108 て。 ふいにそんな言葉が浮かんだ。そうよ、ヒトなんて。みんなずるくて、かくしごとばかりし 膝がとっぜん震えた。怒りが悔しさに変わってゆく。 私、はずされているの 疑問が浮かんだ。やつばり私は、王宮のどこにもいられないの : ばんツー 透緒呼は足を踏みならした。それは、吐きだせない怒りの代わりをしていた。 「 : : : するわ」 わか 小さな声に、蒼主が耳をそばだてるのが判った。 彼女はを吸う。叩きつけるように声を出した。 「ええ、そうするわよ 蒼主の足を踏みつけた。後も見ずに、窓をあける。 粉雪がはらはらと舞い込んだ。かまわずに窓枠を乗り越え、透緒呼はそのまま外へ消えた。 ひぎ
「やだ、そんなこわい顔」 なぜ姉が怒っているのか、見当もっかない。 なによ、私、悪いことしてないわよ。 「どこへいくつもり ? その〈陽使〉から離れなさい。 透緒呼はうろたえ、ザカードを振り仰ぐ。 、いけないの ? 離れなくちゃ ザカードが背を撫でた。紫の瞳が輝く。 「聞かずによい」 みちびかれた。 そう、 いいんだわ。下りなくて。 「私、下りないわ。このひとと一緒に行くの。一緒に暮らすのよ。暮らすんだわ」 なぜか、言い聞かせるように響いた。 真梛の顔つきが変わった。ほそい眉がふるえる。怒りがわいたのだろうか。 「どういうことだかわかっているの ? 透緒呼、あなた〈陽使〉と行くの ? その男が、いま まであなたに何をしたと思ってんのよ ! 」 : 何にも」 ここへ来るのよ ! 」
いきどお なくて、憤っている。高ぶっている、荒波のように。 手も足も出ない悔しさを感じ、ザカードは笑いをかみ殺した。いちじるしい優位が、気持ち をくすぐる。 囚われの、身。 檻に閉じ込められた自らを、この者はどう思っているのだろうか ? 〈恋人〉の涙を見せつ けられて、しかし、何一つしてやることもできず。 「さあて」 怒りを受け止めることなく、ザカードはわざとはぐらかした。囚人の赤毛が、その金銀の瞳 が、さらなる怒りに燃え立つのが見たかった。 このクソ野郎がよッ ! 」 「すッとばけたこと言ってんじゃねえっー 田 5 いどおりに、彼が吠える。こころを操る、あまりのたやすさに、ザカードは笑いだすとこ ろだった。 「何とでも言うがよい」 れ ザカードは虫でも払うように片手を振った。事実、彼の声は遠吠えにしか聞こえない。その 群 烙檻のなかにいるかぎり、彼は髪一筋さえ、ザカードを傷つけることはできない。 華 忌ま忌ましい太陽の〈ちから〉は、ささくれた骨のような檻がすべて、水のように吸い上げ てしまうのだから。 とら
148 美酒に酔いしれたようないい気分だった。あの強気な少女を、彼はここまでにしたのだ。彼 が、ここまでにしたのだ。 よろこ かな 自らのなかに眠るちからに、ザカードは悦びを感じた。だれも、そのちからに叶わない。ど んなにザカードを拒もうと、どんなにはげしくおうと、いっかは言いなりになる。それし ゝ、キよ、 0 その身を投げ出して、ザカードを仰ぎ見、乞うのだ。 抱きしめてくちづけてほしいと。けして離れず、側にいてほしいと。 この、ザクーシャのように。 「そのはう、見ゆるな」 けもの ザカードは振り向き、嘲るような色を瞳に浮かべて問うた。獣の骨をつなぎ合わせて作った ような、黒くささくれだった檻に向かって。 まがまがしく光る格子を握りしめていた、浅黒い手に、筋が浮く。怒りを押し殺すように。 「てめえ、透緒呼に何しやがった : おきび くぐもった声が聞こえる。檻のなかに、燠火のような金のきらめきがある。 わたしを憎む目だと、ザカードはひそかにほくそえむ。悦びがあふれだす。 この者の、眼 愛しい者を奪われた、やり場のない怒りに支配された眼だ。この者は、それをぶつけようが あざけ おり
いわよっ」 肘をまもる防具がばしんと鳴った。打たれたのだ。 痛みはそれほどない。透緒呼が手加減しているのか、防具のおかげなのか。 くそ , つつ。 こんなはずじゃない。 はらわたが煮えくり返る。オレはこんなんじゃない。 「右から来なさい。刃をまわす ! 」 透緒呼は教えているのだ。怒りに包まれた亜羅写の耳に、声は聞こえる。けしててひどく打 、。ナれど。 ち負かそうとはしていなし チクショー 思うようにからだが動かない気がする。目がかすむのか、よく透緒呼の木刀が見えない。 見えないから、よけられない。言うとおりに打っことができない。 いなずま あきらかにオレはにぶいと、痛感した。透緒呼が稲妻なら、亜羅写は木から落ちる花びら だ。もしくは、地中の生き物 れ : ナンだよっ。 群 烙透緒呼への怒りが、次第に自らへ矛先を変えはじめる。 華 どうしてできないんだよ、言われたとおりに動けないんだよ , それだけ稽古が足りないのだ。言ってしまえばそうだが、亜羅写は認めたくなかった。否、 ひじ ほ、一さき
がばお : : : ッ 異様な音とともに地面が割れ、無数の手が突き出した ! 「なつに」 干からびた手の群れが風に吹かれたように揺れる。てんでに、彼をつかもうとくねりはじめ る。 〈忘れたか〉 〈忘れたかえ〉 〈忘れたかえ、この仕打ち〉 〈この仕打ち 黄ばんだ、男の手女の手子供の手老人の手、手、手、手い うら 怒りが、彼らを満たしていた。彼らは恨んでいる。憎んでいる。はげしく、何よりもはげし れ 群 の 華 すくんで、彼は動けなくなった。ざわざわと皮膚を虫がはうような感覚をおばえる。粘りつ くものが、責めたてるようにさざ波を打った。
ひとりの婦人が、彼に手をさしのべている。 闇のなかからすっとのびた手は、だれのものかわからない。ほっそりとした白い指それ は、果たしてどんな意味を持っているのか。 いぶか 助けを求めているのだろうかと、彼は訝しがった。そのわりには、なんら意志を持たないよ うに見える。 その手は、ただ彼の前にさしのべられているとしか思えなかった。何かを掴もうとするよう でも、すがりつけるものを探すようでもない なんだ ? れどうして、こんなところに手があるのだろうか。こんな、何もない山のなかに。 けものみち さび 烙彼は、寂しい山道にひとりきりだった。獣道のように荒れ果てた、踏み固めた土のほそい 華 流れが、ただ彼の前につづいている。木の幹は節くれだっていて、黒かった。 : : : 季節は、冬 齠なのだろうか。 断章火影の陰地 つか
けっこ , つ。 簡単に負ける者など、ザカードは要らない。この先、ひとつの駒にさえならない。 手負いの獣のような男を、ザカードはあらためて検分した。 怒りと誇り。鍛え抜かれた戦士のからだ。ずば抜けた、ちから。 人として、おそらく彼は秀でる者なき部類に属するだろう。平和な世でならともかく、この 乱れた時代のなかでならば。 それがわかっただけでも、よしとせねばなるまい 「その気位の高さに免じて、教えよう」 屈させることに、執着するつもりはなかった。それは、これからいつでもできる。九鷹を しようちゅう 掌中に収めている間ならば。 こぶし 九鷹が拳を握りしめた。感清を殺そうとしている。情けをかけられるもまた、屈辱なのだろ 「ザクーシャが、わたしのロづけを受け入れたのだ」 みるみる、九鷹が顔をゆがめ首まで朱に染めた。こみ上げるものを押し戻そうとするよう に、歯を食いしばる。 、一ま
巻き込まれていたのに ! どうして , どうしてツリ」 カんで前のめりになる。透緒呼はその場に膝をついた。両手を床に押しつけ、荒い呼吸を繰 り返す。 ふさ 怒りにのどを塞がれていた。苦しい。苦しい どうして私は怒っているの ? どうして、こんなに怒っているの 抑えられない気持ちに、こころの片隅が悲鳴をあげていた。止まらない , 「透緒呼、落ちつきなさい」 つか 蒼主が机を回ってくる。両肩を透緒呼は掴まれ、ささえ起こされた。 「落ちついているわよ。ちゃんとしてるわよ。そんなんじゃないわ、違うの。違うのよ叔父 「 : : : 混乱しているのか ? しつかりしなさい 。立つんだ」 「立たないわ。立ちたくなんかないのよ。放してよ ! 」 払いのけようとしたが、かなわなかった。蒼主の手が、手首をがっちりと掴んでいる。振り 回しても、外れない。 「放して ! 」 「できるわけがないだろう ! 」 上」 ひぎ
バンンー 絶叫に、檻がきしんだ。はじけ飛ぶかと思うほど、格子がたわむ。怒りにまかせて放出した 彼のちからと、閉じ込める檻のちからが、ぶつかりあったのだ。 「威勢が、良いことだ」 とうすい ザカードは鏡面を撫でた。ザクーシャの陶酔した表情が美しい 「だが、物を訊く態度ではないな。そのほう、土下座ができるか ? ザクーシャがこれほど素 直になったわけを訊くためにな」 くつじよく ちらり。振り返ると、九鷹が顔をこわばらせていた。そう、屈辱だろう。憎む者に頭を下 げねばならぬのだ。 「ふざけんのも、 ・こ : 、、にしやかれ」 震えながら、それでも九鷹は言い切った。負けるつもりはないようだった。死んでも、気高 群さを失わないつもりなのだろうか。 烙それならば、それでよいことだ。 ねぶ 華 ザカードは値踏みするように九鷹を見た。たしか、自由民とかいう男だ。このちからに屈そ しゆっじ うとはしない誇りは、その出自に裏打ちされているのだろう。