「僕が蒼主の前に現れたのは、十年ほど前のことです。そのとき僕は彼を殺す気でいた。殺そ うと、王宮に忍び込んだんです」 思わす透緒呼は顔を上げた。 おじうえ 矢禅が、叔父上を にわかには信じられなかった。 きずな だって、あのふたりは何よりもふかい絆と、つよい信頼によって結ばれていたはずだ。すべ てのひとを嫌うなか、叔父上はたったひとり、矢禅だけを選んだはず。 そうじゃ、なかったの ? 「透緒呼、僕のことをはじめから話しましよう。あなたには聞く権利がある。僕のことを」 ふと矢禅はそう言い、出生にまでさかのばって話しはじめた。 ひと サヤメ 「僕の母は矢歌という、彩女領にすむ身寄りのない女性でした。父に出会ったいきさつはさす がにわかりませんが」 父、という言葉に、透緒呼はびくりと反応した。それは、ザカードのこと : 「矢歌は僕を身ごもりました。そのころすでに、彩女領では、彼女が〈陽使〉と通じている と、だれもが知ってたんです。僕ができたことで、矢歌は家を焼かれ、暮らしていた村を追わ れました」
8 「ええ」 以前よりもすこし大きめの縁なし眼鏡をかけた矢禅が、彼女より少し下がったまま、にこや かに同意する。清和月宮にいるときは、元のように眼鏡をかけつづけるようだった。そのガラ くっせっさつかく ス越しの瞳は、以前のように屈折と錯覚を使い、銀色に見えている。 「僕は、お目付役というわけです」 「真梛」 矢禅の言葉に、透緒呼は非難を込めて姉を呼んだ。どうして彼を連れてきたのか、と言うよ 、つ . っ ) 0 「ちがうのよ。外に出ようとしたら、たまたま会ったの。それだけよ」 「何か、僕に見られてはまずいことでもするつもりでしたか、透緒呼 ? 」 いたずら 悪戯つばく矢禅は訊いた。透緒呼は目を伏せ、背を向けるように亜羅写を振り向く。 「腕が下がってる」 右腕の内側を、かるく叩いた。亜羅写が反射的に腕をのばす。 「そうそう。苦しくても、それを怠けちゃだめだわよ」 : 教えながら、急速に気持ちがしばんでゆく。そばに矢禅がいることが、息が詰まるよう につらい そばに、、ないで。あっちに行って。 なま
セラ日ニアで、九鷹は母と弟と女神を失った。彼だって、いつも幸せで順調だったわけでは ない。そうなのだけれど。 ちょっとオ。なんなのよ、亜羅写。 : : : そこにいるんでしよう、何か用 ? 」 ふいに、部屋の奥から透緒呼の声が聞こえた。亜羅写ははツと顔を上げる。ひどく不機嫌な よ , つだ。 「 : : : 寒いでしよう。扉、早く閉めてちょうだい。用があるなら、さっさとこっちに来た ら ? 」 「あ、ああ、いまいく」 冷気が、廊下から部屋に流れ込んできている。 半分あいたままだった扉を急いで閉め、亜羅写は二間つづきの奥へ向かう。 てんがい 寝室の扉はひらいていた。部屋の真ん中におかれた天蓋つきの寝台の垂れ幕も、上げられて 「トオコ ? 」 かんじん 声はしたはずなのに、肝心な彼女の姿が見えなかった。着替えの最中なのかと、彼は呼びか けてみる。うつかり下着姿などを見て、物を投げられたのではたまらない。 ふとん 寝台の上に放り出されていた布団が、ごろりと転がり、透緒呼の腕が現れる。布団を抱き抱 : ここ」 かか
はなしは変わって、こないだわたし、髪染めました。って言っても、いままで真っ黒だった わけじゃないですがね。赤くなっちゃったのを、すこし落ちつかせるために美容院に行ったん だけど、ショックなことがふたーっ。 いち。担当さんが転勤になってしまった。 まわ なんか、この春わたしの周りには転勤話が多いったら。友人知人の比率からいってもかなり いちばん近いのがくだんの美容師さん ( 埼玉から都内へ ) 。遠いのが友人の友人の ベトナム ( ! ) です。 はあく それはおいといて。そうなの、髪質からなにからを把握したひとにいなくなられてしまっ て、目の前暗くなりました。じつはひびきの、けっこう根性の悪いくせつ毛です。おまけに、 細くて猫っ毛で量が少ないときたもんだ。 ( 美容師さんにしみじみ「細いですねー」とか言わ れると、けっこう哀しいもんがあるぞ ) 。 だもんで、はじめてのひとだと、かなりめんどかったりします。くせを把握してもらわない と、プローとかうまくいかないんだもん。新しい担当さんは上手で、べつに平気でしたです それから、に。ヘアマニキュアなんて、やるもんじゃなーいー 知ってました ? あれってシャンプーしたときに色落ちするって。わたし知らなくて、一度 目のシャンプーのとき、泡が妙に黄色くて、「げ、すげえ髪汚れてる」 ( コトバがわるいぞオマ
近くの椅子を、真梛が指し示す。亜羅写が本読みの大机を回ってくるあいだに、彼女も脚立 をおりてきた。 「どうしたの。何だか、顔色悪いみたいだわ」 自らも椅子に腰かけながら、真梛は彼を見上げるようにする。心配、しているようだった。 「ツカレだよ。目の奥が、ナンか重くって」 亜羅写は目をこする。もし目をからだにつなぎ止めている糸が、・目玉の後ろにあるとしたな ら、そのあたりが、鈍い痛みをおばえていた。 サヤメ シイナ 彩女領で獅伊菜の兵に対峙したとき、エセラを使いすぎて、やはりこんな感じがした。 「冷やしたほうがいいわ。ひつようなら、医局へ行って薬をもらって。なんなら、私がついて ゆくから」 クウガシュウ いたわりの言葉が、嬉しかった。亜羅写が〈空牙衆〉以外の者と、係わりたがらないのを、 おもんばか 、慮ってくれている。ふつうの人にとってま、、 ししまだに彼は『セラⅡニア人』で『得体が知 れない』者なのだ。急には、ひとびとの意識は変わらない。 じやけん 王宮づきの医師に訴えても、邪険にされるかと思うと、足が向かなかった。それを、わかっ てくれている。 「うん、じゃあ、アトで」 真梛がいると、こころづよい。彼女には、道端の石ころまでが、好意的な気がした。望月の モチヅキ
いらない」 視線をそらしたまま、首を振る。落ちついて、くつろいで語り合う気になど、なれなかっ っ ) 0 「そうですか」 腰を浮かしかけた矢禅は、元のように椅子にふかく座りなおした。また、両手の指を組み合 わせる。 うら 「 : : : 恨んでいる、と思いましてね」 静かに、彼はそう切り出した。横を向いたままの透緒呼に、視線をまっすぐ当てている。 「セラⅱニアから戻って、聞いたのでしよう ? 僕の父のことを」 かすかに透緒呼はうなずいた。 そうよ、聞いたわ。だから、あなたを信じられなくなった 「さそ、驚いたでしよう。僕が〈陽使〉の息子だと聞いて。見た目には〈銀聖色〉があった れのに、ザカードの子だったなんて」 の矢禅の眼鏡が、彼の紫の瞳を銀に見せるよう細工している。それは、ついこの前まで、蒼主 華しか知らないことだった。 いな 否、蒼主でさえ、あの夏までは知らなかったはずだ。 ョウシ ギンセイショク ソウシュ
うるさいですから」 「ああ、そうね」 セラⅡニア育ちのせいだろう、亜羅写は寒さが苦手だった。少しでも風の吹いている日は、 外に出るのさえ嫌がっている。 「じゃあ、行くわ。ーーー来るんでしよう ? 」 見張られているようで気は進まない。それでも透緒呼はたずねた。答えは、聞く前からわか っていたのだ。 「行きますよ。透緒呼、今日は打ち合いはしないで、静かにしていたほうがいいですよ。あし た、節々が痛むと大変ですから」 「そうね、そうするわ」 忠告を素直に聞いた。大事をとったほうがいい。なにしろ、「頭を打った」のだから。 透緒呼は矢禅から木刀を受け取り、部屋を出た。矢禅が扉をもとどおりに閉め、あとにつづ 「ーー矢禅」 亜羅写の待っ外へ向かって歩きだしてすぐ、矢禅は呼び止められた。蒼主が、階段を降りて 現れる。 「叔父上」
雪か降るから攻撃しない、 なんて聞いたこともないわ。 ほら、さっさと出るー・ 雪か何 ? 雪だうが嵐だろうが、 敵は待っちゃあぐれないのよ。
私、矢禅の歳なんて、たずねたこと、ない。 今まで、外見から何となく判断していただけだった。その表情から、物腰から。 「矢歌の殺された時の発熱は、成長に必要なものでした。僕は、〈陽使〉の血を引いてますか ら、普通には育たないんですよ。その日から、僕はこうです」 彼は両手を広げてみせる。つまり、もう十年も今のままの姿でいるのだと。 矢禅はつづける。こころは子供のまま大人の姿になり、ひとりきりで、母を殺されたことの 憎しみをつのらせたと。だから、元凶となった彩女貴里我の大切なものを、奪おうと王宮に行 えん 「 : : : できませんでしたけれどね。それが縁で、あのひとの配下に僕はおさまったんですよ。 こんな話、はじめて聞くでしはう ? 」 「叔父上はそんなこと、ひとつも言わないわ」 透緒呼はうなずく。矢禅がザカードの息子だと告げられたあの時も、蒼主はここまでは言わ よ、かっこ。 れ ・ : 否、矢歌のことは知らないのかもしれない。 群 の「矢禅、私に話しちゃって、 いいの ? 」 もの 華 秘めつづけてきた秘密を知ってしまうのが、何だか後ろめたかった。これは自分ではなく、 蒼主が聞くべきではないかと、そんな思いがちらりとかすめる。
「それはウソだよ、マーナ」 「すこしくらい、動 いたほうがからだにいいのよ」 彼の言葉にかぶせるように、真梛が言い募る。むきになっているのか ? 「ーーーちがう」 ゆっくりと、ちからを込めて首を振った。 なぜか、ゆずるつもりはなかった。 「ちがうダロ。アンタほんとは、トオコにハラを打たせたかったんだ」 「ちがうわ」 「じゃあなんで、アンナ挑発したんだよ ! トオコがダレカを傷つけるの、嫌いだって知って んの、イチバン知ってんの、あんただろ ! ちがうかよ ? 」 げつこう 言いながら激昂してゆくのを、抑えられなかった。事実なら、亜羅写は真梛を許せない。許 せないかもしれない。 きずな 「アンタたちの絆って、そんなもん」 れ もっとちがうと思っていた。透緒呼がだれであろうと、真梛が何であろうと、ふたりは支え 群 烙あってゆくと、信じていた。 華 「キョウダイじゃないのかよ、『カゾク』じゃ