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検索対象: 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞
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1. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

嵐王はつぶやくように言い、彼に背を向けた。邸のなかについてこい、というようだった 兄の足は母屋に向かっている。 「兄上。わたしは行かれません」 ぎくりとして、吹雪王は声を出した。 「父上が、おわした場所です。 オニはやがて戻ってくるでしよう」 都を吹きすさぶことに飽きれば、眠りを欲する。オニとなった鴉王は、なぜこの邸に戻って きたのかさえもわからずに、母屋で眠りにつくだろう。 そこに居合わせたくはなかった。痛ましい父を、これ以上見たくはない。 「そうか。では、おまえのいた離れへゆく」 彼の恐れを嗅ぎとったのか、嵐王は向きを変えた。下草をかき分けて、離れにむかう。 おばっかない足取りながらも、吹雪王は後を追った。背が、しびれるような痛みを覚えてい る。邸中の〈気〉が、彼らを拒んでいるような気がする。 おとど おとし 彼も兄も裏切り者なのだ。この邸に住もうた、穏やかな大臣ーー父を貶めた。 吹雪王の恐れとは裏腹に、前をゆく兄の足はたしかだった。憎しみに染まった邸に気づかな いのだろうか。 それとも、と吹雪王は考える。自分がさといのは、〈御児方〉だからなのだろうか。 つまどきし 色あせた妻戸を軋ませながら、嵐王は無理に押し開けた。先に吹雪王を入れる。

2. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

眼をひらいたままの弟を前に乗せ、嵐王は言った。 ぎよっとして、隼王は腰を浮かそうとした。 「待たれよ ! 」 吹雪王を連れてゆくというのだ。彼を残して。 それでは、都に帰れなくなる。 意味ありげに、嵐王は目を細めた。 「腰が抜けて立たれぬのでしよう。ならば、そちらで少しお休みになるよりはかは、ありませ ん」 置いてゆくと言っている。 「それは困る ! 」 オオカ体が言うことを聞かす、もんどりを打った。 追いすがろうと、彼は手を申ばしこ。、、こ ; 「吹雪王どのを連れてゆかれては困る。頼みまする。しばし、お待ちいただけぬものか」 「ならぬことです」 抄笑みを浮かべたまま、嵐王はそう続けた。 しよぎよう 鬼「あなたを連れ帰れば、わたしの所業が明るみに出るところとなる。それは、ありがたくない もの。ーー置いてゆくしかありませんね」 ふふっと声をもらし、嵐王は合図した。馬を進めさせる。

3. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

だじようだいじん 三人は、黙りつづけるより他はなかった。嵐王は太政大臣鴉王の息子として、今上の側近く あかし に仕えることしか出来ず、帝は息子をできるだけ取り立てることが、精一杯の親子の証だった のだ。 このたびの事がなければ、これは叶うことのなかった、夢 嵐王は、幻の光を見ているような心地だった。運命は、わからぬ。何が吉となり、何が凶と なるか。 ( 父は、鴉王は善い人だった。しかし、その人のよさがあだとなり、露と消えた。だがわたし ここにいる ) ずる 狡さが、帝に見込まれた。おのれを愛し、おのれの得のために生きる。嵐王がそんな男だ と、帝はうすうす気づいているはず。 ( さだめとは、つかみとるもの ) そう、つよく感じた。彼はさだめの河に流されることがなかった。両の手を血にひたして、 あらが 抗い、掴みとったのだ。 しよし 抄そうせねば、嵐王はここにはいなかっただろう。鴉王の庶子として、ひくい官位に甘んじ、 鬼生涯日陰に暮らさねばならなかったはずだ。 朧「ああ、嵐」 しん あえ 常磐が喘いだ。かすれた声が、嵐王の体の芯を揺さぶる。 ・よ

4. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

きんじよう 今上の若いころの姿のようだ : ・ 「腰を抜かされたか。ーー隼王どの」 まるで表情を変えず、彼は言った。みそれまじりのような声だった。 わたしを知っているはツとした隼王は、たずねようとした。だが、男はそれを待たずに また、馬上の吹雪王を見上げる。 すっと、手を差し伸べた。 まるで、藤の枝に扇をかざすかのようなやかさだ 0 た。一幅の絵のように、それは映 0 っ ) 0 「殿 ! 」 オニカタ 〈御児方〉に触れようとする男に、盗賊たちの恐れた声が飛ぶ。彼はかまわずに、さらに手を 「お気をつけなされませ ! 」 「かまわぬでよい。我などせぬわ。ーーー弟だ、これでも」 彼は笑い、 吹雪王の手をつかんで引き寄せた。 吹雪王が崩れる。矢に胸を貫かれたように、背をそらせて兄の胸に落ちた。 ( おとうと ふごう 隼王の胸のなかで、符合がかちりとはまった。吹雪王の、兄。

5. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

囁きが、吹雪王をからめ捕る。 「ののしれはしまいよ。おなじ穴のむじなだ。そなたも、わたしも」 欲しいものは、ただひとつ。 嵐王の手が、彼の髪をわし掴みにした。 「死んではならぬ。生きよ、わたしのもとで安らがせてやる」 魔の声が、体に、いにしみてゆく。 わななく吹雪王の髪を、兄はぐいと引いた 「さきほど、はじめて人を殴った。長年の澱みが洗われるようであったよ」 心のままに振る舞ったのは、あれが初めてだったのだ。幼いころから、嵐王はうまく立ち回 ることだけを気に掛けつづけてきた。 くつくっと嵐王が笑う。彼は愉しみを見つけ出したのだ。 哀れな小鳥。 それが自分だと吹雪王は知った。従わねば、ひどい仕打ちを受ける。だが従えば ? いられる。 生きて 鬼 月 そう思っていたはずだった。今も、ここに心はない。吹雪王は、かっ 斬り殺されてもいい ) ての彼はあの川で死んだのだ。 それでも、生きていたいのか ?

6. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

あの兄がと思うと、とても信じられない。 だいり 嵐王は、内裏で独りきりだった桜姫を、折にふれて慰めてくれるただひとりの客人だった。 じつの兄妹ではあるけれど、めったに会えるわけではない。 月に一度、あるかないか。 それでも、嬉しかったものだ。嵐王は気持ちを押しつける人ではなかった。その代わりに、 踏み込ませようともしない人ではあったけれど。 桜姫はかまわなかった。あのころ、他人に興味はなかった。 がしら 帝の覚えもめでたい、出世頭の、美しい兄。 ひき その兄が盗賊を率いて吹雪王を奪っていった 桜姫にはそうとしか思えない。 ( ほかのわけがあったのかしら ) 懸命に理由を思いっこうとしたが、うまく行かなかった。 認めたくはないけれど、あれがまことなのだ。 恐らく、嵐王のまことの顔。 わら 夜氷の花のようだった。あからさまに隼王を哀れみ、嘲笑っていた。 月それにしても、なぜ彼は吹雪王を連れていったのだろうか。 桜姫にはまるで考えもっかなかった。ただわかったのは、嵐王は処刑されずにいたことだ

7. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

あやうく、救おうとした者までもが命を落とすところだったのだ。 『川下を、川下を探せ うわずった自らの声がそう命じるのを、あの時隼王はきいた。誰よりもはやく馬首を取って 返し、ふたりを追って川岸を下りはじめた。 水面を黒い頭が浮き沈みする。桜姫の髪が、糸のようにもつれ、扇のように広がり、波に飲 み込まれる。 次第に、隼王は引き離されていった。 つぎに吹雪王を見つけたのは、それからどのくらい後だっただろうか。 吹雪王は、岸辺に打ち寄せられていた。桜姫は、さらに先へ流されたのだろうか。彼ひとり 青白く横たわる彼に、隼王は馬を下りた。脈を取ってみた。 『生きている : わずかだが、呼吸も感じられた。 彼は火を起こさせ、ためらいもなく衣装を脱いだ。その肌で、息たえようとしている尽きか けたともしびのような、吹雪王の命を温めたのだ。 今になって思えば、なぜあの時そうしたのか、わからない。 そう思いたくて、隼王は目を伏せた。目の前でひとつの命が失われてゆくのを、何としてで よ ) つ ) 0

8. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

すらりと口にして。 「ええ。そのとおりですーー常磐」 くら 答えて、嵐王は頭を振った。目が眩みそうだ。こころとからだと、二つながらに高みが近づ いてきている。 鴉王が処刑された混乱に乗じて、帝は彼らを後宮へ招き入れた。誰も近づかない梔舎を与 え、そこに潜むことを命じた。 さら やがて、二人が好奇の目に晒されるのは、目に見えていた。吹雪王の不始末を問われ、父、 鴉王は死に追いやられ、家は取りつぶされた。 さた それなのに、吹雪王の母である常磐と、兄である嵐王に対する沙汰は、何一つなかったのだ から。 はんい 帝に叛意ありと、鴉の家は絶えたはず。ならばなぜ、鴉家の世継ぎとなる嵐王が許される ? まるで、謀の芽を摘まずに育てるように。 おかしいと、噂が生まれるのは必至だ。 「世間の目から遠ざけるためならば、何も、ここへ匿わずとも良かったのですよね。お祖父さ しようえん まも、莊園はいくつも持っていらっしやる」 「別邸も・ : : ・」 「そう。だから、わたしたちはそこへ置いていただいても良かったのだ」

9. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

侍たちに取り囲まれて目覚めた吹雪王は、助かったと知るや、隼王を罵った。 鬼 " 残酷な、手をさしのべた男 ひどいことをした。生きながら、火あぶりにするように。 わかっていた。わかっていたのだ。彼の振る舞いが吹雪王を切り刻むと。絶望の淵に追い立 てるのだと。 わかっていて、やった。 いくど身を投げても、連れ戻した。柱に縛りつけ、舌を噛まぬようにと、ロに轡を噛ませ 舌をかみ切らせることも、刃を胸に突き立てることも許さなかった。 見張り、傷を癒した。繰り返し。 あらが いっからだろうか、抗わなくなったのは。 吹雪王は抜け殻のようになった。魂とばしした者か、はじめから気の薄い者のように。 抄おとなしく縛られ、ただそこにいた。 鬼 いまも、吹雪王はそこにいる。まるでいない者のように。 月 朧ごう、と風が吹いた。吹雪王の前髪を、なぶってゆく。 「隼王さま」 こ 0 たま ののし くつわ

10. 朧月鬼夜抄 : <雨の音洲>秘聞

てもなぜ彼が盗賊のような真似を。 「礼を申しますよ、隼王どの」 うっすらと、嵐王は笑んだ。 「よくぞ弟を探し出し、連れ帰ってくださった。 : ときに、東宮妃はいかがいたしたか、お 聞かせ願えないものだろうか ? 」 「行方は存じませぬ。われらもほうばうお探し申し上げたが、ついそ見つからずじまいだった のです」 彼のように打ち寄せられてはいないかと、ずいぶん川下まで探した。だが、女帯ひとつ、櫛 ひとつ、見つけることは出来なかった。 はるか 、海まで流されて、わだつみに召されたか : 「さようか。いたしかたなきこと」 呟くように答え、嵐王は自らの馬に吹雪王を乗せ替えた。おそるおそる、男たちが手伝い またが 嵐王も跨る。 みとどけて、盗賊たちはそれぞれ馬に乗った。さきほどの争いで馬の逃げた者が、従者気取 りで嵐王の手綱を取った。 のどもとから、刃が退いた。刀を収めた男が、仲間のあとを追う。 「それでは。この先も、達者でお過ごしなさいますよう」 とうぐうひ くし