「その方にひとつでも傷をつけたならば、ただではおかぬ。ゆっくり、馬を降りられよ。その 方を、こちらへ」 機はこちらにあると知り、ー吹雪王はいくらか落ち着きを取り戻した。このままうまくすれ ば、無事に桜姫を取り返せる。 「 : : : わかった」 おずおすと一人が下し、草を踏みしめた。仲間に手綱を渡しておいて、桜姫の乗った馬へ 歩み寄る。両手を、彼女に差し伸べた。 「なにをしている」 低い声が突然わりこみ、男たちが、ほっとしたように声のしたほうを見た。 かしら 「お頭ツ」 馬が囲みを乱し、道をあける。 ほかよりもひときわ大きい黒馬が、進み出てきた。 これほどの大きさのものを、吹雪王は見たことがなかった。都や〈不死〉で使われる馬は、 たいてい あしげ くりげ 中 大抵は葦毛か栗毛で、小回りのきく、足の短い小ぶりの馬だ。 燈頭と呼ばれた男は、金の面をつけていた。手下たちとは逆さまに、顔が金で、目が黒い。 舌は同じように赤く、その色の取り合わせが、どこか不吉なものを感じさせた。 「サジを、そのまま放り出して駆け抜けてゆくと思ったら、・ : ・ : 女を捕まえたか。その男はな みやこ
ずつのサイクルで、出ますんで。何でかってそりやー、資料調べにもンのすごく時間が取 られるからだよ。 ( ホントか ? ) 山のような資料を必要としているのは、マジに本当です。読んでいただきやわかると思うで へいあん アメオトシマ すが、〈雨の音洲〉は、舞台設定を平安時代に借りてます。主に平安後期ね。とはいえ、いち カくう・ おー架空の島国なもんで、細かいところはアレンジしてあるけどさ。たとえば、神様は〈鳥の 人〉ひとりの一神教方式だし、〈不死〉山に彼の墜落跡 ( ↑ちがうだろ ! ) があったり。 そうだ。〈不死〉と言って思い出した。これは言っておかねば。 あのー、文章中に〈フワ〉の関所とか〈オキ〉の国とか出てきますよね ? それって、もち みやこ ろん〈不破の関〉であり〈隠岐〉のことです。だから、当然都というのは、平安京のあった辺 りのことね。そうなんですが。 ここでひとつ。桜の章を読んで「変だ」と思っていたあなた、正しいです。 何のことかというと、霊峰〈不死〉。これも当然富士山の事ね。しかし。 やま しずおか きようと ぎっしゃ まさか、京都から牛車で二日の距離にあるわけないじゃん ! だって富士山は静岡だよ ( 山 きなし 梨ともいうが ) 。それでどうして牛の歩みで二日で着けるかなー ゅうちょう と途中に休息を入れるような、悠長な旅でそんなわきゃありませんって。それでなければ、 〈雨の音洲〉の牛は、日本の牛の十倍のスピードで走るんだわ。 そうじゃなくて。これは、単に〈不死〉を都近くに置きたかったために、わたしが位置を変
272 ふく さかい えたです。〈雨の音洲〉の〈不死〉は、国土地理院の日本地図上で岐阜県と福井県の境のあた へいけだけ くずりゅう りです。平家岳とか九頭竜ダムとか、そこらへんに〈不死〉はあるんだなーと、思ってやって くださいませ。決して「ひびきのばかー」などと言わないように。勘違いじゃ、ないですから まあ、どっちにしても、日本より〈雨の音洲〉の方が、小さめの国です。ただし〈尾〉の領 地の東北地方はでかいぞ。あそこはまだ、神秘の国だからな。 ( って言ってるなら、地図載せ ればいいのか。 : : : 次回に検討しませう ) 。 それにしても、今回は胃が痛かったことでした。『華烙の群れ』のあとがきに、「次回は九 月。もう約束ゃぶりません」なんて宣言したでしよう。じつはあの時点では、きちんと原稿が あがるか、微妙なトコだったもんで。書いた手前、また発売が遅れた、なんてコトにはしたく なかったですし。特に問題もなくクリアしたときには、一気に全身の力が抜けたワタクシ。二 度目の公約違反をしちゃったら、どんなお怒りの手紙が来るかとそれが怖かったんだよう。ひ しようしんもの びきの、 小心者です。だからいじめないでね ( なんのことだよ ) 。 さて。ふたたび中身にもどりましょー。闇燈籠心中・吹雪の章なんですが。あたらしいキャ ラがでてまいりましたねえ、おほほほほ。臾螺と洒弭螺。ふたりとも歳、独身。乳兄弟の幼
耳に針が : 中 それが、まことに現のものかはわからない。 燈ただ、耳のなかが張り詰めるようだった。〈不死〉の山から降りてきたときなど、比べ物に ならない痛みが、細い糸のように横へのびる。 「ぐ : 「耳をふさげ ! 」 ど′ ) う 怒号のような臾螺の声が響いた。 男たちは手綱を離し、わっと伏せて耳をふさいだ。洒弭螺が顔をしかめて横を向く ! 臾螺が懐から細長いものを取り出した。 やおら、ロに当てる。 ( なんだ ) すき 気をそらした隙に、鬼火は操る糸を断ち切って林のなかへさまよいこんだ。身構えるよりも 先に、吹雪王の耳に笛の音が飛び込んだ ! ひょ , つつ うつつ
邪な者の持っ気配ではない。例えば東宮のような。例えば、鬼のような。 「ただ ? 」 刺のある声で問い返され、心が萎んでいく気がした。桜姫は俯いて、呟いた。 ごめん」 しょげ 悄気た桜姫の額に、吹雪王が自らのそれを押しつけた。山が火を噴いたようだった怒りは、 しず 鎮まり、悔いに変わっている。 ゆら 「怒鳴るつもりではなかった。だけど、あの臾螺という男だけは、どうしてもわたしは 嫌なものがまとわりついている気がする。ここにいれば、わたしたちはきっと不幸になるよう な、そんな気がするから」 「わたしもそうよ、お兄さま」 なぜだか、、いに鳴り響く鐘の音があるのだ。あの男に近づいてはいけないと。 などない、ただの感覚だ 0 た。たとえば、床に伏した老人を見て、もう間もな、儚くなる 中 と、ふいに思ってしま , つよ , つな。 あずま 燈「出ましよう、吹雪王のお兄さま。わたしたち、〈不死〉の峠を越えて、東に行かなくてはな 闇 らないのだもの。〈尾〉の御領地まで逃げのびなくてはならないのだもの」 迷いを振りきるように、桜姫は勢い込んだ。 よこしま
カらか , つよ , つに、男が一一 = ロ , つ。 桜姫は、取り合わなかった。何とでも言うがいい。彼女には、彼のほかは何もなく、何も要 らないのだから。 ( そう、なにもーーー ) 頭の上で、くすりと男が笑いをかみ殺した。考えていることを、知ったのだろうか。 ( どちらでもいいわ ) この男にどう思われようと、興味はなかった。好きに、笑えばい、。 東の端にかかる月が、白く冴えだした。陽はその名残の色さえも消し、空は藍色から、深い 闇色へと沈んでゆく。 森も山も、よくは見えなくなる。ここはどこなのか、それも分からない。 ( もう、〈尾〉の家の御領地に入ったのかしら : : : ) 吹雪王の言葉を、思い出した。〈尾〉の御領地に入れば、わたしたちの苦しい旅は終わるの だと。 中 からす トリナ 燈それが〈鴉〉の家と同じ〈鳥名〉貴族の一つだとは知っている。遥かな昔に、〈不死〉より あずま たまわ もすっと東の土地を賜り、そこに移り住み、そこを支配する一族だという。 けれど、それ以上のことはわからなかった。 やみいろ あいいろ
吠えるように吹雪王は力を込めた。はずみか、ばろばろっと涙が落ちた。 あずま 「そんなのは、すぐ終わるから ! 〈不死〉の向こうへ行けば、また街道に戻れるから。東の ) ) りようち 地へ行こう。〈尾〉の御領地に入ってしまえば、帝にも、誰にも手出しは出来ない。わたしが させない。だから : 乱暴に手の甲で拭い、吹雪王は続けた。 「だから、お願いだ。わたしを見捨てないで。桜、いっしょに来て。来ておくれ」 〈うわあん〉 ふいに子供の泣き声が聞こえ、桜姫のなかに一枚の絵が滑り込んできた。 幼い子供が、暗い部屋で泣きながら手をさしのべている。遠ざかってゆく足音と、女人の衣 擦れ。 ときわ 泣いているのは、ちいさな吹雪王だった。去ってゆくのは、おそらくは常磐。おかあさま。 中 ( 兄さま : : : ) 燈彼のつめたい気持ちが、流れ込んでくる。 吹雪王はいま、この頃とおなじ気持ちになっているのだと桜姫は知らされた。置いていかれ Ⅷる。ひとりになる。それが、兄の心にこんなにも深い傷を残している。 すべ きぬ
「わたしに聞きたいこととは、なんですか ? 」 こわね 声音を優しく変えて、彼はたずねた。子供をあやすように、震えている四の姫の背をさすっ てやる。 「お父帝さまは : 、どうしてあなたをお呼びになったの ? こんな日に。また、わたくしの こと ( あなたの ? ) がてん 合点がいかず、彼は首を傾げた。四の姫のことで、どうして嵐王が呼びつけられるのだろう ろけん か。そんな日が来るとすれば、それはこの逢瀬が露顕する日だった。 とうぐうひさくらひめ かいにんきとう 「先日。東宮妃の桜姫さまが、〈不死〉の神官にご懐妊の祈疇を受けられたと聞きました。そ のことで、お父帝さまがわたくしに、あなたは三つも年下の姫に、先を越されるのですよと。 そう、おっしゃいました」 「つまり、どなたか夫君を持たれるようにと ? 」 「はい・ それは今に始まったことではなかった。 アメオトシマ たいてい 〈雨の音洲〉では、大抵の女性は十五前後で夫を持つ。成人して一一年。取り交わす文も多くな り、優劣もつけられ、そろそろその中から一人を選べるようになる。 誰にでも、数人は文をよこすものだし、上流の姫であれば求婚者は殺到する。 ふみ
これだから女はと、嵐王は軽蔑するように田 5 った。 男が、このような事態にそんな話をするはずがない。いまは、何の不自由もなく育った姫の 縁談などを探す時ではなかった。 東宮御所消失、東宮妃行方知れず、〈不死〉の神官の謀と、例を見ないことが起こ 0 たの だ。それらで手一杯になる。 まつり ) 」と ( 女には、やはり政はわからぬか ) 嵐王の宮廷での地位を思えば、帝がなぜ彼を呼んだのか、たやすく測れるだろう。 みなもと 政の中央に位置し、さらに今回の事件の源であるふたりと、血を分けた兄弟である彼なの だから。 ( : : : 、宮廷で育っとはこれを一一一一口うのだろうか。自らの考えを疑いもせず、外のことに疎いま までいる ) きりよう 四の姫は真剣なのだと思えば思うほど、嵐王はおかしかった。この姫の器量まで、疑ってし ま , つ。 沖 ( だが、よい機会だ ) げんっ 籠ふと思いっき、彼は言を継いだ。 闇「小夜啼姫。宮廷はそれどころではないのですよ。行方知れずになられた、東宮妃さまが案じ だいり られますし、内裏を鬼がおびやかすという怪異 : : : 」 けいべっ はか うと
トリナ 吹雪王とて、わかっていただろう。この時代に〈鳥名〉の家に生まれるとは、どういうこと なのか。 帝に逆らうことが、どのくらい重い罪になるのか。 ( わかっていて、やったか。あなたは・・ : : ) こぶし 腹立たしさがこみあげ、嵐王は拳を握りしめた。 たいまっ たまじゃり ざくざくと、踏みしめる玉砂利が鳴る。手にした松明に照らしだされる石は、みな白く、つ るんとした光を帯びていた。 すきま その光のひとつひとつの隙間が、異様に濃く黒く見える。石どうしの重なり合った影の作る 闇は、なにかをひそませているように思われてならない。 あく - りしう この世は、悪霊におびやかされている。 ね もうりトう アメオトシマ 〈雨の音洲〉は、かって、鬼や魍魎の地だった。神である〈鳥の人〉の笛の音に、それらは ちりちりに飛ばされ、国が拓かれたのだが、すべて消え失せたわけではない。 みやこ 聖地〈不死〉やこの都の外には、いまだ、それらのモノたちが、群れをなして飛び交ってい る。 都には、四方に建てられた〈門〉による結界がはられていた。帝のおわす御所のある土地ゅ えに、穢れはあってはならない。 きとうまじな ひとたび〈門〉から出た人は、それがたとえ誰であろうと、神官の祈疇や呪いによって穢れ ひら