頁 ) とした。 これが最後のひと踏んばりでしようか。この論理だけは今もけっして譲らないそ、という面子 にかけての執念ですね。しかし困ったことに、それでは戦後の日本は毫も民主主義ではなかった と判断しなければなりません。いくらなんでも、それほど乱暴な現実の否認はでぎないでしょ う。そこで横田喜三郎はこの難問を一挙に解決する論理を持ちだします。 もっとも、国民の多数が天皇制を維持することを望むならば、これを維持することも民主 ( 『私の一生』頁 ) 主義であるともいえる。 蹂そんならそうと初めから、と唱う俗謡の一節ではありませんが、それなら、なぜ日本国憲法に 神記された「国民の総意」という重要な文言を、初めから一顧だにせず、無視してかかったのでし のよ、つか いずれにせよ、これで「両立しないーはずの皇室と民主主義が「両立ーすることになってよか たったですね。理屈はなんとでもつけられる便利な合わせ物であることがよくわかりました。 かんゼっ 達思えばわが国は言論の自由が無限であるという点で、世界に冠絶する模範国ですね。 章そこで、ぜひともお聞きとどけいただきたい提案があります。国立国会図書館の一室かあるい 第はどこか然るべき場所に、横田喜三郎記念室を設け、言論の自由を象徴する施設としたらいかが ⅱⅢⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢ川

10. 悪魔の思想 : 「進歩的文化人」という名の国賊12人

く、卑しめ、蔑み、そして、劣れる者とみなして罵り、見下し、国益を外国に売り渡す思考方法 を、私は、ここに「悪魔の思想」と呼びます。 この「悪魔の思想」は、もちろん戦前からわが国にかなり根強く芽生えていました。しかしそ の頃は、この悪魔の声がほとんどの国民の目に触れ耳に達することなく、その勢力はまことに 微々たるものでありました。 ところが、昭和二十年八月十五日、つまり日本の敗戦という大変動を契機として、成行ぎが決 定的に変わりました。歴史的な大逆転です。「悪魔の思想」が言論界の前面に躍り出て、見た目 には主流であるかのごとき盛況を呈したのです。 なぜ、そんな事態となったのか。 読者のすべてが推察されているとおり、日本を支配した ( 連合国占領軍総司令部 ) の思惑 に基づきます。このの目的とするところは、日本が将来にわたって二度と強い国にならぬ たように、そのため、日本国民の根性を骨抜きにしておくことでした。国家が積極的に充実し、成 し 長することを可能にする電源、それはただひとつ、国民が誇りを持って事に臨む″気概〃です。 誰 ゆえには、日本国民が気概を持たないように仕向けました。 家 甅気概の反対、それは卑屈です。は日本を無力な国家とするため、謀をめぐらしました。 ん その結果として、できるだけ日本国民を卑屈な、縮こまった状態に閉じこめようとしました。そ こ 章のためには、「悪魔の思想」をはびこらせることが最も都合がよかったのです。「悪魔の思想」 う・こ、つ 第 は、日本国民をだらしない無気力な″烏合の衆〃に落としこむため処方された投薬だったのです。 ののし はかりごと