「桜姫、大事は ? 」 体が宙に浮き、桜姫は息を止めた。 くら どう ふわりと、腰が鞍から離れる。途端に、何か強い力が胴に巻きついた。後ろに、引き寄せら れる ! さくら ! 」 しぼ きんこう 吹雪王が馬を止めた。後ろに手綱を引き絞られ、馬はいなないて仁王立ちになった。均衡が とれず、もんどりをうって、倒れる。 桜姫は遠ざかる景色にそれを見た。 「ふぶき 固いものに押しつけられる。 それを胸だと知ったのは、本能からだった。 誰かの膝に、彼女は乗せられている。腕ひとつで、支えられている。 中 鬼の腕だと気づいた。後ろからもう一騎近づいていたのだ。知らなかった。 燈「はなし、おろして ! とめてー おにいさま ! 」 草のなかに倒れた吹雪王に、数騎が近づいている。このままでは、彼が踏み潰される。 「いやあ ひぎ いっき に . おう・ つぶ
( そうか、橘の者か ! ) 気づいた嵐王は、さっと辺りを見回すと小走りに木の陰へ回り込んだ。橘とは、まちがいな こうきゅう つか く後宮の建物をさしていた。女は、そこに住むあるじに仕える女房だった。夜盗まがいの待 ち伏せなどするから、声だけではわからなかった。 すもり 「巣守。こんなところで何をしているのか」 声をひそめて彼は問いただした。そうしながら、巣守の腕をつかみ、木陰に引き寄せる。 「後宮の女房が、夜の庭でわたしを隠れて待つなど。このふるまいを見られたら、どんな噂が 立ちのばると思うか ! 」 せすじ 言い募りながら、強く腕をつかんでいた。背筋に冷たいものが流れる。 「おまえは橘の、内向きの女房ではないか。人目に触れれば、どのようになるか知っているだ ろう」 じゅだい こうむ せんじゅ 女房には、役目をもらい公務として勤める者と、桜姫づきの千寿のように、入内にともない さと 実家からついてきた、役目を持たない者がいる。幼いころから共に育った者が多い内向きの女 、一ま ふくしん 仲房は、言わばあるじである姫たちの腹心であり、手の内の駒であった。 籠橘舎のあるじは、嵐王とは身分が違う。まるで手引きをするようなこの場を見られたら、そ るげん の流言だけで彼の地位は危うくなる。 うえ 「おゆるしくださいませ。あなたさまが主上に呼ばれたとのこと。こちらのお方がひどくお案 っと
「お頭 ! 」 しやみら 男が一人、道をそれたと気づいたのは洒弭螺だった。 はばか 役人を憚って名を呼ばなかった、彼の声と時を同じくして、臾螺もそれに気づいた。 とっさに手綱を引き、侍をかわした。相手の馬の首のつけ根を蹴りつけ、騒ぎから飛び出し 「わたしが行く ! 」 「お気をつけて ! 」 刀を受け止めながら、洒弭螺が答えた。 「ゆけ ! 」 馬を叱り、臾螺は手綱を鳴らした。身を低くし、手で、さらに腹を叩く。 馬は狂ったように走りはじめた。痛みに敏感な動物なのだ。これだけ叩かれれば、すべての 中 力で駆ける。 燈「こちらだ ! 」 男が消えていった辺りの林に、カずくで曲がりこむ。馬が、倒れそうなほど体を傾けた。よ ろけながら、林へ突き進む。 かしら
ひとめ 吹雪王とは違い、すべて髪を剃り落とした入道は、一目で分かるほど血色がよかった。酒で も飲んだかのように、頭皮まで、ほんのりと赤らんでいる。 いくら咳をしてみても、顔色までは変えられないのだ。しかつめらしくし、まわり中が案じ ているだけに、余計にそれが目立った。 あんど 「お顔を拝見して、安堵いたしました」 いやみ 笑う代わりに、厭味にも似た言葉を出した。心底ほっとした顔をしてみせる。 「ーーー熱があるのだ」 ぶっちょうづら 嵐王の皮肉に気づいた入道が、仏頂面をする。彼自身、そこに気づいているようだった。 きとう やくとう・ 「お薬湯はあがられましたか ? ご祈疇などは ? 」 ゆかり 「縁の寺のほうで行っておりますわ、壇上さま」 代わりに女房が答える。その女房も入道の歳を考えればまだ若く、やはり髪が美しかった。 「そうですか。わたしも遅まきながら、祈疇をさせましよう。おじいさまには、早く良くなっ ていただかないと」 中「うれしいことを言う」 籠感じ入ったように、入道が顔を横に向ける。 闇「歳をとると、涙もろくなるものだ。みつともないなどと、思ってくれるな」 的「まあ殿さま」
277 あとがき 。家から二十五分くらいの場所から電車に乗って、家から三十分向こうの駅まで、すーっと 気づかなんだ。ふと目を開けると、縁のない駅に停まってて、「おやあ」と思っているあいだ にドアに閉まられてしまったのよう。それでも、走りだしてしばらくは、「わたし、こんな所 で何してんだろう」なんて、ばけっとしている始末。「はツ ! 」と思って凍りました。乗り過 ごしたあ ! . しレうこ いやー、ショックだったこと。寝過ごすャッあ、ぶッたるんでる証拠だぜ、なんて思ってき たわたしが、こんなとこまで気づかない : 。ひーん。 次の駅まで固まってましたよ。かなしかった。 唯一ラッキーだったのは、家に戻る電車があったことだけです。もう一本遅い電車でそれを やってたら、・タクシー代を一万円払わねばならなかった。危なかった。 ほ。そろそろ終わりでございますだ。次にあえるのはいっかなー。十一月とか、その辺だと 思いますが、お上に聞かないと正確なところは分かりません。十一月だといいなー わたしの誕生月だもん。嬉しさが増すざんす。 というわけで。またねー 響野夏菜
簀子縁の彼に、母たちも気づかないだろう。 とが 典侍がお咎めを受ける危険が少なくなり、ほっとした。できれば、帝が気配をあまり察しな い人であってほしい。 隼王たち梔舎の者は、物音に敏感だった。やって来る足音が、苦しみを運んでくるのだ。ど さと うしても、耳は聡くなってしまう。 ( どうか、主上はそうではありませんように : そろそろと、彼は進んだ。あまり遅くなるのも、気が咎める。ちいさな四の姫は、そうなが くは待てないだろう。 あせる気持ちが、一歩ずつを震わせた。急がなければならないのに、急げば、廊の板が鳴っ てしま , つ。 きし ふいに木の軋む音がし、隼王は飛び上がらんばかりになった。しまった 冷たいものが、胸元を滑る。その場で、彼は凍ったようになった。 ぎつ :
148 その声は地鳴りに似ている。地の底から響いてくるように。 ( ああ、神様ーー ) 桜姫は目を閉じた。〈鳥の人〉の姿を、思い浮かべようとする。 けれど、それはなかなかうまく行かなかった。あちこちで、〈鳥の人〉の像を見ている。見 てはいるのに。 羽根の散るさまが浮かんだ。暗闇に、白い羽根が、ゆらゆらと舞っている。〈鳥の人〉の飛 び立った後のように。 ばうぜん 呆然とし、彼女は気づいた。 ( ああ、だめ。神様はもう、わたしたちを守っては下さらない ふたりは罪を犯した。父母を同じくする兄妺でありながら、愛し合った : ( ああ 何ということだろう。桜姫たちは、すがるものさえ、持たない。 と。 生暖かいものをすぐそばに感じ、桜姫は目をあけた。 いやあっ」 短い悲鳴が、 こわれた笛の音のように上がる。
( ーーでは ! ) がくぜん つらつらと思い出した隼王は、そのことに気づき、愕然とした。 ( あれは、 タベのあの声は : : : ) 聞いてしまった睦みあい。あれは ( 「ふぶきおう」と呼んでいたあの女人は。 ( 東宮妃だったと、いうのか なんということだ。 隼王は、息をするのも忘れていた。知らず、片手で胸元をかきあわせ、その手を押しつけ きん あのふたりは、禁をおかしていたのだ。父も母も同じくした兄妹。 それが許されるはずもなかった。〈雨の音洲〉において、それは何よりも忌まれている。 かな 叶いはしない、引き裂かれるだけの恋。 そのために、ふたりは逃げたというのだ。御所に火を放って。鬼となって。 「なぜ、あのふたりはそうしたのです ? 」 ふいに、思いもかけぬことを、隼王は問うていた。真の理由を、彼は知っている。それなの はら に、何か危険な予感を孕みながらも、尋ねずにはいられなかった。 その秘め事は、あまりにも大それている。言ってはならぬとわかっていながら、隼王は心の どこかで、それを持て余していた。 る。 むつ
. な、い . 0 四の姫を、陥れたりなど出来ない : ・ 「馬を盗られ、決意したとか。まことのことか ? 」 わ 沸いた湯のように揺れる隼王の内面に、水のような帝の声が飛び込む。すっと肝が冷え、そ ひょうし の拍子に彼は我を取り戻した。 がくぜん おもて 愕然とし、隼王は面を上げた。帝よ、、 。しま何と言った ( 決意 : : : ? ) 身におばえがない。帝と約束をかわしたりなどしていない。いちどたりともー こんわく 聞き違いかと困惑しながらも、隼王は問い返すという非礼に気づいた。再び面を伏せ、詫び る。 「失礼を致しました。おそれいります、しかしわたくしにはいずれのことか : : : 」 「今朝がたのことも、忘れたか ? 」 いぶか 訝しげに、帝はたずねる。 何のことだろうか ? 何のことだろうか 血の気が引く思いで、彼は懸命に記憶をたどる。 実家をあとにした隼王は、何かにすり替えることの出来ない想いを抱えて明け方まで歩い と おとしい わ
ど。どういう男なのかなど , ( 忘れろーー ) だんじよう 「五位の近衛、壇上の隼王参りました」 勅使が、任務を終えたことを報告する。 「うむ。ご苦労だった。ーー隼王」 厳かな声が隼王に向けられた。 冷たいものが、心の臓をつるりとなでた。 死した者の指が、ふいに触れたかのようだった。ぞっとした。身震いが湧き起こる。 ( まただ ) 兄の前に出るたびに、隼王はこうなった。何が怖いわけでもない。ないはずなのに、震えが 止まらない。 「・ : : ・参り、ました」 平伏したまま隼王は言った。声がかすれていると気づき、頬に血が上る。 おび ( 怯えるな。わたしは何もしていない ! ) これでは、今から死を賜るようだ。そうされる理由はない。ないはずだ。 ふる 射すくめられた心を、隼王は何とか奮い立たせようとした。負けるな。負けるな。、わたしは おごそ たまわ ほお