( しゃん、しやら、しゃ : ・ : ・ん ) どこかで、かなしい音が聞こえる : あれは、雨の音 ? 天空の涙 ? ( しゃん、しゃん、しゃあん : : : ) みちしるべ それとも、鈴の音 ? 狂気の舞姫のおどる、滅亡をしめす道標 ? ( しゃあん、しゃあん、しゃあん : : : ) ちがう。これは、この音は、 うら 陶器の泣き声。白磁の恨みを込めた、ささやき。 ( しゃあんい ) とっぜんの大きな音に、彼は現実に引き戻された。
しやら、しやら、しゃん : しゃあら、しゃん、しゃあん : 陶磁器の音、陶磁器の音、陶磁器の音。彼のまわりで、涙のような白いかけらが、光りなが ら落ちてゆく。 遠くで、ゆらゆらと動く影。踊っているの ? ひるがえるのは、長い髪 ? それとも、額にまいた布の裾 ? きらり、かがやいた紫の瞳。 あれは、あれは。 灯 あれは の 「あね・うえ : : : ? 祭ばつり。晶雲の口から、つぶやきがもれた :
「お熱が、下がりませんねえ」 カイザたいこうせいひうば 今年七十になる界座大公正妃の乳母は、しわの目立つ手を額にあて、そう言った。 ショウウン セイネ ただし、その手を額にうけているのは、筮音ではない。彼女の長男・晶雲である。筮音の 降嫁に付き従ってこの城にやってきた小柄な老夫人は、公子の乳母でもあったのだ。 「こまったわね」 まゆ 息子の寝ている寝台の横に立った筮音は、少し眉をひそめた。 「もう、かれこれ五日になるわ。主治医はなんともない、などと言うけれど。ねえ、本当はな やまい にか悪い病なのではないの ? 熱はそれほど高くはないが、晶雲はずっとうなされ続けている。それは、重病の前触れでは ないのだろうか ? 筮音、透緒呼、晶雲と王家に連なる人間を三人育てた乳母は、娘のような大公妃を見上げ ひたい
「いちど、あの娘に逢いたいものだけれど。晶雲がこの調子ではね : : : 」 一週間後から、王都・清和月で大陸最高会議がはじまる。『一王・四大公家』および有力貴 族、豪商が集う、一年のうちでもっとも重要な集まりである。 おもむ 大公妃の筮音は、通常であれば、夫とともに清和月に赴く。だが、息子がこれでは。 「私がついておりますよ、姫様」 行っておいでなさいまし。そう言った乳母に、筮音はちいさく首を振った。 「我が子が病気というのに、城を空けたくはありません。せめて晶雲にはーーー」 透緒呼に味わわせてしまった寂しさを、与えたくはない。 飲み込まれたセリフを察して、乳母はうなずいた。 「ようございます。大公様には、私からもとりなしましよう」 コウジャ 正妃が会議へ同伴しないのか ! そう機嫌をそこねる皐闍が目に浮かぶ。 筮音は、視線を横にながし、かすかに唇の端を持ち上げた。 カリョウ 「公の怒りは、覚悟いたしましよう。それに今年は、花涼殿も王都へゆくのです。わたくしの 灯 ことは、やもすると免じていただけるかも : : : 」 の 本当ならば、そんなときこそ『私が正妃だ』と主張したいのだけれど。 祭「晶雲の方が、わたくしには大事 : : : ですもの」 なかば諦めたように、筮音はつぶやいた。
乳母は胸のあたりをかるく押さえて、肩の力を抜いた。 筮音は、、い配そうに晶雲を見た。顔にかか 0 た髪を、指ですくって払ってやる。 「姉上、だなんて。この子は何を見ているのでしよう。なんだか嫌な気持ちがします」 「この春に会 0 た、にくい〈陽使〉めのことでございましよう。ば 0 ちゃまを、嬢ちゃまが助 けられたのですから」 透緒呼を " 嬢ちゃま。と言 0 て、乳母は腕組みをした。『にくい〈陽使〉』のことを、考えて いるらしい せいばい 「ばっちゃまにひどいことをした輩が、はやく成敗されてしまえばよいのに」 うなずいて、筮音はつぶやいた。 「そうね。でも、わたくしは、あの娘にまたなにかが降りかかっているのではないかと。それ が、どうしても気がかりなのです」 ーレようへき 春のはじめに再会した透緒呼。あの事件のあと、障壁をひとっ乗り越えたのだと、彼女は ソウシュ 弟王・蒼主に聞いている。けれど。 けれど、すべてを知らないことには。自分の源を知らないことには。 透緒呼がすっかり背筋をのばせないことを、筮音は知っていた。 だれよりも、誰よりも やから
75 祭りの灯 「姫様、ばっちゃまは、お食事はちゃんと召し上が 0 てますでしよう。食欲があるのですか ら、やはりたいしたことはないのだ、と思いますよ。 ただ、ご多感なお年頃でございます から、なにか怖い夢でも御覧になっているのでしよう。あまり心配なされると、姫様の方がお 倒れになられますよ」 筮音を " 姫様。と呼ぶのは、王女時代のなごりである。ほとんど母親代わりの乳母に諭さ れ、筮音は割り切れなさそうにしながら、うなずいた。 「そうね。もしかしたら、この間わたくしが『お行儀が悪い』と叱 0 たことを、思い出してい るのかもしれないわね。きつく言ってしまったから」 「左様でございますよ。姫様は、 気性が激しい、きつい、と言った意味の言葉を、乳母は飲み込んで忍び笑う。筮音は面白く なさそうに、そっと眉を上げた。 コ言いたいことがあるのなら、はっきりとおっしゃい」 かんぐ 「まあ、そんな。姫様の勘繰り過ぎでございますよ」 老婦人は、ひらりとかわした。 「あねうえーーツ とっぜん、晶雲が叫んだ。夢のなかで苦しい目にあっているのか、寝顔がゆがんでいる。 「ああ、驚きましたこと。年寄りの私は、心臟に響きましたよ」
むじひ 6 一ま↓ - ま。、 ーラは無慈悲な笑い声を上げた。 「いまごろは、朽ち果てたやもしれぬな」 同じくらいつめたくザカードは言い、視線を手元に戻した。 ーラ、女王よ。セラⅡニアの夏は地獄のようだ。避暑をかねて、わたしの手並みを見てゆ ・か・ぬ、か ? ・ いま磨いている、あらたな布石の投じる波紋を」 かしゅ、 かしゅ。奇妙な音がザカードの手からうまれる。 ーラはうなずいた。 その音を聞きながら、 「心行くまで。・ : ・ : 楽しませてもらいましよう」 しやり。 白磁が、かなしい溜息をついた : ためいき
そして、残された透緒呼は、昔の乳母に筮音のところへ行くように言われ、ここへ来たわけ である。 すでやじゅう 「たいした覚悟です。公に立ち向かうなど、素手で野獣に向かうようなものだわー めった 滅多にあることではないが、頂点まで怒り狂ったら、彼が手の付けられない男になること を、筮音はよく知っていた。 「花涼殿があいだに入ったのは、母親だから、というよりは、猛獣の調教師の役割でしよう ね。あの具合だと」 ふっとう じっさい、皐闍は、実娘といえども殺しかねないほど沸騰していた。 彼にしてみれば、『界座と清和月の結びつきが、強くなり過ぎる』という反対者をだしぬい おんみつり すいほうき て隠密裏にすすめた計画を、不意に水泡に帰されたも同じなのだから。 わくぐみ 「公も、無駄なことを : : : 。人の気持ちなど、政略の枠組にははまらないもの。ご自分が、い ちばんよく御存じだと、わたくしは考えますけれど。そう、イヤミで言ってやりたくも思うほ ど、ねー ひたい 独り言のように筮音は言い、晶雲の額にのせた布を取った。つめたい氷水にひたし、代わり の冷えた布をのせる。 透緒呼はめずらしい光景を見たように、眼をパチバチさせた。 0
とん ! 自室の壁際で、うとうとしていた亜羅写は、不意に耳元で響いた音に、目を覚ました。 とした瞬間には、すでに壁を蹴って部屋の隅へ飛んでいる。一回転して、着地した 彼は、くるりと振り返り、攻撃のかまえをした。 「だれだ」 すいか 誰何する。亜羅写はそのままの姿勢ですこし待った。 げんきよう 返事はなかった。少年は、すずしい音の元凶に視線をながす。 短刀がふかぶかと壁にもぐっていた。命中していたら、即死していただろうー クヨー こんなことを平気でやるのは、彼だけだ。亜羅写はムッとして、短刀を引き抜いた。意識を 集中する。 アラシャ
まあなまあなまあな。 一一 = ロ葉がまわるまわるまわる : 灯 しゃありら。 の どこかで、陶磁器の音。 祭 しゃありら。 それは、ゆがみの世界への案内の音。 亜羅写の叫びに、 耳をふさぐ。 透緒呼が空牙刀を持ち上げた。もしかしたら、これで 「ムリダョざかどは、みこしてる」 トウザーシャは言った。自分のムスメのこと、きっとお見通し。 両目が熱くなってゆくのを、亜羅写は抑えた。『カウス日ルーでエセラの殺人はみとめな い』。蒼主の言葉が、彼をとどめる。 九鷹が武器をきつく握った。考えるのは、二人と同じこと。 「真梛ーー」 「まあな」