「いつのまに、僕は寝て しつのまに ? そんな記憶はなかった。寝台にひ 0 くり返ったおばえも、「寝よう」と思ったおばえも。天 井だけでなく、四方の壁をも人形のかけらが埋めつくした、こんな部屋に来たおばえさえも ! 片手が無意識に、ロ許へ持っていかれる。ナニモわからない、ナニモ覚えていない、真っ白 な恐怖が、彼を足元から支配しようとしていた。 つめたいものが、はい上がってゆく。 ボクハ、「ダレ」、ナンダロウ : いか浮かんだ。 しゃあん。かけらのあざけりが聞こえる。 ザマアミロ、ザマアミロ。おまえは、自分を知らない。忘れてやがる。 かせ それは罰。生きているおまえの枷。俺達を踏み台にして作られた、おまえのおまえらの原罪 その音は、そんなふうに聞こえた。
私が生まれたとき、母は泣いたという。 髪も未だ開かない瞳も純銀、二十の指にちいさな爪まで〈銀聖色〉の宿った娘。 『〈ミコト〉・ かんべき ッキカケ 月蝕時にだけ力を出すことが出来た、 " 月蝕夫人。と呼ばれた自分よりも、完璧なものを具 えた、具えてしまった娘。 モチヅキ 『望月の〈命〉・ 母は、そう言って泣いたという。私がこの先背負うだろう運命を見て。 カイザたいこう せいれいけいやく 〈命〉。億に一人の力。特殊な〈精霊契約〉。そんなものが何になるのか。界座大公の娘として あしかせ 生まれてしまったら、それがどんな重い足枷になってしまうのか それを思って、母は泣いたという。 サカンゲッ 叉幻月。私はあなたにお尋ねしたいことがあります。 やど
えなかったのかしらね」 なんきん 婚約を強要された娘が、絶望のあまり軟禁された塔から身を躍らせる。 そんな発想は、浮かばなかったのだろうか ? たとえ、この窓がちいさく、 登るのに苦労するとしても ! 「あんまり情けなくて、涙が出るわ」 よろいまど 言って、真梛は重たい鎧窓を開けた。背伸びをし、両腕を前方にひらく。 祭りの世界が絵物語のようにひろがった。 ひ 小高い丘のあるこの城を中心に、うずを描くような祭りの灯が見える。 ひとつの銀が、西へのびている。あれは、破斬への街道。途中から枝わかれして南西にゆく のは、自治領・藤陣へつづく道だ。 エンゲットウ 。しったい何年ぶりだろう。まだ偃月島に行く前、透緒呼と城の屋 こんなながめを見るのま、、 根に登ったのが、最後だったろうか ? 「ああ、もったいないー こんなきれいなものを見ずに過ごしていた、なんて。 「そりや。偃月島からは、藤陣の海岸線の灯が見えたし。それも良かったけれど」 どっちにしても、状况的にはまったく嬉しくない。限られた範囲から出られないという、最 あしかせ 低の条件が、足枷のようについている。 トウジン ハザン 高いため、よじ
ふたつ。矢禅の言うように、あれはただの罠。私を傷つけるためのもの。 けれど、だとしたら、仕掛けたのは。 衝撃に彼女は床につつぶしかけた。壁の灯火の銀光が、はんばな体勢の透緒呼の影を、床に 揺らしている。 〈人形王〉。 また、あなた。またしても、あなた : 何がいけないというのか。そんなにまでも、私にかまうなんて。 よ , っこ。 放っておいてほしい、のに。あなたに刃を向けなくても、 けれど、最後の一つの可能性は、そんな透緒呼の気持ちを簡単に踏みにじる。 耳にこびりついて消えない、ふたつのセリフ。いっかのあなたの一一 = ロ葉と、昨日の〈陽使〉の 言葉。 『そなた、余がム 『ザクーシャ、父上のもと : ・・ : 』 途切れてしまった、けれど。 けれど、ふたっともなぜかその先にくる言葉がわかる気がした。 ャゼン ゃいば わな
それがいったいどういうものか、わからなかった。 黒い丸薬のように固まった燃えカスを、はじく。黒い軌跡は、通りかかった婦人の靴につぶ され、手には跡が残った。 ばんやりと、彼は手をみつめる。 ガラス こげて光る、表面の硝子質。。ーーガラス ? 【ガラス】。かたくてもろい、すきとおった物質。 ジアフ 〈陽使〉は、こんなものでデキテいるのか : かたまり 【ジアフの体】。血と骨と肉と黒い塊 予想外の答え。 じゃあ、僕は ? 硝子質をもっ僕は 【僕】。僕は、トウザーシャ。このアキで十七になる。性別は男 「僕は つよい口調に、振り返る人。すぐに興味をなくして、去ってゆく。 【僕】。僕は、トウザーシャ。このアキで十七になる。セイベッ やめろ ! 僕がしりたいのはそんなことじゃないー かちり・かちり。繰り返される同じ一言葉。実感がなく、砂のようにこばれる。
118 形見の手首の布を、真梛は押さえた。 彼女は、いま自分の部屋に少年がよみがえ 0 たことなど、知らない : 「殺されーーーって、真梛・・ : : 」 透緒呼は絶句した。あれは 「わか 0 てる。トウザーシャは〈陽使人形〉だわ。認めたくなんてなか 0 たけど、それは確か くだ よ。あんなふうに、砕ける人間なんて、ないもの : : : 」 はくじん 思い出して、白刃が脳裏にひらめいた。 忘れられない。あのとき、からだを走 0 た痛みが忘れられない : 「姉さん、わかってて、どうして : 透緒呼はうめいた 「そんなの、わからないわよ ! 」 真梛が金切り声になる。 「しようがないでしよう、どうにもならないのよ。私だ 0 て、『どうして』なんて知らないわ よ。でも、私はトウザーシャを好きにな 0 ていたの。時間なんて関係ないわ。あなたに似てい 。あの人 るかどうかじゃなくて、トウザーシャが好きだ 0 たの。苦しくて、泣きたく 0 て : がこわれるまで、〈陽使〉だなんて、気付かなか 0 たわ。獅伊菜にさえ〈陽使〉臭を感じたこ 、セラ日ニアの太陽のようなにおいしかしなかったの の私がよ。トウザーシャは香辛料の かたみ
覚醒。あたりの景色がいきなり眼に飛び込む。 てんじよう 最初の風景は、白、だった。なめらかに白い天井が見えてくる。 : なんか、妙にでこばこした天井。 おうとっ なだらかな凹凸に、彼はそう思った。 それに、ところどころに黒い穴があいて、ーーー黒い穴 『それ』が『何』であるかに、彼は気付いて凍りついた。 数十という眼窩が、彼を見下ろしている ひたいの欠けた、あるいは鼻から下のない陶磁器の仮面。何百体という人形の顔、顔だけを 張り合わせたものが、乍っこ イみーー天井。 そんな気味の悪いながめを、『天井』と呼んでもいいのか彼にはわからなかった。 「いっから、僕はこんな変なところに : 灯 つぶやいて、はじめて彼は気付く。自分が寝台に仰向けに横たわっていた、ことに。 の 祭 つかみどころのない不安がっきぬけ、彼は飛び起きた。ばさり。かるい音がして、かけてあ ったうすい布団が床に、落ちる。 かくせい ふとん がんか こお
ない。だれかが作った感情で、そんな気持ちになれたりなんてしないわ。トウザーシャ、私は しんじる。しんじられる。あなたのその気持ちだけは、絶対に、絶対に本物だわ。たとえほか が全部ウソでも、それだけは本物だわ : : : 」 みつともないほど泣きじゃくっているのが、自分にさえわかる。 真梛は涙をこすってつづけた。 「トウザーシャ、逃げ、ましよ」 少年が上体を起こした。人間であったなら、瞳が充血して濃い色になっていただろう、そん な顔で。 「ニゲ、るーーー ? 「そう。あなたが作られ、たのな・ら、あなたの運命が作られた、のなら。それ、から、ここ から、その人からっ : すべてが嘘から始まったのならば、すべてを捨てて。たった一つの真実と、本当の気持ちだ 灯 けをもって : の 「もういちど、はじめま、しよう。ね ? 」 処小まゆね 眉根をよせ、彼は言った。 「でも、マアナきみはーー・」
132 ・ : 恋とは、そんなものなのか ? 」 「そんなもの、とは ? 」 蒼主はうまく表す言葉を見つけられなかった。真梛の態度を思い出し、それを声にしようと する。 さっして、矢禅は答えた。 「ええ、そんなものです」 ながい朝がおわり、時刻は昼になろうとしている。
のど くつくっと、蒼主は喉をふるわせた。矢禅が舌打ちする。 「動かないでください ! 襟の合わせがずれるでしよう」 「うん」 蒼主は笑みながら答え、言った。 「十年かー もう、そんなに経ったのか ? 「はい」 そうです、蒼主。矢禅はただうなずく。それは、彼らが「乗り越えてきた」年月だった。 言葉のいらない空白のあと、蒼主はまったく別のことを訊いた 「矢禅。おまえ、なぜあんなものが、あの部屋にいたと思う ? 」 " あんなもの。とはトウザーシャのことで、 " あの部屋。とは真梛の部屋のことである。 ョウシ 「〈陽使〉にすこしでも関わりがあるのは、透緒呼か亜羅写だけ。そうだったな ? 」 エンゲットウ きようけつかい 「ええ。九鷹はともかく、真梛は強結界の張られた偃月島で育ちましたし、後宮でも、もっ とも守りの強い部屋にいれましたから。〈陽使〉に眼をつけられることは、外へでも出ないか ぎり、ないはずだと思いますが」 考えるように、蒼主はあごに手をあて、矢禅ににらまれた。服がずれるのだ。 えり