じるようになりました。これまた一向に珍しくもない、ありふれた自然な経過です。 ところが竹内好の場合は、近代現代のシナを崇敬し高く持ちあげるにとどまらないで、現代シ ナを尊重し称賛する思い入れを梃に用いて、ひたすら、わが国を罵倒する放言に熱意を燃やしま こと′」と した。なにがなんでも、常に悉くシナは正しく清らかであり、そのご立派な尊敬すべきシナに 較べて、なにがなんでも、すべて、必ず日本は劣っており間違っている、という結論が一律に導 きだされました。 その生涯を通じて竹内好は、日本に対して肯定的な評価を下したことがなく、彼にとって日本 はあらゆる面において否定と非難の対象にしかすぎませんでした。反日的日本人という言葉がで 人きるより遙か遙か昔、半世紀以上も前から、竹内好は筋金入りの反日的日本人でありました。 エージェント 昭和四十一 玳彼の一生は、日本におけるシナの代理人として終始したと申してよいでしよう。 実 年、竹内好は日本の風潮を批判して、こう言います。繰り返しますが、昭和四十一年という時点 忠 府での発言なんですよ。 政 京 どうも日本の指導者は大東亜戦争をつづける方向にいっている。 体 ( 昭和れ年 5 月日『週刊朝日』〈連載トップ対談〉 @) 正 の そ こけおど 章たいへん極端な誇大妄想の虚仮威しですが、これは竹内好という″喚き立て屋〃を特色づける 第一貫した性癖でして、これからさき何度も、この種の神経が異様に昂奮した病的発作の放言をご駟 ⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ はる てこ わめ
爆発に反対だったし、これからも反対するでしよう。けれども、理性をはなれて感情の点で は、言いにくいことですが、内心ひそかに、よくやった、よくそアングロサクソンとその手 下ども ( 日本人をもふくむ ) の鼻をあかしてくれた、という一種の感動の念のあることを隠す ことができません。 ( 中略 ) 中国の核実験の成功は、中国革命の有効性をこの上もなく雄弁に ( 昭和鬨年 1 月『世界』「周作人から核実験まで」 ) 世界に示すでありましよう。 いかにもわざとらしく持ちだされた「理性の立場ーうんぬんは、戦術的に偽装した前口上にす ぎません。そのあとで堂々と開陳されている本音が、「よくやった」という率直な「感動の念」 エージェントっと 人でありましよう。進んで北京政府の代理人を務めている竹内好としては、当然の感概でありまし 代よ、 . っ .0 実 ところで、ここには見すごすことのできない一句があります。竹内好の見るところ、日本人は 忠 府所詮は「アングロサクソンの手下ども」の一員にすぎないのですね。それは竹内好ならではの独 うけたまわ 京得な見下しの判断として、いちおう承りおきましよう。 しかし、北京政府が核実験に進みでることによって、「日本人ーの「鼻をあかしてくれた」と 体「感動」し歓喜しているとき、竹内好はその自己認識において、すでにもはや「日本人」ではな の 、という歴然たる事実が印象的です。もし彼が自分を日本人であると規定していたら、当然の そし 章こと″鼻をあかされた〃と記すところでしよう。そうではなく「日本人」の「鼻をあかしてくれ 第た」と讃えて、囃して、喜ぶ以上、彼は自分を「日本人」の外に位置する存在であると自己を規 たた はや 215
は常に一貫して日本でした。そういう事情を竹内好が知らぬわけはありません。よくよく知った うえで、しかし、ここはあえて一番、嘘を積みあげる必要があったのです。さきほどの発言はま エスカレート だ「準備」と評するにとどまりましたが、一年後には、それがいっそうはなはだしく増長して、 次のような表現になります。 米中戦争はすでにはじまっていると私は見るわけです。これから戦争があるかないかとい うのではなくて、もうすでに既定事実であって、逆もどりできない。日本はもう一度中国と 戦争する。現にしている。それに呑み込まれつつあるという見方をとっているわけです。 ( 昭和れ年月『世界』〈べ平連討論集会記録〉「ベトナム戦争と反戦の原理」 ) 「思いますー論から「見るわけー論へと、一気に突き抜けた発展です。竹内好における異様に研 ぎすまされた心の鏡には、起こってもいない戦争がすでに起こっていると見えるわけですね。そ して、なんと昭和四十一年、日本はシナと戦争を「現にしている」と判定されるわけです。 この論理を以てすれば、世界中の静まりかえっているあらゆる国と国とが、すべて戦争を「現 にしているーと「見るわけ」にもなるでしよう。ここで竹内好の言わんとするところがはっきり します。つまり、アメリカがシナに攻め入るべく戦争の「準備」をしている、という言いがかり は、実は、日本がシナと戦争を「現にしているーという架空の判定をみちびきだすための前提だ ったのですね。 もっ
それは平和を強める傾向だと思うわけです。 ( 昭和年 4 月『世界』〈討論〉「現代革命の展望」曰 ) この妄言には今さらなんの注釈をつける必要もありますまい。吉田茂は、安東、天津、奉天の 総領事を歴任し、怠りなくシナ人の心性を研究していましたので、北京政府が成立した時から、 早くもロシアとシナの対立を予言していました。竹内好はシナ好きのシナ知らずだったわけで す。また昭和四十六年には次のように確信を以て記しました。 私は、結論だけ申しますと、日中間の国交回復は不可能だと思います。 ( 昭和恥年川月『世界』「尻馬には乗れない」 ) なにが「不可能」なものですか。この断言から満一年も経たない翌年の昭和四十七年九月、北 きほ、つひ まさよし 京で、かたや田中角栄首相と大平正芳外相、かなた周恩来首相と姫鵬飛外相、両者によって国交 たわごと 回復が表明されました。シナ人の現実主義をすら解しない竹内好の戯言には、むしろ哀れを覚え させるものがあります。 ぶげん シナ文化の受容を「隷属」と呼ぶ侮言 ロマンチック 夢見る乙女みたいなとでも言いたくなるほど、ことほど左様に、シナ人に対しては浪漫的な憧 てのひら れに身を燃やす竹内好が、ふりかえってひとたびわが国について論ずるや否や、掌を返したよ ⅢⅢ聞 ⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢ 218
さげす うに、冷酷な蔑みと貶めの言辞を弄します。竹内好にとって祖国日本は、まったくとるに足らぬ 卑しい詰まらぬ国なのです。竹内好の見るところ、昭和三十三年に至っても、シナは日本より先 進国であり、日本はシナより後進国であるにすぎず、文化の面においてわが国はこれからシナに 追いっかなければならぬのだそうです。 日本が歴史的に中国の文化に隷属していたことは事実です。明治の初期までそうだ。それ があとまだずっと尾を引いて無意識にせよ残っている。それに対するコンプレックスが今で もあるが、それが日本の再生に栄養分として作用するというだけでは、日本の国民的使命感 人 が宙に浮いてしまう。私の考え方からすれば、日本の文化が中国の文化と対等の関係に立た 理 代 ないと本当の連帯が出てこないと思う。これは日本の文化の独立は過去にはなかったが、将 実 ( 昭和芻年 5 月『世界』〈座談会〉「アジアのなかの日本」 ) 来にあるという考え方だ。 忠 の 府 諒わが国の歴史を批判的に論じた人は数多くありますが、「日本の文化の独立は過去にはなかっ た」とまでの全面否定を断言した抹殺評価は、前例のない極言でありましよう。竹内好は日本史 体二千年をふりかえって、わが国は遠い過去から現代まで一貫して文化的植民地であったと、これ へんか の 以上ない最大限の貶価と侮蔑の姿勢を以って、傲然と観察するわけです。 そ 章隷属、という言葉を最もわかりやすく解きあかしたのは『三省堂国語辞典』だと思いますが、 第その明快な解釈の言うところ、隷属とは、相手の支配を受けてしたがうこと、の意なんですね。 おとし ぶべっ ろ、つ ごうぜん 219
共産主義者、および共産政権の讃美者は、すくなくともわが国においての場合、思想の殉教者た ろうなどとは夢にも思わず、自分たちだけが″進歩的〃であると自任する優越感に酔い、ススン ディル己れたちに較べてオクレティル国民を軽蔑する″反つくり返りの姿勢〃を楽しみました。 竹内好にかぎらず本書の各章を飾る英雄たちは、国民を侮蔑する心性の保持では見事に共通し ているのです。戦後の日本では、進歩的文化人になって言論をもてあそぶこと、反日的日本人と して派手に目立つよう振舞うこと、それはひとえに例外なく、戦後社会で、偉クナルコト、有名 ニナルコト、 の最も安直で手つとり早い手段でした。身を挺しての、全身全霊をあげての、骨の 髄から真剣の、ホンモノの共産主義者など、実は、どこにもいなかったのです。 人 理 玳シナ人の現実主義すら判らない竹内好の戯言 忠竹内好は、現代シナ文学の研究者として虚名を売ることには見事に成功しましたが、もともと 府シナの古典を研究せず、シナの歴史も勉強しない無学そのものの人でしたから、シナ学における 京最も肝心力ナメのことが一向にわかっていませんでした。すなわち、長い伝統につちかわれたシ ナの国民性、平たく一一 = ロえば、シナ人の根性についての理解です。そのため、多少とも本筋にシナ とんちんかん 体を探究したほどの人なら一笑に附したであろうような頓珍漢を、平気で公言したものです。 の そ ロシアと中国の両方が手を結ぶことによって、共産主義者が尖鋭に出していた欠陥が、いく 章 第 らかおだやかになる可能性が将来あると思うし、また現にそれが見えていると思う。そして ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ たわ。こと えら 217
そのあたりの呼吸をよくわきまえている竹内好は、共産主義北京政府を擁護するために周到な 論陣を張りめぐらします。そのためには、まず第一に、ヒ 」京政府は危機にさらされているのだと 言い募る必要があるわけです。 そこから、北京政府のすることなすことはすべて自衛のためなのだから、同情的に見なければ ちょうだい はや ならぬ、というお涙頂戴の論点が生まれます。可哀相なはこの子でござい、と囃したてるのと同 じ要領で、可哀相なは北京政府でござい、と沈痛な口上を高らかに述べたてるわけです。その皮 切りが、次のようなおどろおどろしい文言です。 紹介せねばなりませんが、それはともかくとして、時代がそう向いていると見て取ったゆえに、 竹内好は、言葉のうえでだけですが日本を見離して見せます。 わたしも絶望しちゃいまして、できれば、どこかへ亡命したい気持です。 折角そう思いたったのだったら、さっさと憧れのシナ大陸へ亡命してくれたらよかったのにと 思いますが、北京政府にとっては、この男がひとり亡命してきたところで、さしあたりなんの使 エージェント い道もないでしよう。それよりも、あくまで日本に踏みとどまり、北京政府の忠実な代理人とし て活躍してくれてこそ、シナの国益に多少とも利するところがあるわけです。 「日本は中国とすでに戦争をはじめた」という嘘八百 せつかく ⅢⅢⅱ きもち ( 同前 ) 210
定しているはずです。 そうそっ この一節は、座談会での発言を採録した怱卒の言辞ではなく、十分に意を用いて執筆された文 章なのですから、ここの箇所を不注意による書き誤りと見ることはできません。 ここで竹内好は、日本国民全員に対して、どうだ、見事に鼻をあかされたじゃないか、ざまあ みろ、と高笑いしているのです。身も心も北京政府に売り渡して、日本民族をひそかに敵視し、 エトランゼ 軽蔑している異邦人の本音がついに出たというわけでしようね。 もちろん、以上はわざと試みた極言でありまして、竹内好がそれほどまでに肚を据えていた豪 傑であるとは思えません。彼は生涯を通じて、しだいに国力が増進し豊かになりつつある日本国 民としての社会的処遇を満契していました。 そして日本国民の中で最もススンディル先覚者であり、高度の智者であると思い上がった倨傲 にあぐらをかいて、優越者の自覚を楽しんだわけです。 何に対しての優越であるか、もちろん一般国民に対する見下しの舞いあがった優越感です。そ の根性をちらりと露呈したのがさきほどの一節だったわけです。芥川龍之介の『或阿呆の一生』 ( 三十三英雄 ) に、彼一代おそらく最高の名句が残されていますね。 誰よりも民衆を愛した君は 誰よりも民衆を軽蔑した君だ。 ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢ ある きょ・」、つ 216
ろじん 魯迅を論じたり訳したりしただけで、ただそれだけのけちくさい〃学識〃で、シ ナの事はなんでも知っているという顔をした鉄面皮な竹内好は、三千年のシナ文 コンプレックス 明史をなにひとっ勉強していないのですから、その劣等感の裏返しとして、現 も、ったくと、つ 代シナをひたすら持ち上げ神聖視する戦術に出ました。そして毛沢東政権のもと シナは美しく立派な尊敬すべき国となっているのに反して、日本は愚劣な卑しむ べき国であると言い募る一点張りで通しました。 筋金入りの「反日的日本人」 英文学者は、もともと英国に好意を抱いていたので英学を志すという場合が多いようです。そ ほ して、勉強を積み重ねるほどますます英国に惚れこみ、いつのまにか世界中で英国が最も優れて フランス いると思いこむようになります。独逸文学者も仏蘭西文学者も、そのほとんどが判で捺したよう に同じ傾向をたどりますね。 つまりは、俗にいう「わが仏尊し」の無邪気な思いこみなのですから、その限りではいたって ほほえましい風景でありますし、とりたてて問題にせねばならぬような実害はなかったようで す。 よしみ ところで、近代シナ文学の研究者に竹内好という魁偉な人物がいました。この人はシナ学を志 したくせに、肝心なシナの古典については無学であり、無関心でしたが、それはともかくとし て、自分の専攻である近代シナ文学に執着するのあまり、近代シナが格別に秀でた国であると信 と、つと つの 力しし お
と、つ とすばらしいことではありませんか。この論理からすれば、日本国民は北京政府ができるだけ強 力な核兵器を持ってくれるよう、ひたすら祈って声援をおくらなければならぬことになります。 いっとき共産主義者が唱えた迷文句に、「帝国主義国 ( 自由経済諸国を指す ) が核実験でまきちら す灰は黒く汚れているが、共産主義国が核実験で生みだす灰は白く清らかである」という抱腹絶 ひやくしやくかんとう 倒の珍論がありました。しかるに竹内好は百尺竿頭一歩を進めて、アメリカやソ連が保有する 核兵器は核戦争の可能性をはらんでいるが、北京政府が持つであろう核兵器は、これだけは例外 的に格別に、核戦争を防ぐ力になる、と保証したわけです。 竹内好のひそかに夢みるところ、アメリカもソ連も核兵器をすべて放棄し、北京政府だけが核 兵器を持つ状態こそ望ましいのかもしれませんね。 エトランゼ 中国の核実験に感動する異邦人 そうして、ついに北京政府は核実験に踏みだしました。待ってましたとばかり歓喜おくあたわ ざる声をあげます。いちおう日本の国民感情をおもんばかって悲しげな風をしてみせますが、そ シュガーコート れはご愛想の糖衣にすぎないので、この露骨に高らかな勝利宣言をご覧ください。 中国の核実験は、不幸な出来事でした。あってはならない、あらしめてはならない出来事 でした。人間として、わけても日本人として、この出来事を残念に思わぬ人は少いでしょ う。これは理性の立場です。理性の立場からは、私はこれまでも中国をふくめてすべての核 ふう ほうふくぜっ