210 たわたし。がーん。ひびきのは当て字が多い。多い まあいいや、何をいまさらというもんさ。あはは。とっとと裏話に参りましよう。じつは、 このあとがきを書くためにと、執筆当時にのこしたメモが見つかった ( 山のように紙の留めて りちぎ あったポードを整理したら出てきた ) ので、それを使いましよう。そうしないと、律儀にして かわいそう いたわたしが可哀相だわ。 って言えるのは、そのメモ ( 別名暗号 ) を解読できたからです。 だってさー 、たぶん眠りこけながら書いたんだろーけど、単語がふたつだけなんだもん。と っても汚い字で、『みみなし芳一』と『レモン水』。 なんだこれは ? って、まじで思いました。レモン水はわかります。夏だったから暑く のうしゆく た て、冷やした水に濃縮レモンを垂らしたやつを死ぬほど飲んでたってことだから。でも、み みなしはーいち ? 点目になって十分。よっぱど電話して人に聞こうかと思ったわ。どうせ、だれも知らないに 決まってるんだけど。 オーケーオーケー、思い出しました。わたしってバカ。忘れてたのもそうだけど、こんなこ としたのも、書きとめといたのもそう。 たいしたことじゃないのね。これを書いてる途中、寝ようと思って横になったとたんにアイ デアが浮かんで、だけどなまけものなわたしは、起きたくなかったのでした。
愛されたはずがないのなら、こうやって子を孕んだときに、おなじように苦しむ。どうした らよいのかわからなくて、答えのでないまま、月が満ちるまで過ごしたかも知れない。だれに も打ち明けられずに、ひとり部屋にこもって。 そのほうが、良かっただろうか。 問うて、真梛はため息をついた。 あの日、何も始まらなければ、し 、まの私はなかった。でも、こんな思いだけでなく、ほかの さだめも通りすぎてくることはなかった。 グウガシュウ 〈空牙衆〉の面々と、会うこともなく、トウザーシャを知ることもなく。 あの夏から、この冬まで。 けして嫌な思い出ばかりではなかった。それらすべてを消してまで、世界が変わってほしい と願うわけではない。 トウザーシャを知らずに、生きていたいとは思わなかった。もうすでに知ってしまってい 篇 青る。あの時の痛みも悲しみも知らずに生きていけば、おろかな人形のような娘でいるだろう と。 脈 の考えるだけでそっとした。 蘭 それはいやだ。知らないよりは、知りたい。 結局、さだめがどちらに転べばよかったのかなんて、計れはしないのだ。 はら
ャゼン 駆けてゆく自分を真梛に見られたと、矢禅は感じていた。 ソウシュ うかつなこともあったものだ。蒼主が禁じた手前、だれも異次元に入り込むはずがないとタ 力をくくって、よくたしかめもせずにここに踏み込んだ。 それが間違いだった。 はっとした真梛が、彼を追うように視線を向けてきていた。遠ざかりながら、背後にすっと 気配があった。 あのひとに、告げロするだろうか。 恐れのように湧いてきたのは、その言葉だった。蒼主は彼がひそかに王宮をでたことを知っ セイレイ ているのだろうか。もしかしたら、精霊たちがそれを告げたかも知れない。 けれど、そのわけまでは知りようがないはずだった。矢禅が、どこへ向かおうとしているの か、も。 : それにしても、真梛はなぜここにいたのか ? かかとそうやづる 第六章踵草の矢蔓 っ
わきばら サヤメジョウ トカゲの脇腹をそっとっかみ、顔を自分のほうに向ける。彩女城で見たお芝居を、彼女は懸 めい 命に田 5 い出そうとしていた。 「ああ、王子さま。あなたは、ふれいでりい王子さまなのですね ? 」 しゃべ まね ふいに紫万は喋りだす。精一杯、芝居のなかの姫君の顔つきを真似していた。 : 王子の名前は、ふれでりくだったような気もした。 のろ 「こんな : : : あられもない姿に変わってしまわれるなんて。いったい、どんなおそろしい呪い がふりかかったことでしょ , つ」 〈あられもない〉ではなく、〈見る影もない〉だっただろうか。 いばら 「それでも、来てくださったのですね。この荊の壁をよじのばって」 その芝居では、姫はとじこめられていた。だれかが助けることのないようにと、するどい棘 をもった荊におおわれた塔のなかに。 「王子さま、おけがを。ああ、なんてことでしよう」 青荊の棘に、トカゲの王子の腹は真っ赤だった。一足ごとに、棘にからだを切り裂かれる痛み 天 をこらえながら、彼はここまで来たのだった。 脈 血「すぐに手当てを致しますわ。 ああ、魔王が ! 」 みずか 蘭 姫が自らの衣を裂いて、トカゲの腹に巻こうとした瞬間、塔には恐ろしい足音がとどろく。 姫を取り返そうとやって来た王子に気づき、魔王がやって来たのだ。 けん
それでどうしたかというと、メモのように『みみなし芳一』したのよ。つまり、その辺に転 がっていたポールペンを拾って、腕やら足やら、手の届く範囲にそれを書きまくったんでし そうだよ、それで起きたときエラいことになってたんだ。シーツが黒くなってたのはもちろ ん、そんなことすっかり忘れてて、鏡見て「ぎやツ」となったのよ。まっくろくろすけな女。 あんたったら、ゆうべ何やったの ( おまえほっぺたにまで書くなよ ) 。 こす しかも、どこから書きはじめたかわかんなくてさ、話飛んでるの。さらに言えば、擦れて読 どうでもし 、いけど、これって、 めないのが大半だし。成果はあんまりなかったのでした。 わざわざメモしてまで伝えることか ? はじ なんだか恥をさらすためにあとがき書いてるわたし。くすん。中身にもちこっと触れときま しようかねえ。といっても、あと二冊つづきがあるので、あんましバラせることもないんだけ ど。 じゅなん アラシャ 前回から脚光を浴びはじめた亜羅写坊は、あいかわらずの受難です。回をおうごとに、なん 。ふつ。可哀相なャツ。同情なんかし とだかおかれている状況が悪くなってきているような : セイワげつ あ ないもん。だって、彼の運命は『影瓏の庭』で清和月を飛びだしたときに決まってたんだもー ん。 っ ) 0
美化しすぎている。真梛はせいぜい、毛をさかだてた猫だろう。美しい手を持った貴婦人に飼 いならされた。 家を持たない不安も、食べるもののない苦しみも知らない。 うらや カイザタイコウ 真梛はだれもに羨まれる生活を送ってきたはすだった。母は側室とはいえ、界座大公のひと そそ りめの娘として生まれ、惜しみない愛情を注がれて育った。何に不自由することなく、どこへ 行っても好かれた。 モチヅキヒメ 〈望月姫〉と呼ばれるはどのちからを秘めた〈命〉だったから。 外から見れば、私は幸せなのかも知れない。 くら 生まれながらに与えられたものだけを較べてみれば、だれにも負けないだろう。いちどは彼 女になりたいと思ったひとは多いだろう。 でも、はじめから持っているものは、ひとを幸せになどしてくれない。 セイレイケイ 身を持って、彼女はそう知っていた。その日の暮らしに困ることなく、ひとよりも〈精霊契 たぐい 青約〉のちからがつよかった。それは、選ぶことのできない類の運の良さだ。 脈運だって、悪いよりは良いほうがいいに決まっている。けれど、そこで幸せの大きさを計る のことはできない。 蘭 幸せは与えられるものじゃない。つくるものだ。 「でも、私は不幸じゃないわ」
第ニ章牙の傷あど ふさ 黒に、塞がれはじめている。 おお アラシャ 両目を包帯で覆った亜羅写に、矢禅はそう感じていた。 かな 黒い、ふかい闇のような気持ちが、亜羅写をその中に閉じ込めようとしている。哀しみと絶 おお 望で覆いつくし、生きてゆく光を、奪おうとしている。 くだ 僕の右手を砕いたから。 そそ 矢禅は右腕に視線を注いだ。痛みはすでに限界を越え、半身が痺れたようになっていた。こ こまでくると、感覚はないようなものだ。血もすでに止まり、動かしさえしなければ、それほ どの苦痛はない。 し / 、じっこ。 みずか 自らの振る舞いに、矢禅ははげしく悔いていた。あの時、何が起きているのか知りながら、 思わず手を出してしまったのは自分の不覚だ。亜羅写のせいではない。 しかし、亜羅写は、そうは思ってくれないだろう。 ャゼン
おれの子だ ! 〈命〉の子 そうではない。その子が、どのような子かわかっているのか ? : という意味が、おまえにはわかるか ? 」 青 きずな 一入セイレイケイヤク 〈精霊契約〉のちからは、血の緒を伝わる。祖父母ら父母から子へ、またその先の子らへ。 血そういうものだからこそ、つよいちからを受け継ぐ一王・四大公家』はカウスⅡルーを治め たて 蘭 てきた。この乱世に楯となってきた。 みなもと サカンゲッ その〈精霊契約〉のなかでも、月神・叉幻月をちらの源とする〈命〉はきわめて数が少 即答に、蒼主は腰を浮かすところだった。銛で胸を貫かれれば、こんな気持ちになるだろう か風が抜けてゆく : 「わたくしの子ですわ、陛下」 真梛はきつばりと口を結んだ。 こら 奥歯を噛みしめ、蒼主は目をあけた。まぶたがひきつれるのを堪える。けしかけたつもりは ないのだろう。彼女は母なのだ。子は、己が生むもの。己のものだと、知らずに思ってしまう だけなのだ。 おのれ - もり つらぬ
「てめえの頭、どツかおかしいんじえねえのかよ」 「ふ」 まともに取り合わず笑いにふし、ザカードはあごをしやくった。 「その傷。よく残っているな」 一瞬、をはげしく引きつらせ、九鷹は腕の内側に視線をやった。先日、この男に負わされ た傷は、墨を入れられたように黒く、袋のように盛り上がっている。だが、それが何だという のか。 「クョウよ、あまりわたしを憎むな」 突然の言葉に、九鷹は片眉を上げた。ザカードをねめつける。 「ああ」 「ふ。怒るな。憎むな。これもすべてそのほうのためと教えてやっているのだからな、ザクー シャのことと同様」 ひそ 言葉の裏に潜む毒を、彼は嗅ぎ取った。この男、何を言いたし卩 とりこ まど 「普通のジアフがどのように人を虜にするかは知っているな ? 魅きつけるのだ。惑わし、こ すきま たましい おのれ ころの隙間に忍び込み、その魂とからだを己のものにする。 その傷も、ザクーシャに吹き込んだ〈息〉もあれの手首の黒いモノも同じことよ」 はツと九鷹は身構えた。本能からの信号に、全身がはりつめる。
母の愛した、〈陽使〉。 それは、彼にとって昔話でしかなかった。すこし正気ではなかった母が、幼子のように目を 輝かせ、くりかえしくりかえし語る物語でしかなかった。 変わってしまったのは、なぜだろう。 矢禅は、自身に説くことができなかった。気づいたら、こうなっていたとしか言えない。 彼の息子として、〈陽使〉の側につけ。そう強要されることを考えたこともある。 そっとするような夢想だった。おそらく矢禅は断っただろう。蒼主の敵にだけはならないっ もりだった。父とのはざまで苦しみ、そして結局は蒼主を選んだはずだ。 みもだ 身悶えするような選択になったはずだった。 けれど、父は呼んではくれなかった。 ザカードの追いつづけていたのは、透緒呼だけだった。血のつながりはないと知ったあとで さえ、おなじように欲した。 なぜだろう。 愛した女の息子ではなく。 彼女のどこに、父は惹かれる ? 「一言え。そして、はやいところ去るがよい」 しび 痺れを切らしたように、ザカードは繰り返す。彼のことなど、どうでもいいというかのよう ョウシ ひ おさなご